山内一豊は、安芸に五藤氏を置いて治め、1700年に奉行職を拝命して以来、幕末まで藩の要職にあって藩政を司りました。土居廓中は家老職五藤氏を中心とする城下町でした。そのあとに立っているのが歴史民俗資料館です。
ほほに矢を受けた山内一豊の顔を踏みつけて矢を抜いたのが五藤氏です。家宝の矢じり。
変わった紋です。
弘田龍太郎という名前を初めて聞きました。ところが「叱られて」や「鯉のぼり」、「浜千鳥」などを作曲した人でした。三歳まで安芸市にいたそうです。
車を置いて散策に出掛けました。
有名な野良時計です。「土居村(現在の安芸市土居)の大地主であった畠中源馬は時計に興味を持った。明治20年(1887年)ごろアメリカ製の八角掛時計を取り寄せて分解・組み立てを繰り返し、やがて自作の時計を作ることを思い立った。独学で全てのパーツを一人で作製したといわれる。当時は殆どの人が時計を持っておらず、周囲の田園で農作業に従事する人々が時間を知るのに役立っていたと言われる。(引用)」
今も動いているのか、だいぶ時間はずれていたけど。しかし、奇特な人がいたものです。
童謡の碑。
廓中ふるさと館というところに寄って昼食。
かき揚げしらす丼。1000円。
車まで帰り、岩崎弥太郎生家へ。駐車場に銅像がありました。
台座に。「武蔵」は、三菱重工長崎造船所、ゼロ戦は、三菱重工大江工場で。
生家。どうも龍馬伝で見たものと重なりません。
立派な蔵。
幼少のころ、
三菱グループの人が建てた碑。
鮮やかな千両が印象的でした。
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