ボナさんの北海道の釣り三昧II(休養中)

投げ釣り主体に北海道の沿岸に出かけます。夏にはフナや鯉釣りも。

平山郁夫展

2016-03-11 19:44:04 | 釣り
月に1回の通院日、大抵は3週目にしておりますが、主治医が学会の為に出張で休診ですので、1週早く受診しました。朝は、ツルツル道で物騒でした。8時過ぎに家を出て、混雑の前に到着。カミさんも私も9時半には診察が終わっていました。私のPT-INR、カミさんのHbA1Cも心配なしのレベルでした。



10時過ぎに朝食を済ませ、降る雪を眺めながら、スーパーの買い出し、などと話していると、テレビで平山郁夫展のCMが映りました。(写真上の近代美術館を訪れた時は雪降りでした)前に、サポート札幌の案内も見ていましたので、急遽、近代美術館に向かいました。下の写真。オレンジと群青の一対、シリアのパルミラ遺跡は、ISによってすべて破壊されました。往時を偲ぶ絵画です。別のコーナーでは、バーミアンの大石仏もアフガンの武装勢力によって破壊されましたが、破壊される前に訪れた時の姿と破壊された後の状態が描かれておりました。



東京芸大の講師で西域の仏教文化を知る為にシルクロードへ旅立つ前に、支笏湖、樽前、層雲峡、阿寒湖、知床などの北海道の各地を旅をして描いたスケッチも展示されております。コラボのように、彼が自然や紛争などによる破壊から保護したシルクロードの出土品も展示されております。いろいろと考えさせられます。



カミさんへのホワイトデーとして、絵画展を見た後、釣童さんお勧めのル・・・・パで、ランチ。アイナメの皮を焼き蒸した料理は、何という料理なんでしょうか(写真上)、出色でした。アブラコを見直しました。アブラコを釣ったなら、この料理に挑戦したいものです。写真下は、食後のスイーツ:チョコレートのシャーベットとアイス。検査結果が良いのでさらにおいしいのです。


医釣会50周年パート2

2016-03-10 23:33:12 | 釣り
今夕は、医釣会50周年の懇親会パート2が、21名の参加の下、会長氏家先生の挨拶と祝杯で始まった。元会長の後藤田先生の丹精込めた編集で50年間の医釣会の釣りの記録が網羅された「医釣会ニュース」(写真下)が全員に配布された。新会員として中江先生から友人の耳鼻科医Iさんが紹介された。



会計幹事の天崎先生の綿密な平成27年度の予算と決算が、過去の年度の比較とともに説明され、鈴木監事から決算報告が発言され、満場一致で承認された。予算もきまり、釣行年間計画が元会長の中江幹事長より説明され、了承された。やっと、写真の下の方に見えるように、本年度の釣行日程が決まった。

目玉は、9月18日の積丹(余市~珊内)での例会を50周年記念大会にすることになった。積丹半島の釣りに通じているAさん、トチさん、すーさんで、詳細な原案が練られることになった。釣バスは運行するが、自家用車で、出来るだけ多くの会員が、家族や友人と一緒に参加しようということになった。サケ釣りの始まる頃なのだが、サケが釣れるかもしれないという期待もある。

年間賞は、優勝者の岩本さんや準優勝の古川さん、3位のオノちゃんよりも、目黒漁港で70.1cmのタカノハを釣った大内さんに関心が向いた。年間身長賞、カレイ賞、(ボナ賞の楯)、魚種別身長賞など合わせて多くの賞品を独り占めにした。私は、13位、長岡さんが皆勤で敢闘賞を獲得、由川先生は年間ブービー賞を獲得した。釣りバスの運転手さんには、8時間以上の休憩時間が取れるように運行することを了承した。例会、医釣会への参加を歓迎します。

春眠暁の時期到来

2016-03-09 22:33:07 | 釣り
勤めから帰って、夕食後、ソファでWebの講演会を待っている間に眠ってしまいました。昼食後うとうとされた方から、春になって眠いですね、と言われたのが伝染したようです。春眠暁を覚えずの時期到来です。

魚達は、春到来で活気が上がってきたころでしょう。柑橘類は、眠気冷ましと生薬の研究者から聞いたことがあったので、宮崎から送られてきたキンカンとスタッフIさんのお土産のタンカンのおすそ分けを眠気冷ましに食べたんですが、鎮静効果が有るんでしょうか?バタン・キュウで眠っておりました。

眠った後がすっきりします。食後の眠気で眠った後に効いてきたのでしょうかね。今日は、代休で出勤でしたので、明日木曜日も5時半起きです。季節の代わり目で、代謝も代わり目になります。これからは、健診の外勤が増えますので、冬眠から覚めましょう。早寝するようにします。

明日の夜は、医釣会の総会。稀にみる大物のタカノハを釣ったOさんの喜ぶ顔が見たいと、釣りキチペーペーさんに頼んでデザインして貰ったカレイ賞の楯を朝バタバタして忘れると大変と、夜のうちに、車に積み込みました。雪のある間、釣りに行かなかったのは、久しぶりです。

ホッケの尾っぽは何故長い?

2016-03-08 19:29:54 | 釣り
141人の高校同期生への、案内状をやっとのことで仕上げ、料金別納郵便で出してきました。昨年の喜寿案内状の差出日は3月18日でしたので、10日早く案内したことになりました。締切が6月20日と妥当なところでしょう。120通までは、作業がスムースに運んだのでしたが、ハガキの不足分20枚の印刷裏表の印刷が、プリンターが言うことを聞いてくれなくて、大変でした。

無線の為、通信状態が、時々悪化しますので、案内の印刷に早めに入れてイライラは、少なくて済みました。案内状と出席者の唄ったカラオケの曲名リスト、返信ハガキを、長形封筒に入れて定型郵便の規定内料金で収まりました。郵便局では、1通の重さ、20通ごとの重さ、すべての重さと、随分慎重に計量していました。



ひと仕事済みました。釣りの準備に大きな前進です。テレビでホッケ柱のことを話し合っておりました。ホッケに浮き袋がないこと、春までは、じ~と海の底で(中には300mという深い海底で)、海底に落ちてくる食べ物を待っている。水温が上がって来ると、海水面に向かい、プランクトンを見つけると、群れが大きくなって渦巻きを発生させ、プランクトンを海底に向かわせる、などでした。浮き袋がない分、海底から海面までの往復に都合が良いように、尾が長いのだと説明されていました。

後ろに難題が控えているのは、物事の進行にブレーキを掛けますから、釣りの準備には、早めに済ませるにこしたことはありません。院長の都合で私の出勤日と交換したのが、いい休日になり、大いに助かりました。集中して何か仕事が出来るのは、休みが連なる時です。これから、春になると、忙しいのは目に見えています。どんどん、進めましょう。ホッケが待っています。

エクセル

2016-03-07 23:15:21 | 釣り
今日は、朝から高校の同期会の案内文を造り、2人の幹事さんにチェックして貰い、最終案を印刷していました。案内文は大型の古いプリンターを使用し、コピーでマス刷りをした方が、らくに済みました。封筒のあて名書きや返信用のハガキの印刷は、小さいながら新しいプリンターの方が向いておりました。

丁度良いところに昼からは、大型電機店Yのパソコンの定期検診日。カミさんの新しいPCを2階で使えるように、セットアップして貰うために、カミさんのメール内容などを削除し更地にしました。

カミさんの必要なメルアドは、古い方の私のPCに移しました。私のPCには、古い大型プリンターとペアにして1階で使うことにしたのでした。無線で使っておりますので、時々、「シャットダウンをしています」が長時間かかったり、画面が停まったり大変です。そのうち、無線事情の改良の為に、ルーターを取り換えようと思います。

釣りデーター分析のエクセルの古い所からは、新しいところには、受け入れられるのですが、逆は上手くゆかないので、遊び慣れた古いエクセルで分析を続けることにしました。無線の電波も弱いのか、コピペに時間がかかることも多く、バージョンアップしないで行こうと決心しました。





釣行日程

2016-03-06 19:31:08 | 釣り
医釣会の釣行日程は、10日に決定してから、案内させて頂きますが、他の知り合いの釣り会から釣行日程が届いておりますので、遅くならないうちに、お知らせしておきます。

釣バスの運行費用は高騰しておりますので、日程と行く先に都合がつく場合には、乗ってあげて下さいね、皆苦労していることが良くわかると思い、まとめて案内しました。会費、集合場所、集合時間、審査法など詳しいことは連絡先にお尋ね下さい。連絡先の携帯番号は、まずいと思い、連絡先の氏名のみの紹介にさせて頂きました。

「磯釣りクラブ・和光会」、連絡先は、佐藤安幸さんにお尋ね下さい。#1:5月8日(平田内~上浦漁港)、#2:6月12日(横間漁港~千走港)、#3:9月4日(淡水、茨戸一円)、#4:10月30日(厚別川~浦河港)

「好釣会」連絡先は、森下晃雄さんにお尋ね下さい。#1:4月3日(てっくいランド~熊石港)、#2:5月1日(フトロ川~久遠漁港)、#3:6月5日(須築漁港~瀬棚港)、#4:7月3日(庶野港~音調津漁港)、#5:9月4日(えりも港~目黒漁港)、#6:10月2日(様似港~東洋漁港)、#7:11月6日(えりも港~えりも岬港)

「交綸会」連絡先は、岩本満さんにお尋ね下さい。#1:6月5日(淡水、茨戸一円)、#2:7月3日(淡水、茨戸一円)、#3:7月31日(淡水、茨戸一円)、#4:8月31日(淡水、茨戸一円)。



入力のミスが有っては、と思い、次の2つの釣り会は、送られてきました資料をスキャンして入力したものをご覧いただきます。上は、釣人会主催の魚釣大会日程です。連絡先は、釣人会幹事長の牧野 功さんか、事務局長の佐藤敏人さんにお尋ね下さい。



上は、手稲支部の海猿さんから、届いたハガキのスキャンです。第一回は、名人会さんとの合同大会、3回は林FCさん、札幌サーフさんとの合同大会です。第5回は、石狩の焼肉大福裏に集合しての淡水大会です。連絡先は、木次一正さん、大杉和洋さん、畑 三輝さんです。

昇華

2016-03-05 23:08:19 | 釣り
論文の別刷などに手を掛けすぎておりましたが、共著の著書や分担執筆の著書などに始末がつき、やっと整理に終止符を打てるところまでやってきました。空いた本棚のスペースに、釣針、サルカン、種々の玉、ハリスや仕掛け糸など、釣りの小物類の入ったケースを搬入始めました。

高校の寮に入寮している孫の一人が丁度、やってきましたので、手伝わせ、進捗状況を見せながら、引越し荷物の算段ができやすいよう写真を撮らせて、山形に知らせました。二世帯住宅に、3世代の5人とネコ1匹が住むことになりましたので、空間は、出来るだけ有効に、無駄なく使うべきなんです。

釣りを生かすために多くの有用なものを失いました。竿や竿立て、を3人の使うキッチンから階段横の狭い空間に置いてある花を送られてきた縦長の箱に積み込むだけ詰め込みました。

絶対必要なものだけを選び出し、少し離れた空間に置いてみると、不要なものはすべて同じように見えて来るから不思議です。親子3人の住む空間の為には、不要なものの中に、大事な順番などはなく、どれを捨てても後悔しなくても良いとまで昇華しているようでした。何とか、住み分けられるでしょう。

医釣会50周年記念懇親会パート1

2016-03-04 23:31:49 | 釣り
今夕は、医釣会発足50周年記念懇親会。ウイークデーの勤務も考慮し午後7時からの開催でした。発足以来お世話になった釣り会を始め、財政的にご援助いただいている札幌医師会並びに北海道医師会から、副会長、会長が出席されて和気藹々な夕べを過ごしました。医釣会会員は、医局や研修の後に、全道に分布して行くので、道医とも長い付き合いになっている。北大循環器内科から函館国立病院に出張した伊藤先生は、リタイヤまでの7年間函館に居た。2年頼むと言われた国立札幌西病院からの長期出張が、今年で20年になったと、遠路はるばる、青森県立病院から安保先生がみえられた。ご苦労様。

会員は、歴代の会長ならびに、古参会員、かって活躍されていた古い会員に案内して集まって頂いた。現役の会員は、10日に改めて50周年記念懇親会パート2として総会と年間賞授与などを行う。

歯釣会からは、会長の半田先生と大網先生が出席された。医師会と歯釣会は昭和40年代より当初は、薬剤師も含めて三師会であったが、交互に当番幹事の役を引き受けながら、後に二師会対抗戦を毎年1回開催している。今年は、医釣会が幹事で、アカハラを審査に含める。



写真の挨拶に立っているのは、北海道釣魚連盟副会長の窪田氏(写真上)。医釣会会員に長年、釣技を指導して頂いている札幌名人会の代表でもある。氏家医釣会会長は、名人会会員でもある。医釣会会員は、釣魚連盟としては南支部に所属するものと中央支部に所属するものとに分かれている。中央支部に所属する交綸会は、淡水のみに特化し、磯釣りは医釣会に所属した。代表幹事村さんの祝辞はアイナメさんが代読した。写真の正面におられる医釣会二代目会長のご子息鈴木真一郎先生は、札幌東区の在宅診療の中心的存在になり、いつ起こるかもしれない看取りの為に釣りバスに乗れなくなっている。彼は、覚悟の上でこの道を選んだ。みなさん、感謝していますよ。

符合

2016-03-03 21:26:54 | 釣り
今日は3月3日のひな祭りの日、3日は、つりしんを含む新聞紙の集配日です。写真下は、スクラップしたつりしんの何年間ケ分の一部です。何度かに分けていままでも出していました。



古新聞の集配は、配達店の仕事です。勤務に向かう道すがら、今日のゴミステーション。いつもは、このように、整然と収納されているステーション(写真上)が、既にきれいにセットされておりました(写真下)。





私が動くときに、いろんなことで、奇妙な符合、偶然の一致かもしれませんが起こります。木曜日ですので、外勤かもと、7時過ぎに出勤してきたスタッフに尋ねると、先生は、今朝の外勤にあたってますよ。8時出発で向かった先は、新聞などの綴じ込みを扱う職場でした。新聞紙繋がりでした。

出張健診の会場は、きれいに清掃され、室温も適温に保たれておりました。私達にとっても受診者にとっても快適な環境にセットされていたのでした。


好きな釣り場 #4:寿都山中平盤

2016-03-02 14:51:55 | 釣り
いつも通っていて、釣り会の範囲になっていながら、通り過ぎている釣り場がある。それは、そろそろ、崖を下っても帰りは果たして昇って来れるだろうか、と考えさせて呉れる寿都の山中平盤である。交綸会の例会で2度ほど訪れている。幌満手前の山中平盤と間違わないで下さい。写真下は、左平盤から、降りて右手の離れ岩方面。



昔、後志に無医村診療に出かけた時に降りたことがあったので、寿都の町立病院に何度か出張をした時に、白衣のまま降りて行って、静寂な中に厳かな感覚を持ってしまった場所である。岩場の縁からどん深である。ホッケ、黒、ソイ、をはじめ、アブ、カジカも来る。左側の大きな平盤、千石場所で混み合う。



私にとっては、釣れても釣れなくても良しの場所で、行きたいけれど、一人ではむりだな~と思っている。付き合って呉れそうな交綸会の仲間もみな年老いてきた。オノちゃんやアイナメさんも昇り降りが大変だな~と言っている。写真下は、投げている平盤の後景。奥は、弁慶岬方面



平盤は、少しの時化でも波が洗うので、凪の時にしか行けない。潮位が高い時にも波かぶりとなる。尖った岩が多いので、長靴、胴付きは、傷がつくので、注意が要る。ライフジャケット必携で、単独行は禁忌である。写真下は、降りてから弁慶に向かう途中にある雨除けの洞穴。夜通過するときは不気味。