立場茶屋おりきに記憶を喪失した武士が保護されます。これからどのように展開していくのか楽しみです。
行合橋とは「品川橋」の別名です。
近くに荏原神社があります。明治維新の後、明治元年9月20日明治天皇は京都を発ち、10月13日江戸城に着きます。これを「東幸」と言います。前日は品川宿へ泊りました。記憶では荏原神社に泊ったと思っていましたが実際は今は公園になっている本陣だったそうです。総勢3,300人だったそうで想像もつきません。
明治天皇は明治元年12月8日京都へ向け出発、12月22日着いています。(これを還幸と言います。)それから翌明治2年3月8日京都発、3月28日東京城(江戸城は改名。)着。(これを再幸と言います。)そして、東京に定住します。
移動は、鳳輦というおみこしのようなものです。これに約20日乗るのですから大変でしょう。
東海道を歩いて分かったことですが、各地に「明治天皇御駐輦記念碑」のようなものが数多くあります。鳳輦を停めて休憩したところなのでしょう。これは蒲原宿のものです。もっと立派な自然石を使ったものも多くあります。
物語は登場人物が多く、それぞれの背景も多彩です。親に売られた娘。母親の薬代を稼ごうと無理をして、母親より若い年齢で病死する娘。いろいろな不幸を受け入れながら残された人たちを何とか幸せにしようとするおりきの姿に味方になってくれる人が少しづつ増えて行きます。