私のブログに何度も、釣り場として出てきますが、瀬棚が釣り場の範囲になると半分以上は、アカハラ狙いで、黄門さんと最内川左岸に入っております。好きな釣り場#5です。利別川右岸の砂取り場近くまでをいいます。
最内川は、瀬棚新港開発によって、上の写真の風車の奥の方の利別川寄りに流れていたのが、防砂堤が築かれてから昨日の新港左端の岩壁に沿って現在のように流れるようになりました。なお、この写真は、2009年5月に撮影したものです。竿を出しているのが黄門さんだと思います。蟻地獄前の砂浜で初めてホッケを釣ったと喜んでくれました。
現在も多くの健脚の方が向かいますが、昭和40年代大磯会の創設メンバーの当時や、昔の医釣会例会の範囲が瀬棚までの時にも歩きました。交綸会のメンバーが若かった昭和40年代後半から何度か、利別川の砂取り場の方向に足取りも重く、幻の大物を求めて歩いて行きました。大しけの後で波が納まったからいいだろうと出かけて、洪水の跡のように流れ着いた流木に道糸をとられて、とぼとぼ引き返したこともありました。
今でも時化後は、注意すべきでしょう。しかし、50前後のアカハラ、アブラコ、カジカ、カレイ、ほっけなど大物は、おります。砂浜を歩くのは嫌ということで、写真上の蟻地獄のような崖をよじ登って道路にでたことも何回かありました。2006年5月7日当時85を越えていた黄門さんがよじ登って来るところです。交綸会代表のムラさんに、魚、クーラーの半分は海に返さないと、崖は登れないよ、とたしなめられた経験があります。
最内川は、瀬棚新港開発によって、上の写真の風車の奥の方の利別川寄りに流れていたのが、防砂堤が築かれてから昨日の新港左端の岩壁に沿って現在のように流れるようになりました。なお、この写真は、2009年5月に撮影したものです。竿を出しているのが黄門さんだと思います。蟻地獄前の砂浜で初めてホッケを釣ったと喜んでくれました。
現在も多くの健脚の方が向かいますが、昭和40年代大磯会の創設メンバーの当時や、昔の医釣会例会の範囲が瀬棚までの時にも歩きました。交綸会のメンバーが若かった昭和40年代後半から何度か、利別川の砂取り場の方向に足取りも重く、幻の大物を求めて歩いて行きました。大しけの後で波が納まったからいいだろうと出かけて、洪水の跡のように流れ着いた流木に道糸をとられて、とぼとぼ引き返したこともありました。
今でも時化後は、注意すべきでしょう。しかし、50前後のアカハラ、アブラコ、カジカ、カレイ、ほっけなど大物は、おります。砂浜を歩くのは嫌ということで、写真上の蟻地獄のような崖をよじ登って道路にでたことも何回かありました。2006年5月7日当時85を越えていた黄門さんがよじ登って来るところです。交綸会代表のムラさんに、魚、クーラーの半分は海に返さないと、崖は登れないよ、とたしなめられた経験があります。