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「グノーシスの神話・マンダ教」大貫隆氏著(1)・・「この地を呪うべし」

2017-12-01 | 古代キリスト教



少し前に取り上げた「ユングは知っていた・UFO・宇宙人・シンクロニシティの真相」という本の中に、一神教ではない、異端とされている宗教「マンダ教」の教えが言及されていました。

「グノーシスの神話」大貫隆氏著から、「マンダ教」に関する部分をご紹介させていただきます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

             *****

           (引用ここから)

グノーシス主義とはなにか?

グノーシス主義者が懸命になってひっくり返そうした世界観と救済観は、

1つは「旧約聖書」の世界、初期ユダヤ教と初期キリスト教に受け継がれた創造信仰である。

もう1つは、ヘレニズム期のギリシア哲学、とりわけストア派の自然観である。


「旧約聖書」の持つ、唯一神ヤハヴェと人間の間の絶対的な関係。また、ストア自然学派の持つ、世界と人間の同心円的な世界観と人間観が、

古代地中海とオリエント世界の一隅で、突如として破綻し、宇宙万物と人間の肉体は、「暗黒の牢獄」と語られることとなった。

そのような教義をもつ宗教の一つが「マンダ教」である。

以下に「マンダ教徒」たちが、今なお葬送儀礼の中で用いている「詩編」の一つを紹介する。


                ・・・・・

「マンダ教 祈祷集94」

幸いなるかな

幸いなるかな

魂よ

汝は今この世を去れり。


汝は立ち去れり

滅びと、

汝が住みし悪臭のからだ、

悪しき者たちの住まい、

もろもろの罪にあふれたこの場所を。


闇の世界、

憎しみと妬みと不和の世界を、

惑星たちの住むこの住まいを。


彼らは苦しみと破壊をもたらす、

彼らは日々試練を引き起こす。


立ち上がれ、立ち上がれ、魂よ。

昇り行け、汝がかつて在りし地へ。

そこから汝がこの地に植えられた地へ。

「神々たち」の間の汝の良き住まいへ。


起き上がれ、汝の栄光の衣を身にまとい、

戴くべし、汝の活けるかんむりを。


座すべし、汝の栄光の玉座に、

いのちが光の地に植えし玉座に。


昇り行きて、住まうべし、

汝の体、「神々たち」の間なる住まいに。


汝が学びしごとく、

汝のいにしえの故郷をさきわい、

汝を養いし、この家の地を呪うべし。


汝がこの地に在りし年々は、

「7人」が、汝の敵なりき。

「12人」が、汝を迫害する者なりき。


しかれども、「いのち」はいと高く、勝利に満つ。

この地から去りしこの者も。

            ・・・・・


最後にいう「7人」とは、古代人が考えた7つの惑星のことである。

「12人」とは、恒星天の黄道12宮のことである。

地球のまわりの星々は、「闇の世界」の勢力として人間を迫害する。

人間は自分が、肉体と「魂」(=「本来の自己」)に分裂していること、

その「本来の自己」が、この世界のどこにも居場所を持たないことを発見する。


この世界に対する絶対的な違和感の中で、「本来の自己」が、それらを無限に超越する価値であると信じる。


これが、グノーシス主義者の世界観である。

肉体の死こそは、「魂」が解放される瞬間に他ならない。


解放された「魂」は、どこへ行くのか?

「魂」のいにしえの故郷である。

その在りかは、惑星を超え、黄道12宮を超え、目に見える宇宙万物を超えた彼方、ストア派の哲人が思いもしなかった「世界ならざるもの」、すなわち「世界の外」でなければならない。


それはまた、創造神をも越えなければならない。

悪の勢力としての宇宙の万物、太陽を含む惑星を創造した神が、真の神であり得るはずはないからである。

その結果、目に見える宇宙・万物、及びその創造神のかなたの領域と、今、現に地上にあって、肉体に閉じ込められている「魂」が、平行関係に立つことになる。

「魂」、すなわち「本来の自己」は、目に見える宇宙万物を超越する。

しかしその「本来の自己」そのものを超えるものは、もはや存在しない。

なぜならグノーシス主義者は、人間の「本来の自己」を、端的に「神である」と宣言するからである。
死者の「魂」は、目に見える宇宙のかなたの「光の地」にいる「神々」と兄弟であり、

「魂」は、彼らにとって至高神である「いのち」によって用意された玉座に座る、と表現される。

「魂」と至高神は、同質とされる。

人間を基準とした場合、グノーシス主義は超越なき世界観である。

世界も超越者もない「人間即神也」という考え方が、グノーシス主義の本質である。

          (引用ここまで)

            *****

祈祷書を読んでいると、気がめいってくるような、この世への呪詛の思いがこもっています。

しかし、彼らはおそらく、暗い気分で、この祈祷書を読み、唱えているのではないことと思います。

彼らには、この世の苦しみをあがなって余りある、天上界の幸福が約束されているからです。

彼らの天上界には、「神々」たちがいて、信徒たちは、その「神々」たちと共に、暮らすことができると書いてあります。

「神々」たちという、複数の神がいることも、人間は、それらの神々と対等にいられるのだ、という教義も、世界史で、キリスト教による世界の統一、ということを学んだ人間にとっては、ほんとうに斬新な、特異なものだと感じられます。

しかし、マンダ教は、古代キリスト教の成立期に同時に存在していた宗教ですので、キリスト教を含む、当時の宗教を理解する上で、とても貴重な資料を提供していると思います。



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2 コメント

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感銘 (koike.k)
2018-12-03 04:56:13
初めておとずれましたが、このご文章、すばらしく、わたしの中で、カチッと脈絡がつながり
たいへん、感謝しています。
わたしは 三島由紀夫さんの志向した矢印を
日本人の計画書に、と書きつづけてきました。
引用されたグノーシス のくだりは、まったく呪咀なんぞには おもえず。
まったく明るい自由のベクトルにおもえます。
わたしの論も三島さんは、世界の外へ!を目指した、というものです。
そして、自身が新しい神になる。( 藤原定家とおなじ志向 )
そして虚無に、対して、この世には存在しない薔薇を、久遠の花を、
対置させる、、、、

三島邸の庭には、黄道12宮があり真ん中に
イタリアに特注したアンティノウス像があり
彼はいつもそれを視ていました。
清明をきわめて、魂の解放、正午の昇天。
三島さんもまた ゾロアスターの関与があったのでしょう。
(また、前世 三島さんはエッセネ派の指導者だったとか、いろいろ、、)
とにかく、とても重要なことを教えていただき感謝です。
いちばんやりたいのはグノーシス として三島さんの計画を敷衍したかった。そんな勘はありましたがでもグノーシス って何?という段階。しかし
グノーシス の解説は 教科書的ばかり。
たすかりました。
これから蓄積されたご文章の森に
ふらりと訪れたく。
できれば、メールなどでも
直接 教えていただけたら、^ ^

では
koike
コメントありがとうございます。 (veera)
2018-12-26 13:55:06
koike.K様

コメントを、どうもありがとうございます。

わたしも、キリスト教が成立する頃の、もろもろの宗教に興味があり、エッセネ派は、魅力的だと思います。
エッセネ派の光 と闇を見ていくと、エッセネ派の光は、この世のものではないと思われます。
今にいたるまで、宗教として、引き継がれていることにも、納得がいくように思われます。

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