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昨日2月3日の朝日新聞の夕刊から、編集委員の竹内敬二さんによる「えこ事記 地球環境」という4回シリーズの1回目が始まりました。毎週木曜日の夕刊に掲載されるそうです。
国連環境開発会議(UNCED)=地球サミットは、1992年6月にブラジルのリオデジャネイロで開催された、国連主催の環境と開発に関する国際会議です。「気候変動枠組み条約」「生物多様性条約」「森林原則声明」「環境と開発に関するリオ宣言」(ここで、「持続可能な社会」という考え方が提案されました)や、のちに述べる 「アジェンダ21」などが採択されました。翌年には、地球サミットの合意の実施状況を監視し、報告するために、国連経済社会理事会によって「持続可能な開発委員会」が設立されています。
上の記事で紹介されている1988年のシュワルナゼ・ソ連外相の国連演説「今や地球環境の破壊という脅威に直面し、世界をイデオロギーで分断していた線は消えた。地球を生物圏として見れば国境に意味はない」は大変感動的です。
スウェーデンは1972年の「第1回国連人間環境会議」や82年の「環境の酸性化に関するストックホルム会議」に代表されるような環境問題に関する国際会議を積極的に開催してきました。87年9月の国連総会では、スウェーデンの環境・エネルギー相が「第1回国連人間環境会議」の20周年に当たる1992年に、「他国の同意が得られれば」という条件付きで、スウェーデンは「第2回国連人間環境会議を」開催する必要性とその用意があることを表明し、1988年秋の国連総会でもこの提案をくりかえし表明しました。結局、1992年の第2回の環境に関する国連会議「国連環境開発会議」(後に“地球サミット”と呼ばれる)はブラジルのリオデジャネイロで開催されることに落ち着きました。
1989年10月23日、国連総会の環境に関する全体討議でスウェーデンの環境・エネルギー相は北欧5か国を代表して次のように述べました。
①先進工業国は環境にマイナスの影響をおよぼすような生活様式を減ずると共に発展途上国が持続性のある環境にやさしい開発様式を選択できるように、資源を多めに提供する用意があることを示さねばならない。
②「温室効果ガス排出の削減」および「生物学多様性の保護』など数多くの国際的な協定が1992年以前に調印されることを希望する。特に、「生物多様性の保護」という点に関しては、その生物資源を所有し、管理している人々に開発者がどのように補償するのかというルールが必要である。バイオ・テクノロジーの利用は国際的な合意の下に規制されるべきである。
③1992年の国連環境開発会議で、「有害廃棄物の越境移動の規制に関するバーゼル条約」が適切であるかどうかの決定と共に、「国際取り引きされる化学物質に関する情報交換のためのロンドン要綱」を国際条約に変更する必要性を検討すべきである。
④エネルギーについては、「一層の有効利用を押し進める政策」と「再生可能な環境にやさしいエネルギー源に転換する政策」の二通りのアプローチが必要である。化石燃料の利用は環境の酸性化の原因になるし、気候に対しても重大な脅威であるが、他のエネルギー源もまた環境に有害な側面を持っている。このことは北欧5か国のうち4か国が「原発の建設をしないこと、あるいは原発プログラムの段階的廃棄」を決定したときの重要な要因であった。
このような国際社会の動きを見てくると、国際的な動向、例えば、一連の「気候変動枠組条約」、「生物多様性条約」、「バーゼル条約」などの締結国会議、WECなどのエネルギー会議などの報道を見るにつけ、スウェーデンの先見性と国際的な発言力の強さを感じます。
竹内さんの記事からは日本の政府代表団が当時どのように、この地球サミットに貢献したかが書かれておりませんので、このブログ内の関連記事を参照することにしましょう。
1992年の地球サミット:「環境問題をリードしてきた国」と「そうでなかった国」(2007-12-04)
1992年の 「地球サミット」 当時のスウェーデンと日本の環境問題に対する認識の大きな相違(2010-09-13)
1992年の地球サミット以来、「NGO(非政府機関)」という言葉がしばしば大きな国際会議の報道記事の中にみられるようになってきました。これらの記事をみてすぐ気がつくことは、多くの国で、政府の代表とNGOの代表はしばしば意見や立場を異にし、ときには対立していることです。先進工業国、発展途上国を問わず、ほとんどの国でNGOは政府と対立する存在であると考えがちですが、スウェーデンでは政府とNGOの関係は非常に協調的です。
スウェーデンの主要なNGO(通常はNGOよりも「Interest Group」と呼ばれます)は政治的、社会的に大きな影響力を持っており、国の政策決定に参加しています。また、国際会議に送る政府代表団には、通常、政府関連の省庁の代表に加え、NGOの代表が参加しています。
1994年12月に『NGO先進国 スウェーデン』を書かれた国連広報センターの馬橋憲男さんは著書の中で「1992年の国連環境開発会議(地球サミット)へのスウェーデン政府の代表団は総勢26名で、このうち5名は環境NGOの代表だった。また、この種の会議では国連事務局に国別報告書の提出が義務付けられている。スウェーデンでは、この報告書の作成のために「地球サミット国内委員会」が設置されたが、この委員会の委員28名のうち7名がNGOの代表であった。スウェーデンにはNGO大使(Ambassador to NGOs)があり、政府とNGOとの連絡、調整に当たっている。この大使は1974年に外務省に設置された。」と書いておられます。
このブログの最初のほうに、「アジェンダ21」という言葉が登場します。この言葉は地球サミットを象徴する言葉で、「21世紀に向けた人類の行動計画」を示すアジェンダ21が最も重視しているのが地方政府の役割です。おそらく先進工業国の中で最も
地方分権が進んでいると言われるスウェーデンは、ローカルアジェンダ21に取り組む自治体数は92年の地球サミットから4年後の96年にはすべての自治体(288)で取り組まれることになりました。
この記事の冒頭で竹内さんは1992年6月9日の「地球人口推計時計」が54億6684万7920人を示しており、19年後の今、地球人口は約69億2000人になったと、記事を結んでいます。40年後の2050年には約90億人に達するという予測があります。竹内さんは「世界の貧困と格差 なお課題」という項で、「地球サミットが掲げた『持続可能な開発』『環境と経済の両立』という哲学はまだ理想にとどまっている」と書いておられますが、私はスウェーデンでは実現しつつあると見ています。
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希望の船出から11年-経済も、福祉も、環境も
「地球環境元年」という言葉があるとすれば、日本にとっての地球環境元年はおそらく1988年で、スウェーデンにとってのそれは国内で環境の酸性化論争が起こった1968年でしょう。ここに、20年の認識上の落差があります。この認識上の落差に基づく行動計画の相違により、両国の環境問題に対する対応は大きく異なり、その結果は、将来、ますます異なったものとなっていくでしょう。
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昨日2月3日の朝日新聞の夕刊から、編集委員の竹内敬二さんによる「えこ事記 地球環境」という4回シリーズの1回目が始まりました。毎週木曜日の夕刊に掲載されるそうです。
国連環境開発会議(UNCED)=地球サミットは、1992年6月にブラジルのリオデジャネイロで開催された、国連主催の環境と開発に関する国際会議です。「気候変動枠組み条約」「生物多様性条約」「森林原則声明」「環境と開発に関するリオ宣言」(ここで、「持続可能な社会」という考え方が提案されました)や、のちに述べる 「アジェンダ21」などが採択されました。翌年には、地球サミットの合意の実施状況を監視し、報告するために、国連経済社会理事会によって「持続可能な開発委員会」が設立されています。
上の記事で紹介されている1988年のシュワルナゼ・ソ連外相の国連演説「今や地球環境の破壊という脅威に直面し、世界をイデオロギーで分断していた線は消えた。地球を生物圏として見れば国境に意味はない」は大変感動的です。
スウェーデンは1972年の「第1回国連人間環境会議」や82年の「環境の酸性化に関するストックホルム会議」に代表されるような環境問題に関する国際会議を積極的に開催してきました。87年9月の国連総会では、スウェーデンの環境・エネルギー相が「第1回国連人間環境会議」の20周年に当たる1992年に、「他国の同意が得られれば」という条件付きで、スウェーデンは「第2回国連人間環境会議を」開催する必要性とその用意があることを表明し、1988年秋の国連総会でもこの提案をくりかえし表明しました。結局、1992年の第2回の環境に関する国連会議「国連環境開発会議」(後に“地球サミット”と呼ばれる)はブラジルのリオデジャネイロで開催されることに落ち着きました。
1989年10月23日、国連総会の環境に関する全体討議でスウェーデンの環境・エネルギー相は北欧5か国を代表して次のように述べました。
①先進工業国は環境にマイナスの影響をおよぼすような生活様式を減ずると共に発展途上国が持続性のある環境にやさしい開発様式を選択できるように、資源を多めに提供する用意があることを示さねばならない。
②「温室効果ガス排出の削減」および「生物学多様性の保護』など数多くの国際的な協定が1992年以前に調印されることを希望する。特に、「生物多様性の保護」という点に関しては、その生物資源を所有し、管理している人々に開発者がどのように補償するのかというルールが必要である。バイオ・テクノロジーの利用は国際的な合意の下に規制されるべきである。
③1992年の国連環境開発会議で、「有害廃棄物の越境移動の規制に関するバーゼル条約」が適切であるかどうかの決定と共に、「国際取り引きされる化学物質に関する情報交換のためのロンドン要綱」を国際条約に変更する必要性を検討すべきである。
④エネルギーについては、「一層の有効利用を押し進める政策」と「再生可能な環境にやさしいエネルギー源に転換する政策」の二通りのアプローチが必要である。化石燃料の利用は環境の酸性化の原因になるし、気候に対しても重大な脅威であるが、他のエネルギー源もまた環境に有害な側面を持っている。このことは北欧5か国のうち4か国が「原発の建設をしないこと、あるいは原発プログラムの段階的廃棄」を決定したときの重要な要因であった。
このような国際社会の動きを見てくると、国際的な動向、例えば、一連の「気候変動枠組条約」、「生物多様性条約」、「バーゼル条約」などの締結国会議、WECなどのエネルギー会議などの報道を見るにつけ、スウェーデンの先見性と国際的な発言力の強さを感じます。
竹内さんの記事からは日本の政府代表団が当時どのように、この地球サミットに貢献したかが書かれておりませんので、このブログ内の関連記事を参照することにしましょう。
1992年の地球サミット:「環境問題をリードしてきた国」と「そうでなかった国」(2007-12-04)
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1992年の地球サミット以来、「NGO(非政府機関)」という言葉がしばしば大きな国際会議の報道記事の中にみられるようになってきました。これらの記事をみてすぐ気がつくことは、多くの国で、政府の代表とNGOの代表はしばしば意見や立場を異にし、ときには対立していることです。先進工業国、発展途上国を問わず、ほとんどの国でNGOは政府と対立する存在であると考えがちですが、スウェーデンでは政府とNGOの関係は非常に協調的です。
スウェーデンの主要なNGO(通常はNGOよりも「Interest Group」と呼ばれます)は政治的、社会的に大きな影響力を持っており、国の政策決定に参加しています。また、国際会議に送る政府代表団には、通常、政府関連の省庁の代表に加え、NGOの代表が参加しています。
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このブログの最初のほうに、「アジェンダ21」という言葉が登場します。この言葉は地球サミットを象徴する言葉で、「21世紀に向けた人類の行動計画」を示すアジェンダ21が最も重視しているのが地方政府の役割です。おそらく先進工業国の中で最も
地方分権が進んでいると言われるスウェーデンは、ローカルアジェンダ21に取り組む自治体数は92年の地球サミットから4年後の96年にはすべての自治体(288)で取り組まれることになりました。
この記事の冒頭で竹内さんは1992年6月9日の「地球人口推計時計」が54億6684万7920人を示しており、19年後の今、地球人口は約69億2000人になったと、記事を結んでいます。40年後の2050年には約90億人に達するという予測があります。竹内さんは「世界の貧困と格差 なお課題」という項で、「地球サミットが掲げた『持続可能な開発』『環境と経済の両立』という哲学はまだ理想にとどまっている」と書いておられますが、私はスウェーデンでは実現しつつあると見ています。
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「地球環境元年」という言葉があるとすれば、日本にとっての地球環境元年はおそらく1988年で、スウェーデンにとってのそれは国内で環境の酸性化論争が起こった1968年でしょう。ここに、20年の認識上の落差があります。この認識上の落差に基づく行動計画の相違により、両国の環境問題に対する対応は大きく異なり、その結果は、将来、ますます異なったものとなっていくでしょう。
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