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イエスの神秘主義は古代宗教に源をもつ・・エドガー・ケイシーの「キリストの秘密」(3)

2018-01-24 | 古代キリスト教


引き続き、リチャード・ヘンリー・ドラモンド著「エドガー・ケイシーの、キリストの秘密」のご紹介を続けます。リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

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        (引用ここから)

この種の「イニシエーション」は、すべての魂がその成長過程で通過しなくてはならないものである。

すべての実体(すべての魂)は、イニシエートとして、自己を解放し、神の随伴者となるという目標を達成するために、同じような墓、つまりピラミッドを通過しなければならないということである。

この教えは、イエスが弟子に語られた言葉、

「自分の十字架を負って私にしたがいなさい」、

「命を見出すために、命をすてなさい」、

という言葉に一致するのである。


しかしながら、ケイシーのリーディングは、イエスのこの「イニシエーション」には、預言の成就という意味合いがあったことを強調している。

つまりイエスの「イニシエーション」は、イエスが磔刑の後、三日三晩、墓の中にいるようになることを予示したものであり、

このイニシエーションによって、イエスは墓の力、すなわち死をも打ち破ることができるようになったのである。


多くのリーディングが、イエスを偉大な奥義体得者であると述べている。

イエスは、さきがけのヨハネと共に、今日、ギザと呼ばれているピラミッドの中で、同胞団の最終階位を授かったのである。

イエスは偉大な奥義体得者、人の子、天父に受け入れられし者だった。

リーディングは、キリスト教発祥以前の、いわゆる全盛期の神秘宗教と、イエスキリストの生涯が、次の点において連続したものであると述べている。


その点とは、

イエス自身が神秘宗教の伝統的儀式に参加したということ、

それと同時に、イエスが神秘宗教の最終目標を体現し、

それによって神秘宗教は少数の者に留まらず、全人類に対して深淵な意義を有するようになった、という点である。


ある意味で、イエスの公生涯は、いとこのヨハネの手によってヨルダン川で洗礼を受けたことと、

その後に続く悪魔の誘惑をもって始まったと言える。


ケイシーのリーディングは、ヨハネについて多くを語っている。

人々から恐れをもって語られていた親戚。

母親は、エッセネ派の祭祀たちに選ばれた。

ヨハネは、ユダヤ人の位の高い祭祀の直系であった。

更に、神殿で仕えるという祭祀の地位を捨て去り、流浪者となり、荒野の教師となったというリーディングは、ヨハネの父・ザカリアを聖所と祭壇の間で殺されたあのザカリアと同一人物であるとした。

そえゆえ、ヨハネが祭司の職を放棄したのもきわめて当然のことであったと思われる。


イエスにとって、このヨハネの手による洗礼によって、公生涯を始めたということは、イエスの目指す方向を象徴的に示した事象として、特に重要である。

その場所柄と時代背景を考えれば、イエスの行為は、既存の宗教組織から見れば、分派、さらには異端宗教を意図しているとしか解釈のしようがなかったであろう。


しかしながら、リーディングは、イエスの教えは、生活様式が完全にヨハネのそれに一致していたと主張しているわけではない。

体を浄化する方法として、ヨハネが教え、かつ実践していた極端な禁欲とは対照的に、イエスは疑念を抱かれるほど、それらのことがらに寛容であった。

またヨハネは、イエスよりもエッセネ派的であった。

というのも、イエスは律法の精神をくんだが、ヨハネは律法を字義通りに取ったからである。


リーディングの描写する洗礼は、明らかに「浸礼」であった。

というのも、イエスは川の中に立ったのでも、水を注がれたのでもないと分かるからだ。


これは、教会の教義と関係なく、一つの興味深い情報である。

しかし、その形式より、その出来事の意義が重要である。


洗礼は、イエスの「イニシエーション」の成就であった。

イエスはそこから荒野におもむき、いわゆる「荒野の試練」を通過するのである。

この「荒野の試練」の目的は、イエスが最初にしたことを再修正するためであったとされている。


つまり〝最初のアダム″としての誘惑を、今度は、〝第二のアダム″として、完全なる勝利をもって反復する必要のあったことを述べているのだ。

リーディングの述べるところによると、イエスは「荒野の試練」の後、ヨハネと会った後に、戻って来ることになる。


戻ってきた場所は、カぺナウムといわれる。

イエスのユダヤ会堂(シナゴーグ)での説教は、イザヤやエレミヤの預言と小預言者らの教えについて、そして彼らが当時の生活にどのようにそれを適応したかについて、であった。

ケイシーは、「イエスの教えと実践の中心的要素は、真理を人生に適用することにあった」と,一貫して強調している。

イエスの最初の説教に関する前述の言葉は、それに完全に一致している。


ケイシーのリーディングによると、イエスがはじめて奇跡を示したのは、ペテロの義理の母を癒した時であるが、記録に残る最初の奇跡は、エルサレムの近くと言われるガリラヤのカナで見せた、「水を葡萄酒に変えた奇跡」であるという。

このことは、ケイシー資料が、「福音書」の中でも「ヨハネの福音書」に記録されている歴史的事象を評価している例の一つである。

リーディングは、この出来事にしてもまた、他の病気治癒にしても、これらを奇跡と呼ぶことにいささかの躊躇もない。


カナでのこの奇跡は、主がヨルダン川から戻られてまもなく、ガリラヤ湖の近くに滞在しておられた頃のことである。

カナでは結婚式があった。

リーディングは、水を葡萄酒に変えたこの奇跡を、遠地より戻って来て、伝道を始めた息子に戸惑うイエスの母親の目を通して語っている。


マリアは、イエスが誕生したときの出来事、

天使・ガブリエルの告知、

いとこのエリザベツを訪れた時の不思議な体験、

更にエジプトでのことや、パレスチナ帰還途上での、尋常ならざる出来事などについて、思い巡らせていた。


「これは最初の試練かもしれない。

だってあの子はたった10日前にサタンを退け、天使から使命をいただいたばかりですもの」。

マリアはイエスがサタンを退けたことについては、既に人から聞いていたのだが、イエスにはまだ会っていなかった。

イエスのカナ行きの目的も、母と話すことであった。

なぜならマリアは、母親としての愛情から、

「この子はいろんな点で人とは違っているけれど、今度は40日間荒野で修行し、そうして、卑しい漁師の所に戻ることで、神の召命を成就することにしたのかしら。

わたしにはまだ分からないわ」と思っていたからである。


この結婚式の花嫁は、リーディングによると、エリザベツの妹の娘であった。

したがって、マリアにとってはいとこの娘である。

彼女の名前もマリアであった。


そして後日、彼女は「もう一人のマリア」と呼ばれるようになる。

彼女はイエスと弟子たちが説教を続けられるよう、物資を提供した人たちの一人であったとされる。

事実、イエスがパレスチナで伝道を行っている時に、聖なる婦人たちがそれに随行したことを示す記述が多数ある。


ともあれイエスの母マリアは、この結婚式の宴を準備するため、大切な役を受け持っていた。

そしてイエスが従者らと共にそこに現れると、イエスと弟子たちはその祝宴に招かれることになった。

花婿は、「後にイエスの従者となるヤコブとヨハネ」の兄で、ゼベダイの息子の一人であったと言われる。


リーディングによると、「ヨハネの福音書」も「ヨハネの手紙」も、正真正銘ヨハネが著したものである。

ケイシーのリーディングは、ゼベダイの息子たちは今日の言葉で言えば、上流階級の人々であって、貧しい人々ではなかった。

ヤコブとヨハネの二人が後日、イエスの伝道に加わったことに関して、別のリーディングは次のように述べている。

ゼベダイの息子たちは、マタイを除く他の使徒たちがそうであったように、今日的に表現すれば、経済的に裕福であり、そのために仕事を捨て、家を出ることができたのであるという。


またゼベタイの家では、イエスをたびたびもてなした。

またイエスが十字架につけられた後、イエスの母親の世話はゼベタイの息子ヨハネに委ねられたという。


葡萄酒が底をついたために、イエスが水を葡萄酒に変える前の様子を、リーディングは次のように描写している。

           ・・・

宴が催されるのがしきたりであった。

モーゼの律法、モーゼの慣習、モーゼの規則を守ってきた人々の習慣と伝統に従って、

特別な方法で準備されたパン。

香料をつけ、丸焼きにされた子羊などが出された。

葡萄酒をたくさん出すことも、しきたりであった。

その日は、汝らの言うところの6月3日である。

そこには野の草花がたくさんあった。

その日は日中もよく晴れていた。

夕方になっても空は晴れていた。

満月が出ていた。

かくして、葡萄酒の飲料は、いや増しに増えていった。

人々ははしゃぎ、輪を作ってダンスにうちこうじた。

これもまた、当時の慣習であった。

           ・・・

別のリーディングは、この出来事を次のように叙述している。

           ・・・

水が、主を認めた瞬間、水は赤く染まり、葡萄酒になったのだ。

覚えておくがよい。

水は、注がれることによって、葡萄酒になったのだ。

水がじっとしていたなら、いかなる葡萄酒も、この「実体(=人物)」の友人に訪れようとしていた困惑を解消することはできなかっただろう。

             ・・・

ここに登場する「実体」とは、ヤコブとヨハネの妹で、花嫁の知り合いであった。

しかし、カナでの出来事の本当の意義は、「結婚式のうたげに主の来臨を賜るという祝福」であった、と別のリーディングは述べている。

このリーディングは、心と精神と肉体との合一であるとされる人間の結婚がどれほど神聖にして意義深いものであるかについて論じている。

心と体が互いに引き合うとき、これは無目的なものではなく、目的にあふれるもの。さよう、神の栄光があらわれんがためのものである。そのことを肝に銘じよ。」と。

             (引用ここまで)

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