現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

児童文学の時代設定はどうすべきか

2018-09-28 20:01:41 | 考察
 一般に、児童文学の作品を書く場合の時代設定は、特に歴史物や未来物として書く場合を除くと、漠然と「現在」に設定されることが多いと思われます。
 この「現在」という概念は、人によって非常にバラつきがあって、今年だけに限定されている場合も、二十年ぐらい前までの長い期間を含む場合もあります。
 私が二十代の時に児童文学を書き始めた時には、自分の「少年時代」は本当に地続きの「現在」、あるいはつい昨日のように近い「過去」の事として描くことができました。
 ですから、自分の「少年時代」を「現在」であると称しても、そんなに不都合はありませんでした。
 それが、三十代になって少年時代が過去へ遠ざかった時、作品の時代設定として取る道は二つありました。
 ひとつは、自分の少年時代(私の場合1960年代から1970年代にかけてでした)を時代設定として採用する方法です。
 もうひとつは、現在(1980年代でした)を舞台にして、自分の少年時代とは切り離して作品を描くことです。
 結論から言うと、私は後者を選びました。
 まだ子どもたちの新しい風俗についていけると思っていたことと、当時は子どもの成長が年々早くなっていると信じられていたので、自分の少年時代を少しアレンジして(中学時代の体験を小学生を主人公にして描くなど)書くと、現在の風俗によくマッチしたからです。
 その後、自分の子どもたちを得てからは、彼らやその友達の少年時代(1990年代から2000年代にかけてでした)に取材して、作品を書くことができました。
 その子どもたちも成人すると、なかなか「現在」にフィットした作品を描くのがつらくなってきました。
 子どもたちの新しい風俗も、体感としてはつかめなくなっています。
 この場合に、作品の「時代設定」として取る方法は二つあると思います。
 まずひとつめは、「現在」という概念を広げて、20年ないしは30年間は通用する普遍的なテーマやモチーフを選ぶことです。
 もうひとつは、自分自身もしくは子どもたちの少年時代に時代設定して、当時の風俗で作品を描くことです。
 この二つの方法は二元論ではなく、テーマやモチーフに合わせて使い分けることができると思っています。
 
1989年の因果 昭和から平成へ時代はどう変わったか (中公文庫)
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