白夜の炎

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ロシアがシリアに軍事介入した四つの理由 ―政治評論家カラガノフの分析―/メムリより引用

2016-03-09 15:23:15 | 国際
「ロシアの週刊誌The New Timesは、2016年2月15日付誌面で、政治評論家カルガノフ(Sergey Karaganov)のインタビューを掲載した。本人は、モスクワの国立研究大学高等経済学部々長である。インタビューはロシアの外交政策とロシアから見た中東情勢の現状をテーマとするが、そのなかでカルガノフは、ロシアがシリアに軍事介入した四つの理由を指摘し、更にロシア・トルコ間の緊張に関しても触れた。以下そのインタビュー内容である※1。


写真① セルゲイ・カルガノフ(Image: Newtimes.ru, February 15, 2016)

スンニ派シーア派何れが勝っても破滅、どちらに勝たせても行けない

(問)シリアにおける軍事作戦は、ウクライナ絡みという意見が広く流布している。つまり、(ウクライナにおけるロシアの活動)から西側の目を引き離し、テロリズムと戦うためシリアに軍事介入をおこなった点を強調して、国際社会での孤立を避ける。これが軍事介入の背景とする意見がある。これをどう考えるか。

(答)ロシアは、随分前からシリアに対する軍事介入を意図し、準備してきた。作戦自体入念に準備したうえで、発動されたのである。いきなり軍事介入が始まって驚いたと言う人は、知識不足の馬鹿か或いは嘘つきのどちらかである。国は、軍事専門家、戦闘機材を輸送し、航空基地と連絡道路を修理、整備し軍事要員の受入れ施設を建てるなど、兵站を事前に設定したのである。ラタキアの基地整備は、航空機の第1陣到着より1年前に着手されている。我々のシリア介入に関しては、いくつかの理由がある。

第1. 我々は随分前から、中東が惨憺たる状況になることを予想していた。大半の中東諸国は、歴史の古いイランと特異なステータスを持つイスラエルを除き、今後20ないし30年の間に崩壊するだろう。そこで我々が考えるべきは、どのようにして崩壊するかである。我々がいなくても崩壊するのか。数千数万のテロリスト候補者が存在することを計算に入れると、介入してネジを締めたりゆるめたりした方がよいのか、彼等が互いに殺しあって、何倍も惨状が拡大してロシア国境に近づく前に、我々が始末した方がいいのか。そのような考慮があった。

第2. ロシアは、中東に或る種のバランスが必要であることに気付いた。バランスがないと大爆発になるという認識である。まずシリアでスンニ派が勝ってもシーア派が勝っても同じで大惨事となる。それがほかの中東地域へ波及していく。どちらに勝たせてもいけない。

第3. 勿論〝姿勢〟の問題もある。我々は大国でありたい。未熟な国家主義の願望、ピヨトル大帝※2とエカテリナ女帝※3から受け継いだ現実離れの思想、と呼ぶ人がいるかも知れないが。

第4. シリア(に対する)介入がウクライナから目を転じさせ、我々と西側との関係が別の次元へ移る。私もその通りであると思う。そして、このゴールは完全に達成されたのである。

我々は、新しいトルコ帝国やペルシア帝国の出現を望まない。カリフ領の建設も不可

(問)ウクライナ問題が注目されなくなったというが、注視の転換は完全に果たされたのか、ミンスク協定の履行は※4、進んでいるのか。

(答)ミンスク協定は、関与者全員―アメリカ及びヨーロッパ諸国を含めて―が履行の時が来たと決めて初めて、履行されるのである…話をシリア問題に戻すと、この戦争は、軍事上外交上はっきり成功した場合でも勝利がない。我々はいつでもシリアを出る用意をしておかなければならない。国民も前以てそのシナリオに備えておく必要がある。その過程で別の紛争にまきこまれないようにしなければならない。そこが肝腎である。その意味で私は対トルコ紛争を強く懸念している。トルコは、我々を背後から刺した。何故トルコはロシア機を撃墜したのであろうか。答の一部は、この地域の政治文化の妙な特異性にある。我々がここに関して抱いていた先入観の多くは、間違っていた。自分の発した言葉に責任を持つという点など、前提のひとつであるが。しかし我々の対応は感情的で、余り理性的ではなかった。その結果のひとつとして、第二次クリミア戦争※5の恐れも、でてきた。

(問)トルコには何を望むのか。

(答)何を望まないのかを指摘する方が容易である。我々はこの地域で行動するようになったが、関与当初から、我々は新しいトルコ帝国やペルシア帝国の出現を望んでいなかった。カリフ領の建設も御免である。

(問)では、我々はイラン、トルコ双方の野望を抑えつつあるということか。

(答)それはあなたの表現だ。私が言いたいことは、今言った通りである…。今日のトルコは、19世紀後半から20世紀初めにかけてのロシアに、よく似ている(ちなみに、同じ理由から彼等は偉大な文学を持っている。我々の偉大な文学はなくなったが)。突如として彼等は トルコ帝国の回復を決めた。5-10年前からこれを口にしている。あちこちに広がる一種の流行であった。4年前彼等がアラブの春を支持したのも、そこに理由がある。

※1 2016年2月15日付 Newtimes.ru

※2 ピヨトル大帝は17世紀後半に即位したロシア皇帝。ロシアを農業社会から帝国へ発展させ、18世紀になってヨーロッパ列強に対抗したことで知られる。

※3 エカテリナ女帝は、1762年から1796年まで統治し、ロシア帝国領を黒海そして中部ヨーロッパへ拡大した。

※4 ミンスク協定の履行のための対応パッケージ。ウクライナのドンバス地方における戦闘軽減を目的とする。

※5 クリミア戦争(1853年10月―1856年2月)は、ロシア対トルコの戦争に、イギリスとフランスがトルコ側に加担し、サルディニア軍が支援し、クリミア半島を主戦場として、戦った。この戦争は、中東を支配する列強間の紛争に由来する。」

http://memri.jp/bin/articles.cgi?ID=SP633516