たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

精神科医とコスパ <「精神科医は見た!“コスパ社会”のジレンマ」>を見ながら

2019-02-25 | 医療・医薬・医師のあり方

190225 精神科医とコスパ <「精神科医は見た!“コスパ社会”のジレンマ」>を見ながら

 

昨夜、録画していたNHK Eテレ<新世代が解く!ニッポンのジレンマ「精神科医は見た!“コスパ社会”のジレンマ」>を見ました。

 

精神科医がなにをどう見るのかと興味本位に深夜番組を録画していたのです。だいたいコスパ社会といってもぴんとこない世代というか私ですので、精神科医が登場するのは面白いと思いつつも、何を見たのでしょうと不思議な感覚でした。

 

いま番組のネット情報を見ると、<2019年元日も若者たちのユニークな言葉が飛び交ったジレンマ。そんな対話を通して、ニッポン社会の深層に巣くう空気を浮かびあがらせるべく3世代の精神科医が集まった。テクノロジーが世界を結び、ますます価値観が流動化しつつある今、「コスパ」の内面化が心の「遊び」を奪う?ふだんは「聞く」ことを専門とするエキスパート3人も本音を吐露。さまざまな対話からどんな時代の価値観が見えてくるのか?精神科医は見た!>とのキャッチフレーズです。

 

元旦の番組は見ていませんが、おそらく気づいても録画する気持ちがわかなかったでしょう。だから現代を理解できない、ということの一面かもしれません。精神科医のトークで、コスパ社会が少し分かってきました。コスパというのはコストパフォーマンスの略語なんですね。なんとなくそうかと思いながら、そんなことばが若者世界で定着していることに驚きです。だいたい国を含む行政の活動について、費用対効果をしっかり考えることを求めて80年代後半ころから弁護士会や民間団体の意見書づくりに片隅でうごめいてきましたので、なにやら不思議感覚です。

 

埋立や道路などさまざまな公共事業について、費用対効果が適切に検討されていないと議論してきたのですが、その前提として行政は将来予測の数値を適当に算定したり、費用計上も杜撰だったりして、計画決定ありきで物事が進んでいたことに強い疑問を感じていましたが、なかなか状況が変わらないという挫折感を味わっていました。

 

費用対効果、コスパでしょうか、それが現代の若者では日常的に当たり前になっているかのような議論を聞いていると、私が現実社会をしっかり見ていなかったのかと思ってしまいます。とくに当地にやってきて10年になりますが、この間行政の動きにも社会の動きにもあまり関心が及ばなかったかもしれません。

 

そんな私事をぐだぐだ述べてもしょうがないので、そろそろ本題に入ります。

 

登場したのは精神科医3名で、番組情報では<土岐友浩,熊代亨,泉谷閑示>の方々でした。たしか?60年代、70年代、80年代生まれの世代差を意識して選ばれたようでした。

 

興味深いかかったのは70年代生まれと80年代生まれの二人は、勤務医で患者さんの話を聞く時間がない、とれない、また聞いているとコスパがよくない?、とりわけアメリカで成立した世界標準の精神科医が採るべきマニュアルに則って診療することが優先されるといった話でした。

 

えっ、精神科医が患者さんの話を聞かないで、どうするのかとびっくりしました。私自身、とくに刑事事件で精神的な問題を抱えている人には精神面のケアをしてもらうために、とくに特定の医師を紹介することはむろんありませんが(多少は知っていても、そのような判断をする能力もないので)、近隣の医療機関を知らなければウェブ情報一覧を示す程度に情報提供をします。弁護士の仕事の一面はクライアントの精神面を楽にしてあげることが付随的効果としてある場合があり、結構な時間をかけて聞き取ることがあります。当然、精神科や心療内科の医師は相当な時間をかけて聞いてくれているものと思っていました。そこは他の診療科と異なり、施設・設備をもたない医師のある種重要な役割かと思っていました。

 

だいたいアメリカの映画に影響を受けたのでしょうか、古くから刑事コロンボでも、最近とは言えませんが「グッド・ウィル・ハンティング」などでも、精神科医はいかに丁寧に時間をかけて患者と一対一で話し合うか、をいつも感じていました。

 

ところがそのマニュアルでは、うつ、統合失調症などさまざまな症状をあるかないかでチェックし、その数が一定数あれば、処方なり治療方法が決められているといった風になっているようです。それで患者が抱えている生活環境や歴史的な背景などを聞き取ること自体がそのマニュアル違反となるようです。ですので、1100人とかの患者対応を迫られて、患者一人にすると数分ということになり、コスパ的にもそれ以上のことはできないというようです。

 

それが患者にも社会にも有効であるかの物言いでした。むろんこれは二人の若い医師のことばを一面的に捉えただけかもしれません。ただ、開業医の60年代生まれの方は、自分も勤務医時代同じだったこと、それがいやで辞めて、現在の診療スタイルになったというのです。開業医だから、また自由診療だから、時間をかけて患者さんの話を多方面に聞くというのです。ただ、それでも30分ないし1時間というのですから、私の感覚ではとても短く感じます。自由診療ですから、裕福な人から十分な費用をもらえばいいでしょうし、そうでないひとは保険並で対応することも可能ではないかと思うのですが、それは公平でないとでも言うのでしょうかね。

 

だいたいコスパなんてことは、もう少し本質的な部分からスタートしてもよいのではと思うのです。いまの多くの診療スタイルだと、行列ができるほど待合室が混み合い、診療時間は2時間ないし3時間待ちで数分で終わりということも少なくないようではないかと思うのです。それでその患者に固有の対応ができるのでしょうか、医療というのは薬の処方も含め、患者の体が十人十色であるように、その処置処方も皆違うはずです。治療効果を個別に丁寧に見て次は変化をつける必要があるかどうかチェックしながら時間をかけてみないと、型どおりの定型的な治療・処方をしていたのでは、とても患者の病気回復には近づかないというか、時間がかかることになりかねないように思うのです。

 

それはとりわけ心の問題を扱う精神科医、心療内科医などはそうだと思うのですが、コスパということで、かえって反コスパになっていないか心配です。また証拠に基づく医療といっても、疫学調査を踏まえた因果関係だけでは、個別性の高い心の問題には適切に対応できるとは思えないのではと懸念します。

 

精神科医に時間を余裕をと思ってしまったのです。3名の医師、それぞれ詩であったり、ブログであったり、音楽であったり、余暇を楽しんでいるようですが、それが診療時間に患者との対話の中で活かせないようだと残念な気がします。そう努力しているようにも見えるので、放送の中で言えない部分もあるかもしれませんね。学会などでは基準診療に目を光らせている人もいるでしょうから。

 

脱線気味で転覆しかねない状況になりましたので、このへんでおしまい。また明日。

 

 


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