180104 へき地暮らしと医療 <へき地勤務医 厚労省が「お墨付き」>などを読みながら
今日は四国の実家から徳島道を走り、南海フェリーで紀伊水道を渡り、地道を通って帰宅の途に就きました。
いつものようにフェリーの中では横になって読書を楽しみました。今日は往路と比べ少し混んでいて足を延ばすほど余裕がありませんでしたが、それでも読書は十分楽しめました。幼子の喧騒も気にならず、夢中で本を読んでいました。その本は渡辺尚志著『百姓の力~江戸時代から見える日本』です。渡辺氏の本はこれまでこのブログかfbで何度か紹介してきたように思いますが、私のような素人でも楽しく読めるだけでなく、古文書を読み解いているためそのリアルさが伝わってきて面白いのです。
今日は2時間くらいの航路時間のうち、30分余りは睡眠休憩でしたので、1時間強は読書に充てられたように思います。波も外洋でないので凪のようなものです(初めてだと気になるかもしれませんが)。たとえば黒潮の流れに乗る高知から東京とか、東京から大島、あるいは石垣島から西表島などは割合波がきついですね。そういえば私もいろいろ船に乗りましたがほとんど本格的な外洋航路に乗ったことがないので、咸臨丸の勝海舟のようなきつい船旅の経験はないのですが。ただ、カヤックで津軽海峡を渡ったときは三角波というか荒波に木の葉のように舞ってしまい、のんびり波乗り気分でなかったことは確かですね。
また脱線してしまいました。私のブログに慣れている人は脱線は当たり前と思って慣れてしまったか、寛容な方なのでしょうね。ま、ブログというのは右に行ったり左に行ったり、上下さかさまになるくらいがちょうどいいのかと勝手に思っていますが。
もう少し脱線すると、漱石の講演録などを読んでいると、航路の行き先がさっぱり見えてこないというか漂流することが当たり前という感じで、大文学者というのはそういう中でちゃんとさまになる内容にまとめる?のでしょうね。そういえば大江健三郎氏の講演、日弁連50周年記念でやっていただき、私が幸いにも?舞台のそで、彼の後ろ側で、その話を伺くチャンスを偶然得たのですが、なんともこのノーベル文学賞受賞者の話も格調高いというよりは妻の話からどう本論に入るかと不安がよぎる中でさわやかにまとめ、2000人以上の聴衆を魅了させるのはさすがでした。
ま、私の場合は出発点から腱鞘炎からのリハビリ練習のタイピングではじめたので、内容は次にして、適当に書き連ね、落ちは色即是空と、中身のないものという弁解で、いろいろな情報をつまみ食いしながらおぼろげな記憶をもとに字数を稼いで、毎日の日課を続けているわけですから、その程度のものとして読んでいただければと思うのです。
で、元に戻って、渡辺氏の論説は、「百姓のちから」をいろいろな角度で説明していますが、一時間余りで読んだ部分は「土地はだれのものか」、「・・山野の重要性」そして「江戸時代の村落共同体」です。
いずれも私がこれまでなんどかブログなどで書いてきた内容にかかわるものですが、渡辺氏がわかりやすくある程度多角的にとらえていることから、ここでも少し引用しつつ、見出しのテーマとの関係でとくに医師との関係も触れてみようかと思います。
江戸時代の土地所有形態についてはこれまでもいろいろな見解が指摘されてきたと思います。その内容は別にして、年貢を徴収する、武士層の徳川幕府から藩主、家来、家来団などと、徴収される側は検地で名請人となった農民が一種の占有権的(所持権的)な権利を有していたともいえるとかもしれません。
この点について、渡辺氏は村落共同体の役割を重視します。これを大ざっぱに総有的なとらえ方をするわけではありません。個々の農民の所持権が排他的独立したものでない点を指摘するのです。たとえば割地(わりち)と無年季的質地請戻し(しっちうけもどし)慣行です。
前者の割地は、一般にはあまり知られていないかもしれません。私が日本(とくに西日本)の農地保有の特徴としてよくとりあげる零細錯圃制(さくほ)と関係があると思います。農家で5町歩(5ha)保有していると、それはわが国では大地主と言ってよいと思いますが、それでも個々の田畑は一区画が1,2反程度が普通ではないでしょうか、いや数畝程度も少なくないと思います。それが繋がっているのではなく、村のあちこちに散らばっていて、一か所に固まっているというのはあまりないのです。
なぜかと普通に聞いてもたいていの農家はよく説明できないように思います。それは渡辺氏が指摘するように、割地制の影響も大きな要因だと思います。その前提として、年貢の村請制によるものと思われます。
年貢は村全体で引き受け、一人の農家が年貢を納めることができないと、親族ないし五人組が連帯責任で代わって負担し、あるいは、最終的には名主なりが責任を負うということで、村として責任を果たす体制になっていたわけですね。このような仕組みでは、ある農家の田んぼが川沿いにあると、洪水で水没するとか、乾いた土地だと日照りの被害を受けやすいとか不公平になりますので、受け持つ田畑を村内で割り当てを買えるのが割地制です。
その他この所有形態のことを書いていると、一向に見出しの議論に入れないので、所有の議論はここまでとします。
で、この個々の農家に一応の所有と責任を認める制度の確立とともに、農民の独立経営体として成長していったと思うのです。それが水田耕作という用水・道路などの共同作業を必要とする村構成員の共同体の力が強化されていったのだと思うのです。
それは生産場面だけでなく、司法・警察・消防・行政といった公的な場面ばかりでなく、祭りや若者の組織化の中でも村の力が強くなっていったのだと思われます。
その結果として、村自体に寺子屋を用意して子供の教育を提供したり、医薬の重要性を知るようになると遠くから医師を雇って来てもらうこともできるようになってきたというのです。
江戸時代には村の規模は現在の大字くらいの範囲・人的規模ですので、小ぶりで全国に10万くらいはあったのでしょうか。当然格差もあったでしょうから、どこでも寺子屋や医師のサービスを提供できたわけではないでしょうが、重要なのは藩主や幕府の力を借りずに自立してやれるくらいに一定の自治組織が育っていたところが少なくなかったということでしょうか。
では現在はどうか。小規模の自治体では行政サービスを担えない、人口減少でそれまでの自治体を維持できなくなったとかの理由で、維新以降なんどか大規模合併を繰り返し、現在は全国で2000を大幅に下回っています(<市町村数の変遷と明治・昭和の大合併の特徴>参照)。
そうなると、当然、全般的な医師不足にとどまらず、高度・専門はもちろん基本的な医療サービスを得られないという地域が残されることは当然ですね。
毎日朝刊記事<へき地勤務医 でhが「お墨付き」 地域偏在解消図る>はその対策の一つだと思いますが、どのような意図か、記事から探ってみたいと思います。
記事ではその目的を次のように述べています。
<厚生労働省はへき地など医師不足が深刻な地域での勤務経験を評価した認定医制度を創設する。厚労省の「お墨付き」を与えることで地方での勤務を促し、医師の偏在の緩和を期待する。今月召集の通常国会に医療法改正案を提出する。>
これは、へき地での医師不足に対処する策として、へき地医療の経験を開業に際しての義務付けをするか、優遇するかの選択が検討され、調査では地方勤務を希望する割合が高かったことから、後者になったとのことですね。
医師不足問題について議論している厚労省の有識者検討会では前者の義務付けだったのが、省内で方針が変更したようです。いろいろな忖度があったのでしょうか。
厚労省のお墨付きはメリットがあるというのですが、自画自賛とならなければいいのですが。だいたい義務付け方針を決めた有識者の方は、一向にへき地での医師不足が改善しないことを真剣に考えたからではないでしょうか。この間の変更については、どうも合理的に説明するだけの資料が不足しているように思えます。
そもそもは自治体というか、へき地に住む人たちの力も弱まってきているのでしょうか。いや、自分はへき地で独立して孤独を楽しむというのもあってよいと思うのですが、むろん医療サービスを求めているところに支援できないようでは困りますが。
少し違った見方ができるのではと、少し古い記事ですが<やぶ医者大賞 へき地医療に貢献 美馬・藤原さん、兵庫・養父で表彰式 /徳島>を紹介します。今朝、徳島道を通ってきましたが、この記事にある美馬市を通過、吉野川から遠望する連峰の中に、木屋平(こやだいら)があったと思いますが、むろん見えませんね。木屋平の写真がウェブ上に掲載されていますが、まさに平家の落人でも住んでいたかのようなところですね。
弁護士過疎のまちといっても、立派な街並みがあり、都会とは違いますがある種文化的生活は満喫できますね。でも医師不足の地域というのは生活も大変です。
記事では<やぶ医者大賞>というユーモアたっぷりの名称の通り、そういった事情がわずかながら彷彿させてくれます。
<第3回大賞に選ばれた美馬市国民健康保険木屋平診療所長、藤原真治さん(46)と、滋賀県の東近江市永源寺診療所長、花戸貴司さん(46)が表彰状などを手渡され、それぞれ講演した。
二人は自治医科大で一緒だったという。花戸さんは講演で、診療所の裏口に野菜が届けられていた逸話を披露。地域とのつながりに触れ「今後も永源寺のため頑張っていきたい」と話した。
藤原さんは、薬剤師でつくるNPOや地域住民と連携して医療活動を行っている。写真などで活動を紹介し、「今後は地域づくりに一層力を注ぎたい」と結んだ。>
この<やぶ医者大賞>では、<赤ひげ大賞>と名付けないだけでも楽しさを感じさせます。それでついある映画の一場面を思い出しました。『噂のモーガン夫妻』(英: Did You Hear About the Morgans?)です。このモーガン夫妻、離別の危機の最中、殺人現場を目撃したことから、証人保護プログラムでワイオミング州のレイという辺鄙な町に隔離されます。そのとき夫が目や肩に負傷するのですが、妻が専門医はいないかと聞くと、若い医師は町では自分一人しかいない、体は子供も大人も同じとうそぶくのです。映画ですが、こういったのりの医師はありがたいかもしれません。
これらと異なり現代的なアプローチはどんどん進化していますので、少し古い記事ですが<どうすれば安全安心 遠隔診療、事実上の解禁 海外医療機関との連携に実績 北海道・旭川医大>を紹介しておきます。
<情報通信技術の医療分野への活用は、医師が遠隔地にいる患者を診察する方式だけではなく、医師が専門医に診療上の支援を受ける方式(ドクター・トゥ・ドクター)も行われている。国内では北海道旭川市の旭川医大がいち早く、医師間の遠隔医療に1994年から取り組んでいる。>
<旭川医大は94年、電話回線でカラー動画や音声をやり取りできるシステムを活用し、眼科の専門医が遠隔地の医師の治療方針に関する相談に乗ったり、手術の適応の判断をしたりする医療支援を開始した。99年には、付属病院内に、国内初の遠隔医療センターを設置している。>
画像診断が高度化し、ネットの高速化が進んでいますので、たしか和歌山県立医大でも最先端技術で南紀の診療所に医大の専門医が遠隔通信装置で直接診断・指導をすることが始まったようです。
そういえば画像診断は、いずれはAIに代替されるかもしれませんが、患者も一定の理解力が必要ではないかと思われます。その意味ではこの<画像診断cafe >はよくできていると思うのですが、関心のある方はのぞいてみればいかがでしょう。
ということで今日は少し長時間かけてしまいました。また明日。
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