雨のため一日遅れで本土から島に移動。空気がきれいなので弁天小島の写真を撮りに行きました。
google map の航空写真で見た”H"町です。赤丸の中が弁天小島です。うっすらと浅い部分が分かります。
干潮の時をねらって行ってみました。後ろの島は愛媛県の岩城島です。
島の全景です。浅瀬が分かります。
”I"島を一周する317号線沿いに島の説明板がありました。
読みずらいので写書してみます。
弁天小島(通称おおこじま)
おおこじまと呼ばれ、むかしから人々に親しまれている弁天小島の頂上に美しく立派な室町時代の「宝篋印塔」が造立され、その近くに「石室」が一つたたずみ、いまは枯れているが往年の姿をとどめている末の枯れ古木がある。その下の海には伝説で知られる「おまんが穴」が見えて、今にも大蛸の足が現れてくるような海の色、下に降りると穴地蔵堂と呼ばれている「釈迦三尊」の石仏三体が安置されて、台石に「諸国廻船海上安全」と刻まれ、海と船にかかわるものに小島はつつまれている。
その昔、享保十年の山林調書に
高さ 八間
弁才天小島
廻り 九拾間
但し松木壱本廻り壱尺五寸
但し岩山
と書かれている。この松も今は枯れているが、小島全体が文化財の宝庫である。石仏の前の線香立には奉寄進願主村中と刻まれて、原村の人々が村の安全を願って寄進したもので、そのことは対岸にある安政六年造立の石灯篭の台石に當村安全と刻まれていることと、深いかかわりがあるものと思われる。
夕映えに浮かぶ小島の美しさを眺めていると、弁天と呼ぶにふさわしい美しく優しい姿をしている。
東生口文化財協会
頂上の宝篋印塔。昔、ここまで登ったことはあるのですが、石室は何のことかわかりません。夏になれば泳いで行ってみます。
石仏、釈迦三尊だそうです。この穴がおまんが穴なのでしょうか。民話はもう少し調べてみます。
橋でつながっている現在では海とのかかわりが希薄になっていますが、昔は島の人の生活は海と切り離すことはできず、瀬戸内海の穏やかな海とはいえ、小さな船では遭難することもあったのでしょう。また、勇躍、船で島を出て行く人々にも悲喜こもごもの物語があったのでしょう。