2000年2月から日本各地の美術館で開催された「アニメ黄金時代」という展覧会(私はその年の7月か8月に川崎市市民ミュージアムで見学しました)の資料に掲載された論文です。
展覧会自体も非常に優れたものでしたが、この資料もたくさんのセル画を含んだ貴重なものです。
この巻頭の論文では、日本における戦前のアニメの作成史を主なアニメーターとともに紹介しています。
それによると、世界初のアニメは1906年、日本での初めてのアニメの上映は1912年、日本初のアニメは1917年とのことで、宮澤賢治学会の講演を紹介したときにも書きましたが(詳しくはその記事を参照してください)、当時の日本人がいかに映画やアニメといった当時の最先端のメディア(現在でいえば、インターネットやSNSのようなものでしょう)を急速に吸収していったかがわかります。
戦前のアニメは、映画と同様に軍国主義のプロパガンダの手段(代表作は、「桃太郎の海鷲」、「桃太郎・海の神兵」など)として、しだいに集約されていってしまいました。
その中で、1943年に発表された戦前のアニメの最高傑作とされる政岡憲三の「くもとちゅうりっぷ」について、筆者は以下のようにやや興奮気味に紹介しています。
「お花畑でテントウ虫の女の子が遊んでいると,色男のクモが誘惑する.女の子はチューリップのつぼみに逃げ込んでかくまってもらう.怒ったクモは糸をはき出し,つぼみをグルグル巻きにし,逃げられないようにする.夜半の嵐でクモは吹き飛ばされてしまう.一方,クモの糸で巻かれた花のつぼみは激しい風雨に耐え,散ることもなかった.風雨が去り,晴天の朝を迎え,テントウ虫の女の子はつぼみからはい出し,チューリップの花に感謝しながら,生きる喜びの歌を歌う.
平和を象徴するお花畑が舞台.自由を謳歌する可愛らしいテントウ虫の女の子.可憐な女の子なのだが,一瞬ちらりと見せるコケティッシュな表情に大人のエロチシズムが感じられるのだ.
太平洋戦争たけなわのころ,日本は食糧も生活物資も逼迫し,国民は疲弊していた.子供たちの娯楽であるべきアニメも戦争賛美の作品が増えていった.そのような情況のさなかに突然変異のごとく登場した16分の小品は,戦時色を全く感じさせない詩情豊かな名作であった.このリリシズムに満ちた作品は戦前に作られた日本の数多いアニメの中で光り輝いて見える不朽の名作といえよう.政岡の生涯の最高傑作といっても過言でなかろうし,この一作は日本アニメ史のモニュメント的な存在となった.政岡がこの作品を作ったのは戦争賛美アニメに対するレジスタンスであったかもしれない.」
私自身も、この展覧会が開催されている時期に、偶然NHKで「くもとちゅうりっぷ」を見る機会があり、その完成度の高さに驚愕しました。
筆者と同様に、テントウ虫の女の子が時折見せる表情に大人の色気を感じてドキリとさせられたことを記憶しています。
筆者によると、「政岡はテントウ虫の女の子のキャラクターを創造するのに、水着の成人女性をモデルにスケッチした」そうですから、それも当然かもしれません。
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