1935年(昭和10年)の改造三月号に、山本有三の紹介で掲載されて好評を得て、作者が作家としての生活を軌道に載せた記念すべき作品です。
作者は、請われて取締役に就任していた、父が作り兄が継いだ郷里の会社を1933年に追われて、ほぼ無一文で東京での生活(すでに四十代で、妻と三人の息子がいます)を再スタートしています。
この作品では、実生活での会社とのトラブルを題材にして、父のトラブルの整理がなかなか終わらずに(刑事罰に問われたり、莫大な借金を背負ったりしそうでした)、東京に戻るに戻れない中途半端な状況(母は妹を連れて、先に東京へ戻っていました)に置かれた兄弟(小学六年生の善太と小学三年生の三平)の姿(特に弟の三平の視点を中心にして)を描いています。
苦闘して自殺も考えていた父親の心境を反映して、三平の気持ちも次第に不安定になっていきます。
特に、三平の死への関心と奇妙な憧れ(死んだほうが楽になる)をたくみな筆致で描いています。
ラストで、三平の目には、教室の先生や生徒たちがお化けに見えてくる終わり方は、醜い大人の世界(いや大人だけではなく子どもの世界も)を鋭く捉えてていて秀逸です。
発表誌からもわかるように、この作品は児童文学(当時の言葉で言えば童話)ではなく、一般文学として大人の読者に読まれたものです。
そのため、善太と三平の視点だけでなく、父親の視点で書かれている部分もあります。
読者にとっては、その方がトラブルの内容が具体的にわかって、作品を理解しやすくなっています。
しかし、主人公の善太と三平は、作者の童話作品(例えば「魔法」(その記事を参照してください))にも登場するので、作者は大人と子どもの両方に向けて書いていたのだと思われます。
特に、父親と三平(大人と子どもの代表)だけでなく、その両方の気持ちを理解する善太の中間的な視点は、作品のバランス(大人と子ども)を取る上でうまく機能しています。
こうした人生の負の部分を描いた作者の作品は、1950年代の現代児童文学出発時に、強く否定されました(関連する記事を参照してください)。
しかし、1980年前後になって、そうした人生の負の部分を描いた作品(例えば、国松俊英「おかしな金曜日」、大石真「教室205号」、那須正幹「ぼくらは海へ」など(それらの記事を参照してください))が評価されるようになり、こうした奇妙な現代児童文学のタブーはなくなりました。
そう考えてみると、児童文学が完全な形(人生の正の面も負の面も描く)であるためには、作者が描いたこうした作品にもっと着目する必要があるのではないでしょうか。
特に、社会での様々な(経済的、世代間、教育機会など)格差が広がり、いろいろな大災害(地震、台風、感染症など)に襲われている現代では、大人だけでなく子どもも、人生の負の部分に真摯に向き合い、それを乗り越えていくような文学が求められています。
作者は、請われて取締役に就任していた、父が作り兄が継いだ郷里の会社を1933年に追われて、ほぼ無一文で東京での生活(すでに四十代で、妻と三人の息子がいます)を再スタートしています。
この作品では、実生活での会社とのトラブルを題材にして、父のトラブルの整理がなかなか終わらずに(刑事罰に問われたり、莫大な借金を背負ったりしそうでした)、東京に戻るに戻れない中途半端な状況(母は妹を連れて、先に東京へ戻っていました)に置かれた兄弟(小学六年生の善太と小学三年生の三平)の姿(特に弟の三平の視点を中心にして)を描いています。
苦闘して自殺も考えていた父親の心境を反映して、三平の気持ちも次第に不安定になっていきます。
特に、三平の死への関心と奇妙な憧れ(死んだほうが楽になる)をたくみな筆致で描いています。
ラストで、三平の目には、教室の先生や生徒たちがお化けに見えてくる終わり方は、醜い大人の世界(いや大人だけではなく子どもの世界も)を鋭く捉えてていて秀逸です。
発表誌からもわかるように、この作品は児童文学(当時の言葉で言えば童話)ではなく、一般文学として大人の読者に読まれたものです。
そのため、善太と三平の視点だけでなく、父親の視点で書かれている部分もあります。
読者にとっては、その方がトラブルの内容が具体的にわかって、作品を理解しやすくなっています。
しかし、主人公の善太と三平は、作者の童話作品(例えば「魔法」(その記事を参照してください))にも登場するので、作者は大人と子どもの両方に向けて書いていたのだと思われます。
特に、父親と三平(大人と子どもの代表)だけでなく、その両方の気持ちを理解する善太の中間的な視点は、作品のバランス(大人と子ども)を取る上でうまく機能しています。
こうした人生の負の部分を描いた作者の作品は、1950年代の現代児童文学出発時に、強く否定されました(関連する記事を参照してください)。
しかし、1980年前後になって、そうした人生の負の部分を描いた作品(例えば、国松俊英「おかしな金曜日」、大石真「教室205号」、那須正幹「ぼくらは海へ」など(それらの記事を参照してください))が評価されるようになり、こうした奇妙な現代児童文学のタブーはなくなりました。
そう考えてみると、児童文学が完全な形(人生の正の面も負の面も描く)であるためには、作者が描いたこうした作品にもっと着目する必要があるのではないでしょうか。
特に、社会での様々な(経済的、世代間、教育機会など)格差が広がり、いろいろな大災害(地震、台風、感染症など)に襲われている現代では、大人だけでなく子どもも、人生の負の部分に真摯に向き合い、それを乗り越えていくような文学が求められています。