Cafe & Magazine 「旅遊亭」 of エセ男爵

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気儘な旅人の「三文オペラ」創作ノート

日本の美「碓氷峠のダム」:先輩からの贈り物(3/3)最終回

2005-12-09 00:41:13 | つれずれ紀行



    ムム、、、
          出来が良いなあ~


 これまた広角レンズにて撮影。

遠近感を表現する為、左下の木の枝を入れて撮影。

撮影者の位置する、近くの『物体』を画面に入れることにより、より一層の遠近感が出る。

遠近感が出るということは、その作品のメリハリを付ける。ということになるのであろうか。



「記事ー1」

また、逆光線からの撮影。
晩秋の穏やかな逆光が差し込むことにより、季節感をあらわせる。くわえて、逆光利用の手法にて、標高の高い碓氷峠の澄み切った空気感が、思いっきり表現できている。
晩秋、まさに「日本の美」。おだやかな秋の日差しをくまなく表現された。

この全体画面、まさにOT先輩の「お人柄」と、撮影当日の心境、およびご自身の近況を語リ尽くされている。作品を通し、必ずや撮影者の性格ならびに撮影時のその瞬間に至るまでの過去の体験経験など全てを包括し、一枚の画像になり、もって「その人そのもの」を顕すもの。と、思う・・・

かくして、我が先輩OT氏ここに至れり・・・

OT氏の辿ってこられたご自身の信念ある「人生」と、今のご心境。自信こそあれ、悔い無し。更に尚、辿らねばならぬ道程を遠望され、穏やかにして活力ある「目標」定めたり!
等と、
我輩にして「この一枚の写真」から読み取れます。


以下、(我輩の独り言)

総じて、

(結論的には)




先輩とは、「ダンディー」を貫ぬき通している日本男子なり!

(その一言に尽きる・・・)




「・・・!?」
「OTさん、何時からかしらないが、なんだか口ひげなんか蓄えちゃって・・・」
「・・・」
「でも、不釣合いじゃない!」
「・・・?」
「結構、決まってるよ。似合ってるんだよな~」
「・・・!」
「あれで、けっこう学生時代から相当なダンディーだった記憶が蘇るなあ~」

(是非、関東地区クラブ同窓会にて直接お会いしたいものです!)




「記事ー2」(OT先輩、添付コメントより・・・)

タイトル: 碓氷峠のダム-1(11月10日)
コメント:
「峠の名前で思い起こせるのは、先ずこの碓氷峠、木の芽峠、小仏峠、金精峠、塩尻峠、大菩薩峠、野麦峠、三国峠、念仏峠、清水峠、倶利伽羅峠、小栗峠、大垂水峠などなど。皆さんはいかがですか?」

(撮影データ)
サイズ: 960×720ピクセル
ファイルサイズ: 767KB
撮影日時: 2005/11/10 13:53:33
カメラ機種名: Canon IXY DIGITAL 700
Tv(シャッター速度): 1/500
Av(絞り数値): 2.8
露出補正: 0
レンズ: 7.7 - 23.1 mm
焦点距離: 7.7 mm
ストロボ: 非発光
ホワイトバランス: オート


 <・・「先輩からの贈り物」完了・・>

あとがき:
 (3日にわたる連続購読、たいへんありがとうございました。これを機会に、先輩OT氏のご友人の方々に於かれましては、是非とも、不肖・エセ男爵ブログにお立ち寄り下さりたく、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。また、OT先輩、この機会に是非ともご自身のブログ開設をお勧めいたしたく、お待ち申し上げております・・・)

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PS:
 大学卒業後直ぐに旅行会社に勤務した。入社1年半の後、さっそく会社の経費で世界のあちこちを回った。その後、持ち前の悪しき性格なる我儘が昂じて、途中退社し自由人になった我輩。すでに、20年も前になるか。すでに遠い過去のことである。旅行屋時代の印象に残る「良き旅の思い出」が幾つかある。いや、数え上げれば限がないほど印象に残る旅は数多い。
 その中の一つ、
「Photo-Tour」と称し、当時、大阪在住の写真家「棚橋紫水先生」に師事する「超一流アマチュア写真家」の方々十数人様は、先生ご夫妻にご同行され、アラスカ:
マッキンリー国立公園その他(第一回1971年?催行)エーゲ海:ミコノス島サントリーニ島その他(第二回1972~3年催行)アメリカ西海岸ルート-1走破(第三回1974~5年催行)エーゲ海ロードス島クレタ島その他(第4回1976年?)方面にご案内、全てのコースにお供した。
当時、今にもまして若輩者の我輩を、たいへん可愛がっていただき、礼儀作法の多くをお教えいただき、子供から何とか「大人の入り口」にまで入れるよう、育てていただいたご恩は、一生忘れられない。

さて、その旅行とは、
それはそれは旅程の長さ旅行代金共々に(今日の旅行と比較して)贅沢なご旅行であった。
こちら添乗員にて、参加者の方々の時間管理に合い勤めねばならず、さりとて朝昼夜の食事の時間を(参加者全員の合意で)決めているにもかかわらず、特に、朝・夕食の時間は、ほとんどの方が守られない。本来我輩のなすべき仕事は無視され、顧客に対し、怒りとなって本末転倒し恐れ多くも、大切な顧客を叱るまでにいたる。若輩者が叱れども、お客様は(若輩者の我輩に対し)静かに穏やかに一言の詫びを入れられるだけ、、、。おかげで、こちとらレストランのマネジャーとのやり取りに苦労させられた経験を、(当記事書きながら)思い出した。
 なぜそうなるか?
(どうして皆さん、時間が守れないのか?)
全員紳士淑女の皆様にして、何故こうなるのか、理解に苦しみつつ、
一度、ごく親しいメンバーの方にお尋ねしたところ、
「あ、それはね。皆さん悪気はありません。まったく単純な理由でして」
「・・・?」
「つまり、我々写真家は、光と影の彩を切り取っているのですから、真昼のハイライトでは、それが出来ない。つまり、朝または夕方の斜めの太陽光線の作り出す陰影を狙って、写真を撮り歩く。つまりそういうことですから、朝と、夕方、特に夕方のシャッターチャンスを狙って、うろつく。まあ、『光と影の織成す瞬間の構図』を狙ってあるく、いわばハンターor狙撃手のようなものでして、だから夕食の時間を忘れてしまうのです。ごめんなさいね、ご心配ご迷惑をお掛けして・・・」
「・・・!」
「いやいや、とんでもない!私達だけでこの撮影旅行が出来るなんて、あなたのお力をお借りしないと不可能なことなのです。ご心配なく。いやいや、皆さん感謝していますよ」

ということで、
モノクロ写真の時代から、カラー写真の今に至るまで、そしてデジタルカメラの時代になっても、写真の極意とは光と影の構成する瞬間を『切り取る技』を楽しむものだ、それを鑑賞するものだ。
と、我輩は心得ているのです。

さて、現実問題としての写真撮影となれば、
これを、
「自分で完璧に出来るか?」
と、問われると、
「めったに出来ない・・・」
と、応えなければならず、

『絵画と写真』とどちらが難しいか?芸術としてどちらが高次元に位置するものか?
問いh核対照的に考えれば、
都合上、私は「絵画の方がより高次元に位置する?」と、思いたいのです。
理由は、三つ。
A)絵画は自分でかけない。(写真なら撮れる)
B)絵画は、売れる。値がつく。(事実、特殊な写真集は売れるが、通常写真の売り買いはしない)
C)絵は同じものを二度と描けず、写真は現像焼き増しさえすればいくらでも複製できる。(しかし、例え場所は同じでも、他人様と同じ写真は決して二枚と取れない。富士山の写真を撮影したもの多くあるが、二枚と同じ撮影状況には、二度とならない。地球が回り、時間が経過する中で、天候・気候・時節・時間・位置が一致することはありえないからである)

ところで、我輩の友人は「号14万円台」の値のつくアマチュア絵描き、しかしこの値で売れるかどうか?その時々で違いある、と答える。
「・・・」

しかし、
ごく最近、考え方が変わってきました。
陶芸、絵画、写真、詩歌・俳句、執筆その他諸々、同じ芸術という土台に立つもの、と考え、なんであろうと「作品を創作」する、自分独自の『モノ』を創造するという「行為そのもの」に価値あり。と、あえて考えたく思います。
人様の作品を論評することは容易く、自分で作品を創るは、苦労の連続にして「大仕事」なり。
 
 〆て、
 この風景写真、我輩の大好きなタイプの写真である。