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「イノベーション欠乏症が日本を滅ぼす」:小林三郎「ホンダ哲学」を語る!

2012年10月12日 19時37分17秒 | Weblog
「イノベーション欠乏症が日本を滅ぼす」:小林三郎「ホンダ哲学」を語る!


イノベーション【innovation】
1 新機軸。革新。2 新製品の開発、新生産方式の導入、新市場の開拓、

新原料・新資源の開発、新組織の形成などによって、

経済発展や景気循環がもたらされるとする概念。
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「イノベーション欠乏症が日本を滅ぼす」:小林三郎「ホンダ哲学」を語る!

僕が使っている言葉も数字も僕が発明したわけではない。
同じ人類の先人たちが作ってくれたものなんだ。
僕は心の奥底にあるものを表現しようとした。
先人が残してくれたあらゆるものに感謝しようとしてきた。
そして、その流れに何かを追及しようとしてきた。
そう思って僕は歩いてきた。

            ~ 伝記「Steve Jobs」より ~

あなたの時間は限られている。だから他人の人生を生きたりして無駄に過ごしてはいけない。

ドグマ(教義、常識、既存の理論)にとらわれるな。

それは他人の考えた結果で生きていることなのだから。

他人の意見が雑音のようにあなたの内面の声をかき消したりすることのないようにしなさい。

そして最も重要なのは、自分の心と直感を信じる勇気を持ちなさい。

それはどういうわけかあなたが本当になりたいものをすでによく知っているのだから。

それ以外のことは、全部二の次の意味しかない。

[スティーブ・ジョブズの名言・格言|他人のドグマにとらわれるな]


みなさん、こんにちは。・・・(井口和基)より

さて、最近では非常にめずらしく、良い記事が日経新聞に出ていたので、それをメモしておこう。

やはり「経験者は語る」というものである。以下の記事である。

長い記事だから、興味ある人はそっちで読んでもらうことにしてほんのごく一部のみメモしておこう。


小林三郎氏 中央大学大学院戦略経営研究科客員教授。

1945年東京都生まれ。71年に本田技術研究所に入社。

2000年にホンダの経営企画部長に就任。

05年12月に退職後、10年4月から現職


第1部講演
「イノベーション欠乏症が日本を滅ぼす」 小林三郎・元ホンダ経営企画部長が講演1
(1/7ページ)2012/10/11 7:00
「イノベーション欠乏症が日本を滅ぼす」2
「イノベーション欠乏症が日本を滅ぼす」3
「イノベーション欠乏症が日本を滅ぼす」4

 宗一郎氏と久米氏から学んだ「新しいものの作り方」をもっと

みんなに理解してもらいたい。

日本企業は効率化とコスト削減に走っている。

新しいことをやらなければ、この国は滅ぶ。まず日本一を目指し、

そこから世界一を目指すのだ。

もう一度イノベーションを起こし、世界一のものを産んで、

世界の人に喜んでもらいその対価として外貨を稼がなければ、

我々の子供や孫たちは幸せになれない。

 宗一郎氏のリクエストは2つだけだった。

「ホンダらしさはどこだ」「それは世界一か」――。

これにみんなで応えた。戦後、日本の発展を支えてきたのは企業人だ。

自分の会社の成功だけでなく、日本をよくするために何をしたらよいのか、

もう一度考えてほしい。


第2部Q&A

質疑応答に臨んだ小林三郎氏(右)


「イノベーション欠乏症が日本を滅ぼす」5
「イノベーション欠乏症が日本を滅ぼす」6
「イノベーション欠乏症が日本を滅ぼす」7

Q ぜひ試してみたいので、イノベーションをA00のように体系化した場合の効果のほどを教えて欲しい。

A 体系化しても、ワイガヤを1回やっただけでは効果は出ない。

20回やって初心者、40回くらいやると黒帯だ。

ホンダはだいたい年間4回くらいワイガヤをやって、10年かけて新人を育てていく。

そこまでいかないと本質的な議論はできない。


 新人がいる時は、人間はなんのために生きているか、人間の喜びは何かなどの哲学から始まる。

そういった哲学を最初の3年くらいでたたき込む。哲学がない人がやっても、上滑りになってしまってダメ。

それをやらない限り、一定のレベルには到達しないのだ。

結構時間がかかるのが欠点だが、ホンダもそれで売り上げ12兆円に到達した。


 ホンダのリーダーは、経営学修士(MBA)などの様々なイノベーション方法をほとんど試している。

だが全部だめだった。

 本質的な議論を体験する感度をいかに増やすかが大切だ。

講演する企業の3割くらいでワイガヤを実施しているようだが、正直言って話にならない場合が多い。

「本質とはなんぞや」と考えることを、学校でも企業でも教育されていない。

それを根底から変えないとだめだ。


 オペレーションにはいらないが、イノベーションにはとっかかりがない。

新しいことをやってお客さんに喜んでもらおうと思っていない人がやってもだめ、そんなに簡単ではない。


 ワイガヤをやると若手はとにかくアイデアを出す、だけどほとんどはクズだ。

それを上がうまくまとめてコンセプトにする。

上はだまされてやるのが仕事だ。

どういうことをやるのが企業の本来の姿なのかまで考えるべきだ。そうなるように願っているが、そう簡単ではない。

さて、この講演の要旨の大事なところをまとめると、こんなものである。

革新的な企業、3つの共通項

1番目は、ユニークなリーダーだ。
2番目は、ロクでもない社員だ。
3番目は、年寄りがいないことだ。

年寄りはリスクをとれない

エキスパートというのは、1を聞いて10を知る人だ。

そのために一定の考え方ができてしまい、その外に出られなくなってしまう。

仕事には2つのタイプ

95%はオペレーション。

5%がイノベーションだ。

企業の今日の収益は10~15年前の経営陣の成果だ。

現経営陣は、未来に向けて投資しないといけない。

それがイノベーションだ。

部長以上は3割、役員以上4割、常務専務は5割、社長は7割明日のことを考えなければならない。

本田宗一郎氏は9割5分、明日のことを考えていた。

「今起きていることは若い人にしか分からない」ともよく言っていた。

年寄りは、過去の経験と知識のせいでバイアスがかかってしまう。

分からない人が上に立つようになって、日本のイノベーションを止めているのだ。

日本の革新性はなぜ衰退しているのか。

それは今の日本企業に平凡なリーダーと優秀な大学を卒業した社員、年寄りしかいないからだ。

平凡なリーダーはリスクをとらずローリスク・ローリターンを狙い、勉強のできる社員は論理思考型なのでイノベーションが起きない。

年寄りは管理大好きで、改善ばかりしたがる。

本質とは何だ ホンダの哲学

 本質を徹底的に熟慮するのがホンダのしきたりだ。

まず、米軍の作戦命令書に倣って、これを「A00」という。

ホンダで「A00は何だ」と問われたら、基本要件・目的・夢を答えろということだ。

新人はこれを繰り返し聞かれ続ける。

コンセプトを問う

 当時のプロジェクトリーダー全員が言っていた。

「よいコンセプトができたら、かならずよい商品や技術ができる」

「人生の中であんなにもの(本質)を考えたことはない」――。

ホンダは、必ずコンセプトを作ってから設計が始まる。

 コンセプトとはお客様の価値観に基づき、ユニークな視点で捉えた物事の本質だ。

全員が理解できるようなコンセプトは論理的なのでだめだ。

かといって、誰もわからなくてもクレージーということだ。

1割くらいの人が分かるのが、いいコンセプトだ。いいコンセプトを作るには、感受性を豊かにすることだ。

(1)現場に足を運び

(2)「ワイガヤ」で異質な人と本質的な議論を繰り返し

(3)試しにやってみる。失敗を恐れずやり続けることだ。

不可欠なものは「想い」

 ホンダという12兆円企業をつくった先輩達に「イノベーションを起こすのに最も大切なものを1つ教えて下さい」と聞くと、9割の人々が「想いだ」と答える。

さて、これを読んで私が感じたことは、これは科学分野の世界にもまったくそのまま通用するということである。

「現場に足を運び、異質な人と本質的な議論を繰り返し、試しにやってみる。

失敗を恐れずやり続ける」というのは、科学における研究でもまったくその通りなのである。

企業において、小林三郎氏が

「よいコンセプトができたら、かならずよい商品や技術ができる」

というように、科学においても

「よいコンセプトができたら、かならずよい実験や理論ができる」

のである。だから、その後に続く、

「人生の中であんなにもの(本質)を考えたことはない」

という言葉にあるように、科学研究においても、もうこれ以上本質を考えたことはないというほどに考え続けることが大事なのである。

しかしながら、はたしていったいどれほどそこまで問題の本質を考え抜いて研究していると言えるだろうか?

 これが私のいつも感じる疑問なのである。

いまの流行の研究テーマに自分の技や知識をちょこっと加えて、はい、これで論文一丁では困る訳だ。

科学におけるイノベーションはできないからである。

本質を問わない限り何がしかの本物のブレークスルーはあり得ないからである。

そのためには、自分に力が無ければ、かつて自分が考えたことと似たようなことを考えたことのある人間がいたのかどうか、徹底的に捜して、もしいたのであれば、彼らの論文を集めて読み干さなければならないはずなのである。

そして今度は自分なりに過去の人たちよりもっと深く問題の本質を突き止めなくてはならない。

しかしいつ頃からか、今の科学の世界では、こういうやり方は手間ひまや時間がかかり、また時間の無駄や危険がともなうために、ほとんど行われなくなったようである。

自分がやろうとしている研究以外はすでに全部分かっているかのように思って、本質的な問い、根源的な問いを避けるようになったのである。

そうこうしているうちに、そういう本質的な問題はもはや問題ではないかのように考えるようになったというわけである。

しかしながら、19世紀(とそれ以前)の科学者は、ありとあらゆる現象や問題を真摯に受け止めて、その本質を極めようとしたようである。

それゆえ、ニュートンの法則、古典力学、マックスウェルの電磁気学などに繋がった。

はたして今現在、19世紀の科学者のような偉大な発見や理論を我々が生み出しているかというとどうも心もとない感じがするのである。

私が思うに19世紀の学者と20世紀後半から現代までの学者との最大の差はその辺にあると思う。

19世紀のファラデーの時代は、技術も今から見ればたいした精度ではなかった。

光速度に匹敵する速さや極小時間や極小温度の実験など不可能であった。

そんなに対した装置のない時代に光速度が測定され、電磁誘導の法則が打ち立てられた。

そしてマックスウェルの電磁気学がまとめられ、そこから特殊相対性理論が生まれた。

しかし常識的に考えれば、当時の実験設備と実験精度で言えたことが本当にそうだったのかどうかは、今の技術で検証しない限り判明しないと言うのもまた事実なのである。

ヒッグズ粒子を何兆円もかけて探索するのもいいが、その1%でもこうした根源的な問題にかけて検証し直す作業というのも私個人は非常に重要なことであると考える。

本当に光には横波しかないのか、電磁波に縦波はないのか、ニュートンの逆2乗則やクーロンの逆2乗則は本当に正しいのか、アンペアの法則やファラデーの法則はどの程度まで厳密なのか、近接作用と遠隔作用はどの程度まで本当なのか、こういうかなり復古的な問題もまた問題の本質に近い問題だと私は考えるのである。

こういうだれしもが100%正しいと信じて疑わなくなったこと、こういう問題を現代の最高の精度の科学技術で再検証し直すこと、こういうことも「本質を問う」ということの1つであるはずである。

がしかし、こういうお金と時間はかかるだろうが、その成果が当たり前のことしかでないだろうと一見予測されるような問題は無視されるというのが、最近の傾向なのである。

すべてはうまく行っている。

うまくできていると思って無視するのである。

「温故知新」もまた物事の本質を知り、革新をもたらす1つの方法なのである。

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