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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

宮沢賢治「やまなし(初期形)」校本宮澤賢治全集第九巻

2025-02-23 09:16:19 | 作品論

 わずか二つのシーン(作者は「小さな谷川の底を写した二枚の青い幻燈を見てください。」と冒頭で語っています)からなる短い作品です。
 五月と十一月に、口からふく泡の大きさを競っている蟹の兄弟たちを通して、「死」と「生」を鮮やかに切り取って見せます。
 「死」を象徴しているのは五月にカワセミに仕留められてどこかへ行ってしまった「魚」で、「生」は十一月に川へ落ちていい匂いをさせながら流れていく(やがては水に沈んでおいしいお酒になります)「やまなし」が象徴しています。
 蟹の子どもたちが「魚」はどうしたのかを尋ねた時に「魚はこわい処へ行った」と答えた父親の言葉が印象に残ります。
 また、「死」を描いてから「生」を描いた順番は、児童文学的に優れている(子どもたちには「死より」も「生」の方がこれからも続いていきます)と思われます。
 「やまなし」には、その後書き換えられて新聞に発表された最終形があります。
 それについては、また別の記事に書きたいと思います。
 私が「やまなし」を初めて読んだのは18歳の時ですが、それまでにこれほど美しい文章を読んだことがありませんでした。
 特に、「クラムボンはわらったよ。」で始まるクラムボンの繰り返しにはしびれました。
 そして、美しい詩的な文章なのに、きちんと状況をとらえた散文性を兼ね備えていて、「現代児童文学(定義については他の記事を参照してください)主義者」でもある私の要求も完全に満足しています。
 それから、五十年以上がたちましたが、「やまなし」に匹敵するような美しい作品に出合ったのは数えるほどです(その中には同じ賢治の「雪渡り」も含まれています)。
 ちなみに、この全集本は、出版先に勤めていた知人に父が頼んでくれて、社内販売の八掛けで買ったものです。
 神田小川町の筑摩書房に自転車で本を取りに行って、千住の自宅までの帰り道、荷台に積んだ段ボール箱の中で本がゴトゴトと音を立てているのを聞きながらペダルを踏んだ時の嬉しさを、今でも昨日のことのように思い出せます。

童話絵本 宮沢賢治 やまなし (創作児童読物)
クリエーター情報なし
小学館



 

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J.D.サリンジャー「バナナ魚にはもってこいの日」九つの物語所収

2025-02-22 09:41:54 | 作品論

 サリンジャーは、彼が創造したグラス家の七人兄弟姉妹のそれぞれについて、繰り返し作品に書いていますが、この短編がすべての始まりであり、また終わりでもあります。
 この短編の最後で、グラス家の長男であるシーモアは、フロリダのリゾート地のホテルでピストル自殺します。
 作中でも、第二次世界大戦後に戦場から帰還したシーモアが、精神的に病んでいたことが明示されていますが、その真相についてはほとんど語られていません。
 グラス家の兄弟姉妹を描いた様々な作品は、ある意味、「なぜ、シーモア(15歳で大学に入学し、18歳で博士号を取り、21歳で大学教授になった早熟な天才)は死ななければならなかったか?」といった命題に対して、様々な見解を提示しているともいえます。
 それらについては、それぞれの作品についての記事で言及していますが、この作品においては二人の典型的な女性によっては彼の魂は救済されなかったことだけが明らかになっています。
 一人はシーモアの妻のミュリエルで、当時の典型的な世俗的な女性で、シーモアの内面など理解しようにもできない存在として描かれています。
 もう一人は、浜辺でシーモアと遊ぶ幼女(四歳ぐらいか?)のシビルです。
 一般的に、幼い子どもは無垢な魂の象徴として描かれることが多い(サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」に出てくる主人公のホールデンの妹や弟もそれに近いです)のですが、シビルは赤裸々なほど女性性の醜い面(同性への嫉妬、限りない欲望、欲求不満、男性への要求など)の象徴として描かれています。
 こうした典型的な人物が、シーモアの死と対比的に描かれなければならなかったのか。
 そうした疑問と、自分自身の経験を彼女たちに重ね合わせた時に生じる一種の畏怖を感じざるを得ません。
 そういった意味では、同じように戦争体験で精神を病んだ飛行士が、同じく不幸な境遇にいる少女の無垢な魂によって救済された映画「シベールの日曜日」(その記事を参照してください)の方が、ラストで周囲の大人たちの無理解によって悲劇的な結末になったとしても、まだ救いがあります。

 

 

 

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J.D.サリンジャー「ズーイ」フラニーとズーイ所収

2025-02-19 16:05:00 | 作品論

 1957年に書かれたグラス家の七人兄妹の六番目であるズーイ(作品の時代設定である1955年当時は25歳で、テレビの人気俳優です)に関する作品(ただし、語り手は次兄のバディのようです)です。
 前作「フラニー」(その記事を参照してください)で、大学や恋人の世俗主義に絶望し、ひたする祈りを捧げる念仏系の宗教(キリスト教でも仏教でもかまいません)に回帰して、精神的に参って家に閉じこもってしまった妹を、あらゆる方法(ズーイ自身としては自分の殻に閉じこもろうとしている妹を激しく批判し、次兄のバディ(当時36歳の作家兼大学教師で、サリンジャー自身の分身と言われています)を装ってフラニーへ電話をして優しく慰ぶし、それがばれてからは長兄のシーモァ(バディより2歳年上で18歳で博士号を取った、秀才ぞろいのグラス家兄妹の中でも最も優秀な天才で、他の兄妹たちに大きな影響を与えていますが、7年前に自殺しています(「バナナ魚にはもってこいの日」の記事を参照してください))の遺訓を伝えて、目指していた女優として人生を全うすることがフラニーにとっての神への祈りだということを悟らせます)を使って自閉的な状況から救い出します。
 幼いころからラジオの「賢い子」という番組に出演させられた(両親が成功した芸能人だったからでしょう)ために、異常に早熟にならざるをえなかった七人兄妹(もともと知性的には優れた資質があったのだと思われますが、特にその傾向が強かったシーモァの影響を弟妹たちが強く受けました)ことと、年が離れた上二人(シーモァとバディ)が下二人(ズーイとフラニー)の教育係をかってでて、難解な文学書や宗教書を幼い二人に押し付けたことが、フラニーの悲劇とそれを救済しようとするズーイの献身(彼がフラニーが陥っている状況を一番理解しています)を生み出したと言えます。
 彼らの両親は、かつて賢く可愛かった子どもたちを無邪気に懐かしむだけで、現在の彼らを理解することはできません。
 この時20歳だったフラニー(しかし、大学にもう4年もいると書かれていますので、シーモァほどではないにしろ、かなり早熟です)は、長兄のシーモァとは18歳も年が離れていただけに特にその影響が強かったようで、ズーイに「バディと電話で話すか?」と問われた時に、「私が話したいのはシーモァ」と答えていたのは痛切でしたが、一方で彼女の魂の救済方法を暗示していました。
 そのため、賢明なズーイはそれを察して、偽バディの電話とシーモァの遺訓によって、フラニーを救済することに成功したのでした。
 さらに、七人兄妹の中で、この二人が一番容姿に恵まれていると書かれていますので、他の兄妹にはないずば抜けた才色兼備であるがゆえの苦悩も、彼らの共通点としてあったことでしょう。
 結果として、ズーイはそれを逆手にとってテレビ俳優として成功(業界には不満があるようですが)し、フラニーも同じ道(ただし舞台女優志望のようですが)を歩もうとしています。
 なお、この作品の解説や評論には、フラニーが精神分裂症に罹ったという文章を見かけますが、正しいフラニーの状況は当時の言葉で言えばナーバス・ブレイクダウン(神経衰弱)だったと思われます。
 だから、兄妹とはいえ医学に素人のズーイ(もちろん、バディやシーモァまで繰り出した彼のアイデアは素晴らしいのですが)でも救済できたわけで、精神分裂症(現在の言葉では統合失調症)ではこんなに簡単には治らなかったでしょう。
 また、この作品では、グラス家の兄妹がシーモァ(15歳で大学入学、18歳で博士号習得)やフラニー(16歳で大学入学)を初めとして、日本にはない(現在は限定的に存在しますが)いわゆる飛び級をしていることがうかがわれますが、そのことが彼らの孤独(それゆえに兄妹のきずなは強い)にどんな影響があったかは言及されていませんが、なんらかの影響があった可能性はあると思われます。
 一方で、飛び級がないための悲劇(教育制度が平均的な子どもに合わせて作られていて、それについていけない子どもたちに対する救済策はありますが、通常の授業(私立や国立のエリート校の授業でも、その差はたかが知れています)ではすでに知っていることばかりで何も得られない子どもたちに対しては、日本では救済策はまったくありません。
 私事で恐縮ですが、私自身も小中学校では授業に全く関心が持てずに(知っていることばかりなので)、授業中に自分のやりたいことを勝手にやっていたので、毎日のように廊下に立たされたり、教室の前の方に正座させられたりしていました(今だったら体罰にあたるかもしれません)。
 受験体制をドロップアウトすることを決めて、高校で私立大学の付属校に進んでから、自分の専門分野だけを異常に詳しく教える(大学受験がないので)教師たち(全員が修士以上の学歴で、大学の研究者と掛け持ちの人たちもいました)に出会って、本当の勉強のやり方(自分でテーマを決めて、できるだけ詳しく調べて(当時はコンピュータやインターネットがないので、図書館(高校の図書館だけでなく、あちこちの公立図書館も)からできるだけたくさんの関連書籍を借りて読みあさるぐらいしか方法がありませんでした)、自分の考えを文章にまとめる)を学びました。
 三年生の時の日本史の授業では、毎学期一回、担当教師に代わって授業をヒトコマ(五十分)する機会があり、今でもその時のテーマを三つとも覚えています(一学期が「憶良と旅人」(万葉集における山上憶良と大伴旅人の比較研究です)、二学期が「記紀のヤマトタケルノミコト」(古事記と日本書紀におけるヤマトタケルノミコトの比較研究です)、三学期が「江戸の遊郭」(江戸における遊郭の制度と、文化や文学に対する影響についてです))。
 小中学校のころから、普通の教育以外に、こうした自分が興味を持てる分野の自由研究(もちろん理科系のテーマも含めて)をサポートする仕組みが公にあれば、もっと有意義な勉強を早くから受けられる子どもたちが数多くいることと思われます。
 専門家以外が英語やプログラミングを教えるなんてまったく無意味なことに、莫大なお金や時間を使うぐらいなら、比べ物にならないぐらい小さな費用で将来の日本や世界に貢献できる人材を育成できると思うのですが。

 

 









 

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J.D.サリンジャー「フラニー」フラニーとズーイ所収

2025-02-18 10:16:18 | 作品論

 サリンジャーの作品全体の大きな転換点になった作品で、グラス家サーガ(年代記)にとっても重要なポジションを占めます。
 東部の名門女子大生のフラニー(グラス家の七人兄妹の末っ子)は、イェール大学との対抗戦(おそらくアメリカンフットボール)が行われる週末に、恋人の大学生(おそらくプリンストン大学)を訪ねます。
 冒頭のプラットフォームでの再会(恋人がフラニーからの手紙を読むシーンも含めて)を除くと、こじゃれたレストランでの二人の会話(恋人は旺盛な食欲を示しますが、フラニーはマティーニを二杯飲んだ以外は何も食べずに、煙草を吸い続けていました)だけで構成されています。
 フラニーは当時のエリート層における完璧な服装をした美人なのですが、ここでは手紙と再会シーンで示した久しぶりに恋人に再会する若い女性らしいかわいらしさはみじんもなく、世俗的な人々に囲まれた大学生活に絶望し、宗教(キリスト教でも、仏教でもかまわないのですが、ただひたすら祈りを捧げる、仏教で言えば念仏宗的な素朴なものに魅かれています)に回帰しようとしています。
 そうしたフラニーを、世俗的人物の典型(決して悪い人間ではないのはところどころに現れる彼の素の部分に現れているのですが、他の大学生や大学の教員たちと同様に、エリート主義あるいは教養主義の鎧でガチガチに身を固めています)として描かれている恋人にはまったく理解不能です。
 こうした作品が1955年に発表されたことは、二重の意味で重要です。
 ひとつは、サリンジャー自身の体験や当時彼が置かれていた状況です。
 1951年に出版した「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)が大ベストセラーになり、サリンジャー自身も超有名人になって、それをめぐる周囲の大騒ぎに巻き込まれたことに嫌気がさしていました(一時ヨーロッパへ避難したり、帰国後もニューヨークから転居したりしていました)。
 また、転居先では周囲(高校生や大学生が中心)と交流していましたが、彼らとの信頼関係を裏切られる事件があって、周囲との関係を断ちました。
 その一方で、周囲と交流中に知り合った女子大生(フラニーのモデルの可能性もあります)と結婚(「フラニー」は彼女への結婚プレゼントとも言われています)して、子どもも生まれました。
 もう一つの意味は、当時のアメリカ、特にエリート層の状況です。
 他の記事にも書きましたが、当時のアメリカは「黄金の五十年代」と呼ばれる空前の好況期にあって、田舎町の高校生でも自分の大きなアメ車(当たり前ですが)を乗り回していました。
 映画「アメリカン・グラフィティ」の世界(ただし、ルーカスは1944年生まれなので、時代は1960年ごろと思われます)ですね。
 ボブ・グリーンの「17歳」という小説の時代はやや後の1964年ですが、もっと詳しく同様の様子が書かれています。
 ましてや、エリート層の子弟たちは、この作品で描かれているような鼻持ちならない暮らしぶりだったのでしょう。
 大学(いわゆるアイビーリーグの有名私立大学)に通うにしても、現代のように、MBAを取ったり、医者や会計士の資格を取ったりするばかりが目的でなく、ここで描かれたような文学論、演劇論、宗教論を戦わす教養主義真っ盛りの時代だったので、大学では将来の社交に必要な教養を学んで、卒業後は家業を継ぐ男性たちが多かったと思われます(サリンジャー自身もその一人です)。
 女子大生が大学に通う目的も、将来の職業のためよりも、同じようなエリート層の男性と知り合って結婚し(サリンジャーの妻も同様の早い結婚を経験しています)、卒業後は彼と一緒に社交をこなすための教養が必要だったのです。
 こうした状況に適応できなかったフラニーが、素朴な宗教(質よりも量を重視して、ひたすら祈ります)に回帰したのも無理のないことです。
 さて、この本が出版されてから70年がたち、日本だけでなくアメリカでも教養主義は見る影もなく衰退してしまいました。
 竹内洋「教養主義の没落」(その記事を参照してください)によると、日本の大学での教養主義の時代は1970年ごろまでだったそうです。
 それはアメリカも同様で、1980年代の初めにアメリカの会社の研究所に行っていた時に知り合ったアメリカ人(WASP(白人(ホワイト)で、アングロサクソンで、プロテスタント))の友人は、理系の博士号を持っていましたが、専門書以外の本はほとんど読んだことがないと言っていました。
 こうした状況の現代の読者がこの作品を読んでも、フラニーや恋人の人物像を正しく理解するのは難しいかもしれません。
 しかし、フラニーが陥った現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていくリアリティの希薄化、社会への不適合など)は、形を変えて現在ではより広い社会層や年代の人たちにも広がっています。
 そうした点では、グラス家サーガでこうした問題を描こうとしたサリンジャーの作品について考えることは、新たな意味を持っていると思っています。




 

 

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ガブリエル・ゼヴィン「トゥモロー・アンド・トゥモロー・アンド・トゥモロー」

2025-02-08 09:13:17 | 作品論

様々な人種的背景を持つ学生たちが、後に世界的ヒットをするゲームを開発する作品です。

その過程で人種や男女の違いを超えた愛や友情とその挫折が描かれています。

彼らの子ども時代の部分もあって、児童文学的な要素もあります。

ただし、20年間以上の時間が経過する作品で、大人になってからは、性的な描写やドラッグや暴力シーンもあるので、児童文学としては適さないかもしれません。

この本を取り上げた理由はいくつかあるのですが、一番大きな理由はゲーム的リアリズムとでも呼べるようなビデオゲームの世界に立脚した作品であることです。

日本の児童文学では、エンターテインメントの分野において漫画的リアリズム(作者と読者が共有する漫画的な世界に立脚した世界を描いている。例えば那須正幹のずっこけシリーズなど)で描かれている作品がありますが、ビデオゲームも数十年の歴史を持っているので、そういった世界に立脚した作品が可能になっているのです。

残念ながら私はビデオゲームの世界に詳しくないのですが、もっと若い年代でゲーム好きであれば、この作品はもっと楽しめたことでしょう。ドンキーコングやマリオやストリートファイターなど、私でも知っているようなゲームもたくさん登場します。

次に、男女の違いを超えた80年代の終わりから2010年代までの20年以上に及ぶ愛と友情が描かれている点です。

主人公の男性は、子供のころに交通事故で母を失い、自身も左足を何十箇所も骨折して、長い期間入院しています(大人になってからついに切断します)。

そして、ショックで誰とも口を利かなくなっていました。それがふとしたことから、病院を毎日のように訪れている同い年の少女(小児がんの姉を見舞っている)と一緒にビデオゲームをやるようになります。そして、主人公は立ち直り、二人は親友同士になるのですが、少女がその訪問をボランティアとして公式に時間をカウントされて表彰されていたことが判明して絶交します。

主人公は、その少女と大学生(男性はハーバードで女性はMITです)の時に再開し、「イチゴ」という日本名のゲームを開発することになります。そのゲームはのちに世界的なヒット作になります。

彼女は、主人公の男性の親友の、二人のプロデューサー役にもなる男性と結婚して妊娠します。

しかし、その男性は会社に訪れてきた保守主義者に射殺され、彼女は出産後にうつ病になってしまいます。

そんな彼女を救ったのは、主人公の男性が作ったロールプレイングゲームでした。彼は彼女のためにそのゲームを作って世界にリリースしたのです。

三番目の理由はグローバルな視点で描かれている点です。

主人公の男性は、ユダヤ系アメリカ人の父親と韓国系アメリカ人の母親をもち、母親の両親である韓国人の祖父母にロサンゼルスのコリアタウンで育てられました。

相手役の女性は、裕福なユダヤ系のアメリカ人です。

プロデューサー役の男性は、投資家の日本人とデザイナーの韓国系アメリカ人の両親をもっています。

こう見てみると、全員がアメリカ社会ではマイノリティです。

また、主人公の男性ははっきりとはしていませんが、LGBTQ的な傾向(彼の作ったロールプレイングゲームの中では、現実より早く同性婚が認められています)を持っています。

このような、様々な考え方を持った登場人物がぶつかりあって、ゲーム作成に没頭します。はじめは三人でスタートしますがやがては会社組織になり、後には女性は母校のMITでゲーム創作を教えたりしています。

以上のように、非常に今日的な要素を含んだ作品になっています。

 

 

 

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芦原すなお「青春デンデケデケデケ」

2025-02-06 16:39:13 | 作品論

 1990年に発表され、翌年の直木賞を受賞した、題名どおりに王道を行く青春小説です。 
 今ならば、ヤングアダルトの範疇にはいりますが、視野の狭い児童文学界ではほとんど無視されています。
 しかし、1992年には、大林宣彦監督によって、ほぼ原作どおり忠実に実写映画化(その記事を参照してください)されたので、そういった意味では実写化において安易な改変を許している既存の児童文学作品と比べて幸せな作品とも言えます。
 1965年に香川県立観音寺第一高等学校に入学した四人の高校生が、とことんロックにのめり込んだ三年間を、その周辺の人々も含めて、ディテイルにこだわって描いています。
 ロックファンを除くと、こんな細かな部分はいらないのじゃないかと思われるかと思われるシーンもたくさんあるのですが、実はこれでも「文藝賞」に応募するために、泣く泣く四百字詰め原稿用紙四百枚以内に削った後なので、1995年に出版された「私家版青春デンデケデケ」はその二倍の783枚あります。
 さすがに、そちらはマニアックすぎるので、クラシック・ロックや「青春デンデケデケ」のファンにしか薦められません。
 演奏や練習以外に、バイト(楽器を買うため)や女の子のことも書かれていますが、なにしろ1960年代の地方都市が舞台なので、純朴そのものです。
 しかし、表面上は大きく変化したものの、その本質は今の高校生たちと変わりません。
 ファッションやコミュニケーション方法などが大きく変化しても、学校、友人関係、部活、バイト、進学問題、異性関係などが、生活のほとんどを占めています。
 ただひとつ大きく違うのは、洋楽(特にロック)がもっと生活の大きな部分を占めていたことでしょう。
 作者は私より五学年上なので、メインのバンド(私が一番好きだったのは、レッドツエッペリン、クリーム、ドアーズ、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、キング・クリムゾン、ピンク・フロイド、エマーソン・レイク・アンド・パーマー、レーナード・スキナードなどでした)は違いますが、それでもビートルズやローリングストーンズは共通しています。

青春デンデケデケデケ (河出文庫―BUNGEI Collection)
芦原 すなお
河出書房新社
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アグネス・ザッパー「愛の一家」

2025-01-28 14:08:58 | 作品論

 1907年にドイツで書かれた児童文学の古典のひとつです。
 2011年に出た完訳版で、約六十年ぶりに読んでみました。
 私が1960年代の初めにこの本を読んだのは、姉たちのために毎月家で購入していた講談社版の少年少女世界文学全集のある巻に収められていたからです。
 おそらく抄訳だったのでしょうが、今回読んでみて知らないエピソードが出てこなかったので、かなり良心的なものだったのでしょう。
 そういえば、同じ全集に入っていたケストナーの「飛ぶ教室」「点子ちゃんとアントン」「エーミールと軽業師(ケストナー少年文学全集では「エーミールと三人のふたご」というタイトルになっています)」の巻(幸運にもまるまる一巻がすべてケストナー作品でした)は私の子ども時代の最愛の本でしたが、大学生になって真っ先に大学生協でケストナー少年文学全集を買ってそれらの作品を完訳を読み直しても、ほとんど違和感がありませんでした。
 さて、このお話は、貧しい(といっても、昔のことですからお手伝いさんはいるのですが)音楽教師のペフリング一家の七人兄弟(男四人、女三人)が、ほがらかで頼りになるおとうさんとやさしくて信仰心に富んだおかあさんの愛情に育まれて成長していく姿を描いています。
 第一次世界大戦前の古き良き時代のドイツの庶民の暮らしが、長い冬の風物を背景に丹念に描かれています。
 私が初めて読んだ時でも、書かれてから五十年以上たっていましたが、あまり違和感なく読めたのはそのころの日本の一般的な家庭と共通点があったからでしょう。
 当時の日本の家庭を描いた作品としては、庄野潤三の家庭小説(「絵合わせ」(その記事を参照してください)「明夫と良二」「夕べの雲」など)がありますが、この「愛の一家」もどこか庄野作品と共通するものがあるように思われます。
 社会が複雑化した現代の日本では、この作品のような「おとうさんらしいおとうさん」や「おかあさんらしいおかあさん」や「子どもらしい子ども」を求めるのは困難かもしれませんが、東日本大震災や福島第一原発事故やコロナなどを経て、家族の大切さが見直されている時期にこういった作品を読んでみるのも、たんなるノスタルジーを超えた意味があるのではないでしょうか。

愛の一家 (福音館文庫 物語)
クリエーター情報なし
福音館書店
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文 最上一平 絵 北見葉胡「緑の葉っぱのパン」

2025-01-14 10:36:43 | 作品論

 明記はされていませんが、ロシアによるウクライナ侵略を想起させる絵本です。

 亡くなったパン職人だったおとうさんとの思い出、平和を願う気持ちが、少女によって土で作られた緑の葉っぱのパンに込められています。

 その光景を眺めていたのが、平和の象徴であるハトであることによって、世界平和を祈る作者の思いが表れています。

 戦地からは遠く離れた日本においても、こうした思いを込めた絵本を出版することは、重要な意味を持っています。

 

 

 

 

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江国香織「デューク」つめたいよるに所収

2025-01-12 16:05:27 | 作品論

 21歳の私は、子犬の時から飼っていた愛犬のデュークが死んでしまって、悲しくてたまりません。
 アルバイトへ行くために泣きながら電車に乗っていると、十九歳ぐらい男の子が席を譲ってくれます。
 アルバイトをさぼって、男の子と喫茶店へ行き、その後もプールで泳いだり、散歩をしたり、美術館を見たり、落語を聴いたりして一日を過ごします。
 帰り際に少年にキスされて、それがデュークそっくりだったことに気づきます。
 実は、少年はデュークの化身で、主人公へ最後の愛を伝えに来たことが暗示されて終わります。
 直木賞も受賞した人気作家の処女出版は、「つめたいよるに」という童話集の体裁で1989年8月に出版されました。
 当時、24、5歳だった作者の若々しい感性が随所に光ります。
 しかし、これが児童文学なのかというと素朴な疑問もあります。
 作者と同世代の吉本ばななの「TSUGUMI」もほぼ同時期に出版されていますが、どちらも同じ読者層を対象にしているように思えます。
 それでいて、片方は児童文学、もう一方は一般文学の体裁で出版されます。
 1990年代後半に児童文学のボーダーレス化がよく議論されましたが、その十年前からすでにボーダーレスは始まっていたのです。
 ボーダーレスの原因にはいくつかあります。
 ひとつは少子化があげられます。
 団塊ジュニアが支えていた児童文学の読者層が、少子化で先細りになり始めていました。
 そのため、児童文学の出版社は、新しい読者層として若い女性を狙ったのです。
 それには、他の記事でも書いた「現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きているリアリティの希薄さなど)」も関連します。
 「現代的不幸」に直面した最初の世代は、1960年代に全共闘世代として学生運動へ突っ込んで行きました。
 それが、70年安保の挫折や学生運動のセクトの内ゲバなどで、学生の政治離れが急速に進みました。
 それにつれて、若者たちの関心は、政治などの外部のものから、自分の内部に移りました。
 いわゆる自分探しです。
 ほとんどの男の子の場合には、自分探しは一種の通過儀礼で学生時代などの限定期間に終了し、就職して会社という外部の組織に帰属していきました。
 そのころは、まだ終身雇用の神話が生きていましたので、そこに身をゆだねている限りはもう自分探しをする必要はないのです。
 それに引き換え、当時でも若い女性は会社に対して定年まで勤めようという意識はなくて(今はかなりの男性もそうですが)、就職してからも自分探しは続いていきます。
 従来の女性の場合は、結婚、出産が、男性の就職の代わりに一種の通過儀礼の働きをして、いやでも「大人」にならなくてはなりませんでした。
 ところが、非婚化や結婚、出産しても親世代へパラサイトする女性(最近は非婚男性も同様ですが)の増加により、いつまでも大人にならない女性が増えています。
 こうして、児童文学は女性(独身者だけでなく既婚者も含めて)を大きなマーケットとして意識するようになります。
 つまり、児童文学は、文芸評論家の斉藤美奈子がいうところのL文学(女性の作者が女性を主人公にして女性の読者のために書いた文学)化したのです。
 最近は、それに女性編集者、女性評論家、女性研究者、女性司書、女性書店員なども加わり、児童文学の世界は完全に女性だけの閉じた世界になりつつあります。
 しかも、L文学は、かつての少女小説や少女漫画よりも広範な世代の読者を抱える大きなマーケットに育っています。
 アラサーはもちろん、アラフォーやアラフィフ、さらにはアラカンになっても少女気分の抜けない女性も、今では珍しくなくなってきています。
 例えば、この「デューク」という作品では、21歳のアルバイトをしている女性(大学生かフリーターかは不明)が、愛犬の死のために人目をはばからず泣きながら町を歩いたり電車に乗ったりします。
 ペットロスのショックの大きさは、私も中学生や高校生の時に体験がある(中学生の時には、この主人公と同様に、泣きながら歩いたり電車に乗ったりしました)ので、主人公の悲しみはよく理解できます。
 ポイントは、そのために公私の区別がつかなくなるほど、大人である主人公が取り乱してしまうほど未成熟なところにあります。
 そこには、それほどペットの死を悲しめる主人公がいとおしいと思っている作者と、それに激しく共感する少なくない人数の読者たちとで作られた閉じられた世界があります。
 この閉鎖性が、L文学の魅力であるとともに限界でもあるように思います。
 旧来的な見方では、21歳の成人した人間が公の場で涙を流しているのは、「いい年して大人になっていない」と批判を受けるかもしれません。
 ところが、この「大人にならない」ということが、この閉じた世界では最大の魅力になっているのです。
 こうして、「大人にならない」大人たちが、児童文学の新しいターゲットになりました。

つめたいよるに
クリエーター情報なし
理論社


 

 

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宮沢賢治「どんぐりと山猫」注文の多い料理店所収

2025-01-11 09:03:30 | 作品論

 賢治の、最初にして最後の作品集の巻頭作です。
 ご存じのように、賢治の作品は、時として難解なこともあるのですが、この作品は非常にオーソドックスな童話です。
 子ども読者の大好きなくり返しの手法を多用(山猫の行方を尋ねる時やどんぐりたちがそれぞれの主張を繰り返すところ)して読者の興味を引きつけていますし、不思議な世界への通路(ファンタジーを成立させる一つの要件で、この作品では馬車です)もきちんと用意されています。
 しかし、今までの童話と大きく違う点は、賢治独特の鋭い自然への観察を軽々と優れた詩の言葉へ変えてしまう表現力や弱者(馬車別当やどんぐりたち)への労わりやサポートの表明などです。
 百年以上前(1921年9月19日)の作品ですので、差別的な用語も散見されますが、そんなことはどうでもいいのです。
 そういった言葉遣いだけに気を使って、内容が多様な人々への配慮に欠けた作品のなんと多いことか。
 常に弱者の側に立つ。
 その姿勢こそ、昔も今も児童文学者に一番求められるものなのです。
 子どももまた弱者であることは、新聞やテレビやネットを繰り返し賑わせている事件だけでなく、みなさんご自身の体験からも明らかなことだと思います。
 世界中の子どもたちは、等しく幸せになる権利を持って生まれてきています。
 それを踏みにじる大人たちがいるかぎり、児童文学者は常に子ども側の立場でいるべきです。
 賢治のこの作品集も、その立場を繰り返し明確にしています。
 ところで、私はこの作品の冒頭の山猫からのはがき(実際は彼の馬車別当が書いています)を読むたびに、受け取った一郎と同様にうれしくてうれしくてたまらなくなります(年を取ってしまったので、一郎のようにうちじゅうとんだりはねたりはできませんが)。
「かねた一郎さま 九月十九日
 あなたは、ごきげんよろしいほで、けっこです。
 あした、めんどなさいばんしますから、おいで
 んなさい。とびどぐもたないでください。
                 山ねこ 拝」
 いつか自分にもこんなはがきが来ないかとずっと願っていますが、初めて読んでから五十年以上たちますが、その後の一郎と同様に、残念ながらまだ一度も受け取っていません。

注文の多い料理店 (新潮文庫)
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新潮社




 



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デ・アミーチス「クオレ」

2025-01-06 09:20:45 | 作品論

 「愛の学校」という副題でも知られている、1886年に書かれた児童文学の古典です。
 私は、子どものころに講談社版少年少女世界文学全集に入っていた抄訳を読んだだけで、全訳は今回初めて読みました。
 この作品は、イタリアの小学四年生の一年間の日記の形態をとっていて、そこに両親や姉のコメントを付け加えたり、担任の先生がしてくれる毎月のお話としてイタリア各地の英雄的な行為をした少年たちを紹介する短編(全部で9編あって一番有名なものはあのマルコの「母を訪ねて三千里」です)が挿入されていて、単調になるのを防いでいます。
 あとがきで訳者も述べているのですが、かなり軍国主義的だったり、過度に愛国的だったり、教訓的すぎる部分もあって、そういった個所を削除した抄訳の方が60年前の私にとっても読みやすかったと思います。
 なにしろ130年以上前に書かれた作品で、この訳者による初訳も100年以上前(改訂版も私が生まれた翌年の1955年です)なので、今の基準に照らすと、差別的だったり、子どもへの虐待(少年労働や少年兵士など)があったりして、現代には適していない描写や表現もありますし、今の子どもたちに理解してもらうのは難しいかもしれませんが、ここで描かれた死や別れなどは、今でも普遍的な価値を持っていると思われます。
 現代の日本の子どもたちに手渡すのには、抄訳や翻案ということも考えられますが、適切なまえがきとあとがきと詳しい注釈をつけて、原作のまま紹介する方が望ましいでしょう。
 作中の少年たちが、まだ近代的不幸(戦争、貧困、飢餓、病気など)が克服されていない社会でどのように生きてきたかを知ることは、現代の子どもたちにとっても意味のあることだと思います。

クオレ―愛の学校 (上) (岩波少年文庫 (2008))
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岩波書店



クオレ―愛の学校 (下) (岩波少年文庫 (2009))
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津村記久子「ミュージック・ブレス・ユー」

2024-12-31 09:42:20 | 作品論

 高校三年生のアザミがベースをひいていたバンドが、喧嘩別れで解散するところから話が始まります。
 といっても、アザミはそれほど熱心にバンドをやっていたわけではありません。
 アザミは、勉強も好きじゃないし、帰宅部だし、音楽を聴くこと以外に熱中していることはありません。
 アザミが聴いているのは、アメリカのインディーズ系のパンクバンドです。
 音楽を聴くことに関しては、いつもCDプレイヤーを持ち歩いていて(この作品が書かれたころは携帯ミュージックプレイヤーは一般的ではなかったのでしょう)、授業中などを除くとヘッドフォンを離さず、インターネットでアメリカの関係サイトにも目を通すくらい熱心です。
 170センチ以上の長身で赤い髪をしたアザミを中心に、いつもつるんでいる正義感の塊のようなチユキなど、周辺の女の子や男の子が生き生きと描かれています。
 一般書として出ていますが、いわゆるヤングアダルト物でしょう。
 アザミは全くやる気がなさそうないまどきの女子高生なのに、チユキに対してひどいふりかたをした柔道部の主将のオギウエの追試での不正を暴いたり、文化祭の時に茶道部の女の子に対してセクハラまがいのことをした他校の男子をチユキと一緒に成敗したり、かなり痛快な青春物語になっています。
 そういう意味では、純文学というよりは、エンターテインメントとして書かれているのでしょう。
 高校生の風俗を除いては今日的な感じはしなくて、昔からある学園物の趣もあります。
 インディーズ系の音楽、歯の矯正、食べ物、恋愛などについては、津村の特長である異常なまでの細かい描写があって、なかなか読ませます。
 ただそういう部分を取り除くと、自分の将来に対してなかなか方向性が見いだせない若者という古典的な物語が浮かび上がってきます。
 進路に関してまったく干渉せず簡単に浪人を許してくれる両親や、主人公を一校しか受験させない進路指導の先生など、かなりご都合主義的な設定も目立ちます。
 主人公が音楽を聴くことだけが生きがいという設定も、それほど目新しくないと思います。
 五十年以上も前のことになりますが、私自身も中学から大学の初めごろまでは、アメリカのカントリーロックに対してそんな感じでした。
 その音楽熱は、最近かなりぶり返しています。
 高校生や大学生のころに、今は無きアカイの一番高級だったカセットデッキで録りためたアナログ音源を、ウォークマンのダイレクトエンコーディング機能を使って、すべてディジタルに変換できたからです。
 パソコン上のディジタル音源のユーザーインターフェース(ソニーのMusic Centerを使っています)は快適ですし、それをUSBケーブルでディジタルのまま、本棚に組み込んだスピーカーのそばまで転送して、そこでアナログに変換(ラトックシステムのヘッドフォンアンプを使っています)いるので、五十年まえのサウンドを、ほとんど劣化することなく再現できています。
 これで、レーナード・スキナードやクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルを聴いていると、古希のおじいさんでも、アザミの気持ちを共有できます。


ミュージック・ブレス・ユー!!
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ウルズラ・ヴェルフェル「灰色の畑と緑の畑」

2024-12-30 13:08:46 | 作品論

 この作品は、1970年に西ドイツで出版され、日本語には1974年に翻訳され、発表当時大きな論争を巻き起こしました。
 この作品には、世界中でいろいろな困難に直面している子どもたちが描かれています。
 読んでいて楽しい物語ではありませんし、作品の中で問題も解決されていません。
 この作品は、読者自身にこれらの問題の解決に対して行動を促すものなのです。
 まえがきを以下に引用します。
「ここに書かれているのはほんとうの話である、だからあまり愉快ではない。これらの話は人問がいっしょに生きることのむずかしさについて語っている。南アメリ力のフワニータ、アフリカのシンタエフ、ドイツのマニ、コリナ、カルステンなど、多くの国の子どもたちがそのむずかしさを体験することになる。
 ほんとうの話はめでたく終わるとは限らない。そういう話は人に多くの問いをかける。答えはめいめいが自分で出さなくてはならない。
 これらの話が示している世界は、必ずしもよいとはいえないが、しかし変えることができる。」
 この作品は、別の記事で紹介した「児童文学の魅力 いま読む100冊 海外編」にも選ばれています。
 おそらくこの本を読めば、今の日本で出版されている多くの児童書が、いかに商業主義に毒されているかが実感できると思います。
 また、ここで書かれていることは、海外のことで日本とは無縁であるとはけっして言えません。
 現代の日本こそ、このような本を必要としているのです。

灰色の畑と緑の畑 (岩波少年文庫 (565))
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マイケル・ボンド「くまのパディントン」

2024-12-28 11:39:03 | 作品論

 1958年にイギリスで書かれた動物ファンタジーの古典です。
 日本版は1967年に出ていて、私の手元に今あるのは1982年12月5日23刷ですので、かなりのベストセラーです。
 読んだことのない人でも、ペギー・フォートナムの描いたパディントンの絵は、日本でもいろいろなところで使われているのでおなじみのことでしょう。
 南米の「暗黒の地ペルー」(こんなところには、当時のイギリス人の差別意識が残っています。ペルーでは翻訳されていないのでしょうか?)からやってきた小さなクマ、パディントン(ロンドンのパディントン駅で拾われたのでそう名付けられています)が、中流家庭のブラウン家(当時は中流家庭でも、イギリスではお手伝いさんがいたのですね。もっとも庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」の1969年の日本の中流家庭にもお手伝いさんは出てきます)の兄妹の下に、末っ子として迎えられ、いろいろな騒動を起こす物語です。
 パディントンは典型的な末っ子キャラで、好奇心旺盛ないたずらっ子をして設定されていて、イギリス伝統の動物ファンタジーの手法を使って楽しく描かれています。
 パディントンの引き起こすいろいろな騒動には、過度にモラリッシュで寛容さに欠ける現在の日本では許されないようなものも多々含まれています。
 こういった育ってきた環境の違いによって引き起こされる「事件」に対して、周囲が寛容さを示すだけでなく彼らに愛情を持てるということは、多様性が求められる今後の日本社会にとっても必要だと思います。
 「ばっかなクマ」というのは、「クマのプーさん」がへまをしたときにクリストファー・ロビンがいつも愛情をこめて思うことですが、パディントンもまさに「ばっかなクマ」として周囲の人たちに愛されているのです。
 ところで、この「くまのパディントン」はシリーズ化されていて、私が学生だった1970年代(今とは比較にならないほどたくさんの内外の児童文学が出版されていました)に、大学の児童文学研究会の仲間たちと三大動物ファンタジー・シリーズ(他はマージェリー・シャープの「ミス・ビアンカ・シリーズ」(その記事を参照してください)とジャン・ド・ブリュノフの「ぞうさんババール・シリーズ」)と呼んで愛読していました。
 それから五十年以上もたってしまいましたが、これらの本が今でもロングセラーとして読み続けられていることをうれしく思っています。

くまのパディントン
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ガース・ウィリアムズ「くろいうさぎとしろいうさぎ」

2024-12-22 16:25:16 | 作品論

 1958年に出版された絵本です。
 五十年前ごろは、結婚プレゼント(といっても安価な物ですから、結婚式や二次会に呼ばれない程度の軽い知り合いの場合です)の定番でした。
 日本語版は1965年が初版ですが、私の手元に今あるのは1990年1月20日の第74刷ですので、かなりのベストセラーです。
 結婚(特に若い世代の)というものを、このように象徴的に描いた作品は少ないかもしれません。
 出版から70年近くがたち、その間にジェンダー観や結婚観はずいぶん変わりましたが、好きな男の子や女の子と、「いつも いつも、いつまでも、きみといっしょに いられますように」という願いは、普遍性を持っていると思います。
 ただし、日本語訳では、くろいうさぎは男の子、しろいうさぎは女の子と決め打ちした言葉づかいなので、やや古さを感じさせるかもしれません。
 作者のガース・ウィリアムズは私の好きな画家の一人で、マージェリー・シャープのミスビアンカ・シリーズ(その記事を参照してください)の挿絵でも有名です。
 動物の生態と擬人化のバランスが絶妙で、ディズニーのアニメ絵本のような単純にかわいいだけの絵柄とは一線を画しています。

しろいうさぎとくろいうさぎ (世界傑作絵本シリーズ―アメリカの絵本)
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