1965年に出版された幼年童話の古典的な短編集の巻頭作品です。
きつねが発明した「一つの物を二つにする」機械で、動物たちはそれぞれ自分の好きな物(さるはりんご、うさぎはにんじんなど)を二つにしてもらいます。
でも、何も持っていなかったトラノ・トラゴロウは、自分自身を二つにしてもらいます。
自分が昼寝をしている間に、もう一匹の自分に好物のにくまんじゅうを探してもらおうと思ったからです。
きつねは躊躇したもののトラゴロウを二匹にしてあげます。
でも、どちらのトラゴロウも昼寝をするのは自分だと主張して、大ゲンカが始まります。
きつねがあわてて作った「二つの物を一つにする」機械で、無事にトラゴロウは一匹に戻ります。
作者の動物ファンタジーの特長として、動物たちには特にユニークな個性は持たせずに、それぞれの既存のイメージ(きつねは賢い、うさぎはにんじんが好き、トラは乱暴者など)の範囲で、優れた発想とよく練られた構成でお話を展開します。
このお話も、幼児でも楽しめる簡単な展開(面白い小道具、繰り返しの手法、意表を突くオチなど)で作られています。
しかし、その裏には、読者に込められた作者ならではのメッセージが込められているのは、ラストのトラゴロウの言葉からも容易に想像できます。
「ほんとうの トラゴロウは ぼくだけだ。だから、ひるねをしている あいだは にくまんじゅうを さがしに いけないし、にくまんじゅうを さがしているあいだは ひるねができない。(後略)」
作者がトラゴロウ童話に込めた思いは、以下の「はじめに」の文章でも明らかです。
「<トラゴロウは、きみたちです>って、いいたいけど やめた。トラゴロウは きみたちのまわりにはいない。きみたちが、トラゴロウにあうのは トラゴロウのおはなしを よむときだけだ。」
作者が、トラゴロウ童話を始めた学生時代は、60年安保闘争の異様な高揚と痛烈な敗北を経て、虚無的な空気がキャンパスには漂っていたと思われます。
そうした状況に絶望しつつも、次世代を担う子どもたちへの期待を込めて、トラゴロウ童話は書かれたのでしょう。
それは、十数年後に同じキャンパスで、70年安保闘争敗北後の荒涼とした雰囲気(セクト間の内ゲバで死者が出て、その後の混乱の中で入学式も中止になりました)を味わった人間としては、痛切な思いで受け止めざるを得ません。
きつねが発明した「一つの物を二つにする」機械で、動物たちはそれぞれ自分の好きな物(さるはりんご、うさぎはにんじんなど)を二つにしてもらいます。
でも、何も持っていなかったトラノ・トラゴロウは、自分自身を二つにしてもらいます。
自分が昼寝をしている間に、もう一匹の自分に好物のにくまんじゅうを探してもらおうと思ったからです。
きつねは躊躇したもののトラゴロウを二匹にしてあげます。
でも、どちらのトラゴロウも昼寝をするのは自分だと主張して、大ゲンカが始まります。
きつねがあわてて作った「二つの物を一つにする」機械で、無事にトラゴロウは一匹に戻ります。
作者の動物ファンタジーの特長として、動物たちには特にユニークな個性は持たせずに、それぞれの既存のイメージ(きつねは賢い、うさぎはにんじんが好き、トラは乱暴者など)の範囲で、優れた発想とよく練られた構成でお話を展開します。
このお話も、幼児でも楽しめる簡単な展開(面白い小道具、繰り返しの手法、意表を突くオチなど)で作られています。
しかし、その裏には、読者に込められた作者ならではのメッセージが込められているのは、ラストのトラゴロウの言葉からも容易に想像できます。
「ほんとうの トラゴロウは ぼくだけだ。だから、ひるねをしている あいだは にくまんじゅうを さがしに いけないし、にくまんじゅうを さがしているあいだは ひるねができない。(後略)」
作者がトラゴロウ童話に込めた思いは、以下の「はじめに」の文章でも明らかです。
「<トラゴロウは、きみたちです>って、いいたいけど やめた。トラゴロウは きみたちのまわりにはいない。きみたちが、トラゴロウにあうのは トラゴロウのおはなしを よむときだけだ。」
作者が、トラゴロウ童話を始めた学生時代は、60年安保闘争の異様な高揚と痛烈な敗北を経て、虚無的な空気がキャンパスには漂っていたと思われます。
そうした状況に絶望しつつも、次世代を担う子どもたちへの期待を込めて、トラゴロウ童話は書かれたのでしょう。
それは、十数年後に同じキャンパスで、70年安保闘争敗北後の荒涼とした雰囲気(セクト間の内ゲバで死者が出て、その後の混乱の中で入学式も中止になりました)を味わった人間としては、痛切な思いで受け止めざるを得ません。
目をさませトラゴロウ (新・名作の愛蔵版) | |
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