とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

綺麗な太もも開脚と汚い太もも開脚の分析

2024-03-18 23:56:32 | 映像作品
まずは実例から。

綺麗:




汚い:


ではこの両者は何が違うのか? 整理する。

1.衣装
 これが本当にもう大前提。
 スカートは基本的に普通に佇んでいることで美しく見えるように設計されている。
 股を開くことでは美しく見られない。
 ではなぜヨルの方は美しく見えるのかというと、
 ・シワがスカートに寄ってない(あれば汚く見えた)
 ・スカートの裏地が見えてない(ヨルの画像で見えているのは見せるための裏地。本来の見せない裏地が見えれば汚く見えた)
 と言う形だろう。
 またそもそもが、制服スカートのデザインそのものがパーティードレスに負けると言う点もある。
 おそらくつきつめれば生地も悪いように思う。
 実写化すれば光沢感は段違いだが、ここではそれがポイントではなく、問題はシワのよれやすさ、と言うことになる。

2.見ているこちらが必要とするリアクションの有無の煩雑さ
 この分類での結論を言えば、ヨル→リアクションが必要ない、suzuka→何らかの感想が必要、と言う形で煩雑さの有無が異なる。
 つまりヨルの画像を見ても「美しいね」「あ、太ももも見えとるわ」「でもええか」で収まるのに対し、suzukaの方は最初に話題にしなければいけないのが太ももなので「太ももが・・・」から入らなければいけないので面倒なのだ。必ずこの奇妙なふとももに言及しなければならないという面倒さ加減がある。
 更に面倒さ加減を出しているのが独自の奇妙なポーズと衣装とダンスが奇妙であって、しかも笑えるポイントと言うものがほとんどないので、コメントにかなり困る。


3.顔の美醜
 最早要素としてはほぼ関係はないのだが、しかしこれはかなり作用する。
 と言うのも顔を入れ替えると印象が異なるため。
 また顔の角度も、suzukaの方には不自然に変化があるのがNGさ加減を付与している。
 私は昔から疑問なのですが、なんで最近の女性はあのデカいメガネをかけるんでしょうね? 
 2012年くらいだと揶揄の対象になっていて、デカいメガネをかけて来た人は裏で笑われていたと言うのに(私の近辺で実例あり)。
 なんで大村崑だとか思わないの? 
 と言うより、この子は不細工さ加減を前面に出すためにあえてそうしたのではないかと聞いた。
 (元はこのグループで一番美人)。

4.衣服の動き
 必要があって必要最小限にそれているというのと、必要がないのにわざわざ汚くまくりあげていると言う点が異なる。
 また、衣服がきっちり美しい動作をしているのであれば美醜もまた異なった結果になった。

5.必要であるかどうか。
 実際の動作として、必要があるモーションに伴った開脚と太もも内側を見せる結果となったのか、それとも「開脚と太もも内側を見せる」そのものが目的となって、それがメインで映し出されたのかで異なる。
 要はヨルの方は必要な動作と言う第一義があってこのポーズ(第二義)になったが、suzukaの場合はそもそもこのポーズを取る必然性がない。

 格闘技と言う機能があって、更にそこに付随した恥じらいのある機能美があるというのであればまだしも、最初からエロティシズムを前面に押し出したものには違いがある。
 付随したもの(資格表現テーマの第二義的なもの)であれば、いくらか瑕疵があっても美としてとらえられる。
 一方、最初からの前面に押し出したもの(資格表現テーマの第一義的なもの)は、前面に押し出すくらいなら最初から完璧なものをやれよというハードルが上がる。
 最初からエロティシズムを前面に押し出したものであっても、それが美しければ問題ないが、瑕疵があると批判を浴びる。

6.ポーズ
 ヨルの場合はギリシャ彫刻のようにポーズが美しいが、suzukaの場合はアジアの奇妙なポーズとなっていて美的感覚を感じさせない。

7.業界ごとの限界
 ゲーム・アニメ・映画業界は、映像的美的センスにこだわるコンシューマーが多く、口うるさく言われる分、レベルの高い作品を出さなければいけない。必然としてそこにある人物ポーズは美的概念に十分耐えられる。そもそも世界市場ありきで売っているのでレベルが高くないといけない。
 歴史に通底するレベルでの創作を行わなければならないので、2・3年後にもこの映像は良いものとして普通に見られている。

 一方、日本の芸能界はまずテレビ業界と言う日本大衆のレベルに併せたことをするので、つまりは奇妙であっても、日本の中でのその瞬間最大風速が上限値に高ければいいという発想でやっているため、こうした奇妙なポーズになる。いやジョジョでもこういうポーズやってますが、そういう路線で売り出したいのであれば服装は和装orスカートをしだれにするとか色々やってもいいんじゃないですかね・・・。
 1年売れれば良いと言う発想でやっているので、2・3年後にもこの映像は普通に忘れられている。
 ちなみに日本の芸能界と書いたが、テレビ関係の芸能関係はどこも同じような感じではある(アセレヘ・ダンスがこれ)。

8.態度が真剣or舐めてる
 紅白まで出たsuzukaさんが、舐めた態度な訳がないのだが、しかし一方において、世間社会をやや斜めの角度で僅かに揶揄しているという斜に構えた態度で歌を歌っていると言うスタイルを演出しているのは間違いない。
 一方、格闘に臨んでいるヨルの方は真剣そのものだ。


余談であるが、2023年の紅白歌合戦において新しい学校のリーダーズが出た時に、太ももの片方だけ出したらしいが、まあNHKと日本芸能界らしいっちゃあらしかった。
太ももだとまずいというので、片方だけ出すと言うギリギリの調整を行ったんでしょう? 
でもうちらが見たいのはそういうんじゃないんだよ。押し付けの奇妙さじゃあなくて、内発で素晴らしさを感じられるものを見たいんだよ。
視覚的に見ていて感覚的昇華のある素晴らしいものを見たい、それは奇妙さでもなく、調整された奇妙さでもない。
それはテレビのブラウン管の向こう側の出来事なのであって、言わば内輪の出来事でしょう? 
本質的な意味合いからしてそれはテレビの内容の素晴らしさではないのだ。
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「不倫は文化」を丁寧に文章化する試み

2024-03-18 23:52:21 | 文章・日本語・言葉

石田純一「不倫は文化」炎上 本当は言ってなかった - 芸能 : 日刊スポーツ
2019年3月11日12時0分
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201903100000259.html

実は当日の石田は「不倫は文化」という言葉は発していない。「1人だけ残った女性記者が『不倫とかって許されると思うんですか!?』って聞いてきた。『あなたはあなたのお考えだと思うけど、そういうものが世の中の歴史上にも、いろいろずっとある。そういうことを全否定したら、芸術も全否定になっちゃいますよ』と、言いました」。


と言うことで。

1.仮に「不倫は文化」と言う言葉があったとしたらそれはどういう意味なのか。

 丁寧に書く。
 「文化は行動様式としての総体系である。社会慣習としても認識され、そしてそれは民俗史において我々の生活の中でも是認されてきた。なので、当方石田純一としましても、自分のやったことは社会的に是認されるべきである」

2.実際はどうだったのか。
 政略結婚が華やかりしヨーロッパでは、女性から見れば、自分の内発的感情の発露としての恋は無視され、親や社会の都合に併せて自分の結婚相手は選ばれ、そしてその相手があてがわれてきた。
 そうした時、自分の内発的感情の発露としての恋はどうなるかというと、必然的に不倫になる。と言うのが不倫である。
 この場合の「純愛としての不倫」と言うのは、社会的抑圧からなる個人の自由の制限・束縛からの解放と言う意味合いがあるのだが、石田のそれは単なる放埒である。

 また、やはり何人の女性にも手を出すというのが男の性ではあるが、そこで語られる人間の本能行動と言うものには、一般的に純真な心理と言うものは語られない(ギリで光源氏が該当)。
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m.o.v.e / Gamble Rumble について

2024-03-18 23:14:19 | 雑感


私はこの歌が好きで嫌いだ。
これを整理していく。

1.好き

私は元々音楽の嗜好がユーロビートに親和性がある。
なのでこの歌のメロディーは好きだ。

2.嫌い

これは賭けを推奨する歌だ。
勝負の駆け引きと華やかな勝利を表現している。
しかしこの歌の通りに賭けをする場合は大敗を喫する。それではいけない。
本来はもっと計画的に、数字を元に判断し、そして徐々に投資をしていくべきなのである。
また、賭けと言うのはハウスエッジが存在する以上、胴元のみが安定して儲かるシステムなので、この曲はこの点で個人的主観に置いて忌避・倦厭せざるを得ない。
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西原理恵子さん関係

2024-03-18 05:42:24 | 雑感
 
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直近の卑近における進学での2つのはなし

2024-03-18 02:47:53 | 最近の出来事
少しここに書いておく。
「〇〇大に行きたい」と言った子がいて、それに対する間接的な私の対応である。

1.
どうも私の甥が「ハーバード大に行きたい」と言ったらしい。
それで私の母が笑ったと言う。
それは世間を良く知らない子がよく分からないままに子供らしい意見を言って、それを子供をなだめるように笑ったようだ。

私は反論した。「それは笑ってすますことではなくて、真剣に考えるべきことだ」「おかんは笑ったかもしれないが、自分は笑わない」と。
そもそも私の母はそうしたことに真剣に向き合わず、子供は子供らしくあればいいのよーと言う形でやっていて、その癖支配欲は人一倍強くて我々兄弟はその縛り付けに辟易していた。
この考え方であればどうやっても折角高い志があっても、地方高卒で終わるじゃないか、私は甥の将来を閉ざすこの狭い考え方に怒りを憶えた。いや、狭い考え方だけだったらまだいい。だが、その「地方高卒で、できれば有名私立で」みたいな感じの小さく収まるような考えで支配を続けるこのやり方が気に食わない。

無論学校の成績が悪かった私が言える権利がない。
しかしじゃあ母に完全に縛り付けて自分のコントロール配下に置こうとしたその教育思想に瑕疵が無かったかというとそうではなく、むしろこれは排除すべき要素であった。

ホップステップジャンプをしなければいけない時に、そのホップで出鼻をくじいておきながらジャンプができなければ後で熾烈な文句を言う。これが不快でなくて何と言うのだ。
我々大人が子供の未来を狭めていい訳がないのだ。

東大博士課程2年の人に何人かお会いしたが、皆見た目は全然普通の人だった(中身はかなり優秀だと思うが)。つまりは普通の人間がそれなりに正しい環境でしっかりと勉強したらそうなる、と言う過程が見て取れるのが私のお会いした感想だったが、そうした道があるのだ。
この母の下でそうした考えに染まってしまっては、せっかくの大樹が日陰で小さく成長する木になってしまう。そうであってはならない。
今思い出してもかなり不快だ。

無論ハーバードは現実的路線ではない。金がかかるし、中の勉強が大変だと評判だ。
あと私が考えるに甥っ子は比較対象として、イェール、オクスフォード、カリフォルニア工科、MITなどは全然検討してないと思う。よく調べることが必要であるが、それをしていないのであれば、単にテレビなどで見知った単語を発しただけなのだろう、と。
なので、日本の良い国公立を選ぶのが現実的選択肢となる。
では、そうすべきかどうか、と言うのをその子に教える必要があるし、もしそれでもどうにかしてアメリカの大学に行きたいと言うのであれば、英語の勉強の必要性と、実際に英語を使う職場への職場見学をして、その子の支援をすればいい。
そうせぬ人間に教育がなんだ進路がなんだと全てを差配する立場にいて良い訳がないのである。

2.
上記とは別に、私がいるコミュニティーに東大に入りたいと言う高校生がいて、その子には可能性がある。
なので、皆その後押しをしている。
逆にコミュニティーに来すぎなので勉強しているのかどうか不安になったが、私が聞くに、他のメンバーが口を酸っぱくして来る頻度についての注意をしているとのことでここはひとまず安心した。
私からは別口での参考ヒントを貰えるような人に会える入り口の紹介をした。
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