始まりに向かって

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先住民に学んでこそ未来が開ける・・小原田康久「ホピ的感覚」(2)

2012-07-12 | ホピ族


小原田氏の「ホピ的感覚」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。   

       *****


        (引用ここから)

1977年、ホピ族のメッセンジャーと出会ったことがきっかけで、宮田氏は人生の大半をインディアンの地で過ごし、彼らのメッセージを映像として残す仕事に専念することになったのである。

宮田氏は語った。

「アメリカ大陸横断平和行進」の時にホピの予言のメッセンジャー、トマス・バニヤッカ氏に出会ったんです。

彼はホピ族に言い伝えられている予言を伝えるべく、世界を回っていました。

原爆が広島と長崎に落とされることが、「ホピの予言」の中で何千年も前から言われていたことを、彼から聞いて、非常に驚かされました。

トマス・バニヤッカ氏は、初めて会うわたしに、

『私はあなたがやってくるのを知っていた。
あなたたち日本人は特別の役割・使命を持った人たちだ。
太陽のシンボルを持つ人たちだ。

私たちは遠い昔からあなたたちを知っていた。
遠い昔に、私たちの土地から別の土地に分かれて行ったが、ある日帰って来て、私たちを助け、一緒になってこの世界を浄化していくだろう、と。

そういうことが、私たちが何千年も大切にしてきた予言に語られているのだ。』

と言ったのです。」


このバニヤッカ氏の言葉は、宮田氏にとって啓示であった。

以来日本でアニメや劇画のシナリオを書いてはお金を稼ぎ、それを全部アメリカへ持って行って、映画作りの資金とするという生活を続けているのである。

そんな彼の活動を理解する人が、ここ数年増えてきているという。

ホピのメッセージを聞ける人が、あちこちに現れてきたということだろう。

ホピ族を通して、地球の悲鳴がより多くの人の耳に届くようになったのである。


現代文明は、アメリカインディアンやアボリジニといった先住民たちの、神様と密接な関係を保ちながら暮らしてきた生活を破壊した上に成り立ってきたのだ。

精神性を無視した科学の発展は、私たちに“これこそ幸せだ”と思わせるような物質的な豊かさをもたらしてくれた。

しかしながらその代償として、私たちはこの何百年かの間で、得ることができた物質的な豊かさでは穴埋めできないような大切なものを失ってきたのである。

そのことに人々が気づき始めているのが現代だと、「ホピの予言」は言っている。

私たちは「ホピの予言」で言われているような、大きなターニングポイントを迎えている。

変化の必要性を本能で感じとっている。

その一つの方法として、もう一度古きインディアンの精神の戻ろうと、関心がインディアンたちに向かいつつあるのだろう。

いろいろな方法で新しい時代が語られてきたが、少なくともここ数百年の先住民を虐待してきた歴史の延長には、人類の未来が存在し得ないことは間違いないことだろう。

先住民に学んでこそ、未来は開けてくるのだ。

それが実現出来なければ、私たちには 自己破滅の道しか残されていないのである。

宮田監督は語った。


「ナバホ族の人たちの中には被爆者がたくさんいるんです。
1966年までアリゾナやニューメキシコではウラニウムが掘られていました。
その採掘現場や精錬所で働いていたのがナバホの人たちだったのです。」

ここで掘られたウラニウムは第二次大戦で広島・長崎に落とされた原爆の原料になったと言われている。

このことを「ホピの予言」の中では、

「太陽のシンボルを持つ国が灰のつまったひょうたんを二つ、空から投下され、すさまじい破壊がもたらされる」、と言い伝えられてきた。

多くのホピの人たちが村を捨ててしまう中、周囲からは非難や中傷を受けながらも、マーティン氏らはかたくなに予言の言葉を守ってきた。

彼らよりも年長の人はもう亡くなってしまっている。

彼らよりも若い人は「ホピの予言」を迷信だと馬鹿にしている。

今ではマーティン氏が「ホピの予言」を伝え守っていく最後の砦なのだ。

        (引用ここまで)


         *****


wikipedia「インディアン」中「レッドパワーによる主な抗議運動」より

1978年2月11日:「ロンゲスト・ウォーク」

BIA(インディアン管理局)によるインディアンの土地の開発に抗議して、サンフランシスコのアルカトラズ島からワシントンに向けて、400人以上のインディアン、白人、黒人、アジア人、日本人が4828キロ(3,000マイル)を行進したもの。

インディアン達は、ホワイトハウスの門前にティピーを建てた。

ロンゲスト・ウォークは、「涙の旅路」などのインディアン強制移住の苦難を再現したものであり、デニス・バンクスが、ジム・ソープの業績を記念し、平和的な抗議行動として発案したもの。

ジム・ソープの子供達も参加した。以後、現在まで毎年行われている。


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