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ハーレム系ラブコメの変遷

2012年02月19日 22時05分19秒 | アニメ・コミック・ゲーム
ラブコメが少年向けマンガ誌に登場したのは1978年。少女マンガで人気のあった恋愛ドタバタコメディを少年誌に持ち込んだ形だ。

柳沢きみおの『翔んだカップル』は高校のクラスメイトの男女が手違いから二人だけで同居することによるドタバタ恋愛劇としてスタートした。お互い好意を抱きながら素直になれずにケンカを繰り返す展開はラブコメらしさを強くアピールすることとなった。
しかし、作品は現実と同様の速度で展開し、三角関係などドロドロの愛憎劇へと変化していく。連載期間3年で高校生活3年間を描き、後半は時代性の色濃い青春ものとして成立した。柳沢きみおはその後も続編を書き続けたが、ラブコメとはかけ離れたものとなっていった。

同じ1978年にスタートした高橋留美子『うる星やつら』は恋愛要素は非常に薄く、あくまでもファンタジーコメディとして描かれた作品だった。ただ多種多様な美少女・美女が登場し、1981年よりTVアニメ化され原作よりもキャラクター色の強い作品となった。
押井守を始め若手のアニメスタッフが数多くこの作品で才能を伸ばし、後のアニメ界に大きな影響を与えることとなった。美少女アニメやハーレム系アニメのきっかけになった作品だと言える。

その後、1981年にスタートしたあだち充『タッチ』が大ヒットして、ラブコメは少年マンガの主流となった。1対1の恋愛関係がベースにあり、野球と融合することで新しいラブコメ像を作り出した。

80年代のラブコメで忘れてはならないのがまつもと泉『きまぐれオレンジ☆ロード』(1984年)だ。二人のヒロインとの三角関係がメインでありながら、妹など脇役にも美少女を配して現在のハーレム系ラブコメに近い構図を作っている。主人公の優柔不断さものちのハーレム系に受け継がれた。

1988年に藤島康介『ああっ女神さまっ』が連載開始。初期はドタバタ色の強いラブコメだった。ベースはメインヒロインとの1対1ではあるが、主人公を中心として美少女が集合するハーレム系特有のキャラクター関係を築き人気を博した。

1992年、OVAで『天地無用! 魎皇鬼』の第1期シリーズがスタート。主人公の周りに、ライバル関係のメインヒロイン二人、天才科学者美少女や幼女、天然キャラなど個性的なキャラクターを配してハーレム系の構造が完成の域に達した。
ここで主人公は優柔不断な性格ではなく、オールマイティな能力を持ちながら欲などがほとんど存在しない空っぽな印象の存在として描かれた。これは一人称的観点を必要としないアニメだからできた手法ではあるが、これが空気系へと繋がっていくことになる。

同じ1992年PCゲーム『同級生』が発売される。これまでアダルトゲームはSEXそのものを扱っていたが、この作品は恋愛をゲーム化した。さらにその方向性を進化させた『ときめきメモリアル』が1994年に発売され、高いゲーム性もあって新たなジャンルを生み出すまでに至った。
多数の美少女キャラクターが用意され、主人公=プレイヤーが特定のキャラクターを「攻略」するというシステムが誕生した。

1997年PCゲーム『To Heart』が発売され、シミュレーションゲームからヴィジュアルノベルへの転換が起こる。これによりキャラクターごとにシナリオが用意され、「攻略」する意味合いも深化していくこととなった。

ゼロ年代に入ると「萌え」という概念が普及する。男性オタク向けの作品は美少女キャラクターや属性を複数登場させるのが一般化した。ハーレム化が進行する中で、主人公の内面描写がどうしても必要とされるライトノベルで特にハーレム化対策が進むこととなった。
優柔不断な性格が強調され、誰にでも優しく、何も決められない存在へとなっていく(一昨日の記事「エンターテイメントにおける男女の役割の変遷」参照)。一方で、こうしたハーレム的人間関係をヒロインの視点から描いたのが2005年発売『School Days』の鬱展開だった。

多数のヒロインを用意し、その中から好みの美少女のファンになってもらうという販売戦略はなにもフィクションの世界だけに限ったものではない。古くは1985年のおニャン子クラブ、1997年からメンバーを入れ替えながら続いているモーニング娘。、2005年誕生しいまや国民的アイドルとなったAKB48など、エンターテイメントの戦略に欠かせない手法となっている。
フィクションの場合、問題はフィクションの世界にどう落とし込むかということだ。

現在アニメ界で最も影響力を持つヒロインを複数有する作品は『けいおん!』だろう。空気系は先にも触れたように、本来ハーレム系ラブコメの主人公の立ち位置を消失させることで成立した作品群である。主人公の位置がぽっかり空き、そこに見る者が入り込める幻想を生むことも強みだ。

ライトノベルでは優柔不断でトコトン鈍い主人公という設定自体をパロディ化しつつある。『僕は友達が少ない』はその典型であり、分かった上で読者と共犯的に楽しもうという作りになっている。ある種の開き直りとも言えるだろう。

『東方』のようにヒロインたちとある程度の設定だけ用意してあとはファンに委ねることで成功したケースもある。初音ミクなどのヴォーカロイドもこの形に近い。もう作り手がストーリーを用意するのではなく、ファンに好き勝手にいじってもらうことを前提にキャラクターを生み出している状況さえ存在している。

恋愛を女性同士に限定する百合展開も男性主人公不在を補うための手段として最近多く使われている。フィクションにおいて男女の恋愛を正面から描きにくいことが時代時代で様々な理由で存在しており、古くから少年同士の同性愛やその後のやおい系作品の発展を促したわけだが、百合系の隆盛はその流れに位置するようにも感じる。
性の問題を含めた恋愛をライトに描くことがコミックやライトノベル等若者向けのエンターテイメントでうまく機能していない。同性愛というファンタジーを用いることでそれを成立させている面もある。

フィクションの世界に多数の美少女キャラクターを落とし込む手法は増えたが、物語として描けているわけではない。もちろん、物語化することだけが正しいというわけではない。ライトノベルでもハーレム色の薄い人気作は数多い。物語性で勝負できるのであれば、ハーレムにこだわる必要はないだろう。

『GJ部』は四コマ漫画の手法をライトノベルに取り入れた一種の実験作だが、物語性を排除してハーレム系ラブコメとして成立させた。3月に9巻で完結したあと、4月から『GJ部中等部』として再スタートする。ライトノベルで「空気系」に挑むのかどうか注目している。

主人公の内面を描写する必要性の薄いアニメやコミックではこれからもハーレム系ラブコメは需要を満たすために作られ続けるだろう。そこから単に消費されるだけでない作品が生み出されるかどうかは作り手次第とも言える。
ライトノベルのように主人公の一人称が前提となっている場合、優柔不断という同じパターンの繰り返しでは飽きられつつあり、何らかの変化がなければヒットしにくくなっている。ハーレム系ライトノベルは急速に広まり、大量に生産されたが、これからも定着していくのかさえ不透明だ(ただ深夜アニメが急に廃れない限りはその供給源のひとつとして存在し続けるとは思う)。


2012.02.18 つぶやきし言の葉

2012年02月19日 02時20分44秒 | Twitter