とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

魔王の菩提寺

2018-03-11 21:23:40 | 最近の出来事
最近分かったことなのだが、私の家の菩提寺がちょっとだけ凄い。

まあ一流のところと比べれば全然なのだとは思うが、とにかく行った人が、その建物や、生えている木の大きさなどに圧倒されて「凄い凄い」を連発する(ちなみに私も行った先でビビリまくった)。

歴史は1000年を超え、中に通されると、欄間に三つの紋が掘られている。
向かって左が引両紋(足利二つ引)。室町幕府の加護を受けていた時の名残。
向かって中央が菊花紋。天皇の加護。
向かって右が三つ葉葵。徳川の加護だと言う。

寺社は既に文化財になっていて、地方行政からの指示によって改修ができない。
寺社の門は大きな屋根がついており、その屋根が藁葺きになっていて、更にその上に苔やら草やらが生えていて、物凄く趣があって、心が奪われる。

昨年の夏にこの寺社に伺ったが、その時は雨が降っていて、軒から直接落ちる雨粒が本当に綺麗だった。
先日は雪も降って、裏庭の雪景色が本当に綺麗で、ここに来た親戚筋は、これまた「綺麗、綺麗」と連発していた。
これは世界の美しい風景に加えていい。
もし仮にYoutubeなどにこの映像をアップしてしまったら、たちまち人が押し寄せて風情が無くなってしまうことになる。

と言うわけで、なぜ私の家のような小さい家が、こんな凄いところに属しているのか不思議であった。
が、このお寺の近所の人たちはおおよそここが菩提寺になっているっぽいので、ちょっと安心した。

私の家はおおよそ400年くらい続いていて、私で確か17代目くらいであったように記憶している。
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非動的製造物の礼賛 磁石・バネ・傾斜

2018-03-11 19:30:43 | 哲学・社会
世の中の基本原理は、皆、エネルギーを得ることで行動している。

石油があればエンジンがまわせる。
原子力があればタービンがまわせる。
液化天然ガスはセントラルヒーティングの燃料となる。
それが回転となり、電気となって、熱となって、社会を回すことができる。

将来的には、ここに常温核融合が社会を破滅させる危険性を伴いながらも、そのメンバーに加わることになる。
採用している思想主義のいかんにかかわらず、社会はそのメンバーの参画と、あるいは社会側からの採用を止めることができない。

なので、社会の基本政策と言えば、この動的エネルギーを生み出す戦略物資の調達に重点が注がれることになっている。


さて、今回の話はそれとは別個の話だ。
国家の政策面では資源調達に傾倒するという方向性は維持するものとして、それが政治面・社会面での話題であるならば、次に続く文章は文化面に近い形となる。

社会的に重要なギミックを担いながらも、それが礼賛されることもなく、スポットライトの外れに、ポツンと体育座りしていた製造品を改めて見てみたいのである。
これはおおよそ、車輪やレール、衣服や住居の発明がそれに該当していたが、ここでは更に現代風なものにスポットを当ててみたい。


まずは磁石。これはエンジンやモーターなどの動的エネルギーではないが、着脱が簡単な感じで人間が任意の時点で操作することができる優れた製品だ。Mac book airの電源ケーブルの接続はこれになっていて、非常にユニーク、かつ、スマートなアップルらしい製品になっている。
一度電源ケーブルの着脱を、他の普通のノートPCと比較してみましょう。

次に、バネである。これはボールペンの中にあるコイル式のバネの他に、電車の振動を抑える湾曲した弓なりのバネまである。これは構造的に衝撃を吸収したり、あるいは元にある位置へと押し戻そうという動きをするもので、この構造を採用している社会は、その製造物の利便さ、革新性に感謝をすべきではないか。

最期に傾斜である。
雨の日に水が排水口へたまったり、あるいは台所のシンクで排水口へ水が流れるのは傾斜のせいである。
この意味で、ローマ街道など、平坦な道を延々と続かせた「水平」なる構造も礼賛すべきだが(荷車の運搬が格段に楽になるため)、傾斜構造により、ものが自然に流れるようにした功績は大きい。

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労働者の健康管理に、非常に消極的な日本企業

2018-03-11 14:33:38 | 労働
私は2007年8月のとあるプロジェクトに投入された。
理由は、親会社と子会社の間で定める人月計算の契約で定めた人月に不足しているからであり(これを当時の課長のYさんは”ノルマ”と言っていた)、それを穴埋めする為に私が投入されたのだった。

その時のYさんの言葉は、「どれだけ仕事をしてもいいぞ」と言うことだった。

いざプロジェクトが始まってみると、当初の計画よりも工数が膨れ、私がヘルプの人員をお願いしても出なかったので、親会社課長のIさんにそれを言うと、親会社プロパーの二人を貸し出した。

それでも仕事は終わらない。
いざその月が終わってみると、残業時間が100時間を超えていた(おおよそ120時間くらいだと思ったが、その時はそれすらも削って、104時間として提出した)。

そうすると、今度はYさんが「沢山働いたからノルマは達成できたんだが、100時間を超えると今度は労働の方の問題がうるさいから、100時間は超えないようにしてつけてくれないか。調整した分は翌月に繰り越していいから」と言われたので、その通りにした。

104時間から100時間を超えない値に変更し、その余剰分は翌月にきっちり繰り越した。
この面では問題ないのだが、「労働の方の問題がうるさいから、申請した超過勤務時間の変更をしてくれ」と言うのがかなり労働倫理的に問題がある。

厚生労働省労働基準局長通達によれば、『脳血管疾患及び虚血性心疾患等(負傷に起因するものを除く。)の認定基準について』の中で、
http://www.mhlw.go.jp/houdou/0112/h1212-1.html
(2)発症前1か月間におおむね100時間又は発症前2か月間ないし6か月間にわたって、1か月当たりおおむね80時間を超える時間外労働が認められる場合は、業務と発症との関連性が強いと評価できる

としている。この基準を踏み越えている。上記の厚生労働省の発表は平成13年(2001年)だから、私が記事上部で記載した2007年8月のこの出来事は、企業倫理として問題があることが明白であり、尚且つそれを認識していながら法的に回避したという更なる問題がある。これは犯罪行為で公的な処罰を受けるべき内容であろう。



現況は「長時間労働をした場合」、「産業医面談をし」、「事業者側との面接指導を受ける」と言う流れになっているが、これでは全く問題が解決しない。
なぜなら、事業者側の、個人の基準となる労働時間以上の労働がアサインされているからこういう事態になっているのであって、面談で根本解決するとは思えないからだ。

また、面談をしてこのあとどうする、と言うこと自体も解決するには遠い方策のように思える。
どうしてかというと、日本社会での文化から言って、上意下達式に降りてくる命令には強制権がある。労働者側に交渉の余地がないのである。そうすると、「じゃああとこれだけ頑張れ」と言う話になって、状況が改善しない。

政治家や厚生労働省の方々に、私から個人的なお願いが一つだけある。

それは、事業者側に、過度に労働者に仕事をアサインするようなケースがあって、結果長時間労働となった場合、事業者側に罰則を設け、かつそれを防止するような事業者側のガイドラインを設けてほしいのだ。
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ティルス大攻囲戦(紀元前332年)と湾岸戦争左フック作戦(1990年)の類似性

2018-03-11 11:53:57 | 哲学・社会
ゆっくり解説】世界の戦術・奇策・戦い紹介【ティルス攻城戦】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm32863879


を見ていて思ったのが、米軍(多国籍軍)の指揮官ノーマン・シュワルツコフが行った湾岸戦争での左フック作戦と似ている。

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社会の課題に対する機械化・自動化の応用 例えば台風の日に田んぼを見に行くことについて

2018-03-11 11:02:57 | 哲学・社会
自分メモ。

現代の昨今、機械化・自動化、あるいはコンピュータ化(AIとクラウド・ビッグデータ)が叫ばれているが、なぜそれがいいのだろうか? 

答えは次の複数が混淆して成り立っている。
1.科学技術の方向がそちらに向いているから。
2.その方向への科学技術の発展によって産業が成り立つから。
3.産業の形成によって資本集約が進み、資本家が儲かるから。

と言うのが大体の理由なのだが、これにはもう少しだけ私から補足する必要がある。

4.
機械化・自動化をすると、工業品やサービスの算出に人手が必要なくなり、コストが下がる。
よって利益を生み出しやすい構造になる。
それと同時に人手が不要となるため、人員の供給過剰となり、雇用は不安定となる。

これに加え、現代日本社会の病理、資本家側の思想的課題としてもう一つ挙げておきたい。

5.
機械化・自動化をすると、人手が必要なくなるので、人員は減らされる。
しかし、工数に対する人員は余裕を持った人数ではなく、少し足りないくらいのところで調整される。
よって過剰労働が発生し、それに貢献と奉仕の思想を植えられた日本社会は、自らの死が訪れても疑問を持たない。
そこにレスキューや国家使命などの何らかの理由があれば良いのだが、単なる民間企業の仕事で、なぜ死ななければいけないのだろうか? 

話が少し脱線した。

ここの記事では、上記の科学技術の発展の動態に加えて、今後も続く科学技術と社会問題の相関・傾向の買得と、こうはできないだろうか、と言う提案を行いたい。


現行、どの社会でも問題を内包する。
これらの社会の課題に対して、科学技術はどう対応すれば良いだろうか? 

上記には記載していなかったが、科学技術の発展(特に機械化と自動化、及び昨今のAI)によって、社会的恩恵はどのように受けることができるのだろうか? 

ここのブログで何度も書いているが、機械化と自動化によって得られる社会的恩恵とは、「二回以上同じことを行う仕事は、必ず機械とコンピュータで代替できる」と言うものだ。

その昔、スーパーでのレジ打ちと言えば、今のようなバーコード読み取り式ではなく、店員さんが一々商品の値札を見てはレジに値段の数字を打ち込んでいた。
これをバーコード読み取り式にした。今のAmazonでは、そのレジ打ちすら要らない店を開店している。
これの本質的な事象とは何か? 答えは「二回以上同じことを行う仕事(値段があるものを買っていくお客に対しての手続き)が、機械とコンピュータで代替でき」た例である。

他にも考えてみよう。
自動運転によるバスが登場すると言う観測があるが、これも二回以上同じことを繰り返しているから代替できる。
方式が決まっているから、機械とコンピュータに代替できるのだ。

駅の改札では、自動改札が出来る前は、駅員さんがパチパチきっぷを切っていた。これが自動改札に代替されたのは、同じことを繰り返していたからだ。


さて、今後は? そう、まだ日本における社会的課題は残っている。
これらを極力抽象的、上位概念的に捉え、それを解決する機械や機構を開発して、実装すればいい。

例えば、台風の時に田んぼが心配だから見回りに行く、と言うのは、様々な事情が絡み合っているかもしれないが、本質的には堰が止まっていたら被害があるので、それをなんとかしようということで、やるべきことが決まっているのであれば、その一部を機械で代替できるかもしれない。


失敗例も挙げておくと、日本には過剰労働の問題があり、それを監視するドローンを開発したというニュースが先日あったが、それは真の解決になっていない。
そもそも、日本人がダラダラ残業していると言うのが前提になっていると思われるのだが、日本の会社の多くはそのような状況になっておらず、常に切羽詰った状況で23:00くらいまで残業をするのだ。

つまり、アサイン・仕事の振出の量や、あるいはそれをこなすための人員の教育の差など、いわゆる経営思想上の失敗があるがためにこの事態になっている。

この後の記事でも書くかもしれないが、日本人は抽象化の思考が非常に苦手だ。
「なぜ」を5回繰り返せば、問題の本質的事象に行き当てることが可能だというのだが、えてして得られる結果とは、問題の構造的不備や欠陥ではなく、表面的に「作業員が悪い」などという安直な結審で終わるのである。

上記の残業をしていないか見張るドローンの提案などはその最たるもので、本質的に行うべきは経営思想の若干の変更と、命令の上意下達であっただろう。

なぜを5回繰り返すなどして、抽象化を行えば、その傾向として必ず因縁事象を遡ることをするのだから、根幹要因が絡み合ったプロセス同士の時系列をさかのぼったり、あるいは構造的上位にさかのぼったりするはずなのだが、「現場で何が起こっているのか」の場所と構造から一歩も動かない。

これでは、実行犯だけ裁かれて首謀犯(指示者)が裁かれないことになる。
これはおかしい。しかしこのおかしさを黙認して肯定し、ある種のルール化までしている奇妙な社会事業体が、日本の企業であるのだ。


話はそれた。
かなり少ないながらも私が知っている今ある日本のイノベーション案を見ても、抽象的概念に遡れておらず、真の根本解決が図れていないケースがたくさんある。

何を機械化し、何を自動化するか、それを適切に見極めることが、今後の日本の企業の仕事であろう。
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