当たり前の話ですが、
ブログを投稿してもお金は戴けません。
こんな酔っ払いの戯言(じゃれごと)如きの
内容でお金が戴けるのなら、
とっくに、愛しき借金生活とも
「おさらば!」
をしています。
戴けるどころか、あまりに下らない内容過ぎて
「金をくれるんなら、読んでやっていいぞ」
と、言われるのが関の山。
そんな私の“関の山のブログ”でも、
私にとってはあまたの利点があります。
その一つは、
同級生や近親者からのコメントです。
生来の淋しがり屋がそうさせるのか、
あるいは老いる歳がそうさせるのか、
自分が発信した返信(コメントの)一つで、
誰かと繋がっていることの
事実(安堵感)を確かめられます。
二日連続の炎天下で
庭師で汗を流している今日、一本の電話。
相手はジョージ。
「一時間後に伺います」。
隣町に住んでいながら、
永年付き合いも無かった者同士を
急接近させたのは
「我が家の青空」
と言っても過言ではありません。
そして、お土産に「サザエにアワビ」
なんでも、妹さんの嫁ぎ先からの頂き物とか。
「我が家の青空」が存在していなければ、
今夜の食卓に「サザエにアワビ」が、
あるいは「リトルの高冷地野菜」さえ
、存在していないはず。 です。
届いた戴き「もの」が嬉しいのでなく、
届けて戴いただいた「心」が
嬉しいのです。
戴いたものは「海の幸」
私たちにとっては「心の幸」
「戴い心」一つで、
我が家の食卓がどれだけ豊潤になることか。
申し訳ないことがあります。
「戴いた心」に、何もお返しすることが
できません。
申し訳けありません。
六十余年を生きてきて、
生れて最初の四半期十五年が
こんなに大切な時間であったかと。
つくづくと知らされるこの頃です。
当たり前の話ですが、
ブログを投稿してもお金は戴けません。
が、お金以上に有難い心(絆)を
いただいております。
皆様に感謝です。心から。
ジョージと、皆さんにこの曲を
さよなら夏の日 山下達郎