始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

ホピの予言のある風景・・「ホピの太陽」から

2009-10-06 | ホピの予言と文明の危機

文化研究者である北沢方邦さんとお連れ合いの青木やよひさんは、1971年に初めて、ホピの地を訪れておられます。

彼らはその後1975年、1984年と訪問を続けられ、とても貴重な経験を何冊もの著書にまとめておられます。

ホピ族の方たちとの交際から実り多い考察をめぐらして書かれたそれらの著書は、“野生の思考”を取り戻そうとする当時の文明論の流れを、翻訳ものから、日本人による思考として根付かせた役割は大きかったと思います。


1975年、2回目のホピの地訪問を終えて北沢方邦氏が著した本「ホピの太陽」にある、ホピの村の日常のひとこまを、抜粋・引用して紹介します。


         *****


            (ここから引用)

わたし達が出発する前の日の朝、村では泉の清掃儀式が行われていた。

その日は朝から村はなんとなく神話的で童話的な気分に包まれていた。

というのは、静かな朝の村のそこかしこに、鈴の音やカメの甲羅の音、あるいはフー、フーという呼吸音など、それぞれのカチナに固有の響きが鳴り渡り、あの辻、ここの通りにキヴァから姿を現し、見るからに恐ろしげな黒鬼やフクロウなどの姿が、ちらちらと見え隠れしていたからである。

祭りの日ならいざ知らず、きわめて日常的な村のたたずまいに、極彩色のカチナたちが出没するとはなんと幻影的で、超現実的な風景であることだろう。

わたし達は家の窓からこの一服の超現実派の絵のような光景を眺めていた。

そのうちに黒鬼のカチナが一件一件の戸口を回り始めた。

あたりを睨みまわす独特のしぐさをしながら、何やらホピ語の口上を述べ、それに答えた口上を受けるやいなや、隣の家へと去っていった。

やがて各戸から現れた大人たちは、手に手に掃除用の道具をもってメサの下の泉の方に降りていき、また幼い少年少女たちも家々からぞろぞろと現れて、天水溜の方に向かっていった。

シドニー家の末子も素足になって裏口から一人で出て行った。

その間にもカチナたちは村の辻辻に出没し、独特の叫びや声をあげている。

子どもたちは裸足で天水溜に降り立ち、石やごみを拾い出しては捨てていく。

カチナたちはいわば子ども達を監督し、励ましているのだ。

子どもたちはカチナ達にたわむれに追いかけられて、きゃっきゃと逃げ回ったり、また作業に戻ったり、きわめて楽しげに働いている。

わたしは子どもたちの自主性や自立性を尊重しながら、強制を同意に変え、労働を神話的な遊びに変える、このホピの部族教育のすばらしい知恵に打たれた。

ホピではカチナ儀礼以前の子供は厳しいしつけの対象となる。
ときには体罰もくわえてホピの価値体系を教え込む。

小さな虫や植物にいたるまで、すべての生き物を理由なく傷つけ、殺すことはもっとも厳しく戒められる。

無機物も含め、全自然は人間の友愛に満ちた兄弟なのだ。

ついで、怒りとかしっとといった、人間のもっとも醜い感情を表すことは悪いことであり、恥ずかしいことであると蔑まれる。

すべてこうした“ホピ(平和)”の信念に反する行動は“カホピ(ホピでない)”の一語でしりぞけられる。


この時期の子供たちにとって、カチナは実在する精霊であり、子どもたちの集団の背後に無言で存在する宇宙的な監督者である。

氏族の祖父たちや祖母たちから語り継がれる無数の神話や伝説は、彼らの文学であり、芸術であり、こどもたちの想像力は現実のカチナの姿に結び付いてその翼を宇宙の果てまで広げる。


こうしてある時、カチナ儀礼の日がやってくる。

少年少女たちはキヴァの暗闇の中に儀礼父母と共に一人づつ招き入れられ、恐ろしいカチナの手から厳しいむち打ちを与えられる。

そしてむち打ちのあとで、カチナは静かに仮面を取り外し、鞭打った者が、神々の霊ではなく、村の隣人だったことを教える。

この瞬間、少年少女はカチナが、人間によって実行される精霊たちの使者にすぎない現実を認識するとともに、目に見えない精霊たち、言いかえれば超自然的なものと、目に見える全自然と、そしてカチナ仮面をかぶる隣人と同じ人間であるおのれとの、三者の関係を理解し、それらのものの調和の世界の中で、人間の負うべき責任と義務とに目ざめるのである。

彼らはもはや一人前とみなされるとともに、自分たち自身の自立した独自の集団の世界を形成する。

そしてキヴァ結社に加盟し、それによって大人たちとの新しい関係の中に踏み入るのである。

少年たちはそれぞれのキヴァ結社固有の教育を受け、儀礼や祭りのやり方を学び、仮面を作り、モカシンを縫い、カチナ人形をつくる技術を習得する。


男性には、最後にウウチム=成人儀礼がやってくる。

この儀礼はホピの諸祭礼や諸儀礼の中でも、最も恐ろしい秘密の帳に包まれている。

ウウチムの夜、村は封鎖され、外部と完全に遮断される。

村の入口はもちろんのこと、辻辻には一角の兜をかぶり、槍を手にした一角獣結社の屈強な男たちが終夜、警護の陣を張り、キヴァの秘密を盗もうとするものを容赦なく殺そうと待ち構えている。

しかしウウチムは、人類の誕生と受難の秘密をすべて集約した、人間の死と再生の秘儀なのであり、もしこの秘密が破られるなら、ホピのみならず、人類全体におそろしい災厄を招くに違いないのである。


教育的見地からすれば、少年が男となるためには、単に一部族だけではなく、人類と世界全体に対する、この恐ろしいまでの責任の自覚が要求されるということに他ならない。

ここに、われわれの文明に対するホピの教訓がある。

              (引用ここまで)

 
     *****


ここに書かれているウウチム祭などホピの祭りは、たいへん意味深いものと思われます。

次回からホピの祭りについて、紹介していきたいと思います。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「ホピの予言より」(197... | トップ | ホピの祭り・・・生命の夜明... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ホピの予言と文明の危機」カテゴリの最新記事