よく科学技術とは言うが、この科学技術という言葉を考えてみる。
科学技術というのは、一般的には、何やら理系の学問で、理論的工学的体系で機械やら何やらを作っているのだな、という漠然とした理解しか無い。これを簡単に説明してみる。
科学技術というのは、英語で言うと「science(科学) technology(技術)」の日本語直訳で、ニュースカテゴリの中で「science technology」というカテゴリがあれば、それは科学技術の記事である。
(もう少し広く、教育関係では「Science, Technology, Engineering, and Mathematics 」と呼ぶらしい)。
この両者はそれぞれ、科学とは物理・化学的発見のことであり、技術はその現実への理論的応用ということだろう。
さて、ピーター・ドラッカー氏の「プロフェッショナルの条件」だったかと思うが、うろ覚えながらここからスタートしよう。
ドラッカー氏曰く、英語の「technology」は二つの言葉に分かれるという。
元はギリシャ語で、師匠から弟子に秘密裡に伝わる秘伝の技法、経験知を「τεχνη (techne:テクネ)」と言っていたようだ。
このテクネは飽くまで1:1でしか後継の人間に伝わらなかったようである。だが、後の世で、これの経験知を言語化し、体系化して、文章となって本になった際、広範の人間に知られるようになり(1:1でしか伝わらない知識が、1:nで伝わるようになった)、知としての社会活性化がなされたというのである(現在はインターネットにおいて1:nの広範流布という観点において、この後続への流布数量が加速しているが、信用性という意味において、紙に書かれた印刷物がまだ幅を利かせているのは周知の通りだろう)。
この体系化した際、秘伝の経験知であるtechneに、ものごとの体系化を現すlogicがつき、techno-logyとなった。つまり断片的な経験知が言語化され、体系化され、そしてそれが整理された際に、知識としての社会的な力が備わったのだった。
・~・~・~・~・~・
それではscience(科学)はどうだろう? これはドイツ語を見てみる。
読書の技法 佐藤優 P58 より
<
ドイツ語で学問(科学)をヴィッセンシャフト(Wissenschaft)と言う。
断片的な知識(Wissen)ではなく、知識を結びつけて体系(-schaft)になって初めて体系知としての学問(科学)になるという考え方だ。
>
・~・~・~・~・~・
この断片的に存在する哲理的理解の全体的な体系化というのは様々なところで行われた。
ダフィット・ヒルベルトにより行われた「ヒルベルト・プログラム」では、それまで独立研究され、理論として独立していた図形、解析、数値、自然数、虚数、グラフ、論理演算などの各数学理論は一つの理論へと収斂しようとした(その後、ゲーデルの不完全性定理により否定されるが、ある種の体系は為したと言えよう)。
・~・~・~・~・~・
この世のものはおおよそ融合と体系化を為すことになる。
それまで縁の無かった金融と数学は金融工学という形で数式化した。
素数は基本的に純粋な数学理論としてしか知体系に寄与しなかったが、現代では暗号理論に使用される。