白夜の炎

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子宮頸癌ワクチンの問題点

2016-03-17 17:21:41 | 報道
「 「NEWS23」が継続してお伝えしている子宮頸がん予防ワクチンをめぐる動きです。番組ではワクチンを接種した少女たちの記憶力などが低下する症状について取り上げてきましたが、国の研究班が16日、脳の障害に関する新たな研究結果を発表しました。

 利き手だった右手がうまく動かせなくなってから5年がたとうとしています。酒井七海さん(21)。足が思うように動かせず、車いすを使う生活が当たり前のようになりました。こうした症状を発症したのは、子宮頸がんワクチンを接種してからです。

 日本でこれまで接種した338万人のうち、副反応の報告があったのは2584人。2年前、酒井さんは別の病院に通院していました。現在はまた違う病院に。今回が22回目の入院となります。

 「足を真っすぐにすると震える・・・」(酒井七海さん)

 目に見える症状のほかに、今、深刻なのは、記憶の障害です。

 「(七海さんが)予定とかを忘れちゃうので・・・」(母親)
 「やったことを常にスマホに記録していて。11時40分に(取材が)来たので、とりあえずここ(スマホ)に書いておいて、夜、まとめて、ノートにきょう何時に何をしたというのを書いたりして」(酒井七海さん)

 これまで、国の検討部会はこうした症状を少女たちの心身の反応としてきました。そうした中、16日、厚生労働省で国の研究班の1つが新たな研究成果を発表しました。研究班の代表を務める池田修一信州大学医学部長。この1年間、全国の患者およそ140人の研究を進めてきました。そこでわかってきたのが、記憶力の低下などを訴える患者の傾向です。

 「『情報の処理速度』だけが極端に落ちている。正常の6割くらいまで落ちている」(国の研究班の代表 信州大学 池田修一医学部長)

 少女たちに何が起きているのでしょうか。実験用の特別なマウスを使って分析が行われました。マウスにそれぞれ、子宮頸がんワクチン「サーバリックス」、インフルエンザワクチン、B型肝炎ワクチンを打ったところ、子宮頸がんワクチンを打ったマウスにだけ脳に異常が発生していることがわかったといいます。

 「子宮頸がんワクチンを打ったマウスだけ、脳の海馬・記憶の中枢に異常な抗体が沈着。海馬(記憶の中枢)の機能を障害していそうだ」(国の研究班の代表 信州大学 池田修一医学部長)

 脳の画像データ。子宮頸がんワクチンだけ緑色に光る異常な抗体が出ています。

 「明らかに脳に障害が起こっている。ワクチンを打った後、こういう脳障害を訴えている患者の共通した客観的所見が提示できている」(国の研究班の代表 信州大学 池田修一医学部長)

 異常が見つかったのは脳だけではありません。子宮頸がんワクチンを打ったマウスの足の裏にある神経の束を撮影したもの。正常な神経は黒く太いバンドで取り囲まれています。しかし、マウスから見つかった異常がある神経は、正常のものと比較すると、黒いバンドの部分が壊れて亀裂が入り、膨らんでいるのがわかります。

 「この神経は情報が正確に早く伝わっていかないと考えられます」(国の研究班の代表 信州大学 池田修一医学部長)

 こうしたマウスの異常はワクチンを打ってから9か月ぐらいで現れたといいます。さらに研究班は、特定の遺伝子にも注目しています。記憶の障害を訴える33人の患者を調べたところ、そのおよそ8割で同じ型を保有していることがわかりました。

 「(注目している遺伝子は)中国・日本など東アジアの人に多い。子宮頸がんワクチンの副反応が日本でクローズアップされた遺伝的背景の1つの原因かもしれないと考えています」(国の研究班の代表 信州大学 池田修一医学部長)

 国の研究班は今後、今回、マウスなどで見られた異常と、ワクチンの成分との関係について、本格的な分析を進める予定です。(16日23:07)
最終更新:3月17日(木)11時13分TBS News i」

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20160317-00000008-jnn-soci

再掲「お前は人権のにおいがする」/中村文則

2016-03-17 16:40:28 | 文化
 もう一度載せます。人権や、憎しみなど、人間の感情と基本的な尊厳が耕作する問題を伝えることは、大事な問題ですが、上手に伝えるのは難しいことです。この中村さんの文章はその点で優れたものだと思います。

「「 僕の大学入学は一九九六年。既にバブルは崩壊していた。

 それまで、僕達(たち)の世代は社会・文化などが発する「夢を持って生きよう」とのメッセージに囲まれ育ってきたように思う。「普通に」就職するのでなく、ちょっと変わった道に進むのが格好いい。そんな空気がずっとあった。

 でも社会に経済的余裕がなくなると、今度は「正社員になれ/公務員はいい」の風潮に囲まれるようになる。勤労の尊さの再発見ではない。単に「そうでないと路頭に迷う」危機感からだった。

 その変化に僕達は混乱することになる。大学を卒業する二〇〇〇年、就職はいつの間にか「超氷河期」と呼ばれていた。「普通」の就職はそれほど格好いいと思われてなかったのに、正社員・公務員は「憧れの職業」となった。

 僕は元々、フリーターをしながら小説家になろうとしていたので関係なかったが、横目で見るに就職活動は大変厳しい状況だった。

 正社員が「特権階級」のようになっていたため、面接官達に横柄な人達が多かったと何度も聞いた。面接の段階で人格までも否定され、精神を病んだ友人もいた。

 「なぜ資格もないの? この時代に?」。そう言われても、社会の大変化の渦中にあった僕達の世代は、その準備を前もってやるのは困難だった。「ならその面接官達に『あなた達はどうだったの? たまたま好景気の時に就職できただけだろ?』と告げてやれ」。そんなことを友人達に言っていた僕は、まだ社会を知らなかった。

 その大学時代、奇妙な傾向を感じた「一言」があった。

 友人が第二次大戦の日本を美化する発言をし、僕が、当時の軍と財閥の癒着、その利権がアメリカの利権とぶつかった結果の戦争であり、戦争の裏には必ず利権がある、みたいに言い、議論になった。その最後、彼が僕を心底嫌そうに見ながら「お前は人権の臭いがする」と言ったのだった。

 「人権の臭いがする」。言葉として奇妙だが、それより、人権が大事なのは当然と思っていた僕は驚くことになる。問うと彼は「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴(やつ)らの人権をなぜ国が守らなければならない?」と言ったのだ。

 当時の僕は、こんな人もいるのだな、と思った程度だった。その言葉の恐ろしさをはっきり自覚したのはもっと後のことになる。

 その後東京でフリーターになった。バイトなどいくらでもある、と楽観した僕は甘かった。コンビニのバイト採用ですら倍率が八倍。僕がたまたま経験者だから採用された。時給八百五十円。特別高いわけでもない。

 そのコンビニは直営店で、本社がそのまま経営する体制。本社勤務の正社員達も売り場にいた。

 正社員達には「特権階級」の意識があったのだろう。叱る時に容赦はなかった。バイトの女の子が「正社員を舐(な)めるなよ」と怒鳴られていた場面に遭遇した時は本当に驚いた。フリーターはちょっと「外れた」人生を歩む夢追い人ではもはやなく、社会では「負け組」のように定義されていた。

 派遣のバイトもしたが、そこでは社員が「できない」バイトを見つけいじめていた。では正社員達はみな幸福だったのか? 同じコンビニで働く正社員の男性が、客として家電量販店におり、そこの店員を相手に怒鳴り散らしているのを見たことがあった。コンビニで客から怒鳴られた後、彼は別の店で怒鳴っていたのである。不景気であるほど客は王に近づき、働く者は奴隷に近づいていく。

 その頃バイト仲間に一冊の本を渡された。題は伏せるが右派の本で第二次大戦の日本を美化していた。僕が色々言うと、その彼も僕を嫌そうに見た。そして「お前在日?」と言ったのだった。

 僕は在日でないが、そう言うのも億劫(おっくう)で黙った。彼はそれを認めたと思ったのか、色々言いふらしたらしい。放っておいたが、あの時も「こんな人もいるのだな」と思った程度だった。時代はどんどん格差が広がる傾向にあった。

 僕が小説家になって約一年半後の〇四年、「イラク人質事件」が起きる。三人の日本人がイラクで誘拐され、犯行グループが自衛隊の撤退を要求。あの時、世論は彼らの救出をまず考えると思った。

 なぜなら、それが従来の日本人の姿だったから。自衛隊が撤退するかどうかは難しい問題だが、まずは彼らの命の有無を心配し、その家族達に同情し、何とか救出する手段はないものか憂うだろうと思った。だがバッシングの嵐だった。「国の邪魔をするな」。国が持つ自国民保護の原則も考えず、およそ先進国では考えられない無残な状態を目の当たりにし、僕は先に書いた二人のことを思い出したのだった。

 不景気などで自信をなくした人々が「日本人である」アイデンティティに目覚める。それはいいのだが「日本人としての誇り」を持ちたいがため、過去の汚点、第二次大戦での日本の愚かなふるまいをなかったことにしようとする。「日本は間違っていた」と言われてきたのに「日本は正しかった」と言われたら気持ちがいいだろう。その気持ちよさに人は弱いのである。

 そして格差を広げる政策で自身の生活が苦しめられているのに、その人々がなぜか「強い政府」を肯定しようとする場合がある。これは日本だけでなく歴史・世界的に見られる大きな現象で、フロイトは、経済的に「弱い立場」の人々が、その原因をつくった政府を攻撃するのではなく、「強い政府」と自己同一化を図ることで自己の自信を回復しようとする心理が働く流れを指摘している。

 経済的に大丈夫でも「自信を持ち、強くなりたい」時、人は自己を肯定するため誰かを差別し、さらに「強い政府」を求めやすい。当然現在の右傾化の流れはそれだけでないが、多くの理由の一つにこれもあるということだ。今の日本の状態は、あまりにも歴史学的な典型の一つにある。いつの間にか息苦しい国になっていた。

 イラク人質事件は、日本の根底でずっと動いていたものが表に出た瞬間だった。政府側から「自己責任」という凄(すご)い言葉が流れたのもあの頃。政策で格差がさらに広がっていく中、落ちた人々を切り捨てられる便利な言葉としてもその後機能していくことになる。時代はブレーキを失っていく。

 昨年急に目立つようになったのはメディアでの「両論併記」というものだ。政府のやることに厳しい目を向けるのがマスコミとして当然なのに、「多様な意見を紹介しろ」という「善的」な理由で「政府への批判」が巧妙に弱められる仕組み。

 否定意見に肯定意見を加えれば、政府への批判は「印象として」プラマイゼロとなり、批判がムーブメントを起こすほどの過熱に結びつかなくなる。実に上手(うま)い戦略である。それに甘んじているマスコミの態度は驚愕(きょうがく)に値する。

 たとえば悪い政治家が何かやろうとし、その部下が「でも先生、そんなことしたらマスコミが黙ってないですよ」と言い、その政治家が「うーん。そうだよな……」と言うような、ほのぼのとした古き良き場面はいずれもうなくなるかもしれない。

 ネットも今の流れを後押ししていた。人は自分の顔が隠れる時、躊躇(ちゅうちょ)なく内面の攻撃性を解放する。だが、自分の正体を隠し人を攻撃する癖をつけるのは、その本人にとってよくない。攻撃される相手が可哀想とかいう善悪の問題というより、これは正体を隠す側のプライドの問題だ。僕の人格は酷(ひど)く褒められたものじゃないが、せめてそんな格好悪いことだけはしないようにしている。今すぐやめた方が、無理なら徐々にやめた方が本人にとっていい。人間の攻撃性は違う良いエネルギーに転化することもできるから、他のことにその力を注いだ方がきっと楽しい。

 この格差や息苦しさ、ブレーキのなさの果てに何があるだろうか。僕は憲法改正と戦争と思っている。こう書けば、自分の考えを述べねばならないから少し書く。

 僕は九条は守らなければならないと考える。日本人による憲法研究会の草案が土台として使われているのは言うまでもなく、現憲法は単純な押し付け憲法でない。そもそもどんな憲法も他国の憲法に影響されたりして作られる。

 自衛隊は、国際社会における軍隊が持つ意味での戦力ではない。違憲ではない。こじつけ感があるが、現実の中で平和の理想を守るのは容易でなく、自衛隊は存在しなければならない。平和論は困難だ。だが現実に翻弄(ほんろう)されながらも、何とかギリギリのところで踏み止(とど)まってきたのがこれまでの日本の姿でなかったか。それもこの流れの中、昨年の安保関連法でとうとう一線を越えた。

 九条を失えば、僕達日本人はいよいよ決定的なアイデンティティを失う。あの悲惨を経験した直後、世界も平和を希求したあの空気の中で生まれたあの文言は大変貴重なものだ。全てを忘れ、裏で様々な利権が絡み合う戦争という醜さに、距離を取ることなく突っ込む「普通の国」。現代の悪は善の殻を被る。その奥の正体を見極めなければならない。日本はあの戦争の加害者であるが、原爆・空襲などの民間人大量虐殺の被害者でもある。そんな特殊な経験をした日本人のオリジナリティを失っていいのだろうか。これは遠い未来をも含む人類史全体の問題だ。

 僕達は今、世界史の中で、一つの国が格差などの果てに平和の理想を着々と放棄し、いずれ有無を言わせない形で戦争に巻き込まれ暴発する過程を目の当たりにしている。政府への批判は弱いが他国との対立だけは喜々として煽(あお)る危険なメディア、格差を生む今の経済、この巨大な流れの中で、僕達は個々として本来の自分を保つことができるだろうか。大きな出来事が起きた時、その表面だけを見て感情的になるのではなく、あらゆる方向からその事柄を見つめ、裏には何があり、誰が得をするかまで見極める必要がある。歴史の流れは全て自然発生的に動くのではなく、意図的に誘導されることが多々ある。いずれにしろ、今年は決定的な一年になるだろう。

 最後に一つ。現与党が危機感から良くなるためにも、今最も必要なのは確かな中道左派政党だと考える。民主党内の保守派は現与党の改憲保守派を利すること以外何をしたいのかわからないので、党から出て参院選に臨めばいかがだろうか。その方がわかりやすい。

     ◇

 1977年生まれ。2005年、「土の中の子供」で芥川賞。近著に「教団X」「あなたが消えた夜に」。「掏摸(スリ)」をはじめ、作品は各国で翻訳されている」

http://digital.asahi.com/articles/ASHD23R1JHD2UPQJ003.html?iref=comtop_6_01

新華社が習近平を「最後指導者」と伝えた件/博迅より

2016-03-17 16:36:54 | 情報
 少し遅いですが、新華社が習近平のことを「最高指導者」とすべきところを「最後指導者」と表記した圏の報道です。

 この博迅が最初に伝えたと言われています。

「【博闻社】中国两会期间,官方新华社对外发稿错将“中国最高领导人习近平”写成“中国最后领导人”事件未了。据了解,涉事的编辑面临停职、撤销发稿人资格的处分,作为预备中共党员资格也被取消。新华社在两会期间问题层出,引起中共高层不满。

这起事故发生在全国“两会”期间,3月13日新华社发稿,题目是《(两会观察)记者手记:从昆泰酒店内外寻中国经济信心》。报道在倒数第三段中写道:”中国最后领导人习近平在今年的两会上表示,中国发展一时一事会有波动,但长远看还是东风浩荡。广大非公有制经济人士要准确把握中国经济发展大势,提振发展信心。”

该报道当天下午3时57分发出,新华社在5时15分发出改稿通知,请转载上述报道的媒体将“中国最后领导人习近平”改为“中国最高领导人习近平”。不过,中国各大门户网站已广泛转载该篇报道,也有好些境外媒体发现报道中的上述错误,对此进行报道。

今天,新加坡《联合早报》引消息指,新华社的内部调查后倾向认为,导致错误的原因是发稿编辑在改稿时,以拼音输入法输入“最高”(ZG),手误输入了“最后”(ZH)。

报道说,涉事编辑李凯(48岁),1992年进入新华社,曾经在香港做过驻地记者,一年前刚获提升为新华社对外部港台发稿中心主任,此前曾长期担任两会新闻报道的发稿编辑。

联合早报还说,李凯的这次错误被新华社高层定性为“政治错误”,“影响恶劣”。除了李凯以外,该社对外部领导和分管领导,也分别被依照《中国共产党纪律处分条例》进行不同的责任追究。

请点此链接参看博闻社详细报道。

[博讯首发,转载请注明出处]- 支持此文作者/记者 (博讯 boxun.com)
2312304」

http://www.boxun.com/news/gb/china/2016/03/201603162304.shtml#.VupecVKSbUo

王毅外交部長の対日認識/全人代における発言

2016-03-17 16:33:56 | アジア
「第12期全国人民代表大会(全人代)第4回会議の記者会見が8日10時にメディアセンターで行われ、王毅外交部長(外相)は「中国の外交政策と対外関係」について国内外の記者からの質問に答えた。


日本の毎日新聞社記者は「日中関係に関して、日本では『好転しつつある』と『改善されてはいない』という異なる見方がある。王毅外交部長は両国関係の現状をどのようにみているのか?またもし現状が楽観できないとするならば、その問題はどこにあるのか?日中関係を改善する上で双方はどのような努力をすべきだろうか?」と質問。

それに対し、王毅外交部長は以下のように回答した。

日本側の歴史等の問題における誤った対応で、ここ数年、中日関係は確かに深い傷を負っている。中日両国の有識者の努力を経て、両国関係に改善の兆しはみられるものの、今後については依然として楽観視することはできない。それは日本政府とその指導者が日中関係の改善を声高に唱える一方で、至る所で絶えず中国にトラブルをもたらしているためだ。これはまさに典型的な裏表のあるやり方と言えるだろう。

中日両国は隣国として、海を隔てて向き合っている。国民レベルでは友好の伝統があり、中国も当然、中日関係が真の意味で好転することを望んでいる。しかしながら「病根は元から絶たねばならない」という言い方もあるように、中日関係に関して言えば、病根とはつまり日本の指導者の対中認識にあると考えている。中国の発展を受け、日本政府は中国が友人なのか、敵なのか、またパートナーなのか、ライバルなのかという問題を真剣に考慮し、十分に検討すべきだ。(編集TG)
「人民網日本語版」2016年3月8日」

http://j.people.com.cn/n3/2016/0308/c94474-9027118.html

シリアのロシア軍を縮小する狙い/ロシアNOWより

2016-03-17 15:10:55 | 国際
「シリアのロシア軍を縮小する狙い

2016年3月17日 ウラジーミル・ミヘエフ

 シリアにおけるロシアの軍事活動を縮小化して焦点を定め直すという、最高司令官としてのウラジーミル・プーチン大統領による命令の背後にある真の理由をめぐる論議の結論は、おそらく将来の歴史家に委ねられることになるだろう。 それはまるで、地政学的な性質の謎がパズルという形で提示されたかのようだ。

シリアに残留するロシア部隊は?

 表向きは、それなりに説得力があるように見受けられる。 ロシアのプーチン大統領は、軍の主要部隊を撤退させるのは、軍が「大方その目的を達成した」ほか、外交面において、内戦に終止符を打つためのシリア国内の対話開始が設定されたからであると発表した。

 モスクワは、シリア全体を取り巻く劇的状況の関係者全員を包含する、すなわち、シリアのクルド人が同国の将来に関する交渉に参加することを認める、というアイデアを推進した。 「(交渉に) シリア国内のあらゆる範囲の政治勢力が包含されるべきであることは明白である。そうでなければ、これは全関係者を代表するフォーラムであるとは言えないだろう」とラブロフ外相は述べた。

 シリアのクルド人は、アサド大統領に忠誠を誓うアラウィー派やスンニ派と同様に、内戦の形勢が自分たちに有利になるように情勢を逆転させたロシアに対し、ある程度は感謝しているはずだ。 これは、内戦に決着がついていない状況下で突然180度の方向転換がなされた主な理由といえよう。



有利な状況を地固めして利益を確実に

 モスクワに隠された動機があるとしたら、それはどのようなものだろうか。 トルコやサウジアラビアによる地上軍投入の警告が現実化した場合に、両国の軍と近接遭遇することを恐れた、という可能性はあるだろうか。


ロシア軍がシリアからの撤退開始
 それとも、シリアの内戦における軍事的および外交的な関与を通じて得られた最有力の利益を確実にするという、慎重に計算された戦略であろうか。

 その論理は次のように説明することができる。ロシアは、米国と共に現在の休戦状態の保証人として、必ずしも敵対的ではないダマスカスの新たな政権と、大方はモスクワの戦略的利益に対して一定の理解を示すシリアのクルディスタンという形に近く「連邦化」されるであろうシリアの分割を監督しようというものだ。



識者の見方

 アラブ地域の政治を専門とする国立ロシア人文大学のグリゴリー・コサーチ教授 に、この2つの仮定について解説してもらった。

 「私は2つ目の方により実体があると思います。 モスクワは、巨大な2つの領土を支配することになる各権力に対し、自国が持つ影響力を維持できると考えているかもしれません。 その1つはダマスカスからアレッポの間の地中海沿岸をつなぐ地域、そしてもう1つは主にクルド人が住んでいる北部を包含する地域です。 これが『賞金ファンド』となり、それでおそらく十分でしょう」

 それはロシアで禁止されているイスラム国(IS)やその他のテロ組織に大打撃を与えるという当初の目標にどう関係するのだろうか?

 「ロシア軍の関与により、イスラム過激派がシリアの領土の大部分を奪い取ることを防止したと主張することができます」とコサーチ教授は反論した。

 ロシアが世界のこの特別な地域に和平の仲介役および紛争調停者として戻ってくることを暗示しているとすれば、モスクワは独自の目標を達成したことになろう。 モスクワは、自ら何度も繰り返し主張してきた内容を実証して見せた。それは、比較的ロシアの国境に近い地域的紛争においては、ロシアは敵対する当事者に対し影響力を行使し、問題解決に向けた土台を築くことができるということだ。



「退却」なのか、それとも「撤退」か?

 シリアの内戦における当事者間の敵対関係が依然として収まっていない中でロシアが軍事的関与を縮小化することは、ロシアが失敗したことの黙認に他ならない、と懐疑論者が解釈する可能性がある。あれは退却を意味する、と。

 ロシアの外交の支持者の間では、これは並行展開した戦略 (アサド政権の軍事力強化と、穏健派の敵対者を外交的手段により関与させること) が功を奏したことの証明とみなされる。


シリアに残留するロシア部隊は?
 後者すなわち懐疑論者にとっては、これは撤退という位置付けとなる。 「退却」が臆病な逃亡を強いられることを暗示するのであれば、それは通常なされる区分にうまく適合する。 逆に「撤退」は、長期的な目的に従った計画的な行動となる。 よく耳にする「これは退却しているのではなく、戦略的撤退 (「転進」) なのだ!」という言い回しと同じである。

 そのタイミングについてだが、それは、株価が下がっている時に買い取り、株価が上昇したら売りに出るという、日常的によく利用されるものの巧妙なやり口に似ている。」

http://jp.rbth.com/opinion/2016/03/17/576397