とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

魔王の法話(1)

2018-02-24 14:23:07 | 文章・日本語・言葉
昨年、私の父が他界した。75歳であった。

この時、私が喪主をしたのであるが、通夜振る舞いの挨拶でした文章を挙げておく。

通常、通夜振る舞いの挨拶では、「故人を偲び、思い出を語らいながら食事頂ければと思います。」と言うような無難な挨拶をするのだが、その時、私が話した内容はそういう挨拶ではない。

一つは周囲の悲しみを和らげるように、一つは宗教的理解を進めることによってよりよく生きられるように、一つは故人の代弁をするために、そして最後は、これから我々はどう生きていくべきなのか、と言うことを話した。

ここにその当時で私が話した挨拶の全文を載せておきたい。
もし誰かがこの文章を見て、自分の気持ちを落ち着けたり、あるいは死に対する理解を深めたり、あるいはよりよく生きられる為の考察や理解を得られるような機会が用意できたのであれば、私としてはうれしい。

なお、その挨拶においては、参列頂いた方々への御礼を述べることをせずに、いきなり説話を話し出してしまった。この非礼を、参列頂いた方々に詫びなければならない。

なお、この話の元ネタは仏教でもキリスト教でもなく、ニューヨークで救命救急士をやっているマシュー・オライリーと言う方がTEDの公演で話していたことが元になっている。

マシュー・オライリー: 「私は死ぬのでしょうか?」真実を答える | TED Talk
https://www.ted.com/talks/matthew_o_reilly_am_i_dying_the_honest_answer/transcript?language=ja


それでは始める。

司会の方「それでは喪主様より通夜振る舞いのご挨拶をお願い致します。」

私が一礼して、一呼吸、一呼吸を起きながら、かなりゆっくりとした速さで話しを始めた。

「人は、死んでしまった後、何を思うのでしょうか。

 人が死ぬ直前に思うことには、いくつかの類型があると言います。
 一つは、自分が死んでしまったら、周囲の人の記憶から自分がなくなってしまうのではないか、と言う恐怖。
 次に、自分が悪いことをしてしまったのに、あの人にきちんと謝れなかった、と言う贖罪。
 三つ目は、自分の人生はどのような意味があったのだろうかという反駁。
 そして最後に、あの人は大丈夫だろうか、あの家庭はうまくやっているだろうか、と言う心配。

 この恐怖、贖罪、反駁、心配のいずれかを、人は死ぬ時に思うのだそうです。

 お坊さんもおっしゃっておられましたが、四十九日の法要までの期間においては、死者にとっての、極楽浄土に行くまでの修行の期間であると言います。

 すると、まだ父は、この辺りに漂っています。
 父が今、何を思っているのかは分かりません。

 しかし、今、修行のためにいる父に対して、もし、可能であれば、今ここにいる我々が、
 父のことをよく話して、記憶から忘れないようにし、
 そして、これも可能であればでのお願いですので、やらなくても全く構いませんが、
 故人がもし生前にしてしまった罪があり、それを許していただける部分があれば、それを許して頂きたいのです。
 そして、これもまた、我々の間でよく話をして、どういう意味があったのかということを確認し、
 そして、ここに今いる我々が、良く食べ、良く眠り、よくしゃべって、よく笑う、そうしたことを故人に見せて、「今ここにいる我々は心配ないんだ、大丈夫なんだ」と故人に見せ、健全で健康な生活を送ることによって故人を安心させる、そうしたことをすべきなのではないか、と私個人は思っております。

 この場にいる我々が、そうしたことができるのであれば、それが故人にとって、最大の供養になるのではないか、と考えております。

 この通夜を、その最初の日にできればと思っております。


このように「ありがとうございます」もなく、私の挨拶は唐突に始まって、唐突に終わった。

こうしたお話は基本的に忌避される。
現在の世の中は経済至上主義に傾いており、人の心情を勘案しない。
私がこういう考え方を捉えていると、「それが何の役に立つのか」と避難される。

しかし最終的に人は宗教や、死に対する自らの心のあり方というものに傾倒していく。
人と言うのは必ず死に、そして死と言う避けられない事項と言うのは、人生において最重要な課題であるからである。

昔、クシシュトフ・キェシロフスキが監督を勤めたポーランドのテレビドラマ「デカローグ」の第一話では、人はいかに物理を信奉しようとも、最後には宗教を信じざるを得ないという、人間にとっての宿命を、物語として上手くえぐり出した映像作品があった。

その時のテーマでは、物理対宗教(無神論的哲理的理解と宗教の対立構図)だったが、今昨今のテーマでは経済対宗教であろう。
今宗教を考えても、現代の社会通義的にそれは非難される。金にならないからだ。

しかし私はそれに反論したい。
こういう考え方は、金にならなくとも、いつかはきっと人の役に立つ。
上記に引用した、TED公演でプレゼンしたマシューオライリーもそういう考え方であったのだろう。
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4 コメント

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「いいね!」に近い賞賛 (トピルツィン)
2018-02-25 12:04:13
妙なタイトルですがご容赦を。
死について語りだすと、大変長くなってしまうので、
まずbooterさまの挨拶が純粋に「良かった」という気持ちをお伝えしたいと思います。

挨拶とは故人に語るものではなく、来席者の方に語りかけるものです。
言い換えれば、求められるのは「私にとって死はなんであるか」ではなく、
「私達(あなたがた)にとって死はなんであるか」ということになります。
booterさまの挨拶は、この辺の心情に対して実に細やかな配慮がなされているものだと感じました。
これは(2)の叔母様との会話にも現れていますね。

さて長い話。
死については実に難解です。
私達が確認できる範囲では、死後なんてものは存在しません。
しかし困ったことに、
人間というのは観測できる限りの死…消滅ということを受け入れることは、
なかなかできません。

(3)で日本の宗教への嫌悪感について触れられています。
が、同時に面倒事も持ってくる宗教という存在が、
人類が文明を築いて依頼、常に必要とされてきたというのもまた、
実に興味深いものです。

現代を生きる我々は、古代人が備えた「死への備え」を笑い飛ばすことが出来ます。
ミイラを作って死体の保存に徹したり、
あるいは「死後の世界で苦労しないように」と死人とともに埋葬される副葬品もまた、
笑うことができます。
「そんなことをしても、死後の世界に金をもっていくことができるだろうか」と。
そんな時代より、遥かに”洗練された”知識と技術を持つ現代において、
未だに死体の安置所である墓を必要とし、死人を送る祈り、
ないしは仏典の読み上げが行われるのはなんとも不思議なものです。

正直な所、「宗教は危ない」と言いながら
「故人を偲んで墓に行け。ご先祖様に恥ずかしくないのか」という現代は、
私のような人間には理解しがたい世界でもあります。
中国の「祖霊崇拝は宗教」と多くの本で書かれる一方で、
「先祖を大事にする日本の文化…」と記されるのですから、もうそういうものなのでしょうが。
booterさまは(3)にて「日本人は宗教の信仰心から一定の距離を置いている……」と
書いていらっしゃいますが、過去の歴史から考えると、
どうも日本には「ただの慣例、礼儀や行事(と呼ばれる”良い宗教”)」と
「神とかいう危険な存在を信じて、人を殺したりする(悪い)宗教」が存在しているようです。

ーーー長い具体例ーーー
私が周りの人間に「実際の所、神や仏を信じているのか」と聞けば、
たいていの人間は「そんなもの信じていない」と答えます。
なのに「神社にお参りに行くか」と「初詣に行くし、厄年にも行く」などと答えるものです。
「神を信じないのに、神社に行くのか」と問えば
「神社に行くのは日本人にとって普通の、単なる”習慣”だ! あれは”宗教”ではない!」と、
不思議な回答が返ってきます。
さらに「ところで、神社に行ったらなにをするのか」と聞けば
「もちろん、入り口では水で手と口を”清め”、本殿の前で(神に対して)お辞儀をし、お賽銭を入れ、おみくじ(御神籤)を引くのだ」と言ってくるのだから、
どんどん分からなくなってきます。
終いには「神社は宗教施設だろう。ならそこにお参りするのは宗教行事で、そこで行うことも、あなたが神を信じているからするのではないのか」と聞けば
「神社が宗教施設であっても、そこに行くのは宗教行事ではない。手と口を清めるのも、お賽銭を入れるのもそれが”作法”だからだ。
おみくじに一喜一憂するのも、”文化”として当然のことだ。そんなことで宗教だのなんだの言うのは、どうかしている」という話になるのですから、なんとも。
まぁ一個人にここまで徹底して聞く機会はないですが、断片的に聞いたものをまとめれば上のようになります。
誰一人、神社に行くことが宗教的だと認める人はいませんでしたし、神を信じなくとも、お賽銭を入れておみくじを引くのだそうです。
ちなみに私は神を信じて神社に行き、(神に対して)失礼のないように手と口を清め、(神を信じて)お賽銭を入れます。おみくじはあまり引きません。
ーーー長い具体例おわりーーー

ーーー長い具体例(2)ーーー
これは、明治時代に政府が神道(と天皇)を持ち上げるために行った”例外措置”の名残りのようです。
当時の政府も政教分離を掲げてますから、おおっぴらに神社に行き、神(特に天皇の先祖であるところの神)を崇めよとは言えません。
だから、徹底して「神社に行くことは宗教的でない。神社に行き、(神に対して)おじぎをすることもまた、宗教的ではない。
あれは日本の”古くから伝わる文化”だ。だから、神社に行くことを国家が奨励してもかまわない」と主張しました。
こうして、神道の非宗教化には成功し、また国家にとって都合の悪い”宗教”、つまりキリスト教の排除に成功しました。
…残念ながら、国家が保護する気のなかった仏教は自動的に”(悪い)宗教”となり、多くの仏像が国家の指導の元に破壊され、
”古くから伝わる文化”の一端、あるいはその多くは失われたようですが…
詳しくは『神々の明治維新』や『廃仏毀釈百年』などの本にてご確認ください。
ーーー長い具体例(2)おわりーーー

……本当に長い話をしてすみません。
宗教行事の話になると、こういう歴史的経緯が頭の大部分を占めてしまうのです。
だからbooterさまがしたような、人間としての細やかな配慮などは私はとうていできないでしょう。
なので、改めまして。
booterさまの挨拶は、
人間としての心情に対して実に細やかな配慮がなされていて、とても良いものだと感じました。
返信する
Unknown (booter)
2018-02-25 12:41:56
コメントありがとうございます。

日本人の言う宗教とは、辞書的な意味と社会語用的な意味で2つに分かれていると思うのですよね。

辞書では「神・仏などの超越的存在や、聖なるものにかかわる人間の営み。」とか書かれるかもしれません。
これを私なりに実際に社会形態として表れている実態を社会語用的分かりやすく言えば「人間とは理論的理解よりも超越性を信奉する習性がある。それが自発的な心理によって信仰したり、あるいはそれが発展して組織集団的に体系化したのが宗教」と言うことになるかと考えています。

上記の解釈を整理しますと、宗教は二段階に分かれます。
1.人間個人が自発的に超越性を信奉する。
2.それを組織集団が明文化して体系化する。

世界の宗教は1と2が混在していますが、日本人は1のみを大切にし、2には踏み込まないように注意している側面があるように思われます。

宗教の明文化と独自解釈の発展とは、それは社会の破壊へ回帰してしまうからです。

よって、日本人は「宗教を信じていないが、宗教を信じている」と言う矛盾した表現になっていますが、言い換えれば「自然自発的な信奉はするが、しかし成文化したロジックの中での組織集団としての危険性には踏み込まない」と言うのが理解としてスマートなものになるのではないでしょうか。
返信する
Unknown (booter)
2018-02-26 01:13:51
余談ですが、キューブラー・ロスが、死の受容のプロセスと言う精神的側面を科学的に分析したようです。

今回のお話とは別方向のお話ですが、ご参考まで。
返信する
妻を亡くした夫の第一声 (Simone Dalenandeur=Tadhaisky)
2020-03-04 00:44:06
妻を亡くした夫の第一声、つまり、シモーネが母を亡くした時にシモーネの父が発した第一声ですが、それは、「酒屋に電話をしてビールを頼まなきゃな。1ケースでは足りないだろうか、2ケース頼んでおいた方がいいだろうか」でした。

妻を亡くした夫の第一声が「酒屋に電話でビールを頼もう」でシモーネは唖然とさせられましたが、シモーネの父の血統を思うと、さもありなん、と思われました。

実際、ウラジオストクからやって来た父の親族は、来日して浅草のアパートに到着するや否やウォツッカの栓をひねりグビグビと呷り、体にアルコールを染み渡らせてから父の頼んだビールを舐め始めました。ウラジオストクからやって来た父の親族たちは母の生きざまなどよく知りはしないはずだと思うのですが、皆口々に、「この若さで逝って悔しいものだ、本当にいい人だったのに」と言いました。

母方の祖先はロシア系ドイツ人で群馬県の富岡製糸場に携わったそうですが、その子孫が東京都内某赤門近くの三原屋洋菓子店の主人をしていて、それがシモーネの母の叔父にあたる人物でした。シモーネからすると大叔父に当たる人物です。

その大叔父は、父方と共に同じロシア系であるにも関わらず、ウォッカを呷ってビールを舐めている伯父を始めとする父方の親族に向かって恨めし気な視線を投げ、「人が死んだって時にどうしたって酒を飲んでるんだ」と憤っていました。その妻である義大叔母が、「地方や家庭によって風習が違うんだから余計な事は口になさいませんで」と仰っていました。

あれから半世紀、三原屋洋菓子店の義大叔母が息を引き取ったのは一昨年の事です。私に良くして下さった義大叔母でしたので死の間際に駆け付けたのですが、臨終に立ち会う事は叶いませんでした。

三原屋洋菓子店の主人たる大叔父は義大叔母の臨終の病院から老人ホームに戻りましたが、シモーネと残されたご遺族は赤門近くに戻ってメキシコ料理店の飲み放題に行きました。故人となった義大叔母を偲びながら。大叔父もホームの世話になっていなければ、お酒を召して悲しさを癒したのではないでしょうか。

そういう義大叔母の骨を食みました。

ウラジオストクの父方の親族が浅草のアパートで夜な夜な酒を飲んで故人を偲んでいた時、酒の飲めないウラジオストクの伯母たちが、血の繋がらないシモーネの母の棺の傍らで、線香の火が絶えぬ様、寝ずの番をしてくれました。

シモーネは私の目の前で母が倒れた時から、母の死を覚悟しました。病院で母に付き添う父、妹のホモーネと夜通し泣いていたのを覚えています。しかし、その後は泣かないと決心し、母の臨終までの72時間、ただひたすら、人の命の絶える瞬間、つまり母の臨終にだけは立ち会いたいと望み時間を過ごしました。

母の通夜葬式、数百の参列者の中に懐かしい顔を見つけては、顔を綻ばせて会釈をするシモーネのあの時の感情が今になっては痛々しいです。

母を亡くして半年ほど経ったある時、ウラジオストクの親戚が「本当は泣きたいんだろう!?」とシモーネを強く抱きしめてくれた時は流石に泣かずにはいられなかったシモーネですが、その親戚も少し憑りつかれたような人になって、そろそろ、四十九日の忌を迎えます。親戚からは鼻つまみ者でしたが、あの憑りつかれたような人だからこそ、私を泣かすことが出来たのだと思いました。最期は妻子からも距離を置かれ哀れに逝ったそうですが、仏前になにがしかと、資生堂の焼き菓子を送りました。

故人が資生堂の焼き菓子を気に入るとも思いませんが、遺された妻子の何かしらの慰めになればと。
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