現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

石井直人「児童文学補完計画2-暴力」日本児童文学2015年9-10月号所収

2021-06-13 15:46:33 | 参考文献

 著者は、児童文学における二種類の暴力について書いています。
 ひとつは、児童文学の世界において描かれたいろいろな暴力(肉体的なものも精神的なものも含みます)です。
 その例として取り上げられた作品は、梨木香歩「西の魔女は死んだ」、S.E.ヒントン「アウトサイダーズ」(かつてのヤングアダルト物の代表作の一つです)、上橋菜穂子「獣の奏者」などです。
 もうひとつは、それを読むことによって、体調を崩してしまうほど暴力的なインパクトを持った児童文学作品です。
 その例としては、ルイス・キャロル「鏡の国のアリス」とエドガー・アラン・ポー「アッシャー家の崩壊」などをあげています。
 以上のように、取り上げられたのはすべて評価の定まった作品(キャロルやポーは古典です)ばかりで、しかも特に新味のある論考はありませんでした。
 特に、後者に関しては、「鏡の国のアリス」は新井素子の、「アッシャー家の崩壊」は著者自身の、子ども時代の読書体験を紹介したにすぎません。
 極めて早熟で感受性も鋭かったであろう二人の経験を例に挙げても、コモンリーダーと呼ばれる一般の読者にはまるでピンとこないでしょう。
 また、なぜ「暴力」を2015年時点での児童文学(日本におけると限定してもいいでしょう)の補完計画として挙げたか、またそれらをどのように児童文学作品に反映するかについては、まったくと言っていいほど書かれていないので唖然とさせられました。
 

日本児童文学 2017年 04 月号 [雑誌]
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小峰書店
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児童文学における老人と子ども

2021-06-13 15:44:36 | 考察

 現代の日本では、高齢者社会が進んで、老人世代の人口が増加しています。
 しかし、その一方で核家族化も進んで、子どもと老人たち(ここでは後期高齢者である75歳以上のお年寄りをさしています。現実の子ども世代のおじいちゃんやおばあちゃんにあたる若い高齢者たちは、いろいろな形で子どもたちと交流があるでしょう)
 2010年代に入って、法改正の影響もあり、有料老人ホームなどの新しい老人介護施設が増えています。
 従来の老人ホームといえば、一部の裕福な人たちしか入れない入所に高額な一時金が必要な有料老人ホームか、辺鄙なところに作られる事の多かった特別養護老人ホーム(現在の特養は非常に入所が難しく、介護度の高い人でもなかなか入れません)しかありませんでした。
 しかし、現在ではそれらだけでは収容できない多くの高齢者のために、一時金が少ない(あるいはなしの)有料老人ホームなどが、住宅地と近接する形でたくさんつくられるようになりました。
 これは、介護の人員の確保の容易性と家族の訪問しやすさが必要なために、交通の便の良いところでしか新しい老人ホームが運営できないからです。
 現在では、老人ホームで利用者の脱走(徘徊)が起こるのは大問題なので、出入り口はオートロックになっていて、老人たちは外部から隔離されていることが多いです。
 なぜなら、この業界は慢性的に人手不足なので、いなくなった人をいちいち探していたらペイしないからです。
 しかし、こういった施設が増えるにつれて、周囲の理解をが得るために地域社会との交流を図る所も増えてきました。
 こういった機会を通して、老人たちと交流を持つ子どもたちもこれからはどんどん増えてくるでしょう。
 そして、新しい物語が生み出される土壌になる可能性を秘めていると思います。

死ぬまで安心な有料老人ホームの選び方 子も親も「老活!」時代 (講談社プラスアルファ新書)
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古市憲寿「絶望の国の幸福な若者たち」

2021-06-13 15:35:59 | 参考文献

 格差社会や世代格差に苦しめられているはずの若者たちが、実はかつてないほど幸福であるという著者の主張を、多方面から解析した本です。
 タイトルは非常にキャッチーなのですが、そこには巧妙なトリックがあります。
 まず「絶望の国」という惹句に関しては、この本では全く定義されていませんし、それに対する著者の批判もありません。
 次に「幸福な若者たち」というのは、たんに二十代の若者の生活満足度が高い(70.5%が満足)というだけで、それが幸福であるのかどうかの解析は行われていません。
 著者は今の若者が幸福な証拠として、ファストファッションやファストフードやスマホやゲーム機やコンビニがあることをあげていますが、そんなものはたんに時代の変遷を言っているだけで幸福とはなんの関係もありません。
 また、前の世代の若者との比較をしていますが、それも非常にステレオタイプ的な捉え方で説得力がありません。
 全体に漂うのは、著者の一般的な「若者たち」に対する優越感や差別意識です。
 これは、著者の他の本と共通しているのですが、「若者論」を語りながら、実は執筆当時は著者自身も二十代の若者であったにもかかわらず、そこに彼自身の姿がなく他人事なのです。
 東京大学の大学院に在籍中で、慶応大学の研究員でもあり、ベンチャー企業の役員でもある著者(どうやらルックスにも自信があるらしく、著書には必ず自分の写真がついています)は、自分が格差社会の勝ち組であることを十分に意識しているのでしょう。
 ですから、「若者」に二級市民(安くてクビにし易い中国の農民工のような存在)でも身近な世界に幸福を感じられるはずだと、簡単に切り捨てられるのです(もちろん著者自身は一級市民なわけです)。
 それにしても、タイトルといい、巻末の俳優の佐藤健との対談といい、著者は本を売るコツをよくつかんでいるようです(編集者のアイデアかもしれませんが)。
 さまざまな本やデータからたくさんの引用がされていて、著者が勉強家なことはよく分かりましたが、それぞれは著者にとって都合のいいつまみ食いにすぎず、それによって組み立てられたはずの著者自身の論は、冒頭の「はじめに」で述べたことからあまり深まっていません。
 また、フィールドワークと称して、生な「若者たち」のことばが紹介されていますが、取り上げ方が恣意的で説得力がありません。
 総じて内容は現状肯定的で反動的なのですが、それとバランスを取るように保守系の研究者や評論家を揶揄する文章をちりばめていて、どこからも文句が来ないように配慮しているのが、何とも優等生的な小心さを感じさせて苦笑を禁じ得ません。

絶望の国の幸福な若者たち
クリエーター情報なし
講談社
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