あざみ野荘つれづれgooブログ

おもに、サッカー関連のコメントを掲載していきたいです。
’78年のW杯アルゼンチン大会以来のサッカーファンです。

ドイツ戦

2006-05-31 18:40:04 | サッカー
 最初に断っておきますが、私は試合はハイライト映像しか見ていません。高原、流れの中から2ゴールだそうで、まあ今まであれほどがっかりさせ続けられてきた者から言わせてもらうと、エースなんだからそれぐらいはやってもらわないとねー、と皮肉を込めて言わせてもらいます。それにしても、ドイツはどうしちゃったんだろうか、とドイツ代表のほうが心配になってくる。
 まあ高原2ゴールに浮かれているマスコミからは、守備の問題について深く突っ込んだ意見は聞こえてこないのだが、中田と宮本の意見の相違とかね・・・・。宮本のCBはもう変わらないんだから、今日の日本のDFの問題点、修正点をきっちり話し合ったほうがいいと思う。宮本にヨーロッパの屈強なCBのような仕事を求めても無理だと思うし、不満があってももう彼をはずすわけにはいかないのだから、チーム全体で話し合って最もbetterな妥協点を見つけるべきだと思うが、このまま守備の決まりごとがまとまらないまま本戦に突入しそうで怖いです。宮本にも言い分はあると思うしね。
 試合を観戦していたヒディング監督は同点になった時点で、納得して帰ったそうです。不気味ーです。
 

鈴木隆行と久保竜彦の出ないWカップなんて・・・

2006-05-28 17:37:44 | サッカー
 代表についての報道も頻繁になって、気分も盛り上がってきているマスコミや世間に反比例して、私のWカップへの関心は盛り下がる一方なのですが・・・・・。
 このタイトルに書いてあることだけを言いたくて書いています。

 鈴木隆行と久保竜彦の出ないWカップなんて・・・

 この後に続く言葉は、つまらない、面白くない、興味が沸かない、なんか悲しい、納得がいかない等々ですが、本当にそう思ってます。特に、惜しむ声さえ上がらなかった鈴木のこの四年間の代表への数々の貢献を「シカトするなマスコミ!」とは言っておきます。そして漁夫の利のようにドイツへの切符を得た海外組のサッカーエリートたちに言いたい。「日本をドイツに導いた選手たちのことを忘れるな!」と、「代表の試合は”オレガ !”のアピールの場では無い!」と。

日本をドイツに導いた選手たち&私のイメージするゴールシーン

2006-05-24 23:00:50 | サッカー
 日本をドイツへ導いた選手達のことを忘れないように(彼らのゴールやプレーを讃えるために)書いておきます。
 1次予選1戦目(対オマーン戦)の久保の後半ロスタイムのゴール、同じく2戦目(対シンガポール戦)後半37分の藤田のゴール(鈴木がGKと競り合ったこぼれ玉を藤田がシュート)、同じく4戦目(対インド戦)前半45分の鈴木のゴール(インド相手になかなか点が取れず膠着した試合の均衡が、前半終了間際の鈴木の1点によって破れ、後半の追加点につながった)、同じく第5戦(対オマーン戦)後半7分の鈴木のヘッド(負ければドイツへの道は閉ざされるという予選最大の崖っぷち感のあった試合、日本は鈴木の素晴らしいヘディングシュートに救われる。)
 みんなよくがんばりました。(拍手)
 
 最終予選では、第2戦のアウエーイラン戦の福西のボレーがとても素晴らしくて印象に残ってます。もちろん、第1戦の北朝鮮戦の大黒のロスタイムのゴールも重要度は高かったし、第4戦のアウエーのバーレーン戦の小笠原のゴールもよかったですが、まあ彼らはWカップに出場することになっているので、ここではくわしく取り上げないでもいいでしょう。それにしても選ばれたFW5人の内、重要なゴールを決めた大黒とアウエーのイラン戦とバーレーン戦でよい動きをした柳沢は認めるとして、予選での貢献度だけ見れば、高原と玉田はまったく物足りないし、予選以上に厳しいことは間違い無いWカップ本戦で彼らが活躍できるかどうかははなはだ疑問だ。巻については、あまり知らないので何とも言えない。

 ところで、私が一番イメージするゴールシーンは、イラン戦の柳沢が落として福西がシュートみたいな感じとか、あとコンフェデブラジル戦の加地の幻のゴールみたいなのがこのチームの理想形かなと思う。(福西は好きな選手なので活躍してほしいと思う。)
 問題は最初の二試合だと思いますが、オーストラリアはやはりでかかったので、高さでやられるのではと不安です。ベルギー戦と似たような展開になるのではと思うから、やはり鈴木がいるような気がするんですけどねー、私は。守備が不安でしかたが無い。

ふりだしに戻る(スターシステム)&伸び悩みのワールドユース組

2006-05-21 00:12:27 | サッカー
 今回の代表メンバー発表されて浮かんだのは、”ふりだしに戻る”という言葉だった。正確に言うと”ふりだしに戻る”でなければよいがなあという危惧かもしれない。あのジーコが就任してすぐのジャマイカ戦の期待はずれの和製”黄金のカルテット”にまさか戻らないよね、という危惧です。その4人のうち、現在の代表でで先発が予想されるのは、中田と中村のふたりだけで、小野と稲本はベンチスタートなのではというのが大方の予想であるが、現在の稲本に殆ど期待していない私としては、ジーコがスターシステムに乗っかって、どうかふりだしに戻らないでくれと思うばかりである。報道などによると、レギュラーを取り戻したいこのふたりの意気込みが凄いとのことだが、このふたりに限らず、「アピール、アピール」という言葉を連発しているように見える現代表メンバーだけれど、もうアピールなんて言ってる時期ではないでしょう。この時期に来てメンバーが固定されてないなんて方がまずいでしょうと思う。彼らのそういう発言を聞くにつれ、自己の置かれた立場を客観視できないのは、はっきり言って頭が悪いのか(失礼)と思ってしまう。
海外に移籍もして、挫折も経験したはずの彼らの実力以上の自信を感じさせる言動を聞いて、それでは移籍した意味が無いじゃないかと思う。
 以前に小野がインタビューで好きな選手はと聞かれて、マラドーナと答えていたのを聞いて、ちょっとがっかりしたのを覚えている。彼が目指しているのは、私が見たいサッカーとは違う、と。はっきり言ってマラドーナが五人抜きしてゴールするようなサッカーは、チームプレーとしてのサッカーのおもしろさが感じられないので、私にはまったくつまらないのだ。小野はまた’02でゴールした稲本がうらやましかった、とも言っていた、自分もゴールしたいと。小野君、あんたはそんな「俺が俺が」の人だったのですか?自分を客観視して、今の代表には何が求められているのかを理解していれば、そんな発言は出てこないと思うのですが。ジーコは途中からでも使うと思うけれど、私には、それはとてもリスキーなことだと思います。私なら途中からでも使わない。ジーコは使うでしょうけど、失点につながらなければよいがと思います。
 この小野と稲本そして高原などのいわゆるナイジェリアのワールドユース組は、日本のサッカー界をしょって立つホープとして期待されていたのだが、三人とも思ったより伸び悩んでいるなあと思う。未だに代表チームでリーダーシップを発揮しているのは中田だし、小野は彼のオーバーエイジ枠での出場がアテネオリンピックの惨敗の一因とも言われていて、リーダータイプではないなと思う。中田がリーダーとして選手として小野よりいいかどうかはわからない。でも彼が出たシドニーオリンピックの試合のほうが、小野の出たアテネオリンピックよりはるかにおもしろかったしわくわくしたのは確かである。
 
 私は、メンバーが並んで、ひとりひとりの個性が際だつような代表チームを観たい。そしてそういう個性は残念ながら、ワールドユース組のゴールデンエイジと呼ばれた選手達の中には見当たらない。これは、トルシエの言っていたスターシステムの弊害だろうか、それともエリートのひ弱さだろうか。この四年間の代表の軌跡は、物足りない、もっとできるのではないかと思う面は多々あるが、その歴史をふりだしに戻すような選手の起用をしてほしくないとは思ってます。アテネの失敗に学んでね。

※”スターシステム”については、トルシエ監督の通訳としてトルシエジャパンを直近で見続けた、あのダバディー氏の著書「黄金時代」でわかりやすく説明されています。対談形式ですが、哲学の国フランスの自称”サッカーおたく”ダバディー氏のサッカー観は、読み物としてもとてもおもしろかったです。(対談形式。)
 

落選した選手のことを考えて寝ることにします・・

2006-05-16 01:34:04 | サッカー
 Wカップ日本代表メンバーの23人が発表されましたが、鈴木隆行を応援していたファンとしては、”Wカップを観る楽しみが半減したな”と盛り下がっていますが、ジーコの選んだメンバーを見て思うことは、ジーコが選んだと言えばそれはそうなのですが、サプライズと言われている巻にしても、最近の巻の持ち上げられ方を見たら明らかなマスコミの意向が反映されたものに思えるし、その他のメンバーもほとんどサプライズの無いオールスターキャストで、マスコミやファンの意向がそのまま反映された代表になっていると思う。だから、みんなの人気者=スターにあまり興味の無い私には、なんだかなあーといまいちの代表なのです。トルシエの時は、ゴンちゃんや秋田というサプライズもあったし、戸田や明神、鈴木などのいわゆるマスコミの人気者でない選手も選ばれていておもしろかったのだが、今回はそういう驚きがまったく無かったし、これまで何回も書いているように、現在のコンディションやパフォーマンスがいまいちな何人かのマスコミの人気者選手が、シビアに落とされた久保と対照的に、当然のように選ばれているのを見て、ぶつぶつ言ったりしています。マスコミには、これで”予選敗退しても文句は言うなよ!”と言いたい。結局あなたがたの意向と圧力が反映された代表メンバーなんだから、と思う。私が一番不安なのはマスコミが騒いでいた得点力不足よりディフェンスですが、ディフェンスが現状では予選突破はなかなか難しいと思う。良くてコンフェデくらいの成績だと思う。今思えば、マスコミや周囲の意見を一切聞かずにメンバーを選んだトルシエは予選突破というそれなりの結果を残したが、はて、ジーコジャパンはどうなるでしょうね。代表候補の中で私がキャラ的に一番注目していたふたり、久保と鈴木が落ちてしまったし、戸田のような個性派もいないし、ゴンのようなムードメーカーもいないし、森島のようなテクニックのある”いいひと”もいないし、なんかつまらないよね・・。強いて感情移入できるのはジーコになってずーっと選ばれている福西と加地、そして、4年前よりたくましくなった中村あたりだろうか。福西と中村のコメントも、選ばれなかった人のことに言及していてとても好感が持てた。

 そんなわけですが、私が”ちょっと苦手な”川渕氏が、鈴木についてこんなコメントをしていたのがちょっと意外でしたが、マスコミは鈴木の落選についてはほとんどスルーだったので、少しだけ救われた気がしました。今夜は、川渕氏のコメントにも出て来た選手たち、鈴木隆行、藤田、三浦(淳)、そして久保などのことを思い浮かべながら寝ることにします。そんな選手がひとりも選ばれてない今度の代表チームにあまり愛着がわかないことを少し悲しく思いながら・・。

スコットランド戦

2006-05-13 22:56:54 | サッカー
 ブルガリア戦に比べて、守備は落ち着いていたと思う。宮本の眉間のシワがいつも以上に深かったのは危機感を感じていたのかと思った。ただし、Wカップでこの日本の守備が通用するかというと・・・。スコットランドは体格的には、オーストラリアやクロアチアくらいだったと思うが、中三日の日本に比べて中一日と二日も休養日が少ないコンディションだったから、全体に動きにきれがなかったし、大量失点しなければ優勝できるためか無理して攻めてこなかったし。日本も惜しいチャンスが何回かあったが、小笠原、遠藤、小野とも最後のところで決めきれなかったのは焦りがあったのかと思った。ペナルティーエリアに大きなディフェンダーがごろごろという状態を細かなパスをゆっくり回して崩すのは、ブラジルぐらいの技術がなければむずかしいのではないだろうか。セットプレーも高さがないので決まりそうな気がしなかったし。こんな時には誰かのミドルシュートが決まっていたらなあと思う。解説者の誰だったかが、ゴール前でファールをもらってフリーキックと言っていたのには笑った。先発の久保はいまひとつだった。ゴール前にいるのだが、絶好調時のような恐さが感じられない。玉田と久保のコンビはあまりよくなかったように思う。きょうの玉田はあまり機能していなかった。巻が入って、精力的に動くことによってゴール前でボールが落ち着いたので、巻や鈴木のような選手がやはり必要だと思う。ひきわけできっちり終わらせたいシチュエーションも出てくると思うから。
 それにしても、相手のカウンター時にはいつも冷や冷やしているが、日本の遅い攻撃時にはたぶん入らないだろうからと、まったり落ち着いている自分がいるのはこれいかに。
 
 サッカー番組のW杯メンバー予想を見て、名前だけで、現在あまりよくない選手が当然みたいにいつも入っているのを見て安直だなあと思う。みんなFW選びにはうるさいけれどMFやDF選びはうるさくないんですね。私には稲本が当然みたいに入っているのがさっぱりわからないし、小野がいまだに無条件にほめられているのも解せないし、高原が選ばれれば先発は約束されているみたいに思われているのも解せない。シドニーオリンピック世代は、今思えばそれほど伸びなかったなというのが私の感想です。特にこの三人は日本での高評価に安住して努力を怠ったのか、メンタル的に何かが欠けているのか、私には三人とも物足りません。現状ではボランチには中田、福西を選ぶと思うし、前は中村、小笠原となると、小野はベンチということになる。稲本もディフェンスが重視される本戦では、あのちゃらんぽらんな彼のディフェンスでは、私なら恐くて起用できない。一度スターと認知されるとアンタッチャブルで日本ではもう批判されないってことなのでしょうかね。

映画 「ゲド戦記」 の予告

2006-05-13 15:15:26 | 映画・ドラマ
ジブリによる映画「ゲド戦記」の予告が、昨夜の金曜ロードショーの「もののけ姫」の最後に流されたので見たのですが(それを見たくて見ていたのですが)、第3巻の「さいはての島へ」と第4巻の「帰還」を中心にして映画は作られるらしいのですが、正直言って、原作が私にとってとても大切な作品なので、予告をみた限りではとても不安になりました。
 ゲドはまあいいいとしても、アレンが私のイメージよりは幼すぎるのと、自己の中にある”影との戦い”が、原作では、第1巻でゲドの物語として描かれているのが、映画ではアレンの問題として描かれるようだし、(青年期のゲドが描かれる1巻の「影との戦い」も色んなイメージがすごく映画的だし、迷宮の出てくる2巻「こわれた腕環」も面白いと思うので、その映画も観てみたかったですが、)テナーが娘として育てることになるテルーとアレンが出会うのも原作では、第4巻の「帰還」においてなので、そこの辺りがどう変更されているのかなど、原作ファンの不安は尽きないです・・・。竜のヴィジュアルはイメージにぴったりだったのですが、私にとって「ゲド戦記」はやはり、ゲドとテナーの物語なので、アレンに比重が置かれているのはどうなのか・・・とぶつぶつ夕べから言ってる私です。

 ※興味のある方はスタジオジブリのオフィシャルサイトを訪問してみてください。(私が時々その著書から引用させてもらっている)「ゲド戦記」翻訳者の清水真砂子さんの「もうひとつの風を待つ。」という映画化に寄せた特別寄稿も掲載されています。

きのうは大雨でした&シャボン玉石けん

2006-05-11 18:05:48 | 日記
 きのうの朝は、雨の中を自転車で走りながら川の流れを見ていると、自然の存在をいつもより身近に感じた。川の水がかなり増えて、水辺の草がいつの間にか濃い緑に変わっているのにあらためて気づいたのも、雨のせいかもしれないと思った。そういえば、晴れた日には、川の真ん中辺りにある昔の橋げたらしきものを切ったのが流れの上に顔をのぞかせている場所での亀の甲羅干しもひんぱんに見かけるようになった。片足を折り曲げて獲物を狙っている哲学者のようなサギ。きらっとお腹を光らせてぴょんとはねる魚。
 
 どちらかというと雨は、洗濯物とか体調のことを考えるとうっとおしいとずっと思ってきたのですが、(車ではなくて)外に出てみると、自然を感じさせてくれる雨もまたなかなかよいではないですか、と思う。
 そんなわけで、以前図書館で借りたピーター・スピアーの絵本、「雨、あめ」(評論社)を思い出した。この本には雨の日の子どもたちの遊びが、絵だけによって描かれていて、それもきのうのようなかなりの雨なのですが、雨だけでこんなに遊べるのかととても新鮮だったのを覚えています。すっかりびしょぬれになって帰ったあとのお風呂の気持ちよさそうなことといったら・・。
 興味のある方はぜひ御覧になってみてください。

 さて、雨の日は問題なのが洗濯物ですが、私が使っている洗剤は、シャボン玉石けんの”シャボン玉スノール”という粉石けんなのですが、これがなかなかよいと思います。合成洗剤のような気になる臭いがまったくなく、ふんわりとやわらかく仕上がりますので、柔軟剤はまったくいりません。また、毛や絹なども洗えますので、私はセーターなども別に洗剤を買わずにこれで洗ってます。難点は溶け残りですが、私は洗濯物を入れる前に洗剤だけで少し回して溶かしてから洗ってます。他に使っているものは漂白剤くらいなので、ふつうの粉石けんや合成洗剤よりも少し高いですが、気に入ってます。シャボン玉石けん(株)です。

過去のこと&ブルガリア戦(少し加筆しました)

2006-05-09 14:08:29 | サッカー
 きょうはブルガリア戦なのだが、ブルガリアといっても知っているのは監督の(あのクライフをてこずらせたことでも有名な)ストイチコフぐらいなのですが、これは相手チームも海外組のいない日本チームで知っているのはジーコ監督くらいのものだろうからどっこいどっこいというか私の予想では、向こうのほうがFIFAランクには関係なく実際には格上なのではないかと思っているのだが、それはさておいて、もうすぐWカップということで、日本が出場した’98と’02のふたつの大会のことを少しだけふり返ってみたいと思う。
 
 まず’98の仏大会といったら、まずなんといってもカズの落選だろう。私は当時も今も、岡ちゃんの判断は正しかったと思っている。最終予選でのカズは、ケガのせいもあって、明らかにチームのブレーキになっていた。当時の―普段あまりサッカーの試合を見たこともないような人からだろう―岡田監督バッシングは嫌な感じだった。カズをフランスへ控えでもいいから連れて行ってあげればよかったのにという意見もあったが、当時のカズは、彼がベンチに控えでいることが他の若い選手にとってプレッシャーとなるような存在だった。だから、イラン戦で監督がカズを交替させたことがあれほど話題になったのだ。もし、彼が実力もあるがベンチにいることも甘んじて受け入れるような選手だったなら、監督は連れて行ったと思う。しかし当時のカズは”オレガオレガ感”を身体中から発散させているような選手だった。(本人は否定するかもしれないが、そして今のカズはそんな選手ではないのだが。)だからカズをはずした時点で、(中田を中心のチームを作ると決めた時点で)彼をメンバーからはずす以外の選択肢はなかったのだ。

 ヨハン・クライフは選手時代のストイチコフの問題点のひとつに”自己犠牲の精神の不足”をあげています。それはチームプレーにとっては、よくないことだと。

一人の選手のためにチームが影響受けることをクライフは好まなかった。(「ヨハン・クライフ スペクタクルがフットボールを変える」ミゲルアンヘル・サントス著より)

 次に、’02のトルシエ監督については、フラットスリーとか中村俊輔のこととか、トルコ戦の采配とか性格とかについていろんなことが言われたが、彼が代表監督中に語ったことで一番印象に残ったのは”日本におけるスターシステム”のことである。彼が合宿中に選手たちひとりひとりに「お前は小野か?」と聞いて回って、小野本人も「お前は小野か?」と聞かれて「違います。」と答えた有名なエピソードがあるが、この挑発的なパフォーマンスは、日本におけるマスコミや周囲による”スターシステム”なるものの発動がその選手本人だけでなくチーム全体にもよくない影響を与えていること―そしてそれが監督の采配にも影響を与えていることへの苛立ちだったのだと思う。トルシエの日本での4年間は、マスコミや協会やサポーターなど、すべてのスターシステム信奉者たちとの戦いだったのかもしれないと思う。そういう意味では一定の役割を果たした人だとは思うが、彼が辞めたあとは、すべてがリセットされて、相変わらずマスコミは暢気にスターシステムを発動し続けているのは大きな問題だと思う。スターシステムの信奉者たちがサッカーに精通しているわけではないからだ。

 さて、”神様”ジーコは最終的に誰を選ぶのかは、まさに”神のみぞ知る”であるが、これまでのジーコの選考を見てきて感じるのは、彼は前回のWカップの試合、あるいはその他の国際Aマッチの試合を参考に選手を選んでいると思う。例えば、前回活躍したけれど、森島はジーコになって選ばれていないのは、彼が、ベルギー戦の森島投入後の2失点目のシーンにこだわっているからだという気がするし、浦和でいくら活躍してもトゥーリオが選ばれないのは、アテネオリンピック惨敗(ディフェンスの崩壊)の残像が消えないからだと思うからである。

 さて、ここからはきょうのブルガリア戦のことを少しだけ書きたいと思う。スターシステムのマスコミ的にはきょうの試合は、巻と佐藤の活躍(FWのサバイバル)にポイントがおかれていたと思うが、試合が終わってみれば、きょうのポイントはFWあらそいなんかではなく、あいかわらずディフェンスだった。巻の同点ゴールは押し込んだというより当たったという感じだった。そんなことはさておいて、特に2失点目は、あまりにみんなの意識が、つまりアピールのために前へ前へ行き過ぎていたためではないかという気がする。キリンカップの優勝をねらっているのであれば、あの時点で勝ち点1の引き分けで試合をきちっと終わらせるべきではなかっただろうか。それなのに、みんなとは言わないが自己のアピールに忙しい(自己犠牲の精神の不足した)選手が多かったために勝ち点1を逃してしまった。巻と玉田はよかったと思う。ただ、玉田はやはりフィニッシュに、そしてきょうの試合を見るかぎり巻はわりとよいのだが、強豪国とのAマッチ経験の少なさに、やはり不安がある。あと感じたのはブルガリアもそうだが、ヨーロッパやオーストラリア相手には、背の高さも重要だということだ。小野はきょうもいまひとつだった。本戦なら途中から入れないほうがいいと思う。小野が入ることによって(サントスもだが)明らかに守備力が落ちる(周囲の守備負担が増える)から。それは稲本にも言えることだが、守備をしない選手―自己犠牲精神の不足した選手―というのは、いくら技術があっても、今の日本チームに必要な選手ではないのではないだろうか。それにしても、ストイチコフは田中のことはほめていたようだが、今日の試合を見るかぎり、中澤と宮本には不安が残る。

なんだかなあ・・・亀田兄弟(追記あり)

2006-05-07 17:32:03 | スポーツ
 ここ数日、TVのスポーツニュースは、例の亀田兄弟の話題をこれでもかと報道している。ボクシングという競技で私がイメージするのは、パンチドランカー問題などの残酷な側面とか、漫画「あしたのジョー」とかぐらいで、とても苦手なスポーツなのですが、こうも取り上げられると嫌でも目に入らずにはおれないので、この数日間、なんだかその光景に違和感や怒りさえ覚えていたので、みんながこのニュースについてどんなコメントをするか注目して、そして「ブルータスお前もか!」といった感じで、半ばあきれつつ今日まで来たのですが、今日に来てやっとTVで彼らの(特に兄のあの試合前の記者会見の)パフォーマンスを批判した意見をひとつだけ聞くことができた。江川紹子さん、あんたは偉い!!TBS(サンデーモーニング)でよく言った。それに比べて、大沢、張本コンビには失望した。当然”渇”を入れてくれるものと思ったら”あっぱれ”ですか・・・。
 まず、”記者会見で物を食う”というとても無作法な態度、そしてそれを誰も批判しないというこのマスコミの腐った体質に我慢ができない。記者会見で相手を挑発するような言動は過去の有名なボクサーたちもやっていて、その姿をお手本にしたのだろうが、あまりにも品が無さすぎて、まるで感情移入できない。そして、サッカーで言えば、圧倒的な声援を受けてのホーム(日本)での試合というアドバンテージがある上に、最初から勝つとわかっている対戦相手が選ばれているような感じを受けたし、そんな相手にさらに強気のパフォーマンスをしないといけないというのは、自信の無さや不安感の現われなのかと逆に疑ってしまった。逆に言えば「そこまでしないと勝てないのか」と勘ぐってしまった。前の試合前の会見の時に、相手に例の”ガンのとばしあい”を(主に父親が)強要していたのを見た時からどうかと思っていたが、今度という今度はその品の無さにあきれはてた。何度も言うが、ここは日本であり、そのホームでの”ごっつぁん試合”にあれほど強がるポーズを見せないと勝てないのでは、この先思いやられると思うのだが。そして、弟のほうも弁慶の扮装は見逃すとしても、試合後の唄のパフォーマンスも「それってどーなのよ」と誰かがつっこむべきなのではないだろうか。ご丁寧に、さんまとキムタクプレゼンツの金のマイクスタンドなんて、まったくもってわからない世界だ。彼らの人気にのっかって利用しようとう有象無象ばかりで、「誰かたしなめろよ」と思いつつ過ごした数日間だったので、江川さんのささやかな正論にはほっとしました。彼女は、「あれを見たニカラグアのひとたちが日本人のことをどう思ったでしょうか。」とおっしゃってましたが、まったくそのとおりだと思います。「あしたのジョー」のストイックさなんてどこにも見当たらない平成日本人の傲慢さ、「なんだかなあ・・・」である。
 
 追記:傲慢な勝者よりも、謙虚で潔い敗者のほうに共感を覚える。アテネの井上康生のように。

 人間としての原則も押さえないでどこもかしこも本音ホンネと、本音ばかりがもてはやされる現在の日本の社会(「もうひとつの幸福」清水真砂子著/岩波書店 208頁より)