とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

哲理から見る新自由主義の否定

2024-03-14 23:52:11 | 哲学・社会
「永遠に競争し続けなければいけない」「中高年になっても若い世代に負けないくらいに勉強をしなければならない」と言う新自由主義を哲理の観点から否定する。

尚、前段として書いておくのだが、私は生涯学習を否定しない。むしろ推奨する。
ただ、問題なのはその量が基本的に加齢につれて衰えていくので、死ぬまで勉強をやめないにしても、その量を詰め込む量には限度があり、それを超える強制は適切ではなし、健全でもないので、人間の型にしっかりとあった学習をしていきましょう、と言うことになる。

今の新自由主義は生涯学習を推奨し、それはどの世代も均等に新しい社会の形成に寄与するようにその生涯学習の推進を強制する。

しかし人間の学習には速度と容積がその生きる年代によって違うのだ。
幼少期から高校生くらいまではダンプくらいの容量と鉄道くらいのスピードで学習できる。
一方、老齢になると軽トラどころか大八車や猫車くらいになるのだ。

ただその運び先が問題で、人によっては倉庫だったり、図書館だったり、あるいはタンカーだったりする。
本来はその倉庫や図書館やタンカーなど、小回りが利かないものの、別の用途で実用的な用途に使用すべきだ。

本来我々は社会に生かされているものの、それは我々が生きづらいがためにその生きづらさを緩和するために集合して働いているのであって、社会発展のために自己を犠牲にするのでは本末転倒である。

おおよその人間がそれなりに幸せになるような社会を構築すべきではないだろうか。
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競争が好きであり、競争が嫌いであるという人間の本源的習性

2024-03-14 01:12:42 | 哲学・社会
競争が好きであるという人間の本源的習性によって現代社会は繁栄を迎えている。

一方において、人間は競争が嫌いであるという人間の本源的習性も存在するので、人間は競争で走った後に、総合的に疲れている。
カジノで脳内麻薬ドバドバになって賭け続けているジャンキーのようなものだ。

これは人間の本源的営為として健全ではない。
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