まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1033 大和鉄道100周年(3)・・・桜井まで廃線跡を巡る

2018-12-06 08:29:18 | みち
おはようございます。













12月に入り今年のまとめもせなあかんな~と思い備忘録の用意をしていたのですが、夏に走った大和鉄道100年巡りのうち廃線部分についてはまだやってなかったのに気づいてしまいました。まあいろいろと遠方を走ってはそのレポートを小出し小出しでお送りしてきているので、近場はどうしても横に置きがちになってしまうわけですが、そのまま中途半端にほったらかしにしておくわけにもいかないので今回はその話をお送りしていきたいと思います・・・と言うことで前回はどこで終わったんだっけ・・・近鉄田原本線の終点西田原本駅まで来たんだった、それではその続きから巡って行くことにしましょう。
写真1枚目にあるのが近鉄西田原本駅のホーム、見て分かるように線路はここで行き止まりになっていてその先は柵になっている、この写真もその場所から撮ったものだが、その背後には住宅が並んでいてそこを回り込んで行くとちょうど線路が切れた場所から真っ直ぐ進んだ辺りから道が伸びている。写真3枚目にある緩やかにカーブしたこの道がどうやら廃線跡に当たるみたい、その道はすぐに横を並行する県道14号線に合流して近鉄橿原線の下を通り過ぎる。ここをくぐり抜けてすぐに川を渡るがその辺りに駅があったらしい・・・と言葉がはっきりしないがこの川が寺川と言う名で廃止された駅も寺川駅なので多分ここだろうと書いたわけです。とりあえずいろいろなページでこの廃線跡を調べたのですfが、多分路線があったのはここだろうと言うのは分かるがはっきりと駅があった場所までは分からない、そりゃ自分(一人称)が生まれる前に廃止となった路線、この先は予測で進んで行くしかない。












田原本から大和鉄道の終点となる櫻井までは現在は県道14号線が通っているが、多分この道が廃線跡をカヴァーしているのだろう、まあ自分(一人称)のいっちょかみな知識もこれだけのものですので、とりあえずはこの県道を素直に進んで行くことにする。進行方向前方には三輪山が見え、周囲には田園風景が広がるだけのこれと言った特徴のない道を真っ直ぐ行くと味間と言う町へと差し掛かる。この町には南北に中ツ道が通っているがその道・・・ちなみに中ツ道はこの辺りは途切れ途切れになってしまっているので、どの道がそれだとはっきり分からない、多分味間西交差点付近を南北に通る道がそうだと思うが、その付近に味間駅があったと予測する。そのまましばらく田園風景の中を進んで行くと桜井市へと入る、町から市へ入ったと言うのに風景はますます緑が目立つようになってくる。前方には三輪山と多武峰の風景、道は南東に向いているので左手側には大和三山、耳成山と畝傍山、その後方には葛城山が切り絵を貼ったように見えている、一方真後ろに見えているのは二上山、いつも近鉄電車を撮りに行く場所から見える二上山とは違ってこの辺りから見る二上山は何かだらしない形のように見えて仕方ない。













桜井市の中心地に近づいてきた所、写真1枚目、2枚目辺りに東新堂駅があったらしい、もう予測の範囲での話しかできないので「らしい」と言う書き方しかできない。やがて県道14号線は突き当たった春日神社前交差点で国道169号線に合流するが、この道に真っ直ぐ続くように国道の向こうに細い道が伸びている、この道がどうも廃線っぽい感じだったのでそちらへと入って行く。道は途中で左へとカーブするがもしそのまま民家のある所をそのまま真っ直ぐ進んで行ったとすると写真4枚目にある川に出て、写真5枚目の近鉄大阪線の橋の下の場所へとたどり着く。この写真にある二つ並んだ礎石らしきものが大和鉄道の遺構らしい、ここまで予測で廃線跡をここだろうと考えながら進んできたがこの鉄道に関してはっきりと跡が残っているのはこれだけだと言うことだ。廃線跡は近鉄線に沿って先へと進んで行ったのだろうか、写真下から3枚目の国道169号線と近鉄大阪線の高架に沿うように廃線の跡地らしきものがあり、それがJR桜井駅の方へと通じている。どうだろう、もしこの鉄道がそのまま現在にも残っていたら、意味があったか需要はあったか、無くなってしまった今ではもうどうも言えない、ただ、近鉄田原本線はこの先もずっと変わらないまま今の姿のまま続いて行くんだろうな、廃線となった田原本~桜井間も県道14号線が直線で結んでいるので不便はない、今や人の記憶からもなくなってしまわれている大和鉄道、「100年」と言うお飾りだけの言葉がちょっと虚しく感じる路線、廃線跡巡りでした。さあ、今回も時間となってしまいました、次回も気楽にお越しくださいませ。      まちみち