とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

東京大学卒業式の文章は普通

2016-03-30 23:52:29 | 文章・日本語・言葉

東京大学で卒業式
3月25日 20時32分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160325/k10010456221000.html

東京大学で卒業式が行われ、五神真学長が「立ち現れる課題にひるまず、人類社会に貢献するための挑戦を続けてほしい」と呼びかけました。

東京大学の今年度の卒業生は10の学部合わせて2900人余りで、東京・文京区の安田講堂で開かれた卒業式には、色鮮やかなはかま姿などの学生が出席しました。
式の中で五神学長は「ことしの世界情勢は、国際的な金融不安に始まり、中東や東アジアの緊張など、より不安定な方向に向かっているように思える。立ち現れる課題にひるまず、果敢に取り組み、人類社会に貢献するための挑戦を続けてほしい」と呼びかけました。また、東日本大震災に触れ、「巨大な災害があらわにした私たちの社会の問題が、まだ克服されていないことを忘れないでほしい」と述べました。
文学部を卒業し、コンサルティングの仕事に就くという女子学生は、「学生時代の経験がこれからの人生の糧になると思う。この大学を卒業したことに恥じないよう、社会に貢献していきたい」と話していました。
国立大学の卒業式や入学式を巡っては、去年、当時の下村文部科学大臣が「国旗掲揚や国歌斉唱が、長年の慣行により、広く国民の間に定着している」などと述べて、各大学で適切に判断するよう要請しました。東京大学のこの日の卒業式では、どちらも行いませんでした。


あれ? 意外と普通だ。
もっとゴリッゴリの日本語でやって欲しかったのだと思うのです。
「今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。」
左に陣取るならこれくらい言えや。

ちなみに上記の文章は分かって頂ける人には分かって頂けると思います。
ああ、あの文章ね、と。
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宇宙物理はなぜ必要か

2016-03-30 00:33:53 | 雑感
金を作るには核融合か核分裂だが、核融合では中性子星二つ分のエネルギーが必要で、核分裂の方が比較的楽だからとかいう知識が身に付く。

※ちなみに上記理論はネットの受け売りで、自分は理解していません。。。
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国家と労働感覚

2016-03-30 00:30:34 | 国内社会批判
先日の首相の言葉がかなり核心をついて、分かりやすく、時代を代表できる文章なので引用します。


平成28年3月25日 一億総活躍国民会議 | 平成28年 | 総理の一日 | 総理大臣 | 首相官邸ホームページ
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201603/25ichioku.html

 平成28年3月25日、安倍総理は、総理大臣官邸で第6回一億総活躍国民会議を開催しました。

 会議では、「長時間労働是正」、「女性の就業促進」及び「子供の教育問題」について議論が行われました。

 総理は、本日の議論を踏まえ、次のように述べました。

「第一に、長時間労働の是正であります。長時間労働は、仕事と子育てなどの家庭生活の両立を困難にし、少子化の原因や女性の活躍を阻む原因となっています。戦後の高度経済成長期以来浸透してきた『睡眠時間が少ないことを自慢し、超多忙なことが生産的だ』といった価値観でありますが、これは段々ですが、そうでもない、生産性もないという雰囲気が、この3年間で大分変わり始めているのではないかと思います。私はまだ若いサラリーマンの頃、こういう価値観があって、8時くらいに帰ろうとするともう帰るの、という雰囲気があったわけですが、企業側に聞いたところ、政府が全体の労働時間の抑制や働き方を変えていくことについて、旗振り役を期待しているかということについて期待している人が90%ということは、皆帰るのだったら帰りたいということに変わり始めている。やっとそういう雰囲気に変わり始めたので、ここは、正に我々が更に背中を押していくことが大切であろうと思います。

ホワイトカラーエグゼンプションを唱えていた時から見ると、この発言は大変な変革であり、しかし大変ありがたい限りの話しであるのです。
昔は右肩上がりが保証されていましたから、みんな一生懸命働きました。
しかし、そう、どのような労働が今の世の中にとって幸福なのでしょうか? 

旧来の労働時間を歴史学的に見る必要があります。
侍は常に半ドンで一日ごとに休暇。
江戸の大工も労働時間3時間くらい。

「働けど働けどなおわが暮らし楽にならざり」という啄木の悲哀は、資本家の搾取という構図を許す資本主義社会を呈している限り続くもので、それは現代に至っても「どれだけ枚数書いても月給10万円」というアニメーターに現れているのです。

ドイツのノンキャリ官僚は午前出勤で午後はガーデニングだという。
中国では午睡の習慣がある。

あるいは副業禁止という規定が、人生のリスクを高めているので、この規定を緩やかにして、個人における人生の職業を多角化経営してリスク分散を国民一人ひとりがすべきなのかもしれない。

もっともっと事例を集めて、何が幸せなのか社会学観点から探るべきでしょう。
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