スージィーが
「なぜ、当時の日本人は
こんな生き方ができたんでしょうね?」
と、問いかけてきた。
それは「坂之上の雲」
の再放送を観終えてのこと。
追いかけるように、
当時と今の人たちの考え方や
生き方の変り様に
若くして国や家族の為に海に沈んだ
「神風特攻隊」を持ち出しては
嘆きのため息をついた。
日ごろ,政治も思想も
関心のないノンポリの私には、
その唐突な質問に
「みんな、護るべきものが
在ったんじゃない」
と返し、暫らく、
互いに想いを交わすことになった。
毎夜、連続して観ることはできなかったが、
私は「坂之上の雲」の再訪を観て、
胸を熱くし、涙する夜が続いた。
一昨日、放送間も無くのマナママの
待ち焦がれた「マナの近況報告」の電話でさえ
「今はマナよりも『坂之上の雲』の方が大事」
と、ご理解を戴き後回しにした程。
「マナを護るということは、この国を護ること」
と、私は思う。
国を護る為にみんな「血と汗と涙」を流した。
スージィーやマナを
(キャッシュやバンク、庭の草花でさえ)
護るためには、老いたといえど
私には立ち上がる覚悟がある。
劇中の「誇り高き、自由な生き方」
の言葉にも共鳴した。
「坂之上の雲」を観ながら
一昨日の味がしみ込んだ「いわしの煮付け」に、
涙のしみ込んだお湯割が進む。
「身も心も熱くなる」のは、至極当然。
「国を護る」どころか、今や
「地球を護る」時代である。
私には、沢山の護るべきものがある。
「老人よ、大志を抱け」。
「高知産:ウルメイワシ」