始まりに向かって

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「ホピ的感覚」(4)・・正しく生きていれば精霊に守られる

2012-07-30 | ホピ族


小原田氏の「ホピ的感覚」を読んでみました。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


            *****

          (引用ここから)

ホピ的な生き方

私たちが生き方を見つめ直す上で、「ホピの予言」から得るものは大きい。

「予言」には、マサウと呼ばれる創造主が私たち人間に正しく生きる道を示してくれたとある。

その道を歩んでいけば、特別な修行や努力をすることもなく霊性を高めることができ、自然に次のユートピアともいえる世界に辿り着けるのである。


マサウが示してくれた道とは、どんな道なのか?

伝統的なホピの人々の生き方から、その答えは見つけだすことができるはずである。

もっとも重要な点は、ホピの人々が精霊と共に生きてきたということだろう。

カリフォルニアピークスという山に住む1000を超える数の精霊たちは一年の半分をホピの村で過ごし、人々にさまざまな恵みを与えてくれた。

作物が成長し、人々が喉を潤すに必要なだけの雨を降らせてくれ、家を作るに十分な石と土、衣類になる植物や動物を与えてくれたのである。

ホピの人々は、心からの感謝を込めて、それらを精霊から受け取った。

もちろん精霊たちは人間の目に見える存在ではなかっただろう。

しかしホピの人々は精霊の存在を感じながら生きていた。

精霊たちが導いてくれていることを実感として感じていたのである。


精霊たちとの接触は祈りによって行われた。

祈りの形はさまざまだったろう。

彼らの踊りもその一つだろうし、メディスンマンが行うような儀式も、精霊たちへの意思の伝達手段としてあったのだろう。


ホピの人たちは、神様は存在するという前提のもとに生きてきた。

そして神様はすべてに宿っていると考えていた。

この世の出来事はすべて神様の意思で起こってきたものである。

だからどんな災害が起ころうと、どんな不幸に見舞われようと、彼らにとっては、それは神様の意思であるから、感謝の気持ちですべてを受け入れることができたのだ。

食糧が無くなっても、いつかそれは与えられるものであるから、彼らはじっとその時が来るのを待った。

雨が降らなければ雨乞いをしながら、神様が降らせてくれるまで辛抱強く空を眺めていた。

それで生きるのに十分な食料や水を得ることもできたのである。


神様はけっして悪いようにはしないと信じているから、そのようなことができるのである。

自分たちの願いは必ず神様の下に届くと信じているから、けっして焦ったりすることもない。

さらに彼らが知っているのは、神様の意思の前には、人間の力など無力であるということだ。


現代人の力をもってすれば、砂漠に水道を引くことも可能だろう。

トラックで食糧を運んでくることもできるだろう。

しかし彼らはそれをしなかった。

神の意思を感じることなく飢えや渇きを癒しても、一時しのぎにすぎないことを知っていたのである。

神様は、自分たちが正しく生きていれば必ず守ってくれる。

食糧がなかったり、水が不足するのは、自分たちが何か間違っているからだ。

彼らは何が間違っているのかを考え、答を出す。

そうすれば畑にトウモロコシが実り、雨も必要なだけ降ってくるのである。

神様がいることを前提にした生き方がより多くの人に広がっていけば、地球も、人間以外の生き物や物も、どんどん健康を取り戻していくだろう。

すべてが幸せになる生き方が、神様の存在を前提にすれば可能になってくる。


               (引用ここまで)

                 *****


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