たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

医師の過労と病院の混雑 <勤務医残業、年1860時間 国「過労」容認>などを読みながら

2019-03-29 | 医療・医薬・医師のあり方

130329 医師の過労と病院の混雑 <勤務医残業、年1860時間 国「過労」容認>などを読みながら

 

たいていの仕事では、さまざまな関係者が出会う必要があり、双方に需要と供給のミスマッチがあることもあり、日程調整をして予約をして時間と場所を決めて行うことが普通でしょう。むろん緊急にしなければいけない場合もありますが、それは例外的なケースとして取り扱われるでしょう。

 

しかし医療の世界ではそれが通らないようです。病院、とくに大学病院などの大病院では、予約していても1時間待ちどころか2時間待ちが普通でしょうか。あるいは半日待ったという人もいるかもしれません。いやいや3ヶ月以上、あるいは半年咲き出ないと予約がとれない、それで予約しても長時間待ってようやく診察をうけることができたといた経験をした人もいるでしょう。

 

私も関東に居住しているころ、体調が悪くて大学病院や大病院を訪れることが時折ありましたが、似たような経験をしました。だいたい知人や友人に相談すると、そういった名医のいる病院を紹介してくれるものですから、ついつい遠くでも通ってしまうのですね。はたして名医と言われたり、評判の医師に診てもらうひつようがあったかどうか、それもいまではわかりません。ただ、医療過誤裁判とは異なる、医療の実態を一部を垣間見たという経験はそれなりに意味があったと思います。

 

それにしても患者があれだけ待っていると言うことは、患者という需要が過大となっている一方、医師の供給が不足しているということはいえるのでしょうね。大学病院などに通うことで、医師が多忙であることは容易に理解できていましたが、他方で、その異常な過重労働の実態は最近の報道で少しずつ理解するようになった程度です。

 

そのひどさは先日のブログで紹介したNHK番組でも一部わかりますが、今朝の毎日記事<クローズアップ2019 勤務医残業、年1860時間 国「過労」容認のまま>では、わかりやすい図表を掲載していますので、より問題が明解となっています。

 

見出しのごとく、<医師の働き方改革について、厚生労働省の有識者検討会が28日に報告書をまとめ、2024年度からの方向性が固まった。>として、<一般の医師は、・・・年960時間を残業の上限としたが、地域医療を支える勤務医らは、小幅に縮小したものの、年1860時間まで容認することで決着した。>というのです。

 

この年1860時間の残業が容認された医師は、<「地域医療を支える医療機関の勤務医」と「専門性や技能を高めたい若手勤務医」>の2つのグループです。

 

それは病院の割合でいえば、4分の1にあたり、400床以上だと71%、救命級機能があると84%、大学病院だと88%となっています。つまり大病院では過酷勤務が常態化していることがわかります。

 

現場では「殺される」といった批判があがっているのに、過労死や病気を回避するための措置と言えば、<①連続勤務は28時間まで、②勤務時間インターバル9時間以上、③①②を守られなければ休息時間を取得(つまり①②も禁止されていない)>といった内容です。

 

そして<残業が年1860時間の働き方のイメージ>が日程表として掲載されていますが、とても健康状態を保ちながら長期間にわたって過酷な医療業務を実施することができるとは思えません。

 

たしかに私も若いときは結構無理をして徹夜しても翌日普通に勤務するといったことはよくありました。たいていの人がそうだったかもしれません。しかし、若いときは体がもっても、その負担が累積して50代、60代になると体自体が悲鳴を上げるのではないでしょうか。

 

まして医師の業務は人の生死に関わる厳しい内容で、それが連続して個々の患者の症状も病気も異なるわけですから、神経をすり減らす日々を長期間続けると、精神も肉体も参ってしまうことが予想できます。

 

社説働かせ過ぎの勤務医 開業医との格差をただせ>では、<過労やストレスで毎年70~90人の医師が自殺し、病死も含めると毎年100人もの医師が過労で亡くなっている。若い研修医の4割程度が抑うつ状態という調査結果もある。>というのです。

 

こういった過酷な勤務状態に、将来のある若い勤務医が就くことを、経験になるとか、医師として当然の道とか、といって奨励してきたのだとするといかがなものかと思うのです。

 

その前提として、医師の応召義務ということが指摘されたりしていますが、医師法19条の解釈として、合理的な意義が医師、患者側、行政の間で確立していないのではないかと懸念します。

 

たしかに医師法19条は、「診療に従事する医師は、診察治療の求があつた場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない。」として、正当な事由がなければ、応召義務があると規定しています。

 

しかし、それはあらゆる診察治療を前提とするものではないと解釈すべきであるとみてよいと考えます。そのような見方こそ、現代医療の現場からいえるのではないでしょうか。

 

ウィキペディア<応召義務>では、戦後初期の時代の厚生省医務局医務課長回答などが取り上げられ、厳格な解釈が取り上げられていますが、現代の状況に適合する新しい解釈指針を提示すべきではないかと思います。

 

<患者側も一定の協力や負担が必要>という指摘があります。患者側も、大学病院や大病院にかかることを当然の権利という考えで、診察や検査を受ける姿勢は見直すことが必要ではないでしょうか。診療してもらう医師がうつ状態や過労死の危機にさらされている状況を深刻に受け止める必要があると思うのです。

 

仮に暴飲暴食、不健康な生活の連続で、自ら招いた病気であるなら、とりわけ節度が必要ではないでしょうか。そういう私も、この年になってようやく健康管理に目覚め、病院・医師に負担をかけないよう、配慮する心構えができてきたところですので、人を批判すると天に唾するようなものと思いながら、反省の気持ちをこめて書いています。

 

この点、<厚労省は昨年、アーティストのデーモン閣下さんらを委員とする「上手な医療のかかり方を広めるための懇談会」を発足させ、国民に医療を守る行動を促す宣言を出した。子どもの病気に小児科医らが対応する「#8000」や、救急車を呼ぶべきかどうかの助言がもらえる「#7119」といった短縮ダイヤルの活用により、安易な夜間・休日の受診の抑制を狙う。>という取り組み自体は結構なことだと思います。

 

しかし、抜本的な見直しには簡単にはつながらないと思います。

 

1860時間の残業を許容するような医療行政は、抜本的に改めるよう、その原因追求を掘り下げ、一般労働者と同じか、それ以下にするよう、見直してもらいたいものです。方向性が固まったというのですから、無理な話かもしれませんが、今後の国会議員選挙で争点として議論してもらいたいものです。

 

患者としては、適切な診療をしてもらうには、医師が過労死やうつ病などの危険にさらされている状態であることは是非とも回避してもらう必要があります。それは適正な診療を受ける権利を害していることにもつながります。いや、そういうことばは適切ではないでしょう。診ていただく医師が健全な状態出会って欲しいと思うのは、患者ならだれしも思うのではないでしょうか。過酷な勤務状態にある医師に、適切な診療を求めることは人としてできないでしょう。

 

そんなことをふと思って冗長な話となりました。今日はこれにておしまい。また明日。

 

このブログも、移行しないと331日で終了というメールが来ていましたが、移行手続する元気もないので、自然更新がなければ、明日、明後日で終わります。

 

もし⑷月1日にブログが消えたら、当分の間、休筆します。またやる気がでたら(いつになるか分かりませんが)、書くかもしれません。後残り2回は書くつもりです。


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