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地獄と申するは、暗き処にもろもろ天狗にまた天狗・・隠れキリシタンの世界(3)

2014-03-15 | 日本の不思議(現代)


引き続き、宮崎賢太郎氏の「カクレキリシタンの信仰世界」のご紹介を続けさせていただきます。

筆者は、現在も長崎の小島に現存する隠れキリシタンの世界をつぶさに見ています。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


             *****

          (引用ここから)


「上がり様」

四旬節の終わり=「悲しみの上がり」、すなわち復活祭に相当するもの。

入りの日から数えて46日目を「上がり様」としている。

年間の諸行事の最後を締めくくる行事とされ、この日に役の交代式が行われている。


「四十日目様」

「上がり様」より40日目にとる。

カトリックではキリストが復活(=上がり)して40日目に昇天した祝日にあたる。


「お授け」

「お授け」は洗礼である。

キリスト教における「洗礼」は「再生」を意味し、“豊かな死と復活”の象徴的儀礼である。

「洗礼」の意義については、キリシタン時代においても、明治時代の復活期においても、また現代においても、ほぼ共通した教えがなされてきた。


キリシタン時代の代表的な「教義書」である「ドチリイナ・キリシタン」には、

「バウチズモ(=洗礼)とはキリシタンになるサカラメント(=秘跡)なり。これをもてヒイデス(=信仰)とガラサ(=恩寵)を受け奉り、オリジナル科(=原罪)と、その時までに犯したるほどの科(とが)を許し給うサカラメント(=秘蹟)なり」

と述べられている。


「洗礼」とは神より信仰と恵みを受け、罪を許されて信者として認められる儀礼であるという。

ある親父様(神父)は「人間に生えている角を取るためである。角は罪を意味する。人間の罪を取り去り、キリストの身内になることである」と洗礼の教義の核心をついている。


「オラショ」

オラショとはラテン語のOratio(聖歌)に由来する言葉で、キリシタン時代より親しく用いられ、現在にいたるまで〝カクレキリシタン”の間で用いられている。

生月島・壱部地域で歌われている「サルベレジナ」は以下の通り。


                   ・・・

あわれみの御母 皇妃にてまします

御身に 御礼をなし奉る

われらが一命 かんめい

頼みをかけ奉りて 流人となる、ようなる子供に 御身は

しゃくびようなし奉る この涙のためにて、うめき泣きて 御身に願いを かけ奉る

これによって 我らが御とりなしの、あわれみの御まなこを、我らに見向かわせたまいや

またこの流浪の後は、御体内はたあくにてまします、りょうすは、我らに 見せ給いや

深き御にゆうなんなり、深き御あいりんなり、すぐれて天子まします、びるぜんまりや

かのたあとき、でーうすの御母キリスタン、おの約束を受け奉る、身となる様に

たのみ給いや 、あんめいぞーすまりや

                  ・・・

この歌は、西暦1600年に長崎で刊行された祈祷書「おらしょの翻訳」では以下のようになっている。

                   ・・・

あはれみの御母 后妃にてまします 御身に御礼をなし奉る。われらが一めい、かんみ

たのみをかけ奉る 御身へ おれいをなし奉る。

るにんとなる エワの子ども 、御身へ

さけびをなし奉る。此な涙の谷にて うめき泣きて 御身に願いをかけ奉る。

これによて 我らが御とりなして、あはれみの御眼を われらに見むかはせたまへ

又此るらう後は 御胎内の たつときみにてましますゼズスを 我らに見せたまへ。

ふかき御にうなん、深き御あいれん、すぐれてあまくまします ビルゼンマリヤかな。

デウスのたつとき 御母キリシトの 御やくそくをうけ奉る身となるやうに、

たのみたまへ。アメン

                   ・・・

「地獄様の御歌」

この歌の成立は、17世紀中期のキリシタン潜伏時代初期の 生月島の信徒によるものと思われる。

生月の聖地・中江の島で殉教した人々を慕い、パライゾ(パラダイス・天国)を望む、美しく哀しい歌である。

                    ・・・

参ろうやな 参ろうやな パライゾの寺にぞ 参ろうやなあ

パライゾの寺と申するやなあ、広い寺とは申するやなあ

広いか狭いかは わが胸にあるぞやなあ

                   ・・・

「ぱらいぞのひらき」

この歌は、生月島壱部地域のオラショ。

キリシタン時代の教科の香りがどことなく残っているように感じられる。

「パライゾ」は天使や聖人、そしてデウスを直接に拝むことのできるところであるとされ、天国・地獄の観念の核心を突いている。

                   ・・・


ぱらいぞう「天国)と申するは、天月星、もろもろのはんじょう(アンジョ=エンジェル=天使)、びわと(ペアト=聖人)にかぎり、おのれの喜び こうむる処なり

いんへりど(インフェルノ=地獄)と申するは、大地なそこ(底)に、暗き処に、かの天狗に、もろもろ天狗にまた天狗のしたがい、人間のありま(アニマ=魂)限りなし、苦しみ受くる処なり

                   ・・・               

                (引用ここまで)


                 *****


隠れキリシタンの方たちは、日本で西洋の文化を受け入れた最初期の方たちだと思いますが、西洋と東洋が混ざり合った、独特の世界を創り上げていることに感嘆します。

信仰に命をかける、という生き方も、日本人としては特異な生き方だと言えると思います。


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