アメリカ大陸にやってきた「白い人=ビラコチャ」の姿をとらえたいと思います。
増田義郎・友枝啓泰氏共著「世界の聖域(18)神々のアンデス」という本に記述された「ビラコチャ神」を紹介します。
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(引用ここから)
大昔、世界は暗闇につつまれ、そこには一人の支配者とそれに従う人々がいた。
この暗闇にあったチチカカ湖から、あるときビラコチャという人物が何人かの従者を連れて姿を現し、そこから近いティアワナコの地に赴いた。
そして何の前触れもなしに太陽、月、星の天体をつくりだした。
ビラコチャは以前にも現れたことがあり、その時に闇の天地とそこに住む人々を作っていた。
ところが、この人たちが従順でなかったので、怒ったビラコチャはこの二度目の出現のときに彼らを石に変えてしまった。
ビラコチャはティアワナコで再び石で何人かの人間を作った。
それには全体を治める首長、妊娠中の女、子供をかかえた女などがあった。
これをひとまとめにして離れたところに置くと、同じやり方で別の地方の人々も作った。
全部の地方を作り終えると、それぞれの名称、出現すべき地点、担うべき地方を決めて、従者に憶えさせた。
従者たちは2人を残し、ビラコチャの指示通り各地へ散り、大きな声をあげてビラコチャの命に従って現れ出るように、人々の名を呼んだ。
呼びかけに応じて一群の人が洞穴、川、泉、高い山などから石で作られた姿通りに現れてきた。
ティアワナコに残った2人の従者にも、一人は西に、一人は東の地方に行かせ、人々を出現させるように命じ、自分はその中間を行きながら、同じようなやり方で人々を出現させていった。
ビラコチャがカチャ地方に着くと、呼ばれて出てきたカナス族は、武器を手にビラコチャを殺そうと向かってきた。
ビラコチャは天から火を降らせたので、恐れたカナス族は武器を投げ出して、ひざまづいて許しを乞うた。
ビラコチャが杖を振ると、火は消えた。
この後カナス族はビラコチャのいた所に立派な神殿を建て、大きな石像を安置して、金や銀の捧げものをした。
ビラコチャは背が高く足元まで届く白い衣服をまとい、腰には帯を締めていた。
髪は短く切りそろえてあり、手には聖書のようなものを持っていた。
カチャからウルコスに来たビラコチャは、高い山の上に腰を下ろし、そこからこの地の人々を呼び出した。
ビラコチャが腰を下ろしたという謂れによって、そこに立派なワカが建てられ、金で作ったビラコチャの像が置かれた。
ウルコスを出たビラコチャは相変わらず人々を出現させながら先へ進み、クスコへやってきた。
ここではアルカビザという支配者とそれに従う人々を出現させ、子孫を増やすように命じた。
クスコからさらに先へと進んでいったビラコチャは、北の海岸で同じ仕事をしてきた2人の従者といっしょになり、海のかなたへ、まるで地面を歩いていくかの如くに立ち去ってしまった。
・・・
誰しもがこのビラコチャ神を「創造主」と呼び、「真実の神」と言う人もいる。
ビラコチャ神は威厳にあふれ、反抗者を厳しく処罰するが、また寛大でもあり、ときに慈悲に満ちている。
このように描かれたビラコチャ伝説にはキリスト教徒が自分たちの創造主、至高神の概念でとらえようとした一面があることは否定できないが、
同時にこの神が持つ普遍性、遍在性といったものは、すでにインカの国家宗教のパンテオンの中で確立していたと見るべきだろう。
たとえば16世紀末に採録された伝説に登場するクニラヤという神がある。
この神は当時、この地方の人たちからビラコチャと一体視されていたらしいが、その属性はもっと地方的である。
クニラヤは他のワカと争って勝つ勝利者であり、どのワカにもなびかない女神に自分の精子を入れた果実を食べさせて子供を産ませるといったトリックスターの性格まで帯びている。
おそらく、インカがまだクスコの小部族だったころのビラコチャは、これと似たようなワカの一つにすぎなかった。
伝説中のビラコチャには関連した女性らしきものは一切登場しないが、クスコのインカ貴族だけが祀った332のワカの一つにはママ・ラロイと呼んだ石があり、ビラコチャの妻だったといういわれがあった。
一地方の英雄神といった性格は、サンタ・クルスの記録に断片的にうかがえる。
ビラコチャは、時にパチャヤチャチクとも呼ばれた。
これをクロニクスは、創造主の意味にとったのだが、語の意味として「作る」はない。
ヤチャは「知る」とか「認識する」であり、これからすれば、ビラコチャは(世界(パチャ)を認識するということになる。
伝説中のビラコチャも確かになにか物を創り出すというのではなく、その相貌は、ある存在を他から区別し、認識し、それを命名し、指示し、秩序立てることである。
ビラコチャは世界の計画者であり秩序の確立者としての創造者であった。
ビラコチャやその分身の呼びかけをきいて、人々は地下から出現してきた。
石に彫られたり、描かれた計画としてだけの人間やその集団は、そこで生ある存在となる。
この起源は、同じ南米のアマゾン諸族にある「死の起源神」と意味上の対応をつくっている。
アマゾン諸部族の神話では、神や英雄に指示された事柄を五感に聞いたり、見たり触知したり味わったり嗅いだりしなかったために、人間の有限の生命は定められた。
アンデスとはかけ離れたオリノコ川の一部族は、神の指示を耳に聞いて殻を脱いだ蛇やクモは若返りを手に入れたが、聞きそこねた人間は死ぬようになったのだと語っている。
ビラコチャによる最初の区別、認識計画、秩序が知覚されるとき、、言い換えれば、始源の認識が、知覚という肉体を得た時、人間、社会、そして世界が同時に活性化され、現実の世界が存在するようになる。
(引用ここまで)
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>ビラコチャは背が高く足元まで届く白い衣服をまとい、腰には帯を締めていた。
髪は短く切りそろえてあり、手には聖書のようなものを持っていた。
こういった描写、そしてそこから広がるある定型的なイメージについて、どう考えてよいのか、迷います。
しかし、上書の筆者は、それらに西洋人のキリスト教徒的な解釈が入っているにせよ、この白い服をまとったアンデスの神は、本質的にアンデスの土着の神であると思うと、まとめています。
>ビラコチャは、時にパチャヤチャチクとも呼ばれた。
これをクロニクスは、創造主の意味にとったのだが、語の意味として「作る」はない。
ヤチャは「知る」とか「認識する」であり、これからすれば、ビラコチャは(世界(パチャ)を認識するということになる。
「パチャ」が「世界」を意味する語であり、「ヤチャ」が「知る」という意味の語であるならば、「パチャヤチャチク」と呼ばれることもあるという「ビラコチャ」というアンデスの神は、「世界を認識する」という意味の神であるのだと思われます。
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