引き続き、ルドルフ・シュタイナーの「仏陀からキリストへ」という本のご紹介をさせていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
西暦紀元の始まりの頃には、人類の進化にとっての最も重大な出来事を成就させるために、非常に多くの意味深いことが起こりました。
「ゴルゴダの秘蹟」に向けて進行してゆく霊的経過を理解するためには、以下のことも考察しなくてはなりません。
古ヘブライ民族の中にダビデという家系がありました。
このダビデ家は、始祖たるダビデにまで遡ります。
聖書(第2サムエル書・5・14)には、ダビデはソロモンとナータンという二人の子を持っていたと記されています。
「ソロモン系」は王の系譜、「ナータン系」は司祭系に属していました。
イエスはこの「ナータン系」のヨセフとマリアの間に生まれた子です。
また「ソロモン系」のヨセフとマリアの間に生まれた子もイエスと名付けられました。
この子の使命は「ナータン系」のイエスとは別のものでした。
宇宙の智は極めて深いものです。
「ソロモン系」のイエスは、成熟した魂を持つ者だけが与えることのできるものを人類にもたらすという使命を、l帯びていました。
この子は、かつてペルシアでアフラ・マズダーについて教えを説き、ヘルメスにアストラル体を、モーゼにエーテル体を与え、カルデアではザラタスという名で現れてピタゴラスの師となったゾロアスターの生まれ変わりに他なりません。
ゾロアスターの自我は「マタイ福音書」に記されているベツレヘムに住んでいたダビデ家の王家、すなわち「ソロモン系」のヨセフとマリアの間に生まれた子供の中に再受肉したのです。
この「ソロモン系」のイエスに、原ペルシア文化の創始者であるゾロアスターが再受肉しました。
ゾロアスターはペルシア民族に偉大な“太陽存在”=アフラ・マズダーの教えを与えました。
この“太陽存在”は、私たちが目にする物質的な太陽の、霊と魂の部分です。
ですからゾロアスターは「物質的な太陽が輝いているのを見るだけではなく、物質的な太陽の働きがその光と熱の中に現れているように、物質的な太陽に恵みを注ぎかけている霊的な力強い“太陽存在”を見るように」と言ったのです。
後に「キリスト」と名付けられることになる「アフラ・マズダー」を、ゾロアスターはペルシア民族に示していました。
けれどもゾロアスターは、地上に受肉した“太陽存在”について語ったのではなく、太陽を指さして「太陽に住む霊、アフラ・マズダーは次第に地上に近づきつつあり、いつか地上での生を送ることになろう」と言いました。
ここにゾロアスター教と仏教の相違があります。
ゾロアスター教と仏教を長い間分断してきた深い差異は、パレスチナで生じた霊的な出来事によって埋められ、互いに若さを取り戻しました。
(引用ここまで)
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Wikipedia「ゴルゴダの丘」より
ゴルゴタの丘は、エルサレムの丘。
新約聖書においてイエス・キリストが十字架に磔にされたとされる。
新約聖書には、ここで弟子のイスカリオテのユダの裏切りを受けたイエス・キリストが十字架に磔にされたと書かれている。
場所については諸説あり、はっきりとは分かっていないが、聖墳墓教会のある場所がゴルゴタの丘だといわれている。
日本のカトリック教会ではラテン語から派生した「カルワリオ」の丘と呼ばれることがあり、ラテン語より派生した英語の「カルヴァリー(カルバリー、(Calvary)」 はプロテスタントの教会の名前によく用いられるが、「ゴルゴタ」も「カルワリオ」も「カルヴァリー」も、すべて「髑髏(どくろ)」という意味をもつ。
日本ハリストス正教会では教会スラヴ語から「ゴルゴファ」と転写される。
一説には人祖アダムの墓がここにあったともいわれ、磔刑を表した絵画にはしばしばイエスの十字架の下に髑髏が描かれることがある。
日本語では、ゴルゴタはゴルゴダと最後の音が濁音となって流布している。
wikipedia「マタイによる福音書」より
マタイによる福音書は新約聖書におさめられた四つの福音書の一つ。
伝統的に『マタイによる福音書』が新約聖書の巻頭に収められ、以下『マルコによる福音書』、『ルカによる福音書』、『ヨハネによる福音書』の順になっている。
『マタイによる福音書』は構成上、五つの部分に分けることができる。
• イエス・キリストの系図、誕生の次第、幼年時代、公生涯の準備(1-4:16)
• ガリラヤ及びその周辺での公の活動(4-17:16:20)
• ガリラヤにおける私的な活動(16:21-18)
• ユダヤにおける活動(19-25)
• イエスの死と復活(26-28)
本書の目的は、イエスこそが「モーセと預言者たちによって」予言され、約束されたイスラエルの救い主(キリスト)であると示すことにあり、イエスにおいて旧約聖書の預言が成就していることを示すことであった。
『マタイによる福音書』には旧約の引用が多く見られるが、それらはイエスの到来を予告したものとして扱われている。
旧約からの引用箇所は65箇所にも上り、43箇所は地の文でなく語りの中で引用されている。
この福音書の狙いは「私は廃止するためでなく、完成するために来た」という言葉にもっともよく表現されている。
『マタイによる福音書』は、イエスはキリスト(救い主)であり、イスラエルの王の資格を持つダビデの末裔として示している。
このようなイエス理解や文体表現から、パレスチナにすむユダヤ人キリスト教徒を対象に書かれたと考えられる。
また、反ユダヤ的色彩があり、そのユダヤ人観がキリスト教徒、特に中世のキリスト教徒のユダヤ人に対する視点をゆがめてきたという説もある。
イエスの多くの言葉が当時のユダヤ人社会で主導的地位を示していた人々への批判となっており、偽善的という批判がそのままユダヤ教理解をゆがめることになったというのである。
しかし、実際にはユダヤ教の中でも穏健派というよりは急進派・過激派ともいえるグループがキリスト教へと変容していったとみなすほうが的確である。
本文からは『マタイによる福音書』の正確な成立時期については聖書学者の間でも意見が分かれており、エルサレム陥落前(紀元60年 - 65年)に書かれたとする説と、陥落後(70年代)に書かれたとする説に分かれる。
いずれにせよ、遅くとも紀元85年ごろまでには成立したと考えられている。
『マタイによる福音書』自身には、著者に関する記述はない。
この福音書の著者は、教会の伝承では徴税人でありながらイエスの招きに答えて使徒となったマタイであるとされている。
その理由として、福音書の特徴より著者が『ユダヤ人クリスチャンであること』、『旧約聖書についての知識、興味があること』、『律法学者の伝承に通じていること』があげられ、内容的に『金銭問題』や、『徴税人』について数多く触れられていることなどがあげられる。
一方、現代のリベラル派の聖書学者の多くはこの伝承を疑問視している。
マタイがこの福音書の著者であるという伝承の元となっているのは教会史家カイサリアのエウセビオスによる『教会史』の第3巻で、2世紀のヒエラポリスの司教パピアスの失われた著作からの引用として「マタイがヘブライ語で言葉(ロギア)を記した」と記している部分である。
また、歴史家エウセビオスによる次の報告にも根拠を置く。
「マタイは、はじめはユダヤ人に宣教していたが、他の人びとのところに行こうと決めたとき、彼らに告げた福音を彼らの母語で書いた。こうして彼は、自分が去ろうとしている人びとが、自分が去ることで失うものを著作で代えようとしたのである」(ibid., III, 24, 6)。
現代、リベラル派でもっとも有力な仮説とみなされる二資料説では、『マタイによる福音書』は『マルコによる福音書』と「イエスの言葉資料(語録)」(ドイツ語のQuelle(源泉)からQ資料という名前で呼ばれる)から成立したと考えられる.
さらに「M資料」というマタイによる福音書独自の資料も執筆時に参考にしていると主張する説もある。
この主張は聖書信仰の福音派では受け入れられていない。
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