時の経つ感覚を失うほどに、
没頭できる愉しみを有することは
幸せなことだと、つくづく思う。
例えば、それが仕事であったり、
趣味であったり
例えば、専有のものであったり、
共有のものであったり
例えば、そのものに
他人との美や利に
違和感があろうがなかろうが、
当事者の価値観がすべて
よって、誰にも価値観は委ねません。
悪事でない限り、
他人様に介入の余地などありません。
そんな私の、
「時の経つ感覚を失うほどに
没頭できる愉しみ」の一つが、
「庭仕事」。
英語で
「ガーデニング」
世間で
「貧乏人の無益で無粋な
懲りない庭弄(いじ)り」。
昨日の休日は、好天気。
雨に打たれず、
存分に庭仕事に没頭できる筈なのに、
十数年前から取り掛かった庭仕事が
一昨日の日曜日に一段落を終えました。
なので、好天気にも拘らず、
「なぁーんにもすることがありません」。
所詮、庭仕事の私のP流儀は、
行き当たりばったりの
「無計画」。
年間で一番、緑の美しいこの時期を
「庭仕事の完成期」と決めた訳でもないのに、
庭一面に溢れんばかりの草木の
濃淡の緑色や花の数々。
庭が
やっと出来上がりました。
他人様には無粋な庭でも、
私たちにとっては「宝物」。
夕食前には決まって
お湯割片手にデッキ・チェアーに身を沈め、
「あそこはこうしよう」
「ここにはあの花を植えようか?」と
思案を巡らせるのに、
庭にはこれ以上、
草木を植える“休耕地”は
残念ながらありません。
今日は、
「なぁーんにもすることがありません」
でも、いつものようにお湯割り片手に
デッキ・チェアーに身を沈め、
十年数前には頭に想い描いた
イメージだけの庭が
熱い陽射しと、冷たい雨に打たれ、
汗まみれ、土まみれ、ペンキにまみれて、
作業に没頭続けて、
やっと形となって現れました。
何処かを見本にしない、
何処かの見本にもならない
唯一無二の我が家の庭を眺めて、
一人と一匹で、悦に入り、
ただ、ボーッとしているだけ。
今夕、「喜多里亭」から、雨上がりの
ガーデン・レストラン「スターダスト」を
眺める、相棒バンク。
明日から五月。
♪ 命短し、いつかは仏 ♪
何もせずに、
ボーッとしてばかりもいられません。
さぁーて、お次は何に
没頭しましょうか?
例えば、リトルで
「ワラビ採り 」
とりあえず、その前に
デッキ、喜多里亭で、
この庭に出会えた喜びを
「お湯割で一杯」
これから、
没頭させて戴きたいと思います。
追伸
十年越しの庭への想いが
強すぎたようです。
ご免!