事の発端である、中国漁船の衝突事件の本質は領土問題ではなく密漁事件である。
ロシア、北朝鮮、韓国、中国などの漁船との密漁問題は日常的な出来事であり、海上保安庁の主たる任務のひとつと言える。今回、尖閣諸島という場所で起きたがゆえに外交問題化して、一般の国民にとっては非日常の事件として捉えられた。
その映像を機密扱いにしたのは政府の政治的判断だった。一方、海上保安庁の現場では密漁船の抵抗とその対応という日常業務レベルの意識で当初映像は管理されていたのだろうと推測される。映像を見ることは他の職員にとって参考になると考えられたのではないか。
大臣の指示によって初めて映像の管理が徹底されることとなった。それまでの管理が甘かったという指摘もあるが、事件当初にここまでその映像が重要視されるとは考えにくい。機密扱いした時点で、政府がもっと厳格に対応していれば防げたかもしれないが。
今回の流出は属する組織への忠誠を裏切った行為とは言い難い。むしろ海上保安庁の活動を広く知ってもらいたいという思いが流出に及んだと考えられる。
この問題に対して、一国家公務員が個人の判断でルールを破ったことは危険だといった意見がある。たとえ大義があるとしても、法を遵守するのは当然であり、ひとりひとりが自分勝手に行動しては組織が成り立たない。
国家公務員は一般の国民以上に国家への忠誠義務がある。今回の件をクーデターと評した政治家もいる。
今回の流出問題に対してではなく、一般論として述べるが、国家公務員に限らず所属する組織への忠誠が最上級の義務とする考えには同意できない。
国家への忠誠より上位に国民への奉仕がなければならない。
国民への奉仕という言葉は大仰かもしれないが、公務員に限らず、企業などに勤める人にとっても属する組織への忠誠より上位に、様々な立場の人々に向けた視点が必要とされる。
例えば、薬害エイズ問題で、当時の厚生省の官僚がもっと早く声を上げていれば助かった命があったかもしれない。企業でもちょっとした不正や怠慢が人々を傷つけることがある。それに気付いても組織への忠誠を優先させて声を上げられないことは珍しくない。
確かに、ひとりひとりが自分勝手に行動しては組織は成り立たない。しかし、組織に対してどんな時も従えばいいというわけではない。
東京裁判で多くの戦犯が裁かれたが、そこで問われたのは国家や軍の指示に盲目的に従った点であった。組織への忠誠は時に美学と見なされることもあるが、それが危険を孕むことは常に意識されるべきだろう。
今回の問題に対してはともかく、個人の判断でルールを破ることが、いついかなる時にもあってはならないという意見には同意できない。
不正を暴くという内容ではないだけに、今回の場合は評価は難しい。法的道義的責任は問われなければならない。だが、映像を見ることができたのは国民にとって有意義だったのも間違いない。情報管理の甘さが露呈するなど国益にとってはマイナスな面が強いが、中国漁船の無謀さを広くアピールすることはできた。
非公開という政治判断の是非と国民の利益を慎重に検証して、流出問題の評価を下すべきだろう。
そして、組織への忠誠を越える行動規範のあり方は常に考えられなければならない。国家や場当たり的なマスメディアに任せることなく、いかにコンセンサスを作り上げていくか。この問題がその契機となるかどうかに注目している。
ロシア、北朝鮮、韓国、中国などの漁船との密漁問題は日常的な出来事であり、海上保安庁の主たる任務のひとつと言える。今回、尖閣諸島という場所で起きたがゆえに外交問題化して、一般の国民にとっては非日常の事件として捉えられた。
その映像を機密扱いにしたのは政府の政治的判断だった。一方、海上保安庁の現場では密漁船の抵抗とその対応という日常業務レベルの意識で当初映像は管理されていたのだろうと推測される。映像を見ることは他の職員にとって参考になると考えられたのではないか。
大臣の指示によって初めて映像の管理が徹底されることとなった。それまでの管理が甘かったという指摘もあるが、事件当初にここまでその映像が重要視されるとは考えにくい。機密扱いした時点で、政府がもっと厳格に対応していれば防げたかもしれないが。
今回の流出は属する組織への忠誠を裏切った行為とは言い難い。むしろ海上保安庁の活動を広く知ってもらいたいという思いが流出に及んだと考えられる。
この問題に対して、一国家公務員が個人の判断でルールを破ったことは危険だといった意見がある。たとえ大義があるとしても、法を遵守するのは当然であり、ひとりひとりが自分勝手に行動しては組織が成り立たない。
国家公務員は一般の国民以上に国家への忠誠義務がある。今回の件をクーデターと評した政治家もいる。
今回の流出問題に対してではなく、一般論として述べるが、国家公務員に限らず所属する組織への忠誠が最上級の義務とする考えには同意できない。
国家への忠誠より上位に国民への奉仕がなければならない。
国民への奉仕という言葉は大仰かもしれないが、公務員に限らず、企業などに勤める人にとっても属する組織への忠誠より上位に、様々な立場の人々に向けた視点が必要とされる。
例えば、薬害エイズ問題で、当時の厚生省の官僚がもっと早く声を上げていれば助かった命があったかもしれない。企業でもちょっとした不正や怠慢が人々を傷つけることがある。それに気付いても組織への忠誠を優先させて声を上げられないことは珍しくない。
確かに、ひとりひとりが自分勝手に行動しては組織は成り立たない。しかし、組織に対してどんな時も従えばいいというわけではない。
東京裁判で多くの戦犯が裁かれたが、そこで問われたのは国家や軍の指示に盲目的に従った点であった。組織への忠誠は時に美学と見なされることもあるが、それが危険を孕むことは常に意識されるべきだろう。
今回の問題に対してはともかく、個人の判断でルールを破ることが、いついかなる時にもあってはならないという意見には同意できない。
不正を暴くという内容ではないだけに、今回の場合は評価は難しい。法的道義的責任は問われなければならない。だが、映像を見ることができたのは国民にとって有意義だったのも間違いない。情報管理の甘さが露呈するなど国益にとってはマイナスな面が強いが、中国漁船の無謀さを広くアピールすることはできた。
非公開という政治判断の是非と国民の利益を慎重に検証して、流出問題の評価を下すべきだろう。
そして、組織への忠誠を越える行動規範のあり方は常に考えられなければならない。国家や場当たり的なマスメディアに任せることなく、いかにコンセンサスを作り上げていくか。この問題がその契機となるかどうかに注目している。