インドから出したハガキがちゃんと届いた。
約8日というところ。
なぜかスタンプも無く、自分の字の汚さだけが目立った…。
(こんな時、通信講座でもやろうかなぁと思うのだが)
***
ホテルを出て、午後のガイドを断ったことにホッとしていた。
細い道だけどバラナシで観光客が集まるといわれている「ベンガリートラRd」を歩いてみる。
この通りに郵便局があったはずだ。
分かりにくいよ…赤いポストが無ければ絶対に分からない。
小窓をのぞくと奥に誰かいる!
「ナマステ~! 日本までの切手ください」
すると、おっちゃんが寄ってきて普通に購入することができた。
ぼったくられたハガキもあるし、これで出せる…しかし疲れててなかなか書くことが出来ないのが現実。
郵便局の前を一人の日本人らしき人が通った。
思わず「すみません!日本の方ですか?」と声をかけた。
このあたりの地理感がまったくなかったので、少し教えて貰えればなぁ~なんて思った。
「えっ!あぁ日本人ですよ」
「ちょと教えていただきたいのですが…」と言ってるそばから若い女性2人が合流。
皆さんお知り合いで一緒にお茶しましょう!って事に。
「初めてですよ、日本人とお茶するの」
「どこのホテルですか?この通りだと5分に1度は会うけどねぇ~」
「実はこの後、ある人の送別ご飯会なのでお茶だけにします」というので、私はお腹が空きすぎてたからご飯を注文させてもらった。
お店はガイドブックにも載ってる観光客向けの有名店。
■スパイシー・バイツ(6:30~22:30)
とにかくどんな料理でも食べられるレストラン。
私が頼んだのは、マサラチャイとインド風炊き込みご飯のビリアニ。
コリアンダーのソースがポイント♪
さっぱりしてて食べやすく美味しい。
そこでは彼らの旅道中物語を聞き、羨ましくもあり楽しくおしゃべりできた。
たまたま彼らも遅れている列車を待つ駅で出会って、なんと10時間も一緒に駅で過ごしたんだとか…。
私は満腹になり、待ち合わせの場所「メグカフェ」へとみんなと同行させてもらった。
■MEGU CAFE(メグカフェ)
住所:D8/1, Kalika Gali, Varanasi
アクセス:ヴィシュワナート・ガーリーを入って徒歩5分。
看板のあるところを右にまがって道なりに行くと右側にあります。
営業時間:10時~22時
定休日:日曜日
入るとすでに3人の男性がいて、全部で7人の団体となった。
こんなインドの町で知らない者同士でお茶できるなんて…凄いな。
彼らは美味しそうな日本食(かき揚丼など)を注文し、食べていた。
このカフェを経営しているのは日本人の女性なのだ。
長くインドにいるとムショウに和食が食べたくなるんだとか。
私の頼んだ、ジンジャーハニーレモネードも濃い味で美味しかった♪
3時半になり、ラジャスタンへと旅に出る彼を道端で見送り解散。
私はメインガートへと歩いていた。
今朝出会ったインドの少年Rと会うためだ。
彼は、私がサールナートへ行く時も「いくらだった?」とか「気をつけなきゃだめだよ」とか心配してくれる。
メインガートに行くと、すでにRは待っていた。
「どうだった?」
「すごく良かったよ」
「リキシャいくらだった?」
「全部で4時間弱で300ルピーだったよ」
と言ったらちょっとホッとしてた。
少しブラブラして、また色んなことを話した。
頑なな考えにちょっと若いのに早いんじゃないかなぁ~と思う部分も多かったけど、凄くまじめなのが分かる。
Rも私が約束を守ったことに少し信頼してくれたようだった。
一人の僧侶がお経をあげていた。
真っ黒の袈裟はどう見ても中国より東側のものだ。
(インドから東へ行くほど袈裟の色が無くなっていく)
「日本人なの?」
「彼は韓国人さ、誰とも話さないんだ」
ここが彼の定位置らしく、何度となく見かけることになった。
ローラースケートをしている人がいたり、絵を書いてる人がいたり、見ているだけで飽きない。(物売りには困るけれど)
「チャイ飲みたいな~」
「じゃぁ行こうか」
とメインガート近くのぜんぜん店っぽくないチャイ屋へ行く。
すでにおっちゃんとサドゥーの集団がいた。
私はその輪の中に座らせてもらい、チャイができるのを待つ。
一生懸命おしゃべりしているおっちゃんたちは、何を言ってるのか分からないけどとにかく真剣でたまに笑いも起きる……しかしサドゥーは無表情のまま。
チャイはなぜか私にはガラスのコップで、彼らは素焼きの小さな器…この器は飲み終わると地面に叩きつけて割ってしまう。
やはり人の使ったものには抵抗があるのかな?
チャイには無くてはならない牛乳。
未だにこんなミルク缶で運ばれている。
とにかくよく見かけたなぁ。
これはガンガーの水を持ち帰るためのポリタンク。
今は軽くて便利な物に変わりつつある。
野菜市場には多くの種類が並び、お馴染みの野菜も多い。
ベジタリアンにとってはこんなに過しやすい国はないかも。
Rは6時に日本人の友達と待ち合わせをしてると言った。
私にも一緒に行こうという。
それまでまだ少し時間があったので、マニカルニカー・ガート(大火葬場)に行く?と言われたので行ってみたいというと……
Rはとても小さい声で「お金は払っちゃだめだよ」と言った。
そしてガイドらしき人に「あの人から説明を聞いてね」…
「だけどお金は払っちゃだめだよ」と繰り返し小声で言った。
ガイドの人は英語で自己紹介し、私はボランティアでガイドをしているので安心してくださいと言った。
火葬場はカーストによって焼く場所が違うそうだ。
1日に300体以上の遺体が火葬され、24時間休まることは無い。
1体燃え尽きるまで3時間かかる。
男性は心臓が残り、女性は腰が残る。
(仕事をする男は心臓が強く、子供を生む女性は腰が強いから)
亡くなった人との関係によっては頭を剃らなければならなかったり、遺体を包むもの、一緒に燃やすもの(薪を含む)などお金が随分と必要だそうだ。
火葬されない遺体もある。
①子供
②妊婦
③サドゥー(僧侶)
④事故や疫病で死んだ人
⑤コブラの毒で死んだ人
人生をまっとう出来なかったり、すでに解脱した人はそのままガンガーに流すそうだ。
大きな火葬場では一度に30体ほどが火葬されていた。
そして輪廻転生を信じるヒンドゥーの世界ではこの場での涙はありえないそうだ。
最後におばあさんのいる部屋に案内され「あなたのために彼女が祈ります」といって、私の名前を聞き、私の頭にシワシワでガリガリの手をのせて祈りだした。
祈りが終わるとガイドは、
「彼女は自分を火葬する薪代が足りないので寄付してほしい」と言ってきた。
あぁ、彼が言っていたのはこの事だったんだな!とすぐに分かった。
私はお金を持ってないから…というと「こんなに可哀想なのに?彼女よりもあなたはお金を持っているでしょ!」とちょっと脅迫じみてる。
私は100ルピーをおばあさんに渡そうとした!その時!
「たったそれだけ?薪は1キロ10ドルするんだぞ!5キロ?10キロ?」口調がキツくなる。
ちょっとキレ気味のガイドは彼女に私の頭に手をのせ祈らせ続けた。
涙が出てきた。
おばあさんがあまりにも可哀想で…こんなヤツに使われて。
早くその場を立ち去りたかった。
寄付を上乗せして、小さい彼女の手の中へ握らせ、その上からギュッと握り締めた。
(このお金が彼女の物になりますように…)
火葬場を後にするとどこからともなくRが現れた。
「どうした?」って聞くから「寄付しちゃった」っていったら、「渡しちゃダメだっていったじゃん」といわれた。
「でも彼女があまりにも不憫でねぇ」
「また勉強したね」と少し呆れ顔。
勉強ついでに本当のことを教えて?というと、
「彼女がもらえるのはたった20ルピーだよ、残りはヤツの遊ぶ金さ」
まぁ色々とショックな事もあったけど、20ルピーは彼女の物になったのだから…。
それよりも辛かったのが、Rの立場だ。
この地で生きるためとはいえ、言ってることとやってることにギャップがありすぎる。
とても信用できるものではない…まだ若い彼は自分で気がついてはいないようだが。
この後もさらに試練はつづくのだった。
約8日というところ。
なぜかスタンプも無く、自分の字の汚さだけが目立った…。
(こんな時、通信講座でもやろうかなぁと思うのだが)
***
ホテルを出て、午後のガイドを断ったことにホッとしていた。
細い道だけどバラナシで観光客が集まるといわれている「ベンガリートラRd」を歩いてみる。
この通りに郵便局があったはずだ。
分かりにくいよ…赤いポストが無ければ絶対に分からない。
小窓をのぞくと奥に誰かいる!
「ナマステ~! 日本までの切手ください」
すると、おっちゃんが寄ってきて普通に購入することができた。
ぼったくられたハガキもあるし、これで出せる…しかし疲れててなかなか書くことが出来ないのが現実。
郵便局の前を一人の日本人らしき人が通った。
思わず「すみません!日本の方ですか?」と声をかけた。
このあたりの地理感がまったくなかったので、少し教えて貰えればなぁ~なんて思った。
「えっ!あぁ日本人ですよ」
「ちょと教えていただきたいのですが…」と言ってるそばから若い女性2人が合流。
皆さんお知り合いで一緒にお茶しましょう!って事に。
「初めてですよ、日本人とお茶するの」
「どこのホテルですか?この通りだと5分に1度は会うけどねぇ~」
「実はこの後、ある人の送別ご飯会なのでお茶だけにします」というので、私はお腹が空きすぎてたからご飯を注文させてもらった。
お店はガイドブックにも載ってる観光客向けの有名店。
■スパイシー・バイツ(6:30~22:30)
とにかくどんな料理でも食べられるレストラン。
私が頼んだのは、マサラチャイとインド風炊き込みご飯のビリアニ。
コリアンダーのソースがポイント♪
さっぱりしてて食べやすく美味しい。
そこでは彼らの旅道中物語を聞き、羨ましくもあり楽しくおしゃべりできた。
たまたま彼らも遅れている列車を待つ駅で出会って、なんと10時間も一緒に駅で過ごしたんだとか…。
私は満腹になり、待ち合わせの場所「メグカフェ」へとみんなと同行させてもらった。
■MEGU CAFE(メグカフェ)
住所:D8/1, Kalika Gali, Varanasi
アクセス:ヴィシュワナート・ガーリーを入って徒歩5分。
看板のあるところを右にまがって道なりに行くと右側にあります。
営業時間:10時~22時
定休日:日曜日
入るとすでに3人の男性がいて、全部で7人の団体となった。
こんなインドの町で知らない者同士でお茶できるなんて…凄いな。
彼らは美味しそうな日本食(かき揚丼など)を注文し、食べていた。
このカフェを経営しているのは日本人の女性なのだ。
長くインドにいるとムショウに和食が食べたくなるんだとか。
私の頼んだ、ジンジャーハニーレモネードも濃い味で美味しかった♪
3時半になり、ラジャスタンへと旅に出る彼を道端で見送り解散。
私はメインガートへと歩いていた。
今朝出会ったインドの少年Rと会うためだ。
彼は、私がサールナートへ行く時も「いくらだった?」とか「気をつけなきゃだめだよ」とか心配してくれる。
メインガートに行くと、すでにRは待っていた。
「どうだった?」
「すごく良かったよ」
「リキシャいくらだった?」
「全部で4時間弱で300ルピーだったよ」
と言ったらちょっとホッとしてた。
少しブラブラして、また色んなことを話した。
頑なな考えにちょっと若いのに早いんじゃないかなぁ~と思う部分も多かったけど、凄くまじめなのが分かる。
Rも私が約束を守ったことに少し信頼してくれたようだった。
一人の僧侶がお経をあげていた。
真っ黒の袈裟はどう見ても中国より東側のものだ。
(インドから東へ行くほど袈裟の色が無くなっていく)
「日本人なの?」
「彼は韓国人さ、誰とも話さないんだ」
ここが彼の定位置らしく、何度となく見かけることになった。
ローラースケートをしている人がいたり、絵を書いてる人がいたり、見ているだけで飽きない。(物売りには困るけれど)
「チャイ飲みたいな~」
「じゃぁ行こうか」
とメインガート近くのぜんぜん店っぽくないチャイ屋へ行く。
すでにおっちゃんとサドゥーの集団がいた。
私はその輪の中に座らせてもらい、チャイができるのを待つ。
一生懸命おしゃべりしているおっちゃんたちは、何を言ってるのか分からないけどとにかく真剣でたまに笑いも起きる……しかしサドゥーは無表情のまま。
チャイはなぜか私にはガラスのコップで、彼らは素焼きの小さな器…この器は飲み終わると地面に叩きつけて割ってしまう。
やはり人の使ったものには抵抗があるのかな?
チャイには無くてはならない牛乳。
未だにこんなミルク缶で運ばれている。
とにかくよく見かけたなぁ。
これはガンガーの水を持ち帰るためのポリタンク。
今は軽くて便利な物に変わりつつある。
野菜市場には多くの種類が並び、お馴染みの野菜も多い。
ベジタリアンにとってはこんなに過しやすい国はないかも。
Rは6時に日本人の友達と待ち合わせをしてると言った。
私にも一緒に行こうという。
それまでまだ少し時間があったので、マニカルニカー・ガート(大火葬場)に行く?と言われたので行ってみたいというと……
Rはとても小さい声で「お金は払っちゃだめだよ」と言った。
そしてガイドらしき人に「あの人から説明を聞いてね」…
「だけどお金は払っちゃだめだよ」と繰り返し小声で言った。
ガイドの人は英語で自己紹介し、私はボランティアでガイドをしているので安心してくださいと言った。
火葬場はカーストによって焼く場所が違うそうだ。
1日に300体以上の遺体が火葬され、24時間休まることは無い。
1体燃え尽きるまで3時間かかる。
男性は心臓が残り、女性は腰が残る。
(仕事をする男は心臓が強く、子供を生む女性は腰が強いから)
亡くなった人との関係によっては頭を剃らなければならなかったり、遺体を包むもの、一緒に燃やすもの(薪を含む)などお金が随分と必要だそうだ。
火葬されない遺体もある。
①子供
②妊婦
③サドゥー(僧侶)
④事故や疫病で死んだ人
⑤コブラの毒で死んだ人
人生をまっとう出来なかったり、すでに解脱した人はそのままガンガーに流すそうだ。
大きな火葬場では一度に30体ほどが火葬されていた。
そして輪廻転生を信じるヒンドゥーの世界ではこの場での涙はありえないそうだ。
最後におばあさんのいる部屋に案内され「あなたのために彼女が祈ります」といって、私の名前を聞き、私の頭にシワシワでガリガリの手をのせて祈りだした。
祈りが終わるとガイドは、
「彼女は自分を火葬する薪代が足りないので寄付してほしい」と言ってきた。
あぁ、彼が言っていたのはこの事だったんだな!とすぐに分かった。
私はお金を持ってないから…というと「こんなに可哀想なのに?彼女よりもあなたはお金を持っているでしょ!」とちょっと脅迫じみてる。
私は100ルピーをおばあさんに渡そうとした!その時!
「たったそれだけ?薪は1キロ10ドルするんだぞ!5キロ?10キロ?」口調がキツくなる。
ちょっとキレ気味のガイドは彼女に私の頭に手をのせ祈らせ続けた。
涙が出てきた。
おばあさんがあまりにも可哀想で…こんなヤツに使われて。
早くその場を立ち去りたかった。
寄付を上乗せして、小さい彼女の手の中へ握らせ、その上からギュッと握り締めた。
(このお金が彼女の物になりますように…)
火葬場を後にするとどこからともなくRが現れた。
「どうした?」って聞くから「寄付しちゃった」っていったら、「渡しちゃダメだっていったじゃん」といわれた。
「でも彼女があまりにも不憫でねぇ」
「また勉強したね」と少し呆れ顔。
勉強ついでに本当のことを教えて?というと、
「彼女がもらえるのはたった20ルピーだよ、残りはヤツの遊ぶ金さ」
まぁ色々とショックな事もあったけど、20ルピーは彼女の物になったのだから…。
それよりも辛かったのが、Rの立場だ。
この地で生きるためとはいえ、言ってることとやってることにギャップがありすぎる。
とても信用できるものではない…まだ若い彼は自分で気がついてはいないようだが。
この後もさらに試練はつづくのだった。