とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

グーグル日本元社長「日本からGAFAは生まれない」

2022-02-11 20:26:25 | IT・ビッグデータ・新技術

グーグル日本元社長「日本からGAFAは生まれない」
「GAFAはインフラ、警戒しながらうまく使え」
2022/02/10 6:00
https://toyokeizai.net/articles/-/508797

GAFAの強さの秘密を明かし、その危険性を警告した書籍『the four GAFA 四騎士が創り変えた世界』は日本だけで15万部のベストセラーになり、「読者が選ぶビジネス書グランプリ2019 総合第1位」「ビジネス書大賞2019 読者賞」の2冠を達成、日本にGAFAという言葉を定着させた。
その著者スコット・ギャロウェイ教授の最新作『GAFA next stage 四騎士+Xの次なる支配戦略』が刊行され、発売3日で6万部のベストセラーになっている。本書では、コロナ禍でますます肥大化したGAFAとこの4社に匹敵する権威を持つようになる「+X」の巨大テック企業が再び、世界をどのように創り変えていくかを予言している。
本稿ではグーグル日本法人元社長の辻野晃一郎氏に、「なぜ日本からGAFA+Xが生まれないのか」を聞いた。
不可逆的変化の時代

民主主義や資本主義など、比較的良い仕組みであろうと考えられ、世界の発展のベースにもなってきたものが、いま瓦解しつつあるという危機意識が、世界共通の認識として高まっています。

スコット・ギャロウェイ氏は、『GAFA next stage』の中で、巨大プラットフォーマーや一部の超富裕層の存在が、政治や世の中をどう歪めているのかという点にフォーカスを当て、コロナとも絡めて、現状を整理し、かなり網羅的に書いています。

内容はアメリカの話ですが、日本も似た状況と言えます。特に、政治に対する信頼は地に堕ちています。長期政権の結果、官邸の独断で縁故主義に基づいた悪しきルールブレイクが行われ、森友問題をはじめ、多くの未解決事件が棚上げになっています。コロナ対策も後手後手の対応が目立ちます。

ところが、日本人は、政治に対してなんとなくの現状維持派が多いのか、あきらめているのか、それとも無関心な人が多いのか、先の衆院選の投票率は、史上3番目の低さでした。アメリカ人は、社会問題や政治問題を自分事として考える人が多いのですが、日本人は、どこか他人事で受け身、あまり深く掘り下げて考えようとしません。

今は、不可逆的な変化が続いている時代です。インターネット以前なら10年かけて起きていた変化が1年で起きるようになりました。ギャロウェイ氏も、コロナ禍で変化のスピードがさらに加速して、数年かかる変化が数日~数カ月で起きたとも書いていますが、実際そのとおりです。

変化する世界の最先端にいるのがGAFAです。彼らの力があまりにも強大になり、社会のいろいろな仕組みにひずみが発生し、結果的に格差や分断を助長しているのは否めません。




本来そのひずみを解消していくのが政治の役割なのですが、今は逆に政治もひずみを大きくする方向で機能してしまっています。こういった危機に、もっと多くの人が気づき、行動を起こさなければならないのですが、日本人は、その意識が低いために、問題がより深刻であると感じます。
日本から「GAFA+X」が出ない理由

ソニーがEVへの参入を、トヨタがスマートシティや車載OSの開発を発表しています。しかし、日本から本書の言う「GAFA+X」が生まれるのかというと、このままではそれは考えにくいと私は思います。

GAFAの時価総額は、4社でおよそ800兆円、マイクロソフトも300兆円規模、テスラは100兆円規模です。一方、ソニーは十数兆円、トヨタでもピークで40兆円程度です。GAFAやマイクロソフト、テスラなどはすべてクラウドとの連携が得意な企業で、基盤とするユーザーベースが桁違いであるとともに、未来へのストーリーを明確に描いています。

イーロン・マスクは、現時点では、すべてがチャレンジの途中で、まだ真に成功させたといえる事業はありません。しかし、世界中から巨大なマネーを引き付ける魅力があります。彼に匹敵する集金力を持つ人物がそうそういるわけではありませんが、ソニーやトヨタにも時価総額を大きく上げるような夢やビジョンを発信してほしいものです。その昔、ソニーはスティーブ・ジョブズがあこがれた企業でもあったわけですから。

私は、グーグルに入る前はソニーにいました。私が知るソニーは、人がやらないことをやる企業でした。トランジスタが発明されて間もないころ、いち早く個人用のトランジスタラジオを発売し、世間をあっと言わせました。今では、スマホで音楽を聴きながら歩くことは当たり前ですが、そのようなライフスタイルは、ソニーの「ウォークマン」から始まりました。一般ユーザーが気づきもしないような潜在ニーズを掘り起こし、他人がこれまで作ったこともないようなものをゼロから作ってきたのがソニーなのです。

ところが、EVは、すでにみんながやっています。自動走行、コネクテッドカー、クリーンエネルギーなどで自動車産業は大変革期を迎えています。アップルも参入するといわれていますし、今後は、中国勢なども圧倒的な存在になっていくでしょう。その中で、ソニーがどこに勝機を見出そうとしているのかは、今のところ私にはわかりません。

発表を見たところ、「車内をエンターテインメント空間にする」という話です。しかし、車のような移動手段にとって最も重要なことは、人を目的地にできるだけ迅速かつ安全に届ける、ということです。車内を本格的なエンターテインメント空間にするのであれば、完全自動運転も前提になるでしょう。

人の命を預かる工業製品を手掛けるということは、もとよりそれだけの覚悟が求められるということでもありますし、もともとソニーが強みとしてきた領域以外のところに多くのチャレンジがあることは間違いありません。



日本勢は、「いいデバイスを作れば勝てる」という発想に流れがちです。しかし、もうそこは勝負どころではありません。すべてがつながるデジタルの時代は、車だけを見ていてもダメなのです。もはや車も、スマホやパソコンと同じで、クラウドとつながり、他の車とも交信し、ソフトウェアをバージョンアップしながら進化する工業製品へと変化していきます。

車単体でどんなにイケてる斬新な車を作っても、事故を起こしたり渋滞にハマったりでは進歩がありません。デジタル社会全体を大きく俯瞰して、事故や渋滞から解放されたデジタル交通システムの中の1つの構成要素として車を位置づけていくような発想が必要です。そういう意味では、トヨタがスマートシティをやりはじめたことは、間違ってはいないと思います。

現在、地球上にはまだインターネットにつながっていない人々が半分ぐらいいますが、今後、インターネットにつながることは人権のひとつと解釈されるようになるでしょう。

イーロン・マスクやジェフ・ベゾスは、そのような時代を先読みしているかのごとく、宇宙に何千・何万もの小型通信衛星を打ち上げて、全地球をカバーする通信網を作ろうとしています。

一方、日本では、政治が介入して各携帯会社に値下げ合戦を強要しました。国内で携帯料金の値下げによるユーザー獲得合戦をやったところで、携帯大手4社で均等割りしてせいぜい3000万ユーザーです。地球上の79億人を全員インターネットにつなげようとしているイーロン・マスクやジェフ・ベゾスのスケール感とは比べようもありません。
GAFAは競合ではなく「インフラ的存在」と割り切る

日本企業がGAFAやイーロン・マスクとまともに勝負しても、とても勝ち目はありません。GAFAは公共インフラとでも捉えて、彼らの裏の顔に警戒しつつもうまく使い倒すのが、今を生き抜いていくためには大切なことでしょう。

現状、GAFAが強くなりすぎて、彼らを脅かすスタートアップが生まれにくいという問題も起きています。投資家も「GAFAに対抗するなんて無理だ」と考え、GAFA対抗のようなベンチャーには投資しなくなっていますからね。

これまで、GAFAは、自分たちでイノベーションに積極投資してきました。私がいた頃のグーグルもそうでした。GAFAはイノベーションの巣窟であり、世界を変えてきたわけです。

しかし、ギャロウェイ氏が指摘するように、あまりにも強大になりすぎると、その力を維持することのほうにエネルギーを使うようになります。守りに入るわけですね。しかしそれは衰退への道です。

今後、政治的な圧力で、グーグルとユーチューブを分割するなどの動きが起きれば、競争が促進されることはあるでしょう。現在のバランスが崩れたとき、GAFAの寝首を搔く企業が現れるかもしれません。ただ、それが日本から出るかというと、やはり難しいように思います。


日本から世界を変えるイノベーションを起こそうとするのなら、国家としての構想が必要です。短期的なことばかり考える、今の政府のやり方ではダメです。「国家百年の計」と言いますが、どんな国にしていくのか、何で飯を食う国にするのか、広く国民を巻き込んで長期ビジョンを打ち立てて、未来を真剣に考えなければなりません。

いうまでもなく、もっと科学技術に力を入れねばなりません。今は、人工知能も含めたDXや、クリーンエネルギーの分野が特にフォーカスされていますが、それ以外にも医療や防災産業など、さまざまなアイデアがあるでしょう。

民間のムードも盛り上がらねばなりません。しかし、日本人は、小さい頃から受け身体質が染みついてしまっており、周囲を気にして、あまり自分の意見を言いたがりません。為政者にとってはとても御しやすい国民だと思いますね。

教育から変えて、もっとアグレッシブで、能動的な人材を多く育てなければなりません。
「日本から”次のGAFA”が出るべき」という常識を疑う

「日本もGAFAのような企業を生み出さなければならない」という考え方そのものが正しいのかどうか、という視点もあります。GAFAは、アメリカから出てきたものなのですから、日本は、それをうまく利用させてもらう立場でいればよいとも言えるのです。

アメリカや中国のやり方に追従するのでなく、じゃあ日本はどうしようか、と考えることが大切です。例えば、日本には社歴の長い中小企業が多いですが、「売上1兆円規模の企業を作る」ための政策よりも「100億円企業を100社育てる」ための政策のほうが、無理がないかもしれません。

日本人には根深い劣等感があります。日本の近代史には、2つの断層があります。1つは明治維新です。黒船ショックというか、江戸時代までは遅れていた国だと自らをみなし、欧米にならって早く「一等国」にならねばならないと考えるようになりました。

しかし、日本には、日本独特の歴史があり、決して江戸時代がすべての面で劣っていたわけでもありません。なにより平和が300年近くも続いた時代ですし、精神性や文化の面で、欧米よりも優れたものをたくさん育んでいた時代ともいえます。ところが、それらの過去を全否定してしまいました。

もう1つが太平洋戦争です。敗戦でボロボロになって、そこから這い上がり、再び「一等国」になったわけですが、高度経済成長を遂げた後、ずっと沈滞しています。

日本が、アメリカやフランスとは異なる歴史を持ち、2つの歴史の断層を経て今があるということをどう捉えるかです。日本は、アメリカなど新興国にはない、長い歴史が背景にある国です。その時代のつながりの中で育まれてきた日本人の末裔として、歴史への考察を深めたうえで未来を考えることが大切でしょう。

災害大国であることによる学びから世界に貢献することもできるでしょうし、長寿先進国としてもできることがあるでしょう。また、アフガンで殺害されてしまった中村哲さんのように、半生を途上国に捧げ、現地の人々から非常に感謝されている日本人も多くいます。日本人が、グローバルに通用する才能や資質を持っていないわけではないのです。

自分たちの資質や才能をしっかりと棚卸しして、それをどう伸ばし、どの方向を向いて、世界をより良い場にしていくのか。それを考え抜くことが重要です。


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ロシア外務省が日本に抗議

2022-02-11 20:25:46 | 海外・国内政治情報等
日本が窮地に陥った時に、爆撃機を日本列島周遊させるような国が何言ってだ。

> 過激な若者らが大音響で叫んだり
ないないw
あっても普通のデモでしょ。

> 一部が大使館敷地内への侵入を試みたり
これ詳細報じて欲しい。どんな感じだったの? 


ロシア外務省が日本に抗議
2022/2/10 08:49
https://www.sankei.com/article/20220210-WBXQC7YOMRJZTDMMEWI2ZULWTA/

ロシア外務省のザハロワ情報局長は9日、今月6~7日に東京の在日ロシア大使館周辺で、大使館の業務を妨害する活動が行われたとして日本外務省に強く抗議したと発表した。

情報局長は、過激な若者らが大音響で叫んだり、一部が大使館敷地内への侵入を試みたりしたと指摘。日本の警察がこれらを黙認していたと主張し、日本側に再発防止を求めている。

7日は日本で「北方領土の日」に当たり、政府や関係団体が東京都内で「北方領土返還要求全国大会」を開いた。

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漫才コンビの発足と起業の類似性

2022-02-11 20:09:21 | 雑感
私が過去、2010年から2014年にかけて働いた職場において、お客様方のベンダーの人とメッセージを比較的近い距離でやり取りするようになった時、そのメッセージの中で「仕事辞めて漫才コンビやろう! 」と持ちかけたことがある(尚、先方の反応は「えええええ!? 」「コンビ組むのおおおお!? 」「やだあああああ!! 」と思いっきり拒否された。自分とコンビ組むのそんなに嫌か(しかしその前提となる会社の退職をするのは良かったらしい))。

とまあそれはさておきに、私が社会観察をしたり、あるいはそれにまつわる読書をするに当たって、漫才コンビと起業には類似性があることに気がついた。
両者とも共通の課題を抱えるのである。それは人的選定と成長後の利益配分である。

日本における芸能活動の一つにお笑い(コメディアンの亜種)があり、その中でも漫談、漫才、コント、ショートコントなど、ジャンルが細分化される。
この中でも漫才は日本特有(と言うより1980年代の漫才ブーム以前における1970年代付近では、ボケとツッコミの会話様態や芸能様態は関西ローカルの地域特有の雰囲気はあった。関西独自にしか地域的に存在しなかったのではないかと私個人は推測している)であって、基本的に二人セット、一人は社会における認識のズレを人が笑えるケースにおいて提示し、それをツッコミが「〇〇やないかい! 」と言ってそれを訂正する。

これは基本的に固有の仕事の分業における役割分担なのだが、この二人は基本的にデビューから成功するまでの道のりにおいて同等の仲間意識はあるものの、ギャラ(報酬)の配分が違うと言うのである。
(私はどちらがどれだけ多いのかを知らないが、本来は同等の5:5であるべきという意識のあるところ、実際にはその取り分・配分が異なるので揉めると言うのはツービートの時代からよく聞いた話である)。


尚、1980年代に大人気を博した日本国民に深く刻まれたコントグループの「ドリフターズ」は、構成要員のいかりや長介以下4名の内、全体報酬の内の取り分で、全体が10とすると、いかりやが6、他メンバーがそれぞれ1と言う取り分だったというのはよく噂される話であり、加藤茶と志村けんはそれに不満を持っていたようだった。

音楽グループにおけるこうしたギャラ配分の不和はまたよく聞く。
X-JAPAN、米米CLUB、カブキロックスなどなど・・・
(例外的に上手く行っているのはゴールデンボンバーらしい)

こうした「最初にこのメンバーで行こうぜ」と心理的な結束を心情にまかせて行ったものの、その後の成功後のギャラ配分の不和によってギクシャクはするものらしい。

そしてこのお笑い界隈でよく聞くこの問題は、起業においても同等の問題として挙がっているようだ。

起業家はどこで選択を誤るのか ノーム・ワッサーマン
訳者まえがき P2

私は数々の起業家と接し、数々のビジネスプランを読み、数々の相談を受けてきた。その経験から振り返ってみると、起業前後に相談が多いのは「事業の問題」だが、事業が進展していくに連れて、彼らからの相談の多くは「人の問題」に切り替わる。
「事業の問題」とは基本的にポジティブなものだ。いかに商品やサービスを設計していくか、ターゲットに届けるためにはどんなマーケティング手法が有効か、収益性を高めるためにどうビジネスモデルを構築していくか・・・・・・こうしたテーマであれば、議論する際も前向きにアイデアを出し合うことができるし、考えただけでワクワクする。
 だが、「人の問題」はそうはいかない、起業の動機や気質の違い、各自の思惑などによって創業チーム内のリ外が対立しやすく、相互理解には時間がかかる。話すことすら避けたくなる話題も多く、何でも話せると思っている関係ほど、実は肝心なことは話せていなかったりする。そのことが災いして、「人の問題」は、「事業の問題」ほど議論を深めずに決めてしまう。
 さらに厄介なことに、「人の問題」は一度決めてしまうとなかなか修正が難しい。極端に言えば、「戦略」を変えるのは決断の問題だが、「人」を変えるのには時間と労力がかかる。たとえば、あなたが気の合う友人ひとりと何かのビジネスアイデアについて大いに盛り上がり、起業したとする。友人はやりたがっていたサービス開発、自分は営業と役割分担を決めた。はじめは試行錯誤しながら楽しくやっていたが、好調を維持する営業実績に反して友人が担当するサービス改善は遅々として進まず、開発人員を増やそうと、あなたは友人に再三提案しているがとりあってくれない。その結果、リリース当初は上々だったユーザーからの評判はいまでは完全に過去のものとなってしまい、解約も増えてきた。会社が成長していくためには、友人をサービス開発から外すべきなのではないのか?・・・・・・あなたはここで、きっぱりと自分の考えを友人に伝えられるだろうか。
 毎日顔をあわせて、これまでともに闘ってきた仲間を前にすると、どうしても感情的になってしまい、問題を解決することよりも人間関係の安定を優先したい気持ちに駆られる。そのため、問題に気づいても放置しがちになり、その悪影響が顕在化したときには解決に多大な労力を要することになる。事業の進捗は遅れ、ひどい場合はチームが分裂してしまう。
 私が起業家たちと頻繁に接するようになってまだ10年足らずだが、こうした創業チーム内部の「人の問題」を何度も見てきた。これは、世界中の起業家たちの頭を悩ませているのではないだろうか。


同前 第一部 創業前夜 P26

人の問題は、ただひとりで創業したファウンダーにとっても無縁ではなく、あらゆるスタートアップが成長の過程で直面する共通のジレンマ(私は「創業のジレンマ」と呼んでいる)から引き起こされることが多い。会社の成長ステージを通じて繰り返し現れてくるジレンマは、富とコントロールのトレードオフ、すなわち経済的価値を増大させるのか、経営権を持ち続けるのかという選択である。さらに問題が複雑になるのは、初期にファウンダーが下した選択がのちのち思いもよらない形で重大な影響を及ぼすことがあるからだ。情熱や楽観、衝突回避といった自然な感情に流され、近視眼的な判断をしてしまうからでもある。


同前 P31

一方で、ごくありふれた決断──友人との共同創業、共同ファウンダーの間でエクィティを平等に分配することなど──こそが大きな危険をはらんでいることも多い。これらのことから、本書で取り上げる決断はジレンマと呼ばれる。初期に何の迷いもなく下した決断によって、何も失うことなくすべてを手に入れたと思っているファウンダーが、まさにその決断によってのちに不快な驚きに見舞われることがある。そのときになってから、実は検討しておくべきトレードオフがあったことに気づくのだ。


同前 P32

②創業チームのジレンマ
 スタートアップの立ち上げを決意すると、ますます多くのジレンマが生じる。

●ソロかチームのジレンマ──単独で事業を立ち上げるべきか、それとも共同ファウンダーを引き込むべきか? 
●人間関係のジレンマ──共同ファウンダーとして誰に声をかけるべきか。友人か? 家族か? 知人か? 見知らぬ人か? 元同僚か? 

●役割のジレンマ──スタートアップ社内でそれぞれのメンバーはどんなポジションに就くべきだろうか? 単独で下せるのはどの決断で、チームで下すべきはどの決断だろうか? そうした決断を下す方法は? 

●報酬のジレンマ──エクィティや金銭的報酬は創業チーム内でどのように配分すればよいだろうか? 


これらに対して常に失敗し続けるという訳でもなく、稀に上手く行く例もある。
例えば、自動車メーカーにおけるホンダでの本田宗一郎と藤沢武夫のような関係だ。
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私がツァラトゥストラの読了を途中で中止した訳

2022-02-11 17:08:08 | 雑感
以前も記載したが、私はツァラトゥストラの読了を途中で中止した。その理由を改めて書いておく。

1.直接原因
私はツァラトゥストラを読んだのは永劫回帰の具体的な中身を確認したいと言う資料としての読み物として読んだ。その部分が完了したので、途中でその読了を終える形とした。

2.根本原因
読書とはその人間の血肉とならなければならない。
その血肉に変換するには、ツァラトゥストラは重すぎる。
例えば、「おまえはわたしの目には、まだ十分に謙遜ではない。謙遜は最も堅い皮をもつものだ(5)」(手塚富雄訳 P328)での解説での「驢馬のように黙々と困難を引き受けてこそ、真の謙遜である。」の文章のように、もしこの言葉に感銘して、それを自分のものとして血肉とし、体得したいのならば、死の間際までそれを行う必要がある。
自分が死んで、自分の人生で「ああ、黙々と困難を引き受けて、謙遜が成就したなあ」と思った時に、それは真に体得したと言え、この文章を読んだと言えるのだ。
私はそこまで行える精神的体力があるとは思えない。
思えば私の父が、黙々と困難を引き受けたタイプの人間で、尋常ならざる人生を送ってきたからこそ、私には無理だと思うようになったのだと考える。
なので、「考えなくてええ! 完璧でなくてええ! 適当でええ! 」と言う言葉には気が軽くなる。
なので、それを行う人間的度量が絶望的になく、その目標到達点には決して至らぬことがもうはっきりと分かったので、私はこの読書と、その体得と、その言葉の現実的履行を諦めた。
情けないとは言うものの、人間にはどこかに限界があるのではないか。
私は何度かそれに到達したことがある。個人的努力は組織構造・社会構造を超えることはないのだ(それを超えるケースもしばしば目にしたが、それは特殊解なのであって一般解ではない)。
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