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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

生活体験を伝える絵本

2018-07-18 08:42:36 | 考察
 従来主流であった物語絵本に加えて、現在ではいろいろな種類の知識絵本などがたくさん出版されています。
 もちろん、スマホやタブレット端末などがこの領域で占める役割はどんどん増大するでしょう。
 しかし、実際に手に取れる絵本は、素材や構成を工夫をすれが、それらの電子機器では実現できない体験を子どもたちに与える余地をまだまだ持っていると思います。
 ただし、将来的にウェアラブル端末が普及して、仮想現実などがもっと身近になれば、これらの領域も浸食されてしまう可能性はあります。

手づくり絵本を作ろう (手づくり遊びと体験シリーズ―自然・生活・科学体験アイデア集)
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明治図書出版
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児童文学における昔話のパターン

2018-07-17 14:16:43 | 考察
 現在でも、児童文学、特に絵本において、昔話や民話風の作品はたくさん書かれています。
 しかし、その多くは、地域に伝わる昔話や民話の掘り起こしではなく、すでに発表されている昔話や民話の二次創作であったり、あるいはその世界観だけを借りた安直な作品です。
 大塚英志が命名した「漫画的リアリズム(すでに発表されている漫画やアニメの世界観に立脚しています)」ならぬ、「民話的リアリズム」で書かれた作品群です。
 そういった作品群の中によくあるパターンとして、「悪しき者」(例えば貧乏神)がラストで「善き者」(例えば福の神)に変わるお話があります。
 その作品群は、大きく分けて「悪しき者」が善行を積んで「善き者」に変身する場合と、「悪しき者」は特に善行を積まないのに偶然や状況の変化で「善き者」に変身する場合があります。
 どちらかというと、後者はオリジナルの昔話や民話(「三年寝太郎」など)に多いのですが、最近の創作民話では前者の方が多く、そういった作品では近代や現代の教育の影響(教訓臭さ)が強く感じられます。

日本昔話百選
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三省堂
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児童文学における典型的キャラクター

2018-07-14 09:23:35 | 考察
 児童文学の典型的なキャラクターとして、いたずら坊主の男の子があります。
 普段は粗暴でいたずらばかりやっていますが、優しい所もあってどこか憎めない。
 そんなキャラクターの主人公は、すでに腐るほど書かれています。
 その変形である、活発なおてんば娘というキャラクターも同様です。
 一般に、こういったキャラクターは、「自然主義的リアリズム」ではなく、あらかじめ読者の間で共有化されているであろう、他の作品の世界観に寄りかかった「マンガ・アニメ的リアリズム」、さらに言えば「児童文学的リアリズム」で書かれていることが多いようです。 

純粋娯楽創作理論 第二章・キャラクター分類指標
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開巻書房
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児童文学における子どもの遊び

2018-07-13 08:47:53 | 考察
 児童文学の作品においては、しばしば子どもが遊んでいる様子が描写されます。
 その多くの場合に、作者が子どもの遊んでいる姿の愛らしさを描こうとすることがあります。 
 しかし、それではたんに子どもたちの遊びをなぞっただけで、それを通してどのような物語に発展させるかが欠けています。
 そのため、それらの作品は、作者の意図に反して、子どもたちには喜ばれずに、親や祖父母である大人たちの方が楽しめるといった、本末転倒な状況の陥ってしまっています。
 児童文学もひとつの商品であるからには、たんなる描写を超える何か(物語性であったり、娯楽性であったり、社会性であったりします)が必要です。

世界の子どもの遊び (楽しい調べ学習シリーズ)
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PHP研究所
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児童文学のエンターテインメント作品を書く上での最低条件

2018-06-08 08:01:49 | 考察
 児童文学でもエンターテインメントである以上は、大人向けのエンターテインメントと同様にその書き方の作法のようなものが存在します。
 楽しく読めなければ仕方がないので、典型的な人物配置、偶然の多用、荒唐無稽な設定、どんどん読み飛ばせる文章(余白、会話、擬音の利用や短いセンンテンスなど)、サービスシーン(恋愛シーン、イケメンや美少女などのビジュアル面)などは、余り目くじら立てないで許容されるべきでしょう。
 そうはいっても、最低限の守るべき条件のようなものがあると思います。
 例えば、偶然の多用においても、それが都合のいい大人の登場人物の存在だったりするのは問題でしょう。
 それでは、肝心の主役の子どもたちが活躍する余地が少なくなるので、彼らに感情移入して読んでいる読者の子どもたちはが欲求不満になってしまいます。
 登場人物も読者も、あくまでも子どもたちが主役なのです。
 登場人物の書き方においては、児童文学では大人向けよりもさらにキャラクター性が求められているので、もっと登場人物をデフォルメするためにライトノベルなどで使われている記号化の手法が用いられるべきだと思います。
 また、エンターテインメントとはいっても、最低限のリアリティは保証したほうがいいでしょう。
 頭の中だけで書き飛ばさずに、きちんと取材などの調査をして書く必要性は言うまでもありません。

ファンタジーのつくり方―エンターテインメントを創造するためのマニュアル (オフサイド・ブックス)
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彩流社
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児童文学におけるメルヘンの復権

2018-06-07 07:24:55 | 考察
 1950年代にスタートした「現代児童文学」が終焉した現在、「現代児童文学」が批判した「近代童話」、中でもメルヘンが復権していると思われます。
 その外的要因としては、小学校高学年の子どもたちの本離れないしはエンターテインメント作品のみが消費されている現状では、児童文学の媒介者(両親、教師、図書館の司書、読書運動の活動家などの大人たち)の影響が大きい幼年児童文学(小学校三年生以下が対象)や絵本が、児童文学における最後のフロンティアであることがあげられます。
 そういった領域では、「現代児童文学」が追求してきた叙事性よりも抒情性が求められること多く、メルヘンの手法が有効です。
 また、愛情、友情、美などのような普遍的なテーマを描くのに(特に叙情的に描くのに)は、メルヘンの手法はより有効だと思われます。
 もちろん、メルヘンは日本でも百年を超える伝統を持ち、多くのすぐれた作品がすでにあるのですから、これらにはない書き手ならではの新しい発見、研ぎ澄まされた文章、洗練された表現などが求められることは言うまでもありません。

メルヘンの深層―歴史が解く童話の謎 (講談社現代新書)
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講談社
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大学の児童文学サークルと児童文学研究

2018-06-04 08:48:00 | 考察
 高校二年の夏休みに、石井桃子たちの「子どもと文学」を読んで、大学では学部ではコンピューターサイエンスを、サークル活動では児童文学を研究しようと思いましたが、児童文学研究会に入会してその期待はあっさりと裏切られました。
「早大児文サークル史」を紹介する記事で、「児童文学研究会」が児童文学を研究する場でないことはすでに書きましたが、他の大学でも同様のようです。
 「日本児童文学2011年7-8月号」で、「学生の児童文学運動いまむかし」という特集がありました。
 そこでは、早稲田大学児童文学サークル(早大童話会、少年文学会、児童文学研究会)と東京学芸大学児童文学研究部の新旧会員による座談会が載っていますが、作家志望者はまだかろうじて残っているものの研究志向はまったくないようです。
 特集には、国学院大学児童文学会、東京大学児童文学を読む会、二松学舎大学児童文学研究会の紹介文ものっていますが、それらも含めてどこも研究会とは名ばかりで、好きな作家や作品について話したり、お話を作ったりする同好会的なサークルばかりのようです。
 あきらめが悪いようですが、念のために早稲田大学児童文学研究会の後輩に、児童文学研究をしたい学生がサークルにいるかどうかをきいてみました。
 予想通りに、児童文学をテーマに卒業論文を書くメンバーなどはいるものの、大学院に進んでまで児童文学研究を志す人はいないようでした。
 メンバーで児童書も含めて編集者を目指している人は多いようですが、彼らも大学院には進まずに(早稲田大学には編集者育成のための大学院の修士コースがあります)直接出版社に就職したいと就活をしているようです。
 それに、もし仮に大学院に進みたいと思っている人たちがいるとしたら、現状の児童文学研究会のレベルでは物足りないでしょう。
 現在の児童文学研究会には、児童文学に興味があって入る人よりも、小説が書きたかったり、たんに会の居心地がよくてという理由で入る人たちが多いようです(昔からそうでしたが)。
 また、児童文学研究会で一番共通に読まれている作家は会のOGの荻原規子で、その他では宮沢賢治、上橋菜穂子、梨木香歩などが人気なようですが、サークル員の全体数が増えたので、誰もが読んでいる作品を挙げることは難しいとのことです。
 そもそも「児童文学とはなにか」といったテーマ評論を行うぐらい、児童文学とYA(ヤングアダルト)、ライトノベルなどのジャンル分けがわからなくなっているようです。
 やはりここにも作家志望者はまだいるみたいですが(もう早稲田を卒業してから三十年近くもたつ、いとうひろしや荻原規子以降に、実際に専業の作家になった人がいるかどうかは知りませんが)、研究志向はますます弱くなっているようです。
 児童文学を専攻できる大学院は梅花女子大と白百合女子大(大学院は男性も入学できます)しかありませんし、他の大学の児童文学サークルもこのような現状ですから、児童文学を研究する場は本当に限られています。


日本児童文学 2011年 08月号 [雑誌]
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小峰書店
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同人誌の合評会に長編を出す場合の注意点

2018-06-02 09:59:23 | 考察
 同人誌の合評会に出される作品は短編が多いのですが、時には長編を合評してもらいたい場合もあると思います。
 その場合は、短編の時とは違った注意が必要です。
 例えば、冒頭部分だけが提出される場合がありますが、それでは読み手にはこれからどういう展開になるのかわからないので、適切な批評ができません。
 その場合のアプローチは、その長編がどういうタイプなのかにもよります。
 短編構想の長編の場合は問題ありません。
 まず短編として仕上げた段階で、合評会にだせばいいのです。
 そこでふくらませるアイデアを皆から得て、それも参考にして中編ないし長編に仕上げて、そこでまた合評会に提出して意見をもとめればよいと思います。
 作品の長さによっては、このプロセスを数回繰り返すこともあるかと思います。
 次に長編構想の長編の場合ですが、執筆に時間がかかることもあり、途中でアドバイスをうけたい場合もあると思います。
 その場合は、書きあげた所までの原稿に、全体の構想を示すシノプシスを添付すれば、より適切なアドバイスが得られるでしょう。
 また、どんな点で行き詰っているかなどの具体的にアドバイスを求めている事項を示せば、良い意見をもらうためにさらに効果的だと思います。

1週間でマスター 長編小説のかたち―小説のメソッド〈3〉未来への熱と力 (1週間でマスター―小説のメソッド)
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雷鳥社
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児童文学における破天荒な登場人物

2018-06-01 08:59:41 | 考察
 児童文学において、破天荒な登場人物(主人公の場合も脇役の場合もあると思います)が設定されることがあります。
 しかし、それは単に反モラルな設定(例えば、未成年の登場人物や母親などが、たばこを吸ったり、お酒を飲んだりする)だけで、結果としてそれが悔い改めてモラリスティックな結末に終わるという展開の事が多いと思われます。
 それには、児童文学固有の教育的配慮という要素が大きいのかもしれません。
 本来は、そういった破天荒な登場人物が縦横無尽に活躍して、その人ならでは魅力を読者に感じとってもらわなくてはいけないでしょう。
 その魅力が結末に向ってどんどん拡大していくと、その作品は成功していると言えます。

あばれはっちゃく (山中恒よみもの文庫)
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理論社
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児童文学同人誌の合評会に作品を出す場合の注意点

2018-05-23 08:35:00 | 考察
 児童文学同人誌の合評会に作品を出す場合の注意点を、以下にランダムにあげてみます。
 これは児童文学を書く上で共通することですが、読み手のグレードに合わせた言葉づかいが必要です。
 また、現代の子どもたちにあった表現をしないと、古めかしく感じられてしまいます。
 さらに、児童文学の特徴として、その作品が描写で勝負するのか(小説指向)、それともアクションとダイアローグでストーリーを展開していくのか(物語指向)を意識した方がいいでしょう。
 どちらの場合も、モノローグや説明的な文章はできるだけ避けた方が無難でしょう。
 新しい物や事柄の名前は正確に調べて書く必要があります。
 また、子どもの名前も時代とともに変わってきているので、適切なものを使わないと古く感じられてしまいます。
 特に、女の子で「子」の付いた名前や、男の子で「男」などの付いた名前は、現代では少数派になっていますので、一つの作品の中で多用しない方が無難でしょう。
 もっとも、登場人物の名前がキラキラネームばかりなのも困りますが。
 作品に登場する小道具も、時代に即したものを使わなければならないでしょう(スマホ、インターネットなど)。
 また、七十年代までの作品によく描かれた「金持ちは悪い」、「貧乏人はいいと」いうパターン化は、現代では使えません。
 作品を一人称で書くときには、大人の視線で説明してしまわないように注意が必要です。
 もしそれをしたかったら、三人称で書きましょう。
 また、途中から現れた登場人物のキャラクターをどのように表現するかには、特に注意しなければなりません。
 難しい言葉を唐突に使わないようにした注意した方がいいです。
 また、モノローグだけで状況説明してはいけません。
 作品のおもしろさを支えるものの一つに、書き手の想像力があります。
 妄想のような作者の空想がどんどん広がって取り返しがつかなくなるようでないと、作品はおもしくありません。
 これは、ファンタジー作品だけでなくリアリズムの作品でも同様のことがいえます。
 同人誌に作品を提出する基本的なマナーとして、作品の一部だけを提出してはいけません。
 読み手である同人は、全体の構想がわからないので、的確な批評ができません。
 たとえ完成度が低くても、全体像を示した方がよいアドバイスを受けられます。
 特に、児童文学では、作品において相手を傷つけると、読み味が良くありません。
 一般に、作品の時代設定が、現代なのか、作者が子どもの頃なのか、はっきりさせた方がいいと思います。
 もしはっきりさせないのなら、子どもたちの普遍的な部分だけを描いて安易に特定の時代の風俗を出さないように注意する必要があります。
 一般的は分かりやすい文章を心がけるべきですが、凝った表現を使いたい場合にはねらいをはっきりさせてその効果を最大限に発揮できるよう配慮するべきです。
 そして、説明的な文章はできるだけ排除する必要があります。
 同人誌の合評会に、長編の冒頭部分だけを出す場合は、全体の構想が説明できるようになってからにしましょう。
 児童文学作品にはスピードが必要です。
 状況設定などはできるだけ手短に済ませて、なるべく書きたい中心に移った方がいいでしょう。
 読者に作品を読んでもらうには、文章の質が安定していることが重要です。
 エブリデイマジックのファンタジー作品を書く場合には、不思議なことが起こっているのにそれを不思議がらないのを徹底させるべきでしょう。
 また、その世界の時代設定をいつにするのか明確にした方がいいでしょう。
 合評会に依頼原稿の草稿を出すときには、原稿の条件(枚数、グレード、テーマ、題材など)を事前に明確にした方が、的確なアドバイスが得られます。
 作品に登場人物や動物などへの愛情が感じられると、読み味が良くなります。
 大人の視点で書いた作品でも、子どもの頃の回想シーンを子どもの視点で描けば、児童文学になるでしょう。
 また、二重視点の効果で、対象がより立体的にとらえられます。
 自分の体験だけを書いたのでは、よくあるエピソードでは、作品として弱くなります。三十年前には評価されていた児童文学のタブー(死、離婚、性など)を破った作品も、現代ではそれらが日常化しているので、新しい視点(たんに離婚だけでなくシングルマザーの問題を取り上げるなど)を取り入れないと古く感じられてしまいます。
 通信系の風俗はどんどん変わっているので、作品に取り入れるのは要注意です。
 たとえば現代の都会の小学生(特に高学年の女子)は、大半が携帯を持っていますが、それはすべてスマホに変わってしまうでしょう。
 また、公衆電話はひところはすっかり姿を消しましたが、震災時の携帯電話の脆弱性により、緊急時の通信手段として復活しつつあります。
 児童文学もやはり文学作品なので、基本的には文章や描写の美しさは、大きな魅力です。
 イメージが鮮明であれば、短い作品でも強く印象に残ります。
 また、短編ではラストがわかりやすいと、読んだ後の余韻が残ります。

児童文学の書き方
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ポプラ社


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創作と推敲

2018-05-21 17:21:42 | 考察
 創作において、作品を書き終わった時が完成ではありません。
 その時点では、作品はまだ第一校にすぎず、決定稿ではないからです。
 そこからの作業が推敲になるわけですが、私の所属している同人誌の同人の一人は、「第一校を書きあげてから百回は読み直す」と語っていました。
 すべての人にそこまでは求めませんが、自分が「これ以上直すところはない」と確信するまでは推敲をすべきでしょう。
 間違っても、合評会への作品提出締め切りぎりぎりに第一校を書きあげて、そのまま提出するようなことは戒めなければなりません。
 
文章添削の教科書
クリエーター情報なし
芸術新聞社



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児童文学とSF

2018-05-16 08:19:59 | 考察
 かつてSFは、児童文学の確固たるひとつのジャンルとして存在していました。
 しかし、今では、安直なファンタジーに市場を席巻されて、本格的なSFは児童文学から姿と消しました。
 その理由のひとつには、子ども読者の受容力の低下があるでしょう。
 現在の児童文学の読者には、科学的な裏付けをもったSFよりも、夢とロマンだけで紡がれているファンタジーの方が心地よいのです。
 それには、現在の児童文学の読者が、幼年を除くと圧倒的に女性が多いことも影響していると思われます。
 一方で、書き手側の問題もあります。
 本格的なSFを書くには、科学の勉強が必要ですし、資料を集める作業も欠かせません。
 それよりは、既存の世界観に寄りかかった安直なファンタジーを書き飛ばす方がはるかに楽なのです。
 こうして、書き手と読み手の双方の理由により、本格的なSFは児童文学の世界に生まれにくくなっています。

夏への扉 (ハヤカワ文庫SF)
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早川書房
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動物ファンタジーの動物たち

2018-05-15 08:34:06 | 考察
 児童文学のひとつのジャンルとして、動物ファンタジーがあります。
 動物を擬人化すると、人間を登場人物にするよりも、書き手としてはより自由度が得られ、子どもの読者の方は親しみやすいという利点があります。
 そのため、民話や神話の時代から、多くの動物ファンタジーが作られてきました。
 私自身も子どものころから動物ファンタジーが大好きで、特にケネス・グレーアムの「楽しい川辺(私が子どもの頃愛読していた講談社少年少女世界文学全集では「ヒキガエルの冒険」というタイトルで抄訳でした)」は、今でも最高傑作だと思っています。
 大学の児童文学研究会に入っていた1970年代半ばには、日本では斉藤惇夫の「冒険者たち」、そして海外ではリチャード・アダムスの「ウォーターシップダウンのうさぎたち」が出版され、研究会の友だちと三大動物ファンタジー・シリーズと呼んでいたマイケル・ボンドの「くまのパディントン」シリーズ、マージェリー・シャープの「ミス・ビアンカ」シリーズ、ジャン・ド・ブリュノフの「ぞうのババール」シリーズも次々に翻訳、刊行されていました。
 このように、動物ファンタジーには長い伝統があるのですが、そのために動物に固定イメージ(例えば、「キツネはずるい」、「犬は忠実」など)が出来上がっています。
 それらの固定観念をいかに覆して、新しい動物ファンタジーを生み出すかが、これからの作者の腕の見せ所です。

たのしい川べ (岩波少年文庫 (099))
クリエーター情報なし
岩波書店
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幼年童話の表記の方法

2018-05-14 08:27:56 | 考察
 一般に、幼稚園から小学校一年生ぐらいまで向けの幼年童話は、漢字がほとんど使えませんし、ルビもまだ難しいので、かなばかりになって読みにくくなることがあります。
 そのために、幼年童話独特の表記方法があります。
 それが、分かち書きです。
 文章を単語に分けて(助詞は前の単語にくっつけるのが一般的です)、少し離して記述します。
 分かち書きの代わりに、読点をやたら増やして記述している場合がありますが、あまり一般的ではありません。
 さらに、登場人物の名前や擬音、擬態語をカタカナ表記にするのも、読みやすくするために有効です。

幼い子の文学 (中公新書 (563))
クリエーター情報なし
中央公論新社
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調べた知識を作品へ反映させる

2018-05-06 08:53:41 | 考察
 書き手は、児童文学に様々な知識を持ち込みます。
 生物学、心理学、歴史学、文学、物理学、化学、数学、社会学、…。
 なんでも、作品に反映させること自体はOKです。
 その知識が、きちんとした裏付けがあって、書き手が自分の教養として消化されていれば、それが作品に反映されることは、読書の大きな楽しみになります。
 かつては、書き手たちは、本を購入したり図書館を渉猟したりしながら、膨大な時間をかけてそれらの知識を手に入れていました。
 しかし、今は違います。
 適当なキーワードで検索すれば、それらの知識はインターネットによって瞬時に手に入れられます。
 気をつけなければいけないことは、インターネットの情報は玉石混交であることです。
 そのため、作品(商業出版されていてもです)の中に、不確かな情報に基づいた「知識」がばらまかれています。
 インターネットだけに頼らすに、きちんと原典を取り寄せて、手間暇かけて調べてしっかり裏を取ることは、インターネットの時代でも変わらずに大切なことです。

インターネット (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店
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