白夜の炎

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思想史講座で「江戸思想を読む」 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授)/ベリタより

2016-03-18 15:04:24 | 歴史
「  4月からの思想史講座で「江戸思想を読む」を始めます。その理由を書きます。福沢諭吉は明治の変革に際し、「一身にして二生を経るが如し」といっています。これは明治維新の体験を文明論的転換の体験としていったものです。

  しかし明治維新を文明論的転換としていうとき、その転換は非文明的な前近代社会から文明的な近代社会への転換として理解され、自覚されることになります。福沢だけではない。多くの日本人における明治の変革の体験というものは、そうした文明論的な転換の体験であったように思います。だが昭和の日本人にも継承されてきたこの文明論的転換の自覚は、はたして日本の近代を文化的、精神的に豊かにしたでしょうか。

  維新を文明論的転換として見るとき前近代として否定的に見られる江戸時代は知的、文化的に一つの成熟に達した時代です。この江戸を否定的にしか継承しない近代日本は自らを貧しくさせていると思わざるをえません。精神的にいよいよ貧しい現代日本にあって、己れ自身を豊かにするものとして、「一身にして二生を経る」体験をもう一度、受け身ではなく積極的に追体験してみようではありませんか。これが私の思想史講座で「江戸思想」を読む理由です。


子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授)


■子安宣邦さん
  思想史家として近代日本の読み直しを進めながら、現代の諸問題についても積極的に発言している。東京、大阪、京都の市民講座で毎月、「論語」「仁斎・童子問」「歎異抄の近代」の講義をしている。近著『近代の超克とは何か』『和辻倫理学を読む』『日本人は中国をどう語ってきたか』(青土社)
(子安氏のツイッターから)

■子安宣邦のブログ -思想史の仕事場からのメッセージ-
http://blog.livedoor.jp/nobukuni_koyasu/



■「中国問題」と私のかかわり ~語り終えざる講演の全文~ 子安宣邦(大阪大学名誉教授 近世日本思想史)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201512072209271

■<大正>を読む 子安宣邦 和辻と「偶像の再興」-津田批判としての和辻「日本古代文化」論
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602111256064

■丸山眞男「超国家主義の論理と心理」を読む ~丸山の「超国家主義」論は何を見逃したか~ 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602112350414

■「日本思想史の成立」について-「台湾思想史」を考えるに当たって 子安宣邦(近世日本思想史 大阪大学名誉教授)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201602262033155

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201603171506134

彼にみなさんが騙された理由/小田島隆

2016-03-18 14:54:33 | 報道
「 テレビの情報番組などでコメンテーターとして活躍していた男性が、経歴を詐称していたということで、ちょっとした騒ぎになっている。

 この2日ほどのうちにいくつかのメディアが報道した内容を総合してみるに、件の人物の詐称はなかなか念が入っている。最初の学歴からはじまって、留学経験、MBA資格から、経営コンサルタントとしての業務実態、年商、オフィスの住所、本名、出自に至るまでの一通りの要素が「ウソ」であったことが既に明らかになっており、「イケメン」として厚遇される理由になっていた顔も、美容整形の結果である可能性が濃厚なのだという。

 この結果に世間が驚いているのかというと、もちろん驚いている人たちもたくさんいるのだが、ネット内の評判では

「そんな気がしていた」

 という声が、意外なほど大きい。

「最初からあやしいと思っていた」
「一目見てうさんくさいヤツだと確信していた」
「あの鼻はなにごとだと常々不審に感じていました」

 と、彼らは異口同音に、当該の人物について、以前から不審を感じていた旨を訴えている。

 無論、大方の事実が判明してから後乗りで自らの慧眼をアピールしにかかっている人たちもいるはずだ。
 そうでなくても、私たちは、おしなべて、そうなってしまってからそんな気がしていたような気持ちを抱きがちな傾きを備えているものだ。

 とはいえ、実際に

「ほら、2年前にオレは《うさんくさい》と書いてるぞ」
「オレなんか震災前から一貫して何回も《インチキくさい》と繰り返しアピールしている」

 と、目に見える証拠を提示した上で彼の人物への疑惑を語っている人々の例も少なくない。

 いずれにせよ、話題の彼が、ずいぶん前から、かなり広範囲の人々に、そこはかとなく怪しまれていたことは事実であるようだ。

 私自身は、なんとなく奇妙な印象を抱いてはいたものの、「怪しい」とまでは思っていなかった。
 というよりも、絵に描いたようなイケメンに偏見を抱きがちな自分の偏狭さをいましめていたりした。
 まして、経歴詐称を疑うところまではまったく踏み込めていなかった。
 まあ、人間を見る目がなかったということなのだと思う。無念だ。

 ずいぶん前に、人間についてではないが、食品偽装に関連して、「フェイク(偽物)はフォニー(インチキ)の周辺に発生する」という主旨の原稿を書いたことがある。フェイク商品(贋造品)が発生するのは、そもそも真似をされる側のブツがインチキくさいからだ、という、ちょっと乱暴なお話だ。

 松阪牛や関サバに偽装食品が発生するのは、オリジナルとされている食品の値段が、その品質に比して、不当に高価だからだ(と私は思っている)。
 適正な価格で販売されている良心的な商品にフェイクは発生しない。

 というのも、ギリギリの利益率で流通している商品をパクったところで、ほとんど差益は生まれないし、もともと高品質な商品をパクるためには高度な技術が必要で、その高度な技術を実現するためにはそれなりのコストがかかるからだ。

 とすれば、たいして品質が高いわけでもないのに分不相応な高値で売られているブツの偽物を作る方が仕事として有望であるに決まっているし、事実、フェイク業者は、ブランド信仰のゆえなのか、消費者の無知に由来するものなのか、異常な関税のしからしむるところなのか、理由はどうであれ、品質に比してはるかに高い取引価格で流通している物品の偽物をもっぱら製造・販売する方針で、彼らの商売をドライブさせているのである。

 たとえば、ある種のブランド物のバッグは、製造原価の数十倍以上の値段で販売されている。

 強力なブランドを持たない業者が手がければ5万円で売って十分に利益が出る商品を、ブランド販売業者は60万円だとか100万円という信じがたい価格で流通させている。

 この価格は、普通に考えればもちろんあからさまな不当価格であり、ブランドの評判そのものも、どこからどう見ても下駄を履いた評価だ。
 が、製造しているメーカーも、それを売る販売業者も、さらにはそれを購入することになる消費者も、全員がこの価格になぜなのか、納得している。

 メーカーおよび流通小売業者は、値段が高ければ高いほど儲けが大きくなるのだからして、著しく高価な価格設定に満足するのは当然だ。ここについては疑問はない。

 では、製造原価の何十倍もの高値でブツを買わされることになる買い手が、どうしてそのバカな価格に納得しているのかというと、彼(または彼女)が当該のバッグを購入する目的が、そのバッグを入れ物として使用するためというよりは、高価な持ち物として他人にひけらかすためだからだ。

 その種の衒示的消費のための商品の価格は、誰の目にも分かる形で高価さをアピールしていることが望ましい。

 かくして、世間で有名な高級ブランド物バッグは、その高品質ゆえにではなく、高価さゆえに珍重される。そして、それを買った人間は、高品質なバッグを選ぶ鑑識眼の高さを強調すること以上に、高価なバッグを持ち歩くことのできる経済力を内外に誇示しようとする。今さらあげつらうのもなんだが、まったく、なんというバカな話だろうか。

 情報番組のコメンテーターが経歴を詐称するに至る事情は、どこの馬の骨とも分からないそこいらへんの名もない牛肉(というのはたしかにちょっと変な言い方ではあるが)が松阪産であることを騙ったり、下町の町工場で作られている革製のバッグが、フランス名前のブランドの刻印を伴って市場に投入される経緯と似ていなくもない。

 どういうことなのかというと、実際にはたいしたスキルがなくてもできる仕事の背景を粉飾するための見せかけの看板である以上、それが詐称であったところでたいした違いは無いということだ。

 たとえばこれが、ガチなアカデミズムの世界だったり、実際にメスを手に取って患者の腹腔なり頭蓋なりを切り開いて施術をせねばならない臨床医の世界であれば、資格や学歴を詐称したところで、そんなことは何の役にも立たない。偽物は一発でバレてしまう。

 料理人の世界でも大工の現場でも同じだ。ウデの無い職人が、書類上の資格を偽造して職を得たところで、包丁を握るなり鋸を挽くなりしてみれば、その場で彼が偽物であることは誰の目にも明らかになる。

 ところが、コメンテーターの世界では、詐称がうまうまとまかり通る。
 MBAを持っているかのごとくふるまっていれば、見ている者には、そのように見える。
 年商三十億円の会社を切り回していますと言い張れば、言われた方は案外信用してしまったりする。

 出た学校の名前も、事務所の住所も、それがウソだったからといって、ただちに見破られるような属性でもない。
 なぜなら、しょせんは飾りだからだ。

 というよりも、「フェイクはフォニーの周辺に発生する」という原則に沿って述べるなら、テレビのニュースショーや情報ワイド番組の周辺に、フェイクな肩書を伴った人物が潜り込んだことは、そこで獲得できる仕事口が、ある程度誰にでもできる難易度の低い業務であるにもかからわらず、不相応に高い社会的評価と知名度をもたらすフォニーな仕事であったことを意味している。

 あるいは、経歴をそれらしく飾り立てるための能力と、ランダムに発生する事件にそれらしいコメントを添えてみせる能力は、そんなに遠いものではないということでもある。

 というのも、自分の専門分野と特段の関連もない日々の出来事に事寄せて、凡庸でこそないものの、独特過ぎることもない、最終的に無難なコメントをとっさのアドリブで供給し続けるために必要な資質は、経歴を詐称した状態で世間に対峙している病的な嘘つきが、自分の身辺の細部に散りばめられた大小のウソを、破綻させることなく運営していく中で培ってきた「場の空気を読む能力」とほとんど同じもので、つまるところ、ニュースへのコメントの大きな部分は、擬似的な大衆の反応をパイロットしてみせる感情の偽装みたいなものだからだ。

 いや、私は、ワイドショーのコメンテーターという職業が、詐欺師もどきのインチキ商売だと言っているのではない。
 全然違う。
 私は、優秀な詐欺師なら優秀なコメンテーターがつとまるはずだ、ということを申し上げているに過ぎない。

 似ているようでいて、この二つの意味するところはかなり違う。
 優秀な詐欺師は、優秀なコメンテーターとして通用する。
 が、優秀なコメンテーターだからといって、優秀な詐欺師になれるとは限らない。
 つまり、詐欺師の方が、より幅広い能力を要求される職業なのである。

 別の側面について言えば、コメンテーターに期待される資質の大きな部分はその誠実さに関連している。が、詐欺師の業務において、誠実さは、無能さと区別がつかない。

 私はコメンテーターを腐したいのではない。
 ただ、フォニーの周辺にはフェイクが発生するということをもう一度申し上げるのみだ。

 いやいや、どうせ適当なことを言うだけの仕事に、マジな肩書きもフェイクな肩書きもあるものか、と言いたいのではない。
 私がこの際強調しておきたいのは、コメンテーターがフェイクな肩書きを名乗ったのは、われわれ聴き手の側が、コメンテーターの言葉よりも、彼の肩書きを重視していたことの当然の帰結なのではなかろうかということだったりする。

 つまり、お互い様だということだ。

 もっとも、コメンテーターは、たぶんハタから見ているほど簡単な仕事ではない。
 彼らの仕事の大半は、無難なコメントを発信することに費やされているわけだが、すべてのコメントがあまりにも無難過ぎると、それはそれで商売にならない。

 時には、ビビッドな感情のきらめきや、スリリングな断言や、皮肉の効いたまぜっかえしや、アブないコメントを織り交ぜておかないと視聴者にナメられる。
 ストライクしか投げないピッチャーがいつしかつるべ打ちに遭う成り行きと同じだ。
 3球に1球はボール球を投げなければいけない。
 1シーズンにひとつやふたつはデッドボールも投げた方が良いのかもしれない。
 その方がピッチングに幅が出る。

 とはいえ、暴投はいけない。バッターのアタマに当てることも絶対に避けなければならない。
 とすると、ストライクゾーンの出し入れやら、変化球の切れ味やらを考えると、コメンテーターという商売も、これはこれで、なかなか精妙な技術を要する職人仕事なのかもしれない。

 問題は、コメンテーターの死命を決する能力である、ストライクゾーンを見極める目や、その日のアンパイヤの判定の傾向をいち早く感知するセンスにおいて卓抜な力を発揮するのが、フェイクな人たちだったりすることだ。

 嘘つきは、常に人々の顔色を見ている。

 誰が自分の言葉に不審を抱き、自分の発したどの言葉が相手にアピールしているのかを、他人を騙すことを生業としている人間たちは、四六時中見極めようとしている。というよりも、日常的にウソをついている人間は、ウソがバレるギリギリのボーダーを常に意識しているわけで、その意味において、空気読みの達人なのである。

 その点、正直な人間は、いまひとつ他人の評価に鈍感だ。
 自分が本当のことを言っていることを強く自覚している人間は、他人に好まれていようが疎まれていようが、たいして気にとめない。自分だけが正しければそれで十分だと思っている。

 そういう人間は、コメンテーターには向かない。
 視聴者の目から見て、独善的に映るからでもあるし、スタジオの空気を読むことを怠るからでもある。

 と、正直なコメンテーターは、時に舌っ足らずでもあれば、時に暴走することにもなるわけで、結局のところ、通常業務として穏当なコメントを安定供給することができない。

 詐欺師は、言葉を紡ぐ能力に秀でているだけでなく、他人の気持ちを先読みする能力にも長けている。
 彼は、対面している人間の感情を高揚させたり、落ち着かせたりする方法に精通しており、自分を囲む人間たちが望んでいる感情をその場で言葉にして手のひらの上に現出させる技術を生まれながらに身に着けている。

 別の言葉で言うなら、彼には「魅力」がある。
 とすれば、こんなに素敵なコメンテーターはいないではないか。

 詐称は、簡単なタスクではない。
 詐称によって得られるものと、詐称が発覚した時に失うものを勘案してみれば、ふつうの人間は、詐称をしようとは考えない。

 MBAを持っているからといって、それだけですべてが手に入るわけではない。自分の言葉に、ちょっとしたオーラを付け加える以上の効果は無いと言って良い。ひるがえって、MBA資格のアナウンスがウソであることが発覚した場合、彼は、すべてを失うことになる。
 こんな割に合わない取引があるだろうか。

 逆に言えば、これほどまでにリスキーなチャレンジに乗り出すのは、よほど並外れた自信家であるのか、でなければ、どこかしら精神を病んでいる人間に限られるということだ。

 経歴詐称は、ゴルフのスコア改竄に似ているかもしれない。
 スコアを1つか2つごまかしたからといって、得られるのは、その場のちょっとした虚栄心の満足だけだ。

 賭けゴルフに興じていた場合、何らかの報酬があるかもしれない。が、いずれにせよ、報酬は知れている。
 対して、改竄が発覚した場合のリスクはずっと大きい。
 おそらく、彼は、ほとんどすべてのゴルフ仲間を失うことになる。

 そうまでしてスコアをごまかす必要があるだろうか……という、この、普通の人間なら普通に持っているはずの普通の常識が、スコアをごまかす人間にとっては、つけ込みどころになる。彼らは、「スコアをごまかすゴルファーなんているはずがない」という常識を利用して、その裏をかく形で、スコアをごまかしている。このあたりの機微は、ゲームのようでもある。あるいは、病的な嘘つきは、このスリルに嗜癖しているのかもしれない。

 結論を述べる。
 詐欺師とコメンテーターという、よく似た資質を要求される対照的な仕事を割り振る上で、大切なのは、コメンテーターを起用する側のリテラシー(鑑識眼)だ。

 詐欺師もコメンテーターも、人間を扱う仕事で、だからこそ彼らは、人を誘惑するのが上手だ。
 とすれば、その彼らを起用する側の人間は、それ以上に人間を見る目の達人であらねばならない。

 この何年かの間に、「メディア・リテラシー」という言葉をメディアの人間が平気な顔で使う場面に遭遇してびっくりしたことが何度かある。

 メディアの人間がメディア・リテラシーを語ることは、評価される側の人間が評価の仕方を教えている話型の説教になる。これは、話のスジとしておかしい。個人的には、「ラーメンの味わい方」みたいな説教ポスターを店内に掲示しているラーメン屋みたいな傲慢さを感じさせて、大変によろしくないと思っている。

 受け手の側から見た「メディアの読み取り方」を意味する言葉だったはずの「メディア・リテラシー」は、いつしか、報道被害の責任や番組制作上の怠慢を視聴者の側に転嫁する際のキーワードになり、さらには「バカは黙ってろよ」という、送り手の増長慢を反映した捨て台詞に変化し、最終的には、メディア自身の自意識(リテラシー)の欠如を物語る、大変にたちの悪い用語になってしまっている。

 経歴詐称コメンテーターについて言えば、視聴者に対してメディア・リテラシーの向上を要求することの多くなったテレビの中の人たちが、自分たちの起用するタレントや文化人について、人間を見極めるリテラシーを欠いているのだからして、こんなに皮肉な話はないと思っている。

 ネット内の書き込みをしばらく掘り進めてみればわかることだが、今回の一連の報道で経歴詐称が公式に発覚する以前の段階で、話題のホラッチョタレントのうさんくささを指摘していた人たちは、ごく早い時期の書き込みを含めて、決して少なくない。

 液晶画面を通した印象だけで、これだけの人が疑念を抱いていたのに、現場で本人と直に接していた共演者や契約関係者は、誰一人として、彼のうさんくささに気づいていなかったのだろうか。

 あるいは、あやしいと内心思いながらも、無気力と惰性で現場の仕事を存続させることを優先させていたということなのだろうか。

 それとも、優秀な嘘つきは、遠くに立っている人間よりも、より近くにいる人間をより深く騙すものなのだろうか。

 経歴より大切なものがあることは、誰もが知っていることだ。
 が、その経歴よりも大切なものを見極める目を持っていない人間は、結局のところ、フェイクであれ、ホラッチョであれ、書類に書いてある経歴で人を判断することしかできない。

 ひとつはっきりしているのは、ホラッチョ氏の詐称で一番傷ついている被害者は、局の関係者でもスタジオの共演者でもなくて、人間を見極める目を持たない人たちの作った番組を見せられていた視聴者だったいうことだ。

 ホラッチョを疑っていなかった過去の自分を、いまになって疑わなければならなくなっている私などは、最も苛烈な被害を受けたひとりかもしれない。

 彼はとんでもないものを盗んでいきました。私の自尊心です。ああ悔しい。

(文・イラスト/小田嶋 隆)」

http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/031700036/?P=1

トランプこそアメリカの素顔

2016-03-18 14:23:03 |  北米
 トランプおろしが激しい。アメリカの共和党「主流派」や主流のメディアがその中心だとされる。

 あたかも主流派が大統領を送り出せなければアメリカの政治は間違った方向に進み、出せば正義が実現されるかのようである。

 本当だろうか。

 共和党主流派の政権、例えばブッシュジュニアの政権が何をやったか思い出してみればよい。

 彼の時中東が破壊され、今日のテロと難民があふれかえる原因となったのではなかったか。

 共和党主流派の政治とは軍産複合体がエンジョイできる政治であり、エネルギー産業が大もうけできる政治である。レーガン、ブッシュ・シニア、全員がそうだ。(民主党も同様だがここではふれない)

 共和党主流派が懸念しているのは、トランプが余りにも粗雑に振る舞って、共和党政治の水準を世界にばくろしてしまうことである。

 いってみれば自民党の杉村大蔵のように、ペラペラと本音で共和党の本心を暴露してしまうことを恐れているだけである。

 もう一つ心配事があるとすれば、自分たちの完全なパペット(カイライ)2ならないかもしれない、ということだろう。

 どちらにしても外部の人間にとっては大同小異。

 どちらに転んでも大してましなことにはならないだろう。

北朝鮮の核ミサイルは本当に恐れるに足りるか? /スプートニクより

2016-03-18 14:03:52 | 軍事
「北朝鮮がミサイルや核技術の分野で大きな進歩を遂げたのは事実だが、すべての問題が克服されたわけではない。ロシアの軍事専門家ウラジーミル・エフセーエフ氏はそう語る。

「ある情報によると、北朝鮮の第三の核実験では、核弾頭に使用可能な、相当小型の核爆弾が用いられた。今年2月の初めに重量200㎏もの衛星が打ち上げられたことも、北朝鮮の技術が進歩していることの証だ。『北朝鮮は熱核兵器の開発に取り組んでいる』との情報もある。しかし、こうした開発には、非常に多額の資金が必要だ。ゆえに、おそらく、今後数年間でこうした兵器が完成されることはない。しかし、北朝鮮は、核爆弾をブースト、つまり、強化することは出来るだろう。核爆弾の威力が20キロトン程度にまで高められる可能性はある。ただ、目下、北朝鮮は、緻密な大気の層を通る際に弾頭を保護するための耐熱コーティング技術に集中している。このようなコーティングがなければ、ミサイル本体の燃焼と損失は不可避である。この問題が解決されたら、次のステップは、弾頭の飛行試験を行い、遠隔測定データを集めることである。それなくして、弾道ミサイルを用いて核弾頭を正確にターゲットに届けることは出来ない。こうしたテストがすべて完了してはじめて、『北朝鮮は戦略的抑止力を手にした』と言える。韓国や日本は強力なミサイル防衛システムを持っている。自由落下型核兵器を持っていても、それで有効な攻撃ができるとは限らないのだ」

しかし北朝鮮は、ロシアと中国を含む国際社会全体の支持のもと採択された、国連安全保障理事会による厳しい制裁を受けている。こんな中でどうやって、核ミサイル開発に必要な技術を取得できるのか。エフセーエフ氏は次のように語る。

「基本的な部品や技術は、すでに北朝鮮は持っているのだと思う。また、国連決議によって、北朝鮮への物資の輸送は検査を受けているが、だからといって、核開発につながるような資材が、たとえば中国・北朝鮮の国境を通って、送られていないかどうか、絶対的な保証はない。加えて、制裁の中で技術や特定の機器が秘密裏に譲渡されたケースは、これまでにもあった。その点は理解しておくべきだ。そのことは一番最近の人工衛星打ち上げによっても確認されている。ロケットの一段目の打ち上げに西側の技術の適用の痕跡が見つかったのだ。また、耐熱コーティングの開発にドネプロペトロフスク市にあるウクライナの設計事務所『ユジュマシ』が携わっていることを示す間接的な証拠もある。これが事実なら、旧ソ連圏から北朝鮮への重大な技術漏洩がある、ということになる。加えて、北朝鮮が中国の耐熱コーティングを使用していることも知られている。これは以前、中距離弾道ミサイルに使用されていたものだ」

北朝鮮が核ミサイル開発を進めたなら、韓国領土にミサイル防衛システムが大規模に展開されることになるだろう。イスラエルのミサイル防衛システムによく似た、様々なレベルの兵器が配備される。そうなれば、朝鮮半島のミサイル軍拡競争は活性化するだろう、とウラジーミル・エフセーエフ氏は語る。


続きを読む http://jp.sputniknews.com/opinion/20160318/1800039.html#ixzz43EBmvmrr」

http://jp.sputniknews.com/opinion/20160318/1800039.html

世界の進歩に取り残されるアラブ ―ヨルダン知識人の自己批判―/メリムより

2016-03-18 13:34:02 | 中東
「思想、哲学、科学、社会、教育、文化、創造活動の面で、世界は日々進歩している。後進的な男女差別の思考からも解放されようとしている…。

これは、アラブ地域から離れた諸国で起きている。そこでは彼等は科学、文化を発展させ、人文、科学、芸術等でトップをめざして競いあっている。一方我々は、この面のすべてにおいて底辺で停滞しているのである。いくつかの国では、このような活動が全然見られない。

平和、医学、生理化学、物理、経済及び文学のノーベル賞受賞者を生み出すのは、前述の諸国であり、アラブは殆んどいない。授賞式では聴衆席にいるか、テレビで見るだけである。

我々は、かつての栄光を思い出して、我々自身を慰めるだけである。かつてはムスリムに研究者や思想家がいた。例えば、アル・ラジ※2、アル・ファラビ※3、イブン・シーナー※4、アル・キンディ※5、イブン・ルシュド※6、イブン・ハルドゥーン※7などがいた。我々が誇りに思うそのような錚々たる人物の大半は、非アラブ人であったし、礫打ちの刑で殺され或いは投獄され、著書を焼かれ、或いは異端として非難された。それでも我々は人文及び文化上の理由から彼等を誇りに思う…。

我々の問題は、ノーベル賞をとれないことにとどまらない。思想の自由、人権、メディア、ジェンダー、環境、水、腐敗撲滅戦争等の面で尊敬すべき地位にない。問題はそこにある。すべての分野で我方諸国は最後尾に位置する。

オリンピックに出場すれば、我方諸国は、〝参加すること(だけに)意義あり〟の状態で、メダルを狙う段になると、自前の選手に期待できないので、他国の有望選手に国籍を与えて、出場させることになる。我々の代表になったコモロ島の選手が、 金メダルをとれば、あたかも彼がエルサレムを解放したかのように、大騒ぎする(注、コロモはイスラム連邦)。ケニヤ、ギニア、或いはシエラレオネは、アラブ諸国が束になっても敵わない。22ヶ国がメダルひとつで大騒ぎするのに、彼等はその10倍はとり、更にその上をめざす。経済力からいえば全然比較にならない。いくつかの国―多分すべてのアラブが―ケニヤ、シエラレオネ等より収入が多いだろう。しかし何十億何百億という金は、スポーツクラブなどに浪費され、人材育成に投資されることはない。

我々は、前進する代りにすべての分野で逆走している。スポーツで劣り、芸術では誰もいない。政治の分野では人質同様、列強の言いなりである。動きを期待されれば動き、沈黙を要求されれば黙る。経済面でみると、我々は福祉国家ではない。イデオロギー面では我々が影響されることがあっても、影響力を及ぼすことはない。人道面では我々は他者を受入れず、拒否する。我々は、我々と考えの違う者を不信心者として非難する。我々は常に正しく、世界が我々を打倒するため、陰謀を企てているとし、物事を論理的に考えようとしない。論理的帰結を受入れず、避ける。我々は、我々を互いに傷つけ殺し合っているのは我々自身であることを、認めることができない。互いに殺し合い血を流すのは、先祖の遺産を口実にしている。かれこれ1500年程になろうか。さまざまな流れと宗派間に民族的宗教的紛争の種をまく意図ありという口実である…。

諸君、我々の車はギアが逆走状態になっているので、前へ進めない。この間世界はどんどん進んだ。もう数世紀、恐らくは10世紀も我々は遅れている。我々は現世代のための船に乗り遅れている。現世代を矯正することはできない。手遅れである。我々は目をはっきり覚まして、資金と人材を次世代のために投資しなければならない。そうできるか。それが問題である。

※1 2016年1月6日付 Al-Ghad(ヨルダン)

※2 アル・ラジ(Abu Bakr Al-Razi 865-92)はペルシアの哲学者。アラビア語で執筆し、ムスリム世界の卓越した医者のひとり。

※3 アル・ファラビ(Abu Nasr Al-Farabi 872-950)ムスリムの数学者、科学者、医者、哲学者で、心理学、社会学、宇宙論、論理学、音楽、の諸分野で貢献があった。知識においてアリストテレスに次ぐ人物といわれ、第二の師として知られた。

※4 イブン・シーナー(Abu `Ali Hussein Ibn Al-Sina 980-1035)。ペルシアの医者、哲学者、科学者。科学史家G・サートンは、「史上最高の思想家で、医学者のひとり」と評している。

※5 アル・キンディ(Abu Yousuf Al-Kindi 801-873)。アラブ・ムスリムの哲学者、数学者、音楽家、医師。「アラブの哲学者」と呼ばれ、アラブ・イスラム哲学の父と考えられた。

※6 イブン・ルシュド(Abu Al-Walid Ibn Rushd 1126-1198)。ムスリムの医者、哲学者。スペインのコルドバに生まれ育ち、そこで仕事をした。中世ヨーロッパ哲学に大きい影響を与えた。

※7 イブン・ハルドゥーン(`Abu Al-Rahman Ibn Khaldun 1332-1406)。著名なアラブ人歴家、史料編纂者。史料編纂、社会学、及び経済学研究の父祖のひとりと考えられる。」

http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP633616

子宮頸癌ワクチンの問題点

2016-03-17 17:21:41 | 報道
「 「NEWS23」が継続してお伝えしている子宮頸がん予防ワクチンをめぐる動きです。番組ではワクチンを接種した少女たちの記憶力などが低下する症状について取り上げてきましたが、国の研究班が16日、脳の障害に関する新たな研究結果を発表しました。

 利き手だった右手がうまく動かせなくなってから5年がたとうとしています。酒井七海さん(21)。足が思うように動かせず、車いすを使う生活が当たり前のようになりました。こうした症状を発症したのは、子宮頸がんワクチンを接種してからです。

 日本でこれまで接種した338万人のうち、副反応の報告があったのは2584人。2年前、酒井さんは別の病院に通院していました。現在はまた違う病院に。今回が22回目の入院となります。

 「足を真っすぐにすると震える・・・」(酒井七海さん)

 目に見える症状のほかに、今、深刻なのは、記憶の障害です。

 「(七海さんが)予定とかを忘れちゃうので・・・」(母親)
 「やったことを常にスマホに記録していて。11時40分に(取材が)来たので、とりあえずここ(スマホ)に書いておいて、夜、まとめて、ノートにきょう何時に何をしたというのを書いたりして」(酒井七海さん)

 これまで、国の検討部会はこうした症状を少女たちの心身の反応としてきました。そうした中、16日、厚生労働省で国の研究班の1つが新たな研究成果を発表しました。研究班の代表を務める池田修一信州大学医学部長。この1年間、全国の患者およそ140人の研究を進めてきました。そこでわかってきたのが、記憶力の低下などを訴える患者の傾向です。

 「『情報の処理速度』だけが極端に落ちている。正常の6割くらいまで落ちている」(国の研究班の代表 信州大学 池田修一医学部長)

 少女たちに何が起きているのでしょうか。実験用の特別なマウスを使って分析が行われました。マウスにそれぞれ、子宮頸がんワクチン「サーバリックス」、インフルエンザワクチン、B型肝炎ワクチンを打ったところ、子宮頸がんワクチンを打ったマウスにだけ脳に異常が発生していることがわかったといいます。

 「子宮頸がんワクチンを打ったマウスだけ、脳の海馬・記憶の中枢に異常な抗体が沈着。海馬(記憶の中枢)の機能を障害していそうだ」(国の研究班の代表 信州大学 池田修一医学部長)

 脳の画像データ。子宮頸がんワクチンだけ緑色に光る異常な抗体が出ています。

 「明らかに脳に障害が起こっている。ワクチンを打った後、こういう脳障害を訴えている患者の共通した客観的所見が提示できている」(国の研究班の代表 信州大学 池田修一医学部長)

 異常が見つかったのは脳だけではありません。子宮頸がんワクチンを打ったマウスの足の裏にある神経の束を撮影したもの。正常な神経は黒く太いバンドで取り囲まれています。しかし、マウスから見つかった異常がある神経は、正常のものと比較すると、黒いバンドの部分が壊れて亀裂が入り、膨らんでいるのがわかります。

 「この神経は情報が正確に早く伝わっていかないと考えられます」(国の研究班の代表 信州大学 池田修一医学部長)

 こうしたマウスの異常はワクチンを打ってから9か月ぐらいで現れたといいます。さらに研究班は、特定の遺伝子にも注目しています。記憶の障害を訴える33人の患者を調べたところ、そのおよそ8割で同じ型を保有していることがわかりました。

 「(注目している遺伝子は)中国・日本など東アジアの人に多い。子宮頸がんワクチンの副反応が日本でクローズアップされた遺伝的背景の1つの原因かもしれないと考えています」(国の研究班の代表 信州大学 池田修一医学部長)

 国の研究班は今後、今回、マウスなどで見られた異常と、ワクチンの成分との関係について、本格的な分析を進める予定です。(16日23:07)
最終更新:3月17日(木)11時13分TBS News i」

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160317-00000008-jnn-soci

再掲「お前は人権のにおいがする」/中村文則

2016-03-17 16:40:28 | 文化
 もう一度載せます。人権や、憎しみなど、人間の感情と基本的な尊厳が耕作する問題を伝えることは、大事な問題ですが、上手に伝えるのは難しいことです。この中村さんの文章はその点で優れたものだと思います。

「「 僕の大学入学は一九九六年。既にバブルは崩壊していた。

 それまで、僕達(たち)の世代は社会・文化などが発する「夢を持って生きよう」とのメッセージに囲まれ育ってきたように思う。「普通に」就職するのでなく、ちょっと変わった道に進むのが格好いい。そんな空気がずっとあった。

 でも社会に経済的余裕がなくなると、今度は「正社員になれ/公務員はいい」の風潮に囲まれるようになる。勤労の尊さの再発見ではない。単に「そうでないと路頭に迷う」危機感からだった。

 その変化に僕達は混乱することになる。大学を卒業する二〇〇〇年、就職はいつの間にか「超氷河期」と呼ばれていた。「普通」の就職はそれほど格好いいと思われてなかったのに、正社員・公務員は「憧れの職業」となった。

 僕は元々、フリーターをしながら小説家になろうとしていたので関係なかったが、横目で見るに就職活動は大変厳しい状況だった。

 正社員が「特権階級」のようになっていたため、面接官達に横柄な人達が多かったと何度も聞いた。面接の段階で人格までも否定され、精神を病んだ友人もいた。

 「なぜ資格もないの? この時代に?」。そう言われても、社会の大変化の渦中にあった僕達の世代は、その準備を前もってやるのは困難だった。「ならその面接官達に『あなた達はどうだったの? たまたま好景気の時に就職できただけだろ?』と告げてやれ」。そんなことを友人達に言っていた僕は、まだ社会を知らなかった。

 その大学時代、奇妙な傾向を感じた「一言」があった。

 友人が第二次大戦の日本を美化する発言をし、僕が、当時の軍と財閥の癒着、その利権がアメリカの利権とぶつかった結果の戦争であり、戦争の裏には必ず利権がある、みたいに言い、議論になった。その最後、彼が僕を心底嫌そうに見ながら「お前は人権の臭いがする」と言ったのだった。

 「人権の臭いがする」。言葉として奇妙だが、それより、人権が大事なのは当然と思っていた僕は驚くことになる。問うと彼は「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴(やつ)らの人権をなぜ国が守らなければならない?」と言ったのだ。

 当時の僕は、こんな人もいるのだな、と思った程度だった。その言葉の恐ろしさをはっきり自覚したのはもっと後のことになる。

 その後東京でフリーターになった。バイトなどいくらでもある、と楽観した僕は甘かった。コンビニのバイト採用ですら倍率が八倍。僕がたまたま経験者だから採用された。時給八百五十円。特別高いわけでもない。

 そのコンビニは直営店で、本社がそのまま経営する体制。本社勤務の正社員達も売り場にいた。

 正社員達には「特権階級」の意識があったのだろう。叱る時に容赦はなかった。バイトの女の子が「正社員を舐(な)めるなよ」と怒鳴られていた場面に遭遇した時は本当に驚いた。フリーターはちょっと「外れた」人生を歩む夢追い人ではもはやなく、社会では「負け組」のように定義されていた。

 派遣のバイトもしたが、そこでは社員が「できない」バイトを見つけいじめていた。では正社員達はみな幸福だったのか? 同じコンビニで働く正社員の男性が、客として家電量販店におり、そこの店員を相手に怒鳴り散らしているのを見たことがあった。コンビニで客から怒鳴られた後、彼は別の店で怒鳴っていたのである。不景気であるほど客は王に近づき、働く者は奴隷に近づいていく。

 その頃バイト仲間に一冊の本を渡された。題は伏せるが右派の本で第二次大戦の日本を美化していた。僕が色々言うと、その彼も僕を嫌そうに見た。そして「お前在日?」と言ったのだった。

 僕は在日でないが、そう言うのも億劫(おっくう)で黙った。彼はそれを認めたと思ったのか、色々言いふらしたらしい。放っておいたが、あの時も「こんな人もいるのだな」と思った程度だった。時代はどんどん格差が広がる傾向にあった。

 僕が小説家になって約一年半後の〇四年、「イラク人質事件」が起きる。三人の日本人がイラクで誘拐され、犯行グループが自衛隊の撤退を要求。あの時、世論は彼らの救出をまず考えると思った。

 なぜなら、それが従来の日本人の姿だったから。自衛隊が撤退するかどうかは難しい問題だが、まずは彼らの命の有無を心配し、その家族達に同情し、何とか救出する手段はないものか憂うだろうと思った。だがバッシングの嵐だった。「国の邪魔をするな」。国が持つ自国民保護の原則も考えず、およそ先進国では考えられない無残な状態を目の当たりにし、僕は先に書いた二人のことを思い出したのだった。

 不景気などで自信をなくした人々が「日本人である」アイデンティティに目覚める。それはいいのだが「日本人としての誇り」を持ちたいがため、過去の汚点、第二次大戦での日本の愚かなふるまいをなかったことにしようとする。「日本は間違っていた」と言われてきたのに「日本は正しかった」と言われたら気持ちがいいだろう。その気持ちよさに人は弱いのである。

 そして格差を広げる政策で自身の生活が苦しめられているのに、その人々がなぜか「強い政府」を肯定しようとする場合がある。これは日本だけでなく歴史・世界的に見られる大きな現象で、フロイトは、経済的に「弱い立場」の人々が、その原因をつくった政府を攻撃するのではなく、「強い政府」と自己同一化を図ることで自己の自信を回復しようとする心理が働く流れを指摘している。

 経済的に大丈夫でも「自信を持ち、強くなりたい」時、人は自己を肯定するため誰かを差別し、さらに「強い政府」を求めやすい。当然現在の右傾化の流れはそれだけでないが、多くの理由の一つにこれもあるということだ。今の日本の状態は、あまりにも歴史学的な典型の一つにある。いつの間にか息苦しい国になっていた。

 イラク人質事件は、日本の根底でずっと動いていたものが表に出た瞬間だった。政府側から「自己責任」という凄(すご)い言葉が流れたのもあの頃。政策で格差がさらに広がっていく中、落ちた人々を切り捨てられる便利な言葉としてもその後機能していくことになる。時代はブレーキを失っていく。

 昨年急に目立つようになったのはメディアでの「両論併記」というものだ。政府のやることに厳しい目を向けるのがマスコミとして当然なのに、「多様な意見を紹介しろ」という「善的」な理由で「政府への批判」が巧妙に弱められる仕組み。

 否定意見に肯定意見を加えれば、政府への批判は「印象として」プラマイゼロとなり、批判がムーブメントを起こすほどの過熱に結びつかなくなる。実に上手(うま)い戦略である。それに甘んじているマスコミの態度は驚愕(きょうがく)に値する。

 たとえば悪い政治家が何かやろうとし、その部下が「でも先生、そんなことしたらマスコミが黙ってないですよ」と言い、その政治家が「うーん。そうだよな……」と言うような、ほのぼのとした古き良き場面はいずれもうなくなるかもしれない。

 ネットも今の流れを後押ししていた。人は自分の顔が隠れる時、躊躇(ちゅうちょ)なく内面の攻撃性を解放する。だが、自分の正体を隠し人を攻撃する癖をつけるのは、その本人にとってよくない。攻撃される相手が可哀想とかいう善悪の問題というより、これは正体を隠す側のプライドの問題だ。僕の人格は酷(ひど)く褒められたものじゃないが、せめてそんな格好悪いことだけはしないようにしている。今すぐやめた方が、無理なら徐々にやめた方が本人にとっていい。人間の攻撃性は違う良いエネルギーに転化することもできるから、他のことにその力を注いだ方がきっと楽しい。

 この格差や息苦しさ、ブレーキのなさの果てに何があるだろうか。僕は憲法改正と戦争と思っている。こう書けば、自分の考えを述べねばならないから少し書く。

 僕は九条は守らなければならないと考える。日本人による憲法研究会の草案が土台として使われているのは言うまでもなく、現憲法は単純な押し付け憲法でない。そもそもどんな憲法も他国の憲法に影響されたりして作られる。

 自衛隊は、国際社会における軍隊が持つ意味での戦力ではない。違憲ではない。こじつけ感があるが、現実の中で平和の理想を守るのは容易でなく、自衛隊は存在しなければならない。平和論は困難だ。だが現実に翻弄(ほんろう)されながらも、何とかギリギリのところで踏み止(とど)まってきたのがこれまでの日本の姿でなかったか。それもこの流れの中、昨年の安保関連法でとうとう一線を越えた。

 九条を失えば、僕達日本人はいよいよ決定的なアイデンティティを失う。あの悲惨を経験した直後、世界も平和を希求したあの空気の中で生まれたあの文言は大変貴重なものだ。全てを忘れ、裏で様々な利権が絡み合う戦争という醜さに、距離を取ることなく突っ込む「普通の国」。現代の悪は善の殻を被る。その奥の正体を見極めなければならない。日本はあの戦争の加害者であるが、原爆・空襲などの民間人大量虐殺の被害者でもある。そんな特殊な経験をした日本人のオリジナリティを失っていいのだろうか。これは遠い未来をも含む人類史全体の問題だ。

 僕達は今、世界史の中で、一つの国が格差などの果てに平和の理想を着々と放棄し、いずれ有無を言わせない形で戦争に巻き込まれ暴発する過程を目の当たりにしている。政府への批判は弱いが他国との対立だけは喜々として煽(あお)る危険なメディア、格差を生む今の経済、この巨大な流れの中で、僕達は個々として本来の自分を保つことができるだろうか。大きな出来事が起きた時、その表面だけを見て感情的になるのではなく、あらゆる方向からその事柄を見つめ、裏には何があり、誰が得をするかまで見極める必要がある。歴史の流れは全て自然発生的に動くのではなく、意図的に誘導されることが多々ある。いずれにしろ、今年は決定的な一年になるだろう。

 最後に一つ。現与党が危機感から良くなるためにも、今最も必要なのは確かな中道左派政党だと考える。民主党内の保守派は現与党の改憲保守派を利すること以外何をしたいのかわからないので、党から出て参院選に臨めばいかがだろうか。その方がわかりやすい。

     ◇

 1977年生まれ。2005年、「土の中の子供」で芥川賞。近著に「教団X」「あなたが消えた夜に」。「掏摸(スリ)」をはじめ、作品は各国で翻訳されている」

http://digital.asahi.com/articles/ASHD23R1JHD2UPQJ003.html?iref=comtop_6_01

新華社が習近平を「最後指導者」と伝えた件/博迅より

2016-03-17 16:36:54 | 情報
 少し遅いですが、新華社が習近平のことを「最高指導者」とすべきところを「最後指導者」と表記した圏の報道です。

 この博迅が最初に伝えたと言われています。

「【博闻社】中国两会期间,官方新华社对外发稿错将“中国最高领导人习近平”写成“中国最后领导人”事件未了。据了解,涉事的编辑面临停职、撤销发稿人资格的处分,作为预备中共党员资格也被取消。新华社在两会期间问题层出,引起中共高层不满。

这起事故发生在全国“两会”期间,3月13日新华社发稿,题目是《(两会观察)记者手记:从昆泰酒店内外寻中国经济信心》。报道在倒数第三段中写道:”中国最后领导人习近平在今年的两会上表示,中国发展一时一事会有波动,但长远看还是东风浩荡。广大非公有制经济人士要准确把握中国经济发展大势,提振发展信心。”

该报道当天下午3时57分发出,新华社在5时15分发出改稿通知,请转载上述报道的媒体将“中国最后领导人习近平”改为“中国最高领导人习近平”。不过,中国各大门户网站已广泛转载该篇报道,也有好些境外媒体发现报道中的上述错误,对此进行报道。

今天,新加坡《联合早报》引消息指,新华社的内部调查后倾向认为,导致错误的原因是发稿编辑在改稿时,以拼音输入法输入“最高”(ZG),手误输入了“最后”(ZH)。

报道说,涉事编辑李凯(48岁),1992年进入新华社,曾经在香港做过驻地记者,一年前刚获提升为新华社对外部港台发稿中心主任,此前曾长期担任两会新闻报道的发稿编辑。

联合早报还说,李凯的这次错误被新华社高层定性为“政治错误”,“影响恶劣”。除了李凯以外,该社对外部领导和分管领导,也分别被依照《中国共产党纪律处分条例》进行不同的责任追究。

请点此链接参看博闻社详细报道。

[博讯首发,转载请注明出处]- 支持此文作者/记者 (博讯 boxun.com)
2312304」

http://www.boxun.com/news/gb/china/2016/03/201603162304.shtml#.VupecVKSbUo

王毅外交部長の対日認識/全人代における発言

2016-03-17 16:33:56 | アジア
「第12期全国人民代表大会(全人代)第4回会議の記者会見が8日10時にメディアセンターで行われ、王毅外交部長(外相)は「中国の外交政策と対外関係」について国内外の記者からの質問に答えた。


日本の毎日新聞社記者は「日中関係に関して、日本では『好転しつつある』と『改善されてはいない』という異なる見方がある。王毅外交部長は両国関係の現状をどのようにみているのか?またもし現状が楽観できないとするならば、その問題はどこにあるのか?日中関係を改善する上で双方はどのような努力をすべきだろうか?」と質問。

それに対し、王毅外交部長は以下のように回答した。

日本側の歴史等の問題における誤った対応で、ここ数年、中日関係は確かに深い傷を負っている。中日両国の有識者の努力を経て、両国関係に改善の兆しはみられるものの、今後については依然として楽観視することはできない。それは日本政府とその指導者が日中関係の改善を声高に唱える一方で、至る所で絶えず中国にトラブルをもたらしているためだ。これはまさに典型的な裏表のあるやり方と言えるだろう。

中日両国は隣国として、海を隔てて向き合っている。国民レベルでは友好の伝統があり、中国も当然、中日関係が真の意味で好転することを望んでいる。しかしながら「病根は元から絶たねばならない」という言い方もあるように、中日関係に関して言えば、病根とはつまり日本の指導者の対中認識にあると考えている。中国の発展を受け、日本政府は中国が友人なのか、敵なのか、またパートナーなのか、ライバルなのかという問題を真剣に考慮し、十分に検討すべきだ。(編集TG)
「人民網日本語版」2016年3月8日」

http://j.people.com.cn/n3/2016/0308/c94474-9027118.html

シリアのロシア軍を縮小する狙い/ロシアNOWより

2016-03-17 15:10:55 | 国際
「シリアのロシア軍を縮小する狙い

2016年3月17日 ウラジーミル・ミヘエフ

 シリアにおけるロシアの軍事活動を縮小化して焦点を定め直すという、最高司令官としてのウラジーミル・プーチン大統領による命令の背後にある真の理由をめぐる論議の結論は、おそらく将来の歴史家に委ねられることになるだろう。 それはまるで、地政学的な性質の謎がパズルという形で提示されたかのようだ。

シリアに残留するロシア部隊は?

 表向きは、それなりに説得力があるように見受けられる。 ロシアのプーチン大統領は、軍の主要部隊を撤退させるのは、軍が「大方その目的を達成した」ほか、外交面において、内戦に終止符を打つためのシリア国内の対話開始が設定されたからであると発表した。

 モスクワは、シリア全体を取り巻く劇的状況の関係者全員を包含する、すなわち、シリアのクルド人が同国の将来に関する交渉に参加することを認める、というアイデアを推進した。 「(交渉に) シリア国内のあらゆる範囲の政治勢力が包含されるべきであることは明白である。そうでなければ、これは全関係者を代表するフォーラムであるとは言えないだろう」とラブロフ外相は述べた。

 シリアのクルド人は、アサド大統領に忠誠を誓うアラウィー派やスンニ派と同様に、内戦の形勢が自分たちに有利になるように情勢を逆転させたロシアに対し、ある程度は感謝しているはずだ。 これは、内戦に決着がついていない状況下で突然180度の方向転換がなされた主な理由といえよう。



有利な状況を地固めして利益を確実に

 モスクワに隠された動機があるとしたら、それはどのようなものだろうか。 トルコやサウジアラビアによる地上軍投入の警告が現実化した場合に、両国の軍と近接遭遇することを恐れた、という可能性はあるだろうか。


ロシア軍がシリアからの撤退開始
 それとも、シリアの内戦における軍事的および外交的な関与を通じて得られた最有力の利益を確実にするという、慎重に計算された戦略であろうか。

 その論理は次のように説明することができる。ロシアは、米国と共に現在の休戦状態の保証人として、必ずしも敵対的ではないダマスカスの新たな政権と、大方はモスクワの戦略的利益に対して一定の理解を示すシリアのクルディスタンという形に近く「連邦化」されるであろうシリアの分割を監督しようというものだ。



識者の見方

 アラブ地域の政治を専門とする国立ロシア人文大学のグリゴリー・コサーチ教授 に、この2つの仮定について解説してもらった。

 「私は2つ目の方により実体があると思います。 モスクワは、巨大な2つの領土を支配することになる各権力に対し、自国が持つ影響力を維持できると考えているかもしれません。 その1つはダマスカスからアレッポの間の地中海沿岸をつなぐ地域、そしてもう1つは主にクルド人が住んでいる北部を包含する地域です。 これが『賞金ファンド』となり、それでおそらく十分でしょう」

 それはロシアで禁止されているイスラム国(IS)やその他のテロ組織に大打撃を与えるという当初の目標にどう関係するのだろうか?

 「ロシア軍の関与により、イスラム過激派がシリアの領土の大部分を奪い取ることを防止したと主張することができます」とコサーチ教授は反論した。

 ロシアが世界のこの特別な地域に和平の仲介役および紛争調停者として戻ってくることを暗示しているとすれば、モスクワは独自の目標を達成したことになろう。 モスクワは、自ら何度も繰り返し主張してきた内容を実証して見せた。それは、比較的ロシアの国境に近い地域的紛争においては、ロシアは敵対する当事者に対し影響力を行使し、問題解決に向けた土台を築くことができるということだ。



「退却」なのか、それとも「撤退」か?

 シリアの内戦における当事者間の敵対関係が依然として収まっていない中でロシアが軍事的関与を縮小化することは、ロシアが失敗したことの黙認に他ならない、と懐疑論者が解釈する可能性がある。あれは退却を意味する、と。

 ロシアの外交の支持者の間では、これは並行展開した戦略 (アサド政権の軍事力強化と、穏健派の敵対者を外交的手段により関与させること) が功を奏したことの証明とみなされる。


シリアに残留するロシア部隊は?
 後者すなわち懐疑論者にとっては、これは撤退という位置付けとなる。 「退却」が臆病な逃亡を強いられることを暗示するのであれば、それは通常なされる区分にうまく適合する。 逆に「撤退」は、長期的な目的に従った計画的な行動となる。 よく耳にする「これは退却しているのではなく、戦略的撤退 (「転進」) なのだ!」という言い回しと同じである。

 そのタイミングについてだが、それは、株価が下がっている時に買い取り、株価が上昇したら売りに出るという、日常的によく利用されるものの巧妙なやり口に似ている。」

http://jp.rbth.com/opinion/2016/03/17/576397

言葉は立派だけれど(3月16日)/福島民報より

2016-03-16 16:56:51 | 放射能
 福島県民などどうでもいいと思っている安倍政権閣僚への批判。この通りだと思う。

「言葉は立派だけれど(3月16日)

 言葉は立派だけれど実行力が伴わない。世の中を見渡せば、そんな例はざらにある。国もご多分に漏れず、では困るのだが…。期待する方が間違っているのだろうか。

 「最終的には事業者が判断する」。県も県議会も求めている東京電力福島第二原発の廃炉について、閣僚からは判で押したような答えしか返ってこない。見事なまでに東電任せの姿勢を貫いている。はて、原発は国策ではなかったのか。電力会社の後ろに身を潜めながら「国が前面に立つ」と言われても、むなしく響くだけだ。

 中央省庁の地方移転に関する政府方針が近く決まる。「東京にある必要があるのかどうかも含めて根本から考え直す」と安倍晋三首相が力を入れる施策だ。文化財が多い京都府には文化庁が移る方向だという。それなら再生が最重要課題の福島県には当然復興庁が、と思うのだが、政府から移転の声は出てこない。根本から考え直さなくても分かりそうなものなのに。

 もう春だ。永田町と霞が関の論理であつらえた分厚いコートを、思い切って脱ぎ捨ててはどうか。政治主導で体温の伝わってくる決断を下さなければ、県民の心を覆う不信の氷を解かすことはできない。

( 2016/03/16 08:40 カテゴリー:あぶくま抄 )」

http://www.minpo.jp/news/detail/2016031629587

第二原発廃炉求める 郡山で県民大集会/福島民報より

2016-03-16 16:54:29 | 放射能
「 「2016原発のない福島を!県民大集会」は12日、郡山市の開成山陸上競技場で開かれた。東京電力福島第一原発事故を教訓に、県内で原子力発電を将来にわたり実施しないことや福島第二原発の即時廃炉などを訴える集会アピールを採択した。

 県平和フォーラム、県漁連、県女性団体連絡協議会、県森林組合連合会など県内の各種団体で構成する実行委員会の主催。今年で5回目で、県内外から約6千人(主催者発表)が参加した。

 実行委員長の角田政志県平和フォーラム代表は「本県の原発事故の責任を認め、原子力政策を見直すよう政府に求めていく」と主張した。「さようなら原発1千万人署名市民の会」呼び掛け人で作家の鎌田慧さんもあいさつした。県内の避難住民や高校生らが自らの経験や考えを発表した。

 引き続き市内をデモ行進した。集会に先立ち、市内でシンポジウムが開かれた。

(2016/03/13 13:30カテゴリー:福島第一原発事故)」

http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2016/03/post_13465.html

ロシア軍のシリア撤退 3つの狙い/小泉悠より

2016-03-16 16:32:11 | 軍事
「昨年9月、突如としてシリアに軍事介入を行って世界を驚かせたロシアが、今度は突然の撤退発表によって耳目を集めている。その狙いはなんなのか。
シリアを離れていく空軍機の姿から考察してみたい。

突然の撤退発表

3月14日、ロシアのプーチン大統領は、シリアに展開しているロシア空軍部隊主力に撤退を命じたことを明らかにした。理由は、ロシア軍の任務が概ね完遂されたため、としている。
これについては、撤退完了期限が示されていないこと、ロシア軍が展開していたアル・フメイミム航空基地やタルトゥース港の物資補給拠点が「これまでどおり機能する」とされていたことから、実際にはデモンステレーション的な撤退に過ぎないのではないかとの見方もあった。
ところが翌3月15日、ロシア国防省は、アル・フメイミム基地を次々と離陸するロシア空軍機の映像をリリースした。


撤退第一陣となったのは、ロシアがシリアに展開させている中で最も強力な対地攻撃力を有するSu-34戦闘爆撃機である。ロシア軍が現在調達中の新鋭機で、どす黒い迷彩塗装の爆撃機が次々と離陸していく様子はなるほど「撤退」を実感させる。
映像には少なくとも4機のSu-34が写っており、これはシリアに展開していた機体のほぼ全力と思われる。
シリアから帰還し、歓迎を受けるSu-34のパイロット
シリアから帰還し、歓迎を受けるSu-34のパイロット
さらにロシア側の報道によると、今後は12機ずつ配備されていたSu-25攻撃機とSu-24戦闘爆撃機も順次撤退の予定であるという。
ロシア国防省のサイトでも、大型輸送機を先導機にして順次撤退するなど細かい撤退手順を明らかにしており撤退は今後とも続く可能性が高い。
ちなみに第一陣のSu-34はすでにロシア本国の基地に帰還している。

何が「これまでどおり」なのか

しかし、こうなるとアル・フメイミム基地が「これまでどおり機能する」という話はどうなってしまうのか。
実はアル・フメイミム基地には上記の攻撃機や戦闘爆撃機のほかにも、主に対航空機戦闘を任務とするSu-30SM戦闘機とSu-35S戦闘機が配備されており、上記報道ではこれらの撤退について言及がない。
また、アル・フメイミム基地には最新鋭防空システムS-400など複数の防空システムが展開しているが、これも撤退するとの情報が今のところ見られない。
つまり、今回の撤退では地上攻撃部隊が撤退する一方、防空戦力はシリアに残る、ということになる可能性がある。

シリア撤退:3つの狙い

仮にこの見立てが正しかった場合、今回のシリア撤退に関するロシアの狙いははっきりしてくる。
すでに指摘されているように、今回のプーチン大統領によるロシア軍撤退決定は、ジュネーブでのシリア和平協議再開とほぼ同時であった。つまり、ロシアとしては今後のシリア和平を有利に運ぶための撤退であったと言える。しかも、そこには複数の狙いが見て取れる。
1. シリア和平をめぐる対西側関係の改善
第一に、ロシアがシリアでの空爆を継続していることは欧米諸国から非難の的となっており、シリア和平に関するロシアと西側の協力を難しくしていた。これに対してプーチン大統領は、今回の撤退発表に先立ち、オバマ米大統領と電話会談を行って撤退開始の意向を明らかにしていた。撤退を米露関係改善のシグナルとする姿勢が見て取れよう。
2. トルコ・サウジアラビアへの牽制
しかし、第二に、ロシアにとって都合の悪い軍事活動が行われることをロシアは認めるつもりはない。特にロシアの軍事プレゼンス低下の隙をついてトルコやサウジアラビアがシリア領内への軍事介入を行うことは絶対に認められず、それだけに防空戦力は残したものと思われる。サウジアラビアは2月、トルコのインジルリク基地にF-15S戦闘爆撃機を展開させてシリア介入を伺うような動きを見せていたが、ロシアの空軍力が存在する限りは純軍事的にも政治的にもシリア介入は困難であると思われる。トルコも昨年11月のロシア空軍機撃墜事件以来、シリア領内への空爆は行っていないとされる。
3. アサド政権への圧力
第三に、シリアのアサド政権への圧力が考えられる。昨年9月末にロシアが軍事介入を開始して以降、一時は崩壊寸前とまで見られていたアサド政権軍は大きく勢力を盛り返すことに成功していた。それだけにアサド政権は停戦に消極的と見られ、アサド大統領はプーチン大統領による退陣勧告をはねつけてきたと伝えられる。こうした中でロシア空軍の対地攻撃部隊が撤退してしまえば、停戦が破られた場合、アサド政権軍は再び劣勢に陥りかねない。
このように、米国、トルコ、サウジアラビア、そしてアサド政権への複合的な影響力を狙ったのが今回の撤退劇なのではないか、というのが現時点での筆者の見方である(もっとも、以上は現時点での観測であり、今後は撤退の実際を注意深く観察する必要があろう)。

戦費負担軽減の狙いも

もちろん、シリアでの戦費が膨大な負担になっていることも事実である。
ロシア経済の危機は歳入のおよそ半分を占める原油価格の下落という構造的な要因によるものであり、当面は劇的な改善は望めない。
シリアでの軍事作戦の費用は1日200万ドルとも800万ドルとも言われており、このような経済状況下でいつまでも続けられないことは明らかであった。プーチン政権は当初、国防費だけは経済危機下でも削減しないとしていたが、昨年は予算補正でついに国防費削減に踏み切り、今年も国防費の5%カットが予定されている。
この意味でも、シリアでの軍事作戦縮小が必要とされていたことは間違いないと思われる。


小泉悠
軍事アナリスト
早稲田大学大学院修了後、ロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究などを経て、現在はシンクタンク研究員。ここではロシア・旧ソ連圏の軍事や安全保障についての情報をお届けします。『軍事研究』誌でもロシアの軍事情勢についての記事を毎号執筆。」

http://bylines.news.yahoo.co.jp/koizumiyu/20160316-00055480/