とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

漫才コンビの発足と起業の類似性

2022-02-11 20:09:21 | 雑感
私が過去、2010年から2014年にかけて働いた職場において、お客様方のベンダーの人とメッセージを比較的近い距離でやり取りするようになった時、そのメッセージの中で「仕事辞めて漫才コンビやろう! 」と持ちかけたことがある(尚、先方の反応は「えええええ!? 」「コンビ組むのおおおお!? 」「やだあああああ!! 」と思いっきり拒否された。自分とコンビ組むのそんなに嫌か(しかしその前提となる会社の退職をするのは良かったらしい))。

とまあそれはさておきに、私が社会観察をしたり、あるいはそれにまつわる読書をするに当たって、漫才コンビと起業には類似性があることに気がついた。
両者とも共通の課題を抱えるのである。それは人的選定と成長後の利益配分である。

日本における芸能活動の一つにお笑い(コメディアンの亜種)があり、その中でも漫談、漫才、コント、ショートコントなど、ジャンルが細分化される。
この中でも漫才は日本特有(と言うより1980年代の漫才ブーム以前における1970年代付近では、ボケとツッコミの会話様態や芸能様態は関西ローカルの地域特有の雰囲気はあった。関西独自にしか地域的に存在しなかったのではないかと私個人は推測している)であって、基本的に二人セット、一人は社会における認識のズレを人が笑えるケースにおいて提示し、それをツッコミが「〇〇やないかい! 」と言ってそれを訂正する。

これは基本的に固有の仕事の分業における役割分担なのだが、この二人は基本的にデビューから成功するまでの道のりにおいて同等の仲間意識はあるものの、ギャラ(報酬)の配分が違うと言うのである。
(私はどちらがどれだけ多いのかを知らないが、本来は同等の5:5であるべきという意識のあるところ、実際にはその取り分・配分が異なるので揉めると言うのはツービートの時代からよく聞いた話である)。


尚、1980年代に大人気を博した日本国民に深く刻まれたコントグループの「ドリフターズ」は、構成要員のいかりや長介以下4名の内、全体報酬の内の取り分で、全体が10とすると、いかりやが6、他メンバーがそれぞれ1と言う取り分だったというのはよく噂される話であり、加藤茶と志村けんはそれに不満を持っていたようだった。

音楽グループにおけるこうしたギャラ配分の不和はまたよく聞く。
X-JAPAN、米米CLUB、カブキロックスなどなど・・・
(例外的に上手く行っているのはゴールデンボンバーらしい)

こうした「最初にこのメンバーで行こうぜ」と心理的な結束を心情にまかせて行ったものの、その後の成功後のギャラ配分の不和によってギクシャクはするものらしい。

そしてこのお笑い界隈でよく聞くこの問題は、起業においても同等の問題として挙がっているようだ。

起業家はどこで選択を誤るのか ノーム・ワッサーマン
訳者まえがき P2

私は数々の起業家と接し、数々のビジネスプランを読み、数々の相談を受けてきた。その経験から振り返ってみると、起業前後に相談が多いのは「事業の問題」だが、事業が進展していくに連れて、彼らからの相談の多くは「人の問題」に切り替わる。
「事業の問題」とは基本的にポジティブなものだ。いかに商品やサービスを設計していくか、ターゲットに届けるためにはどんなマーケティング手法が有効か、収益性を高めるためにどうビジネスモデルを構築していくか・・・・・・こうしたテーマであれば、議論する際も前向きにアイデアを出し合うことができるし、考えただけでワクワクする。
 だが、「人の問題」はそうはいかない、起業の動機や気質の違い、各自の思惑などによって創業チーム内のリ外が対立しやすく、相互理解には時間がかかる。話すことすら避けたくなる話題も多く、何でも話せると思っている関係ほど、実は肝心なことは話せていなかったりする。そのことが災いして、「人の問題」は、「事業の問題」ほど議論を深めずに決めてしまう。
 さらに厄介なことに、「人の問題」は一度決めてしまうとなかなか修正が難しい。極端に言えば、「戦略」を変えるのは決断の問題だが、「人」を変えるのには時間と労力がかかる。たとえば、あなたが気の合う友人ひとりと何かのビジネスアイデアについて大いに盛り上がり、起業したとする。友人はやりたがっていたサービス開発、自分は営業と役割分担を決めた。はじめは試行錯誤しながら楽しくやっていたが、好調を維持する営業実績に反して友人が担当するサービス改善は遅々として進まず、開発人員を増やそうと、あなたは友人に再三提案しているがとりあってくれない。その結果、リリース当初は上々だったユーザーからの評判はいまでは完全に過去のものとなってしまい、解約も増えてきた。会社が成長していくためには、友人をサービス開発から外すべきなのではないのか?・・・・・・あなたはここで、きっぱりと自分の考えを友人に伝えられるだろうか。
 毎日顔をあわせて、これまでともに闘ってきた仲間を前にすると、どうしても感情的になってしまい、問題を解決することよりも人間関係の安定を優先したい気持ちに駆られる。そのため、問題に気づいても放置しがちになり、その悪影響が顕在化したときには解決に多大な労力を要することになる。事業の進捗は遅れ、ひどい場合はチームが分裂してしまう。
 私が起業家たちと頻繁に接するようになってまだ10年足らずだが、こうした創業チーム内部の「人の問題」を何度も見てきた。これは、世界中の起業家たちの頭を悩ませているのではないだろうか。


同前 第一部 創業前夜 P26

人の問題は、ただひとりで創業したファウンダーにとっても無縁ではなく、あらゆるスタートアップが成長の過程で直面する共通のジレンマ(私は「創業のジレンマ」と呼んでいる)から引き起こされることが多い。会社の成長ステージを通じて繰り返し現れてくるジレンマは、富とコントロールのトレードオフ、すなわち経済的価値を増大させるのか、経営権を持ち続けるのかという選択である。さらに問題が複雑になるのは、初期にファウンダーが下した選択がのちのち思いもよらない形で重大な影響を及ぼすことがあるからだ。情熱や楽観、衝突回避といった自然な感情に流され、近視眼的な判断をしてしまうからでもある。


同前 P31

一方で、ごくありふれた決断──友人との共同創業、共同ファウンダーの間でエクィティを平等に分配することなど──こそが大きな危険をはらんでいることも多い。これらのことから、本書で取り上げる決断はジレンマと呼ばれる。初期に何の迷いもなく下した決断によって、何も失うことなくすべてを手に入れたと思っているファウンダーが、まさにその決断によってのちに不快な驚きに見舞われることがある。そのときになってから、実は検討しておくべきトレードオフがあったことに気づくのだ。


同前 P32

②創業チームのジレンマ
 スタートアップの立ち上げを決意すると、ますます多くのジレンマが生じる。

●ソロかチームのジレンマ──単独で事業を立ち上げるべきか、それとも共同ファウンダーを引き込むべきか? 
●人間関係のジレンマ──共同ファウンダーとして誰に声をかけるべきか。友人か? 家族か? 知人か? 見知らぬ人か? 元同僚か? 

●役割のジレンマ──スタートアップ社内でそれぞれのメンバーはどんなポジションに就くべきだろうか? 単独で下せるのはどの決断で、チームで下すべきはどの決断だろうか? そうした決断を下す方法は? 

●報酬のジレンマ──エクィティや金銭的報酬は創業チーム内でどのように配分すればよいだろうか? 


これらに対して常に失敗し続けるという訳でもなく、稀に上手く行く例もある。
例えば、自動車メーカーにおけるホンダでの本田宗一郎と藤沢武夫のような関係だ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 私がツァラトゥストラの読了... | トップ | ロシア外務省が日本に抗議 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

雑感」カテゴリの最新記事