第2話としては、最近私がこって聞いている落語のことに付いて書いてみたい。
落語は昔から好きで聞いていたが、最近の落語家のは聞かない。
というのは面白く無いからだ。
一昔前の落語家の古典がいい。
古典というのは現代の話ではないから社会情勢も環境も今とは違う。といって聞いてわからない事は無い。
少しの想像力を働かせればいいことで、今とは少し違う環境の中でのお話なのだ。言葉の妙というか普段使う言葉の面白さ、楽しさがわかるようになればもう落語はテリトリーの中にある。
そのためにも世の中の時間がゆっくりと流れている日常のほうがいいわけでその中の人と人のかかわりや、言葉のやり取りが面白く語られるのが落語なのだ。
昭和の三名人といわれた三遊亭円生、桂文楽、今古亭志ん生をはじめTV放送が始まるまでの娯楽としてそこそこの時間も取られ盛んに語られていた。
もちろん講談とか浪曲、漫才、漫談、声帯模写など寄席も盛んで芸人も多くいた。
TV放送が始まってからその頃売れっ子だった芸人も出る場も減り、あとを引きつぐ人間も激減したように感じる。
新作落語もいいのだろうが、古典を語る落語家が育つ環境を落語ファンが作らないと日本文化のひとつが消える事にもなりかねない。
ぜひ古典落語を聞いてファンになってもらえるといいと感じる今日この頃です。
参考に、円生では、一人酒盛り、死神。文楽では、寝床、酢豆腐。志ん生では、火焔太鼓、黄金餅、が入門に最適です。
落語は昔から好きで聞いていたが、最近の落語家のは聞かない。
というのは面白く無いからだ。
一昔前の落語家の古典がいい。
古典というのは現代の話ではないから社会情勢も環境も今とは違う。といって聞いてわからない事は無い。
少しの想像力を働かせればいいことで、今とは少し違う環境の中でのお話なのだ。言葉の妙というか普段使う言葉の面白さ、楽しさがわかるようになればもう落語はテリトリーの中にある。
そのためにも世の中の時間がゆっくりと流れている日常のほうがいいわけでその中の人と人のかかわりや、言葉のやり取りが面白く語られるのが落語なのだ。
昭和の三名人といわれた三遊亭円生、桂文楽、今古亭志ん生をはじめTV放送が始まるまでの娯楽としてそこそこの時間も取られ盛んに語られていた。
もちろん講談とか浪曲、漫才、漫談、声帯模写など寄席も盛んで芸人も多くいた。
TV放送が始まってからその頃売れっ子だった芸人も出る場も減り、あとを引きつぐ人間も激減したように感じる。
新作落語もいいのだろうが、古典を語る落語家が育つ環境を落語ファンが作らないと日本文化のひとつが消える事にもなりかねない。
ぜひ古典落語を聞いてファンになってもらえるといいと感じる今日この頃です。
参考に、円生では、一人酒盛り、死神。文楽では、寝床、酢豆腐。志ん生では、火焔太鼓、黄金餅、が入門に最適です。