始まりに向かって

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2012年(2)・・プレアデスが天頂を通る時

2011-07-20 | マヤ・アステカ・オルメカ
エイドリアン・ギルバート著「古代マヤ文明の暗号・2012」を読んでみました。

大変興味深いので、ご紹介させていただきたいと思います。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。


        *****

           (引用ここから)


「太陽のピラミッド」はテオティワカン遺跡全体の中でも最も重要なものであることは間違いない。

「太陽のピラミッド」は洞窟構造の上に位置している。

おそらくピラミッドの建設のはるか以前から聖地とされていたのだろう。


その上に都が花開いていた頃には、何らかの祭儀目的で用いられていたことは間違いない。

このことは洞窟内から発見された奉納物から確認されている。


ピラミッドの下の封印された洞窟の中から、黒曜石の鏡の破片が数多く発見されているが、これはもしかしたら秘教的宗教とのつながりを示すのかもしれない。

現代の考古学者や歴史学者の多くは「太陽のピラミッド」の下の洞窟構造はケツァルコアトルの神話と密接に関連していたと考えている。

ケツァルコアトルは現行の太陽を空に運動させるために我とわが身を捧げたが、それがまさにその場所だったというのだ。


一方、「太陽のピラミッド」の方向には、天文学的な目的があったと思われる。

だからこそアステカ人はこの建造物を「太陽のピラミッド」と呼んだのである。

とは言うものの、元来の建造者たちがこれを何と呼んだのかはまったく不明だ。


このピラミッドから「死者の道」の方向に直角に向かうと、特定の日の日没の地点を示す方角となる。


それが建造された起源300年頃には、この日、太陽は「おうし座」に位置し、「プレアデス星団」の真下にあった。

「プレアデス星団」は、サアグンらの資料によれば、52年ごとに行われるアステカの祭儀において重要な役割を果たしていた。

52年という周期のこの祭儀は、常に11月のプレアデス星団が真夜中に天の子午線と交わる日に行われていた。



「バチカン・ラテン絵文書」によれば、4つの時代は次の通りである。


         ・・・

「最初の太陽の時代」は4008年の間続き、当時生きていたのはトウモロコシを食う巨人だった。

この時代の終わりに、太陽は洪水によって破壊された。

幸いなことに、一部の者が魚になって洪水を生き延びた。

生き延びたのは一組の夫婦だけだという話もあれば、また7組の夫婦で、洞窟に隠れ住んだという話もある。

そのあと彼らは再び地上に人間を増やした。

この時代は水の神の妻に支配されていた。


「第二の太陽の時の長さ」は4001年だった。

その期間、人々は野生の実を食べていた。

この太陽は風の神によって破壊された。

一部の者はサルとなり、木にしがみついて生き延びた。

その破局は「一犬の年」に始まった。

岩に乗っていた一人の男と一人の女が破局から救われた。

この時代は黄金時代であり、風の神が支配していた。


「第3の太陽の時代」の長さは4081年である。

当時の人間は第2の太陽を生き延びた夫婦の子孫である。


この世界は火によって滅ぼされた。

この時代は「赤頭」と呼ばれ、火の神が支配していた。


「第4の太陽」は、5026年前に始まった。

この時代は「黒神」と呼ばれ、この時代に「トゥーラ」が建てられた。

血と火の雨の後、人々は餓死した。


      ・・・


この話は「諸太陽の伝説」とはまったく異なるが、おそらくより正統的なものだ。


これらの話から明らかなのは、アステカ人の考える周期は、四季や4方位などのパターンを踏襲するものだったということだ。

「アステカの暦石」に示されるすべての時代の循環は、一日の始まりから終わりまでの循環を長い期間にあてはめたものと言える。

とは言えアステカ人は中央アメリカに住む多くの部族のたった一つにすぎず、「時代の周期」に関する彼らの知識は限定的なものであったと思われる。


真に「時代」を知っていたのはマヤ人である。

彼らはアステカ人と異なり、音節文字を用いて書くことが出来た。

その結果、彼らの文化が絶頂に達したのはアステカ人の到来よりも何世紀も前だったにも関わらず、かつての中央アメリカ全域で共有されていた信仰に関して、遥かに多くの情報を残してくれているのである。


           (引用ここまで)


               *****


「プレアデス星団が真夜中に天の子午線を通るのを見る」52年に一度の行事というものが気になりました。

ホピ族も、「プレアデス星団が天頂を通るのを見届ける」儀式を行っていた、という記述を思い出したからです。



2009年10月15日の当ブログのホピ族の祭り「ウウチム祭」の紹介記事を再掲します。

「生命の一本道を通って第4の世界に現れる・・ホピの祭ウウチム祭(その3)」
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/d1e4a6f1b6832573a654a5bed3df309c


           *****


フランク・ウォーターズ著「ホピ・宇宙からの聖書(Book of the Hopi)から、ホピの祭り「ウウチム祭」を紹介しています。
前回の続きで、抜粋し引用します。


      ・・・・・


       (引用ここから)


「髪洗いの夜」はウウチムの中心的儀式である。

ホピの子供たちは思春期に入る前にカチナかポワムいずれかの宗団に参入させられる。

ウウチムの入団者はより高度な段階の霊的訓練に導き入れられる。

また彼らは、創造の夜が明ける時にこの新世界に現れた、最初の人類をも象徴している。

このためどんな人間の弱さにも負けない者とみなされ、この世の悪とは無縁でいなければならない。

「道の封鎖」によって、村があらゆる人間から閉ざされ、村の東半分が空になり、入団者たちが祭司と有益な霊人たち以外、誰とも接することが出来なくなるのはこのためである。


このような秘密と厳粛さのうちに、彼らは教父たちに連れられてハウィオビ・キバに導かれる。

入団者はキバの東端にある高い床に座り、西の低い床には祭司たちが座る。

ハウィオビとは「一本道」の意味。

キバそのものはかつての地底世界を象徴し、彼らは今そこより地上に現れようとしているのだ。

入口はただ一つ。
はしごでつながっている屋根の入り口のみである。

儀式が終了し、彼らが創造の純粋な形を定めてしまうまでは、外に出ることは許されない。


その間、他のキバで準備が整えられている。

浅井戸族の一員が持った棒を、各キバの一員は一つづつ抜き取る。

黄、青、黒色の棒を抜いた者はそれぞれ、星星、霊、他世界の住人を象徴することになる。

また、一本のみの赤い棒を抜いたものは地底世界の神マサウを代表する。

こうしてそれぞれの役目に応じた衣装に身をくるみ、人々はキバに向かう。


さて、真夜中近くになる。

キバは、炉穴からおこる火の薄明かりの他は、暗がりの中にある。

この薄明りの中で、上の段に集まった入団者たちは、一人の祭司が祭壇面の床に開いた小さな穴・・シパプニと呼び、出現の場所を象徴している・・から栓を抜くのを見る。


さて、「オリオン」の三つ星を後ろに従え、7世界を象徴する「プレアデス」の7つ星が、上のはしご穴をとおして目に入るってくると、祭司は7世界をとおして「生命の道」を踏みしめる人類の旅について、彼らに語り始める。


「第一の世界」は目の前にある炉穴の火が象徴する火の元素で始まったが、人間存在の純粋な形は、悪によって汚されてしまった。

世界は滅亡し、人類は「2の世界」に出現した。

ここでも同じことが起こった。

「第3の世界」に起こったことを聞くと、入団者たちは
自分たちが今の「第4の世界」に肉体を持ちながらも、象徴的には未だ、「第3の世界」の住人であることを理解させられる。

入団式を受ける理由はそこにある。

それは、目の前にあるシパプニを通してキバに象徴される第3の世界から、さらにもう一つのシパプニであるはしごを昇り、外の「第4の世界」へ出現することを定めているのだ。

         (引用ここまで)


        *****


おそらくホピ族はマヤ・アステカ・オルメカ族と血を分けた同族なのでしょう。


テオティワカンが建造されたのが紀元300年ごろであるとすると、最短でもその時代に戻りたいというのが、中央アメリカの人々の根源的な感覚なのだと思います。

日本で言えば、弥生時代から古墳時代頃でしょうか?

その頃の世界が、神々と人々が共存し得た最後の真実の世界であったと考えられている(いた)、ということになります。

そして日本で言えば、平城京や平安京や鎌倉の都を作りながらも、それらは弥生時代の墳墓に勝るものではなく、むしろ堕落した、劣った姿であると考えたということになります。

これはやはり、なんとも不思議な感覚に思われます。

古墳時代から律令時代、平城京から平安京、鎌倉の都、と時がたつにつれて悪い時代になってしまった、、と感じた日本人はいたとしても、本当に古代に戻ろうとした日本人はどれだけいたでしょうか?

ですから、メソアメリカの人々の胸には、強力な磁石のようなものが埋め込まれていて、たとえば北に向かって一斉に毎年飛び立つ渡り鳥のように、何らかの確固たる帰巣本能のような感覚が働いている(いた)のだと思います。

その磁石のようなものがどこを指しているのか、またなぜ埋め込まれているのか?

いろいろな多くのことを忘れてしまった現代のわたしたちには、思い出すことが非常に困難な問題なのだと思います。






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