まずは実例から。
綺麗:
汚い:
ではこの両者は何が違うのか? 整理する。
1.衣装
これが本当にもう大前提。
スカートは基本的に普通に佇んでいることで美しく見えるように設計されている。
股を開くことでは美しく見られない。
ではなぜヨルの方は美しく見えるのかというと、
・シワがスカートに寄ってない(あれば汚く見えた)
・スカートの裏地が見えてない(ヨルの画像で見えているのは見せるための裏地。本来の見せない裏地が見えれば汚く見えた)
と言う形だろう。
またそもそもが、制服スカートのデザインそのものがパーティードレスに負けると言う点もある。
おそらくつきつめれば生地も悪いように思う。
実写化すれば光沢感は段違いだが、ここではそれがポイントではなく、問題はシワのよれやすさ、と言うことになる。
2.見ているこちらが必要とするリアクションの有無の煩雑さ
この分類での結論を言えば、ヨル→リアクションが必要ない、suzuka→何らかの感想が必要、と言う形で煩雑さの有無が異なる。
つまりヨルの画像を見ても「美しいね」「あ、太ももも見えとるわ」「でもええか」で収まるのに対し、suzukaの方は最初に話題にしなければいけないのが太ももなので「太ももが・・・」から入らなければいけないので面倒なのだ。必ずこの奇妙なふとももに言及しなければならないという面倒さ加減がある。
更に面倒さ加減を出しているのが独自の奇妙なポーズと衣装とダンスが奇妙であって、しかも笑えるポイントと言うものがほとんどないので、コメントにかなり困る。
3.顔の美醜
最早要素としてはほぼ関係はないのだが、しかしこれはかなり作用する。
と言うのも顔を入れ替えると印象が異なるため。
また顔の角度も、suzukaの方には不自然に変化があるのがNGさ加減を付与している。
私は昔から疑問なのですが、なんで最近の女性はあのデカいメガネをかけるんでしょうね?
2012年くらいだと揶揄の対象になっていて、デカいメガネをかけて来た人は裏で笑われていたと言うのに(私の近辺で実例あり)。
なんで大村崑だとか思わないの?
と言うより、この子は不細工さ加減を前面に出すためにあえてそうしたのではないかと聞いた。
(元はこのグループで一番美人)。
4.衣服の動き
必要があって必要最小限にそれているというのと、必要がないのにわざわざ汚くまくりあげていると言う点が異なる。
また、衣服がきっちり美しい動作をしているのであれば美醜もまた異なった結果になった。
5.必要であるかどうか。
実際の動作として、必要があるモーションに伴った開脚と太もも内側を見せる結果となったのか、それとも「開脚と太もも内側を見せる」そのものが目的となって、それがメインで映し出されたのかで異なる。
要はヨルの方は必要な動作と言う第一義があってこのポーズ(第二義)になったが、suzukaの場合はそもそもこのポーズを取る必然性がない。
格闘技と言う機能があって、更にそこに付随した恥じらいのある機能美があるというのであればまだしも、最初からエロティシズムを前面に押し出したものには違いがある。
付随したもの(資格表現テーマの第二義的なもの)であれば、いくらか瑕疵があっても美としてとらえられる。
一方、最初からの前面に押し出したもの(資格表現テーマの第一義的なもの)は、前面に押し出すくらいなら最初から完璧なものをやれよというハードルが上がる。
最初からエロティシズムを前面に押し出したものであっても、それが美しければ問題ないが、瑕疵があると批判を浴びる。
6.ポーズ
ヨルの場合はギリシャ彫刻のようにポーズが美しいが、suzukaの場合はアジアの奇妙なポーズとなっていて美的感覚を感じさせない。
7.業界ごとの限界
ゲーム・アニメ・映画業界は、映像的美的センスにこだわるコンシューマーが多く、口うるさく言われる分、レベルの高い作品を出さなければいけない。必然としてそこにある人物ポーズは美的概念に十分耐えられる。そもそも世界市場ありきで売っているのでレベルが高くないといけない。
歴史に通底するレベルでの創作を行わなければならないので、2・3年後にもこの映像は良いものとして普通に見られている。
一方、日本の芸能界はまずテレビ業界と言う日本大衆のレベルに併せたことをするので、つまりは奇妙であっても、日本の中でのその瞬間最大風速が上限値に高ければいいという発想でやっているため、こうした奇妙なポーズになる。いやジョジョでもこういうポーズやってますが、そういう路線で売り出したいのであれば服装は和装orスカートをしだれにするとか色々やってもいいんじゃないですかね・・・。
1年売れれば良いと言う発想でやっているので、2・3年後にもこの映像は普通に忘れられている。
ちなみに日本の芸能界と書いたが、テレビ関係の芸能関係はどこも同じような感じではある(アセレヘ・ダンスがこれ)。
8.態度が真剣or舐めてる
紅白まで出たsuzukaさんが、舐めた態度な訳がないのだが、しかし一方において、世間社会をやや斜めの角度で僅かに揶揄しているという斜に構えた態度で歌を歌っていると言うスタイルを演出しているのは間違いない。
一方、格闘に臨んでいるヨルの方は真剣そのものだ。
余談であるが、2023年の紅白歌合戦において新しい学校のリーダーズが出た時に、太ももの片方だけ出したらしいが、まあNHKと日本芸能界らしいっちゃあらしかった。
太ももだとまずいというので、片方だけ出すと言うギリギリの調整を行ったんでしょう?
でもうちらが見たいのはそういうんじゃないんだよ。押し付けの奇妙さじゃあなくて、内発で素晴らしさを感じられるものを見たいんだよ。
視覚的に見ていて感覚的昇華のある素晴らしいものを見たい、それは奇妙さでもなく、調整された奇妙さでもない。
それはテレビのブラウン管の向こう側の出来事なのであって、言わば内輪の出来事でしょう?
本質的な意味合いからしてそれはテレビの内容の素晴らしさではないのだ。
綺麗:
汚い:
ではこの両者は何が違うのか? 整理する。
1.衣装
これが本当にもう大前提。
スカートは基本的に普通に佇んでいることで美しく見えるように設計されている。
股を開くことでは美しく見られない。
ではなぜヨルの方は美しく見えるのかというと、
・シワがスカートに寄ってない(あれば汚く見えた)
・スカートの裏地が見えてない(ヨルの画像で見えているのは見せるための裏地。本来の見せない裏地が見えれば汚く見えた)
と言う形だろう。
またそもそもが、制服スカートのデザインそのものがパーティードレスに負けると言う点もある。
おそらくつきつめれば生地も悪いように思う。
実写化すれば光沢感は段違いだが、ここではそれがポイントではなく、問題はシワのよれやすさ、と言うことになる。
2.見ているこちらが必要とするリアクションの有無の煩雑さ
この分類での結論を言えば、ヨル→リアクションが必要ない、suzuka→何らかの感想が必要、と言う形で煩雑さの有無が異なる。
つまりヨルの画像を見ても「美しいね」「あ、太ももも見えとるわ」「でもええか」で収まるのに対し、suzukaの方は最初に話題にしなければいけないのが太ももなので「太ももが・・・」から入らなければいけないので面倒なのだ。必ずこの奇妙なふとももに言及しなければならないという面倒さ加減がある。
更に面倒さ加減を出しているのが独自の奇妙なポーズと衣装とダンスが奇妙であって、しかも笑えるポイントと言うものがほとんどないので、コメントにかなり困る。
3.顔の美醜
最早要素としてはほぼ関係はないのだが、しかしこれはかなり作用する。
と言うのも顔を入れ替えると印象が異なるため。
また顔の角度も、suzukaの方には不自然に変化があるのがNGさ加減を付与している。
私は昔から疑問なのですが、なんで最近の女性はあのデカいメガネをかけるんでしょうね?
2012年くらいだと揶揄の対象になっていて、デカいメガネをかけて来た人は裏で笑われていたと言うのに(私の近辺で実例あり)。
なんで大村崑だとか思わないの?
と言うより、この子は不細工さ加減を前面に出すためにあえてそうしたのではないかと聞いた。
(元はこのグループで一番美人)。
4.衣服の動き
必要があって必要最小限にそれているというのと、必要がないのにわざわざ汚くまくりあげていると言う点が異なる。
また、衣服がきっちり美しい動作をしているのであれば美醜もまた異なった結果になった。
5.必要であるかどうか。
実際の動作として、必要があるモーションに伴った開脚と太もも内側を見せる結果となったのか、それとも「開脚と太もも内側を見せる」そのものが目的となって、それがメインで映し出されたのかで異なる。
要はヨルの方は必要な動作と言う第一義があってこのポーズ(第二義)になったが、suzukaの場合はそもそもこのポーズを取る必然性がない。
格闘技と言う機能があって、更にそこに付随した恥じらいのある機能美があるというのであればまだしも、最初からエロティシズムを前面に押し出したものには違いがある。
付随したもの(資格表現テーマの第二義的なもの)であれば、いくらか瑕疵があっても美としてとらえられる。
一方、最初からの前面に押し出したもの(資格表現テーマの第一義的なもの)は、前面に押し出すくらいなら最初から完璧なものをやれよというハードルが上がる。
最初からエロティシズムを前面に押し出したものであっても、それが美しければ問題ないが、瑕疵があると批判を浴びる。
6.ポーズ
ヨルの場合はギリシャ彫刻のようにポーズが美しいが、suzukaの場合はアジアの奇妙なポーズとなっていて美的感覚を感じさせない。
7.業界ごとの限界
ゲーム・アニメ・映画業界は、映像的美的センスにこだわるコンシューマーが多く、口うるさく言われる分、レベルの高い作品を出さなければいけない。必然としてそこにある人物ポーズは美的概念に十分耐えられる。そもそも世界市場ありきで売っているのでレベルが高くないといけない。
歴史に通底するレベルでの創作を行わなければならないので、2・3年後にもこの映像は良いものとして普通に見られている。
一方、日本の芸能界はまずテレビ業界と言う日本大衆のレベルに併せたことをするので、つまりは奇妙であっても、日本の中でのその瞬間最大風速が上限値に高ければいいという発想でやっているため、こうした奇妙なポーズになる。いやジョジョでもこういうポーズやってますが、そういう路線で売り出したいのであれば服装は和装orスカートをしだれにするとか色々やってもいいんじゃないですかね・・・。
1年売れれば良いと言う発想でやっているので、2・3年後にもこの映像は普通に忘れられている。
ちなみに日本の芸能界と書いたが、テレビ関係の芸能関係はどこも同じような感じではある(アセレヘ・ダンスがこれ)。
8.態度が真剣or舐めてる
紅白まで出たsuzukaさんが、舐めた態度な訳がないのだが、しかし一方において、世間社会をやや斜めの角度で僅かに揶揄しているという斜に構えた態度で歌を歌っていると言うスタイルを演出しているのは間違いない。
一方、格闘に臨んでいるヨルの方は真剣そのものだ。
余談であるが、2023年の紅白歌合戦において新しい学校のリーダーズが出た時に、太ももの片方だけ出したらしいが、まあNHKと日本芸能界らしいっちゃあらしかった。
太ももだとまずいというので、片方だけ出すと言うギリギリの調整を行ったんでしょう?
でもうちらが見たいのはそういうんじゃないんだよ。押し付けの奇妙さじゃあなくて、内発で素晴らしさを感じられるものを見たいんだよ。
視覚的に見ていて感覚的昇華のある素晴らしいものを見たい、それは奇妙さでもなく、調整された奇妙さでもない。
それはテレビのブラウン管の向こう側の出来事なのであって、言わば内輪の出来事でしょう?
本質的な意味合いからしてそれはテレビの内容の素晴らしさではないのだ。