「思想の科学」の1954年3月号に発表された、「「少年倶楽部」の再評価」という副題がついた論文です。
「現代児童文学論集2」にも再録されていますので、今でも読むことができます。
古田足日、鳥越信たちの「少年文学宣言」や石井桃子、いぬいとみこたちの「子どもと文学」と並んで、小川未明以来の近代童話を批判して、現代児童文学の誕生に寄与したとされています。
しかし、今でも何らかの形で児童文学に影響を持っている「少年文学宣言」や「子どもと文学」に対して、この論文は今ではほとんど忘れ去られています。
その理由として、この論集のまとめを書いている児童文学評論家の大岡秀明は、「既成の児童文学や子ども観を批判する部分に力点が置かれているように概念のワクを破壊するが、その破壊した後の方法に関しては、不明確な点が多いものでもあった。」と指摘しています。
確かに、「赤い鳥」以来のいわゆる「良心的児童文学」が実際にはあまり読まれていなかったのに対して、少年倶楽部に掲載された作品群がいかに多くの読者を獲得したかについては、ページを割いて力説されています。
また、それらの作品群を児童文学史ではほとんど無視していることを糾弾し、これらの作品が読者たちの人格形成上大きな貢献をしたことにも言及しています。
しかし、大岡が指摘しているように、過去の事実の指摘にとどまり、今後の児童文学への反映の提案はほとんどなされなかったので、児童文学のその後にほとんど影響を及ぼしませんでした。
少年倶楽部の作品群は、今でいえばエンターテインメントやライトノベルの先達的存在に位置付けられますが、エンターテインメント系の作品群が児童文学史上での評価がほとんどなされていないのは、今もほとんど変わりはありません。
ただし、那須正幹の「ズッコケ三人組」シリーズについては、児童文学研究者の宮川健郎や石井直人たちによって、まとまった評価がされています。
著者の論文では、自分の体験や少年倶楽部の関係者への取材に寄りかかりすぎて、それらに対する客観的な評価に欠けているのも気になりました。
「少年文学宣言」が高らかに述べた「子どもへの関心」や「散文性の獲得」や「変革の意思」、「子どもと文学」が提唱した「おもしろく、はっきりわかりやすく」などのような、その後の児童文学への提言がこの論文には決定的に欠落していて、ともすると単なる懐古的な文章に受けとめられたのではないでしょうか。
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現代児童文学の出発 (現代児童文学論集) |
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