現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

ブレイディみかこ「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー2」

2022-08-13 17:28:45 | 参考文献

 著者の中学生の息子(父親はアイルランド人)が通うイギリス南部の中学校を舞台にしたエッセイ集(その記事を参照してください)の第二弾です。

 題名は、日本人(イエロー)とアイルランド人(ホワイト)の血をひいていて、思春期のメランコリックな気分(ブルー)もあらわした、主人公の走り書きに基づいています。

 このエッセイは、新潮社の波という雑誌に連載されていたものですが、主人公の息子が元底辺中学校(著者がそう呼んでいます)に順応していくように、著者もこの連載に順応して、どんどん読みやすくなっています。

 イギリス南部の選挙では労働党が勝つようなリベラルな土地の様子とともに、帰省時に孫と触れ合う著者の父親の様子などが、闊達な筆さばきで描かれています。

 

 

 

 

 

 

 

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ブレイディみかこ「子どもたちの階級闘争」

2022-08-13 17:23:49 | 参考文献

 著者が、保育士の資格を得るためにボランティアで勤め、資格取得して他の保育施設に勤めたのち(そこがつぶれた)に戻ってきた、著者が底辺託児所(または緊縮託児所)と呼んでいる無料託児所について書いたブログなどをまとめた本です。

 構成が変則で、前半が時代からすると後の緊縮託児所時代(保守党政権の緊縮財政により、低所得者層向けのいろいろなプログラムが廃止され、託児所がある場所のサービス(低価格のボリュームたっぷりのランチなども含めて)が大幅に縮小され、託児所に通う子どもたちの保護者も、低所得(あるいは無職)の白人のイギリス人ではなく、移民の子供たちが中心(英語習得のためのコースは残ったため、保護者たちがそこに通っています)で、後半が時代からすると前の底辺託児所時代(労働党政権による手厚い福祉プログラムにより、低所得(あるいは無職)の白人のイギリス人の子供たちが通っています)のものです。

 どちらも、イギリス社会の底辺で暮らす人たち(子どもたちだけでなくその保護者も)の様子が生き生きと描き出されています。

 ただ、題材は生々しいのですが、著者の描き出し方は、のちの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(その記事を参照してください)などと比較すると、まだ完成度が低かったようです。

 

 

 

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森 忠明「末弱記者」

2022-08-13 11:33:53 | 作品論

 作者にとっては、数十年ぶりの新刊です。

 掲載されている作品と発表年度は、以下の通りです。

 末弱記者 2021年

 兄よ銃をとれ 1990年

 三月の湖 1992年

 花笛 1992年

 わせだだいがく 1993年

 死にっかす 1994年

 迫田明の美しい十代 2006年

 どれも作者らしい、人生の負の部分に目を向けた短編になっています。

 その他に、2010年代に発表された詩が三編、合わせて掲載されています。

 作者は、この数十年の間、ほとんど現役を退いているわけですが、それでもこうして本を出そうという熱烈なファン(お弟子?)はいるわけで、また、その本を買う一定数の読者(私自身も含めて)が存在するのです。

 作者やその作品に関しては、関連する記事を参照してください。

 

 

 

 

 

 

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大塚英志「キャラクター小説とは何か」キャラクター小説の作り方所収

2022-08-13 11:05:40 | 参考文献

 大塚は、角川スニーカー文庫で出版される小説を「キャラクター小説」と呼びたいと言います。
 そして、「キャラクター小説」を以下のように定義します。
1.自然主義リアリズムによる小説ではなく、アニメやコミックのような全く別種の原理の上に成立している。
2.「作者の反映としての私」は存在せず、「キャラクター」という生身ではないものの中に「私」が宿っている。
 この「キャラクター小説」という言葉は編集者などには「しょせんキャラクター商品じゃん」自虐的な隠語として使われていたようですが、大塚は積極的に自らが作っている小説を捉えていこうとしています。
 ただし、現状ではカバーイラストの付属品としての小説でしかない低レベルの作品(ビックリマンチョコのような、食玩が主体で食べられずに捨てられてしまうお菓子のようなもの)も存在しているようで、自立した一つの小説分野としての「キャラクター小説をめざそう」としています。
 このような「キャラクター小説」の起源を80年代の初めにアニメの「ルパン三世」のような小説をめざした新井素子に求め、コバルト文庫が少女マンガ家の折原みとなどが自分でイラストも手掛けるようになって自然主義リアリズムから移行したり、アニメ絵を採用した角川スニーカー文庫が創刊される流れにつながったと述べています。
 しかし、このような大塚の願いとは裏腹に、この本が出てから十年以上がたった現在では、ライトノベルのレーベルが乱立して粗製乱造が加速化しているように思われます。

キャラクター小説の作り方
クリエーター情報なし
講談社
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