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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

藤田のぼる「「戦後児童文学史」岩波講座日本文学史第14巻二〇世紀の文学3」所収

2017-08-12 09:33:30 | 参考文献
 著者は、「現代児童文学史ノート」という題の論文を1984年と2013年に書いていて、かなりの部分がそれらと重複するので、詳細はそれらの記事を参照してください。
 1984年の論文は、「現在児童文学」(定義などは関連する記事を参照してください)がまだ進行中であった時に、筆者の問題意識を前面に出して書かれており、2013年の論文(というよりはエッセイかもしれません)は「現代児童文学の終焉」(その記事を参照してください)後に、全体を概観して書かれています。
 今回の論文はこれら二つの論文の中間の1990年代に書かれていたので、書き方も両者の中間的なものになっています。
 ただし、タイトルからも分かるように、「現代児童文学史」ではなく「戦後児童文学史」なので、「現代文学史」以前の児童文学というより大人も含めた国民的ベストセラーである1948年の竹山道雄「ビルマの竪琴」と1952年の壺井栄「二十四の瞳」にも簡単に触れています。
 「ビルマの竪琴」に関しては「国家、民族、軍隊といった超社会的ファクターを一瞬のうちに美的世界におきかえてしまう方法は、まさに「童話」的というにふさわしく」、「二十四の瞳」については「鎮魂から新しい時代への出発という当時の日本人が迫られていた心理的清算に大きな役割を果たすことができた」として、「児童文学はあの戦争体験を「物語」に封じ込めるための大きな役割を果たしたといっていいだろう。」と評価しています。
 また、これもまた「現代児童文学史」では無視(あるいは軽視)されることの多い七十年代のベストセラー作家(子どもよりも大人(特に教員志望の若者たちが中心))の灰谷健次郎の諸作品も取り上げて、「高度成長型の社会を現出させてしまった日本人の原罪感を衝く形で「子ども」という原理を機能させているように思える」としています。
 これらの作家の作品が、現代ないし戦後の日本児童文学史においてあまり語られない理由としては、児童文学のプロパーでない傍流の書き手であったからとしています。
 このあたりは、日本児童文学協会を中心とした児童文学界のセクト主義を示していて、他にも、庄野英二(「星の牧場」など)、庄野潤三(「明夫と良二」など)、柏原兵三(「長い道」など)などの優れた児童文学作品も、現代児童文学史上においては、ほとんど黙殺されています。

岩波講座 日本文学史〈第14巻〉20世紀の文学3
クリエーター情報なし
岩波書店

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